アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第百六十一話 カゲツ支族

 デアフリンガー王国で一度別れたサーシャと、松田はムーランで合流を果たした。
 ムーランはリュッツォー王国とパリシア王国に挟まれた小国であり、ガイドウ森林地帯の中にある。
 どうやらサーシャの里は、その森林地帯のなかにあるらしい。
「それで、その腕輪が万物を見通す眼イリスってわけ?」
「そうなんだ。早く身体をよこせ! ってうるさくて敵わない」
『ディアスヴィクティナとフォウがちっちゃ可愛い身体をもっていて、私だけないのは不公平』
「ちっちゃい言うな!」
「うふふふ……お姉さまとそっくりのペアスタイル、貴女には渡しませんわよイリス」
『わりとどうでもいい』
「むっきいいいいいいいいい!」
 愉快な掛け合いを見ていたサーシャはがっくりと肩を落とした。
 これが世界を破滅させるとまで言われた絢爛たる七つの秘宝だというのが、悪い冗談のような気がした。
「…………いいわよ。素体ならあてがあるわ」
「何か気になることでも?」
 会ったときからどうも歯切れの悪いサーシャに、松田は疑問を覚えた。
 やはり細かな仕草や言動から人を疑ってかかる習性はなかなかぬぐえるものではない。
 そもそもサーシャは人狼であるというだけで、協力関係にはあるがそれほど人間的な接触が多かったわけではなかった。
「――――貴方、意外に鋭いのね。あまり顔には出さなかったつもりなんだけど」
「表情には出なくとも、気持ちというのは外に表れるものですよ?」
 例えば声色、歩く歩幅であったり、着ている服装であったり、いつもと違うことにはなんらかの理由がある。
 松田たちの現状は、そうした理由が命に係わる可能性が高いのだ。
「それについては――実は貴方と話したいことがあるの。この先の展開について一応貴方には覚悟しておいてほしいから」
 それがおそらくステラに関することなのだろうと、松田は直感的に察した。
「……私も貴女と話したいと思っていました。カゲツ支族の名をご存知で?」
「どうしてそれを??」
 全く予想していなかった松田の返答に、サーシャは口を開けたまま愕然とした。
 人狼の里は秘中の秘である。
 厳重にその秘密を守ってきたからこそ、現在まで人狼は生き続けていた。
 ライドッグに襲われ、全世界から不老長寿の生きた薬のように誤解されたなか、里を隠すことだけが唯一の生存方法であった。
 その里の場所とは言わぬまでも、支族の名を松田が知っているということはサーシャのなかで、人狼のなかで途轍もなく大きいことであった。
 ましてサーシャが話そうとしていた過去の鍵を握っているのは、そのカゲツ支族の村長なのだ。
 慎重の上にも慎重を期さなくてはならないサーシャは、ことと次第によっては戦闘も辞さない覚悟を固めた。
「運命の迷宮で戦った狂騎士バリストンの最後の言葉で聞いた」
「狂騎士バリストンですって? 貴方、伝説級探索者と戦ったの?」
 そのあたりの事情を知らないサーシャはますます惑乱する。
 松田が規格外の実力を持つことは知っていた。
 しかし現存する伝説級探索者のなかでも三本の指に入るという狂騎士バリストンを相手に勝利するとは思わなかった。
 バリストンは実際に国を滅ぼした実績のある生き証人である。
 そのバリストンを倒したとすれば、確実に松田の力は一国を凌駕するし、各国もそう認識するだろう。
 かつて松田に対して感じた恐怖が、サーシャの背筋をざわざわと這い上ってくるかのようであった。
「私が着ているのは彼が身に着けていた不死の鎧ですよ」
「っっっっっ!」
 反射的にサーシャは松田から二三歩ほどあとずさった。
 持ち主を強制的に回復させる不死の鎧の噂は、サーシャであっても知っていた。
「な、な、なんでそんなもの着てるのよ!」
「ああ、幸い機能を制御できているので、今はただの優秀な鎧ですよ?」
「おかしいでしょ! そんなの!」
 改めて松田の理不尽さに嘆息するサーシャであった。
「まあいいわ。よくないけど」
「どっちなんですか」
