彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版

高見 梁川

第十三話 内政編その3

「これは………早くヤーノシュ様にお知らせしたければ……!」
「くそっ!異教徒の手先め!地獄に落ちろ!」
 

言葉そのものは激しい罵倒だが、その声は小さく、豪奢な飾りに彩られた広間の中で男たちは額を寄せ合うように固まっていた。
口ぐちにヴラドに対する呪詛を呟きながら必死に打開策をさぐる彼らはサス人の商人たちであった。
その原因は昨日ヴラドが三民族同盟の無効化を宣言したことにある。
 

ここにいう三民族同盟とはハンガリー王承認のもとに1437年トランシルヴァニアで成立した条約で、サス人(ドイツ系殖民)・マジャル人(ハンガリー人)・セーケイ人
(ハンガリー内の少数民族)のみを民族として公認するというものである。
人口の50%を超えるはずのルーマニア人は民族として認められず、こと商業に関してはサス人の奴隷のような扱いを受けていた。
なにせ驚いたことに価格決定権がない。いくらで売れ、いくらで買え、というのがもっぱらサス人に決められてしまっては正常な商行為などありえないだろう。
本来この同盟の効力はトランシルヴァニア領内にとどまるべきものだが、ワラキアはトランシルヴァニア内にアルマシュとファガラシュという飛び地を所有しているためごり押しのように
条約が適応されてしまい、公国に対するハンガリー王国の影響が増大したあたりから、とうとうワラキア公国内でもこの三民族同盟の効力が暗黙のうちに通用しだしていた。
要するにオスマン朝から守って欲しければ言うことを聞け、と親分が諸肌脱いで出張ってきたわけだが、オスマンに朝貢している現状ではこれに従う理由は何もない。
それに国内産業を育成し、海外貿易で国家経済を大改革しようとしているところに、正常な競争を阻むこの条約はヴラドにとって邪魔者以外の何物でもなかったのである。
 

ワラキアがかつてと同じ小国のままであれば彼らの焦燥もここまで深刻なものにはならなかったであろう。
しかし現在ワラキア大公は精強な常備軍を有し、2度にわたってハンガリー軍を撃退した稀代の戦上手であると噂され始めていた。
今後ヴラドの政治的影響力が増大すればサス人商人は揃って首をくくるはめにもなりかねなかった。
 

  

ワラキア公国領内におけるサス人に一切の特権を認めぬ。
またトランシルヴァニア領内においても三民族同盟による特権をワラキアは認めぬこととする。
今後もなお、特権を享受することあらば、ワラキアは領内における三民族に対し、人頭税を課すものとする。
 

 

この布告は既得権益をもつ三民族には轟々たる非難と、経済的弱者であったルーマニア人からは絶賛をもって迎えられた。
しかし俺にとって人口比率において圧倒的に勝るルーマニア人の支持と残る三民族の支持のどちらが重要かは言うまでもない。
もともとワラキアは農業生産力も高く、戦火に荒らされることがなければ中継貿易の拠点として発展する地理的条件も揃っている以上、経済を彼らに支配させておくという選択肢はないのだ。
 

かなしいかな軍事力によって俺に対抗することのできないサス人商人はまずワラキアへの輸出品に関する値段を釣りあげ、さらに商人特有のネットワークを生かして宣伝工作を開始していた。
異教徒に魂を売った悪逆無道の王ヴラド・ツェペシュの誕生というわけだ。
これは史実のヴラドも経験したことなのでさしたる驚きはない。
現代まで残る串刺し公の悪名は、サス人やハンガリー王マーチャーシュが活版印刷を使用してまで宣伝に取り組んだ結果でもあるからである。
 

――――――さて、どこまで我慢が続くかね………まあ、これだけ甘い汁を吸ってたら素直に従うのは無理だろ。
 

史実においても同様の政策をとられたサス人は1456年に死亡したヴラディスラフの遺児ダンを担ぎあげヴラドに対抗しようと画策している。
おそらくは今回も同じような手段に出るはずであった。
だが、彼らにとって残念なことにヴラディスラフを支援するワラキア貴族はほぼその半数が粛清され、何よりの頼りであるヤーノシュも国内における己の立場を守る必要から軽々には動けない。
万が一ワラキアを相手に三連敗などということになれば英雄の名に傷がつくだけでは済まないだろう。
下手をすれば失脚どころか暗殺の心配をする必要がある。
だから俺はよほどヤーノシュは勝算があると考えないかぎり攻めてはこないだろうと考えていた。
そのあたりをトランシルヴァニアのサス人が見誤ればそのときは………。
今はまだ早い。
しかし決断の日がそう遠くはないであろうことを俺は予感していた。
さて、そろそろ仕込みに送ったあいつが目的地に到着していることだがな…………。
俺は新たに部下となった陽気で愉快な伊達男の艶姿を思い出して、思わず噴き出すように笑った。
 

