アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第百五十六話 始まりの街リジョン

 ――パリシア王国、あの傍迷惑な神によって転生させられ初めて訪れた地。
 ディアナと出会い、偶然ステラを助けた。
 今にして思えばそれははたして偶然であったのかどうか?
「まさかあの野郎かみの仕業だったりしないだろうな……」
 思わずそんな疑惑を抱いてしまう松田である。
「どうしましたお父様?」
「わふ?」
 無邪気なディアナとステラを見ると、たとえそうでも悪いことばかりではないと思ってしまう自分がいる。
「甘くなったもんだ」


「いやあ、いいね! 甘くなったもんだ……だって! いつから君はフィリップ・マーロウになったんだい?」
 大口を開けてわはは、と笑う神がいた。
 面白い男である。
 これだから人間は面白い。
 神のように不変であることを強いられている存在などよりよほど生きる価値がある。
 神はこれまで幾度も人間を転生させてきたが、どの人間も興味深かった。
 何が起こったのかわからずにすぐ死ぬ者、与えられた力に酔い栄華を極める者、裏切られ憤死する者。
 なかでも松田の心の在り方は面白い。
 深い絶望と諦念、そんな中のささやかな希望。
 しかし今では溢れる希望を絶望と諦念が抑えきれずにいる。
 はたして松田は再び絶望することになるのか、あるいは新たな希望を手に入れるのか。
「期待しているよ。松田君。人間はよく運命という言葉を使うけど、そんな退屈なこと神がするわけないのにね」
 そういってショーン・コネリー似の神はまるで映画のように皮肉に満ちた笑みを浮かべるのだった。
 そしてジェームズ・ボンドの有名なセリフを謳うように口にした。
「生き残るコツは美しいものを愛することらしいね。もっとも私は醜いものが羽化する瞬間こそもっとも美しいと思ってしまうのだが」




 なぜか背筋に悪寒を感じて、松田は眉を顰めた。
「なんだろう? とても理不尽に対する怒りを感じる」
「大丈夫ですか? お父様」
「まあ気のせいだろう」
 伝説級探索者、その雷名の効果は凄まじかった。
 関所どころか、あらゆる宿泊、交通、情報の便宜が図られ、各地のギルドが最敬礼で対応してくれる。
 ただでさえ国家に匹敵するといわれる伝説級探索者である。
 そのうえ探索者ギルドという巨大組織を敵に回そうという国家はまずないといってよい。
 もちろんなんとか松田と縁を繋ぎたいという国や貴族から山のようなアプローチがあったが、松田は無視した。
 不気味なのはもっとも強力にアピールすると思われたリュッツォー王国が、大人しかったことだ。
 かといって妨害されるようなこともなかった。
 デアフリンガー王国と誼を通じてしまった以上、なんらかの妨害、言いがかりをつけられるのではないかと危惧していたが杞憂に終わった。
 そのおかげで予定よりもかなり早く、松田はリジョンの町へと到着した。
「ここに来たころは、まさかこんなことになるとはなあ……」
 ディアナはまだ杖だったし、松田は社畜であったころをずっと引きずっていた。
 思えば転生しても価値観は何一つ変わっていなかったと思う。
 心が死んだままだからこそ、人を殺すということも受け入れるのは楽だった。
 郷に入れば郷に従えという言葉の通り、それがこの世界の常識だと思えばそれでよかったからだ。
(リアゴッドもそうなのだろうか……)
 前世の記憶のままに、世界が個人の力ではどうにもならないものと諦めていたあのころ。
 しかし世界は変わる。
 日本で暮らしていた社畜松田毅と、この世界のタケシ・マツダは異なる存在だと考えるようになった。
 はたして記憶がその人間を人間たらしめているのか。それとも肉体なのか魂なのか。
 松田にその答えをまだ出すことはできない。
 それでも社畜であったあのころにはできなかった人生を生きたいということだけは事実であった。
 そんなとりとめのないことを考えているうちに、いつの間にか騎馬の一隊が松田たちに迫っていた。
 その先頭で白馬を駆る男の顔には見覚えがある。
 どうやら使いつぶされずに済んでいたようだ。
「やれやれ、我が町始まって以来の伝説級探索者のご訪問と思いましたが、まさか貴方様とは」
「ご無沙汰をしております。貴方も息災そうで何よりだ」
 始まりの町リジョンでいろいろとやりあった守備隊長ゴドハルトの姿がそこにいた。