「横道に逸れたわね……ひとつ聞くけど、貴方、ステラちゃんを私たちに引き渡す気はあるかしら?」
 やはりそれか。
 あのパズルの迷宮でエレノラの言葉を聞いたときから、サーシャがステラに関心を持っていたのは知っていた。
 身柄を引き渡さないかということは、相当深いところまで事情を調べたということか。
 さらに引き渡さなければならない、なんらかの危機が迫っているのだろう。
「ステラはずっとご主人様といっしょです! わふ」
「と、本人も言っているんで」
「これは生半可な気持ちで言っているんじゃないの。私が言っているのはステラちゃんのためでもあるのよ?」
 これから否応なく松田はリアゴッドとの戦いに巻き込まれていくに違いなかった。
 その場にステラはいるべきではない。
 人狼の里深く匿っておくべきだ。
 ……そうして隔離しておくことができれば、サーシャも覚醒したステラを殺さずに済む。
「残念だけど、私は見たこともない人狼の里にステラを預ける気はありません」
 サーシャ自身はステラを匿おうとしていると思う。
 それはおそらく事実だが、預ける先の村長がステラを本気で匿ってくれるかどうかは微妙だ。
 殺してしまったほうが問題が少ないと考える可能性は、決して低くないと松田は考えていた。
 事実、サーシャでさえステラが前世に覚醒してしまったら殺すよう命を受けている。
「やっぱり駄目か――――」
 半ば予期していたようにサーシャは天を仰いだ。
 だが残念であると同時にうれしくもある。
 それは松田が本気でステラを心配していないと出てこない言葉だからである。
 とはいえ、松田はあまりに目立ちすぎた。
 あの狂騎士バリストンを倒した今となってはなおのこと。
 各国は血眼になって松田の消息を追うだろう。
 松田からステラを引き離すタイミングとしては今しかない。
「本当は一人で連れていきたかったのだけど……」
 幸いカゲツの村長からの許可は出ていた。
 逆にいえば、人狼でもなんでもない松田に同行の許可が出るほどに事は重大であるということだ。
 松田の注目度を考えれば同行は認められても、そのまま里で暮らすことは認められないだろう。
 はたして真実を知って松田はどう決断するのだろうか?
 考えても仕方のないことだ、と割り切ってサーシャは松田に問いかけた。
「なら、貴方もステラといっしょに来てくれるかしら。ちょうど素体の心当たりもカゲツ支族の里にあるのよ」
『タケちゃん、事は急を要する』
「要するに早く身体が欲しいだけだろう? お前」
『幼女体形のディアスヴィクティナより女らしい身体を希望』
「私だって好きでこんな身体になったんじゃないわあああああああ!」
『ディアスヴィクティナはその身体がお似合い』
「うがああああああああ!」
「とことんイジるのが好きな奴だな」
 正直なところイリスに身体を与えるべきか本気で悩んでしまう松田であった。


 夕闇に紛れ、街道から少し外れた森に入る。
「ここで目を閉じてもらえるかしら?」
「秘宝にはあまり意味はないぞ?」
「大丈夫、そのあたりはちゃんと隠蔽魔法でカバーしてるわ。伊達に何百年も人間の追及から逃れてはいないわ」
 なんといっても万物を見通す眼イリスの眼すら欺く強固な結界である。
 もっともイリスの透視やコリンの転移は距離のほうを重視しているため、結界の突破力はそれほどではない。
 いまだ同様の秘宝が作られたことがないのを見ても、十分それだけで破格の性能なのだ。
 松田たちが目を閉じたのを確認して、サーシャは自らの指を切りつけ、その血で虚空に魔法陣を描いた。
 人狼の血にしか反応しない魔法陣という二重の封印。
 さらに場所と時間を限定することで(一日に二回しか接続しない)封印の効力を高めている。
 人間にたどり着くことができないはずであった。
「もう目を開けていいわよ」
 道は開いた。
 先ほどまでは見えなかった細い道が北東へと続いている。
 最後にカゲツ支族側からの協力を得て最後の扉が開くことになっていた。
 あくまでもサーシャは同じ人狼とはいえ別支族なのである。
 マフヨウ支族が失われた今、人狼でもっとも古い支族と呼ばれるカゲツ支族であった。