 

 

 

 

「素晴らしい!まだまだこの世は驚きに満ちている!」
 

カルパチア山脈の東欧では珍しいブナの原生林を前に感嘆の叫びをあげている男がいる。
長身のスラリとした肢体に抜けるような鼻梁。
名前からしておそらくスラブ系の血が入っているのであろう色素の薄い肌に深い湖のような蒼い瞳は世の婦人達が騒ぎたてずにはおかない魅力に満ちていた。
本人いわく、芸術の守護者。
ワラキアの誇る自称伊達男イワン・ソポロイはある一人の男に会うために険しい山道を越えていた。
 

彼がヴラドに登用されたのは全くの奇蹟的な偶然によるものである。
たまたまお忍びで巡幸中であったヴラドの前で、ある一人の婦人をめぐって決闘騒ぎが起こったのだ。
どうやら美しい婦人を欲望のままに手籠めにしようとした貴族の若者を、一人の貴族の男が颯爽と現れて止めたらしい。
これで相手が平民であったなら有無を言わさずその場で斬り殺されていたかもしれない。
そこまではよかったのだが残念なことにその白馬の騎士は腕っ節のほうはからっきしであったらしく、危うく殺されかかったところを慌ててヴラドの護衛が止めるはめになった。
当然のことだがヴラドの治める公都で暴挙を働いた貴族の若者は貴族の地位をはく奪のうえ国外追放とされた。
すんでのところで命を助けられたイワンは己の信じる美意識の命ずるままに、ヴラドへの忠誠と協力を申し出たのだった。
 

当初身の程知らずのただの正義漢と思われていたイワンだが、意外にも商才があり、その豊富な資金でワラキアに芸術を振興しようとしていたことがシエナの調査でわかると風向きがかわる。
東欧の片田舎にすぎないワラキアでは海外との接点が非常に少ない。
芸術という貴族らしい趣味人として海外の要人とも面識のあるイワンは一躍外交担当を任されるようになった。
とはいえさすがに実務面は有能な官僚が補佐することになっている。
彼に求められているのは貴族という地位に加え、その陽気さと芸術家らしい損得を超えた誠実さによって相手の信頼を獲得することであった。
どれだけ交渉に長けている人物でも相手の信頼を得なければ交渉のテーブルにつくこともままならないのだ。
 

「悪いが上部ハンガリーに行ってきて欲しい………」
「ほう………ちょうどボヘミアの硝子細工が欲しいと思っていたところです」
「誰が硝子細工の話をしているか!」
「不肖このイワン・ソポロイ、このワラキアに美しき芸術と文化の華を開かせるまで努力と研鑽を惜しみません!」
「今は任務の話をしてんだよっ!」
「お命じくださればいつなりと………すでにこの身は殿下にお捧げしたものでありますれば」
 

そうだ、こいつはこういう奴だった。
忠義と芸術のためには自分の身の危険とか主義主張とかいろいろと省みない男なのだ………。
気を使ったのが馬鹿馬鹿しく思える潔さであった。
なんとなれば彼の向かう先はキリスト教異端としてたびたび教皇庁に十字軍を差し向けられているフス派の残党の拠点にほかならないのである。
 

 

「何?ワラキアの小僧から使者が来たぁ?」
 

内部分裂を起こして上部ハンガリーへの逼塞を余儀なくされて以来、孤立無援の度を深めていたフス派残党にとって、小国とはいえ一国の、しかも降伏勧告でない使者が訪れるのは
久しぶりのことであった。
だらしなく上半身を投げ出していた巨漢がのっそりと起き上がって面白そうに瞳を瞬かせた。
赤ら顔に鷲鼻で顎は立派な髭に覆われている。
酒臭い息を吐きながらししし、と歯を剥きだしに笑うこの男の名をヤン・イスクラと呼んだ。
 

「どうやらおもしれえことになりそうじゃねえか…………」
 

 

 

ヤン・イスクラ――――またの名をギシュクラ・ヤーノシュ。
1461年にハンガリー王マーチャーシュ1世に敗北して傘下に降るまで上部ハンガリーを実効支配しつづけたフス派の傭兵隊長である。
フス派とはルターやカルヴィン以前にウィクリフの教説に賛同してローマ教皇庁の腐敗を弾劾したヤン・フスの支持者を指すもので、宗教改革の先駆者的存在であった。
ちなみにジョン・ウィクリフは13世紀の宗教家で、その聖書の序文に「この聖書は人民の人民による人民のための統治に資するものである」とのちにエイブラハム・リンカーンによって
引用される有名な台詞を著述したことでも知られている。
悪名高い免罪符に代表されるように、当時の教会は金を庶民から巻き上げるばかりで宗教的情熱を失っていた。
罪を金で購うことはできない、という清廉なフスの教義はたちまち民衆の心を捕え、瞬く間にボヘミア全土にフスの信望者が続出したのである。
折悪しく当時は教会大分裂のさなかであった。
教会大分裂とは教皇がフランスのアヴィニョンとローマ、さらにはピサ選出の教皇まで現れて三人の教皇が並び立つ異常事態に陥った事件を指す。
フスが改革を訴えたのはまさにその三教皇が分裂状態を解消するために協議を重ねている最中であったのである。
ただえさえ教会の影響力が大分裂のおかげで低下しているところに、教会の腐敗を糾弾する神父などいてよいはずがなかった。
結果フスは火刑に処され、その教義は異端の烙印を押された。
 