「すると今は出世したんだね?」
「領主様が引きこもってしまわれまして、今は代行の側近として仕えさせていただいております」
 そう、今やゴドハルトはリジョンの町になくてはならぬ重鎮であった。
 松田に脅迫され、引きこもってしまった領主バドムントに代わり、隠し子ラバートが領内を実際に統治している。
 隠し子として日陰で下々の人間と同じような生活をしていたラバートは、ゴドハルトのような実直な人間の意見をよく聞いた。
 松田の目から見ても、以前より確実にリジョンの町は活気が増して栄えているように思えた。
「変わったんだね。たぶん良い方向に」
「私一人では変えられませんでしたでしょう」
 領主バドムントの引きこもりに、おそらく松田が一枚かんでいることをゴドハルトは確信している。
 騎士として、主君の命令を命を懸けて達成するのが使命であると考えていた。
 そのためにはいかなる理不尽な命令でも実行しないと。
 それが全く罪のない松田の命を奪うということだとしても。
 内心では嫌だと思っていてもそれを変える勇気がなかった。
 変えてくれたのは松田だ。
 ――――とはいえ、与えられたチャンスを逃そうとはゴドハルトは微塵も考えなかった。
 手垢のついていない新たな領主代行という存在は、これまでゴドハルトが抱いてきた統治の矛盾を是正する唯一といっていい好機であった。
 以来、公平公正を守備隊だけでなく官吏の全てに課してリジョンの町の一新に勤めてきた。
 ほんの少し得意気に、ゴドハルトは松田の前に立ってリジョンの町へと先導した。
「ようこそリジョンの町へ。私が父に代わり領主代行を勤めておりますラバートです」
「ご領主代行自らのお出迎え、恐れ入ります」
 まだ年の頃は二十代になったばかりであろうか。あるいはまだ十代であるかもしれない。
 明るく未来へ希望を持ったよい瞳をしている。
 あの強欲を絵にかいたようなバドムントの息子には思えぬほどだ。
「とんでもない。伝説級探索者様と縁を持てただけで望外の幸せです」
 おそらく野心も強くはないのだろう。
 ラバートは心から松田の訪問を喜んでいるように見えた。
 もっとも彼からすれば、日陰者として一生を終えるかもしれなかった自分を、間接的に領主代行の表舞台に立たせてくれた恩人なのである。
 たとえ伝説級探索者でなくとも、松田は歓迎すべき男だった。
 松田自身も、この街の変化に確かに自分が関わっていることを自覚して、うれしいような面はゆいような複雑な気持ちであった。
「――我がままを言わせてもらえば、今日は青い燐光亭に泊まらせてもらっても?」
「残念ですがそれがマツダ殿のお望みなら。どうかせめて夕食だけはご一緒に」
「それは喜んで」