 もしかしたらその失われたマフヨウ支族の生き残りは、サーシャのすぐそばにいるのだが。
 解放された道からカゲツ支族の里までは、およそ二日ほどの道のりである。
 こればかりはグリフォンゴーレムで空からひとっ飛びというわけにはいかない。
 道が狭すぎてゴーレムの馬ですら使えなかった。
 地道に歩いていくしかなかった。
「聞いてもいいかいサーシャ?」
 歩きながら松田は隣を歩くサーシャに語りかける。
「何かしら?」
「――バリストンはライドッグを殺した呪いは人狼の秘儀が関わっていると言っていた。君は知っていたのか?」
 ふるふるとサーシャは頭を振った。
「初耳だわ。でも、うすうすそんな気はしていた」
「なぜ?」
「人狼がライドッグに襲撃された理由が、それなら説明がつくからよ」
 人狼の血に不死を得る効果があるという俗説がある。
 それは確かにライドッグの研究から生まれたものであろう。
 だが現実にライドッグは不死となることに失敗し、人知れず転生していたとはいえ一度は死んだ。
 不老が実現しなかったということは、人狼の血に不老の力などない可能性が高い。
 というよりサーシャの知るかぎりでは、存在しない。
 であるならばやはりライドッグを怒らせるような何かがあったのだ。
 どうして人狼がライドッグを呪う必要があったのかはわからないが。
「きっとそのあたりの疑問も、カゲツの村長が教えてくれると思うわ」
 あまり聞いていて愉快な話ではないだろうけど。
 迫害を受けてきた人狼だが、決して人狼の側にも後ろ暗いところがないわけではない。
 パズルの迷宮の悲劇が人狼の王女によって引き起こされたのもそのひとつだ。
 だがそれを知ることが、この現世に蘇ったライドッグの転生者リアゴッドに対抗するために必要だとサーシャは確信していた。
「そうか…………」
 松田も心穏やかにというわけにはいかなかった。
 カゲツの村長に答えを聞くのが怖い。
 もしカゲツの村長にステラは転生体だから引き渡せ、と言われたら自分はどうするべきなのか。
 あのステラの主人を疑うことを知らない瞳を、自分は裏切ることができるのか?
 社畜であった現代であれば業務命令に逆らうことは許されなかった。
 しかし今は誰も松田に命令することはできない。
 今の松田は組織人ではないし、伝説級探索者は一国の王と同等の存在であるからだ。
(鬼が出るか蛇が出るか…………)
 鬼が出ようと蛇が出ようと、その後どうするかは松田自身が決めていかなくてはならないのである。


「もう少しよ」
 二日後の昼過ぎごろである。
 ひときわ巨大な銀杏の木が、黄色い落ち葉の絨毯のうえにすっくと聳えていた。
 日本の銀杏のおよそ三倍はあろうか。
 こうして比較対象があると、改めてここが異世界なのだと自覚する松田である。
「もう一度目を閉じてもらえるかしら?」
「ああ」
 再びサーシャはナイフで指を切りつけ魔法陣を描く。
 それに反応するように虚空から呼びかけがあった。
「こちらはカゲツ支族の戦巫女ヤヨイです。そちらはファリル支族の戦巫女サーシャ殿でよろしいか?」
「はい、我が村長よりお伝えした通り、マフヨウ支族のステラとその保護者をお連れしました」
「――――では道を開きます。ただし、余計な真似をすれば二度と道は開かれぬと知りなさい」
「しかと」
 もしかしたら単なる結界を張ったというだけではなく、人狼の里はこの世界ではない異界に居を移しているのかもしれない、と松田は思った。
 結界ならともかく異界のゲートとなると、相手の協力を得られなければ内部に閉じこめられることもありえそうだ。
 なるほど、よくできている。
 何もない空間に陽炎のような揺らぎが現われたかと思うと、次の瞬間、そこには国境の関所のような堅固な門がちょうど左右に開いていくところであった。
 門の中央に二十代も半ばほどの女性がいる。
 黒髪に黒い瞳で、どこか日本人を思わせる風貌の美女であった。おそらくこの女性が先ほどの戦巫女ヤヨイなのだろう。
「――ようこそカゲツ支族の里へ。村長がお待ちです」

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