ここでおさまらなかったのは信者たちである。
腐敗した教会の面子のために正しい教義が異端にされるいわれはない。
しかもフス派の拠点であるボヘミアはルクセンブルグ家に支配され国語としてドイツ語を強制されるなど国民の間に不満が高まっていたことが火に油を注いだ。
そしてついに1419年第一次プラハ窓外投擲事件を契機としてフス戦争が勃発する。
本来これはごく平凡な平民の反乱として早期に鎮圧されて終わるはずと誰もが認識していた。
精強を誇るドイツ騎士団に対してフスの信者の大半は無力な農民や市民で戦の素人にすぎなかったからである。
ところがここで一人の男の登場が戦争そのものを変えてしまう。
ヤン・ジシュカ―――――無敵の神の軍隊を組織した隻眼の闘将、稀代の天才の登場である。
彼は防御施設として移動も可能な戦車を作り上げ、これに平民を収容して徹底的に火力戦を戦うことでドイツ騎士に対抗した。
動く城塞と化した戦車戦術の前に旧来の騎兵戦術は全く歯が立たず、連戦連敗したドイツ騎士団はついにはフス派が聖歌を歌うだけで敗走したと伝えられる。
 

しかし無敵を誇ったフスの軍隊もカリスマ的指導者であったヤン・ジシュカがペストによって死亡するとその指導権をめぐって内部対立が表面化した。
教義を残したい穏健派と戦って勝利を勝ち取るべきとする強硬派、さらに戦い続けることそのものを目的とする最強硬派も含め対立は激化し、ついには味方の裏切りによって
フス派の主力軍隊は全滅に近い損害を受けるのである。
リパニの兄弟殺しと言われるこの戦いを、ギリギリのところで生き延びた歴戦の指揮官こそがヤン・イスクラであった。
 

「おう、ワラキアの使者ってなあ、あんたかい?」
「ワラキア公国外務卿イワン・ソポロイと申す者。以後お見知りおきいただきたい」
 

イワンを一瞥してフン、とヤンは鼻を鳴らした。
とんだ優男をよこされたものだ。
俺たちがどういう存在か本当にわかっているのか?
 

すでにフス戦争の大勢は決しているが、なおヤンたちは異端でありキリスト教の敵である。
一時ポーランドと連帯したこともあるが、その後手ひどい裏切りにあったことから部下の間で国家との約束を信頼するものは少ないのだ。
下手に同盟すればローマ教皇庁に異端認定されかねず、さらに約束の履行を信用するには危険すぎる存在。
ゆえにこそ圧倒的な戦力を誇りながらヤン率いる黒衛軍は世界から孤立した存在であり続けた。
 

「知ってるぜ。まだ16の小僧がワラキアの大公になったってな」
「確かに若うございますが、我が君の識見はとても年齢で測れるものではありませぬよ」
「ほう………それで?あのいけすかねえヤーノシュを撃ち破ってくれたワラキアの英雄がこの俺なんかになんのようだい?」
 

おそらくは対ヤーノシュの軍事協力を申し出るものだとヤンは確信している。
それはヤンとしても望むところではあった。
このところ激しさを増すヤーノシュの攻撃は、彼が戦車戦術に慣れてきたこともあって被害が拡大する傾向にあってからである。
ただヤンがヤーノシュを引き受けワラキアが漁夫の利を得るというのはいただけない。
それではこちらがワラキアのために血を流すだけで何の利もないからだ。
もちろんある程度の支援はしてくれるのだろうが、ヤーノシュを破ったあとにまでワラキアが友好であり続けると信じるほどヤンは楽天家ではなかった。
 

――――――ただ力を貸してくれ、ってんならお断りだぜ?
 

それに対するイワンの言葉はヤンの予想を完全に覆した。
 

「我が主はヤン・イスクラ殿を友とすることを望んでおります」
「はああああ??」
 

 

ローマ教皇や神聖ローマ帝国の皇帝ですら恐れたこの男に間抜けな声をあげさせた時点で、勝負の行方は見えていたのかもしれなかった。
この日………ヤン・イスクラとヴラド・ドラクリヤの間の個人的な契約として、対ハンガリー戦の同盟が成立したのである。
 




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