 ラバートの用意した晩餐は、デアフリンガー宮廷で用意されたような豪華なものではなかった。
 豪華ではない代わりに新鮮な牛肉や魚、味付けは単純ながらジューシーな葉野菜のサラダ。
 渋みが強くて肉料理によく合うワインに松田は舌鼓を打つ。
 品種はフランスのシラーに近いのではないだろうか?
 野性味の強い酸とタンニンが特徴だが、この癖の強さが嵌る人間には嵌る。
「我がリジョンの産物ですが、お口に合いましたか?」
「もちろんです」
「お肉です! わふ」
「お父様、私はもう少し甘いワインのほうが……」
「ははは……これは失礼を。これ、お嬢様たちにはリンゴ水をお持ちしなさい」
 どうやらディアナにワインはまだ早かったようであった。
 それにしても舌もまた子供ということなのか?
 ディアナの身体の大部分は006の構造を吸収しているが、もし味覚まで子供として再現しているとすればとんでもないことだ。
 今の松田の技術では、食べること自体はできても複雑な味覚を感じさせることは不可能である。
 そのためフォウは、あくまでもみんなの仲間外れにならないよう食事はしているが、味を理解しているわけではない。
「それにしてもとんでもない活躍ですな」
 呆れたように、ゴドハルトは笑いながらワインを喉に流し込んだ。
 リジョンの町にいたころは、まだ将来有望な鉄級探索者にすぎなかった。
 キメラを倒すのだって、それなりに苦戦していたし、あの時点では金級探索者相手ですら負けただろう。
 それがいつの間にかマクンバで迷宮の氾濫を阻止し、スキャパフロー王国でフェイドルの迷宮を数百年ぶりに攻略したかと思えば、ヴィッテルスバッハ公国とワーゲンブルグ王国という国家を相手に二連勝ときた。
 それこそリジョンのような辺境の小さな町など息を吐くように潰してしまうことが可能だ。
 いったい誰が予想できるだろう。
 ゴドハルトが世間知らずな松田と、わずかな時間を過ごしたのはまだ一年余ほど前のことなのである。
「成り行きですよ。しかも望んだわけでもありません」
 望みはしなかったが、結果的に松田はクスコとフォウを手に入れ、ドルロイやハーレプストを通じて人に対する信頼を取り戻した。
 いや、正確に言えば取り戻しつつある。
 だが成り行きは望んでいなくても、人としての在り方を取り戻すことは松田が無意識で渇望していた。
 今だからそれがわかる。
 諦めというのは、期待して裏切られた哀しさの大きさの裏表であって、あまりに深い松田の絶望は、それほどに松田が求めているということの裏返しでもあったのだ。
「私は常々思うのですが……」
 ゴドハルドは憑き物が落ちたような明るい笑顔を零しながら言った。
「人の人生とは全て成り行きでありましょう。しかしその成り行きというのは、実は無限の選択肢からひとつを選ぶ勇気の結果なのではないかと」
 道をひとつ間違えただけで人生は変わる。
 そんなある意味理不尽な偶然に人生は支配されている。
 しかし誰の目にも危険な道を選択するには、その人間に理想と勇気がなければならない。
 それがない人間は能動的に道を選ぶ自由すらないとゴドハルトは言っているのである。
 あの日リジョンの町で、松田が我がままに生きる、と選択したのも、間違いなくそうした選択肢の決断であった。
 もっとも我がままに生きているとはいまだ言い難くはあるのだが。
「それを教えてくれたのはマツダ様、貴方です」
「すいません、自分でもできていないことをえらそうに言いました」
 ゴドハルトのような実直な男に頭を下げられると松田は照れるしかない。
 とはいえ悪い気分ではなかった。
「ご主人様はすごいのです! わふ」
「お父様は最高ですわ!」
 鼻息も荒く、左右からディアナとステラが抱き着いてきた。
 その様子と匂いに、途轍もなく嫌な予感がして、松田は念のために尋ねた。
「まさか……お前たち、酔っ払っているのか?」
「ステラ、酔っ払ってないですぅ……わふわふ」
「この私がワイン一杯程度で酔うとでも?」
「なら今すぐそこでまっすぐに歩いて見せろ!」
「わふう……このくらいなんでもないのです!」
「言ったはしから横滑りしていて何を言う!」
「お父様ぁ……ふらふらします!」
 わざとらしくふらついたディアナが松田の膝の上に尻もちをつくように乗ると、それを見たステラは頬を膨らませて自らもダイブした。
「ずるいです! ディアナ!」
「早い者勝ちです!」
「お前ら食事ができないからどけ!」
 ラバートは腹を抱えて笑い、ゴドハルトはうれしそうに目を細めた。
 どこか世界を見ているようで見ていない、そんな松田の雰囲気が変わっていた。
 こんな人間味あふれた伝説級探索者は大陸中を捜し歩いてもいないだろう。
「おい、こらステラ。本気で寝るな!!」
「わふぅ…………」
 ディアナを押しのけ、コアラのように松田の胸に抱きついたステラは満足そうに瞳を閉じる。
 困ったようにステラを抱き上げ、嫌がるディアナを床に下ろす松田の表情はゴドハルトの知るかつての松田より遥かに生き生きとしていた。
「ディアナ、フォウを巻きこむな! ストッパーは俺以外にいないのか!」
 ――――大変さも遥かに増しているようだが。
 夕食会はぐだぐだのうちに終わり、胸にステラを、背中にディアナを乗せた松田は重そうに青い燐光亭へと向かう。
 レベルも上がって体力的に問題はないが、いかんせん見た目の重さが違う。
 それにステラはもうこのリジョンの町で出会ったころのステラではなかった。
 普段の子供っぽさで忘れてしまうが、すでに現代なら女子高生と女子中学生の中間くらいには成長している。
 日に日に成長していくステラの体形を、ディアナが悔しそうに睨んでいるのは伊達ではなかった。
 胸元から少女特有の甘い香りが花鼻をくすぐり、最近自己主張の激しい柔らかなものが圧しつけられる。
 松田も男だ。気にならぬはずがなかった。
「ちょいと、ステラ」
 それまで大人しく見守っていたノーラがステラの耳元に口を寄せた。
「そろそろ起きないと……(寝たふりしているのをばらすよ?)」
「わふ?」
 ノーラが何かぼそぼそと呟いたと思うと、パチリとステラが目を開けた。
「起きたのかステラ。それじゃ悪いけど下りてくれ」
「わふぅ…………」
 未練気に俯いてステラは松田の胸から手を離した。
 その様子を眺めていたノーラは、やれやれ、と頭を掻いて天を仰いだ。
「お子様だと思っていたけど、しっかり女じゃないか……私もおちおちしちゃいらんないね」


 ――いつものようにベッドに潜りこみ、ディアナといっしょに松田の左右に陣取ったステラは眠れずにいた。
 どうしてノーラは私が寝たふりをしているのがわかったのだろう?
 それ以上に、どうして私は寝たふりをしようなどと思ったのだろう?
 すん、と松田の体臭を嗅ぐと心のどこかが暖かくなる。
 その暖かい感情に身を委ねたいという欲求をステラは本能的に無視していた。
 暗い暗いステラの知らない感情が、マグマのように噴出しそうになるからだ。
「ご主人様…………」
 松田がステラの知らない何かに気づいていることはわかっている。 
 その結果がどうなろうとも、松田を信じてついていく。
 ステラは再び大きく息を吸い込むと、松田の胸に頭をこすりつけるのだった。

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