アラフォー社畜のゴーレムマスター
第百五十四話 もう一人の伝説級探索者
式典が終わり、晩餐会が盛況のうちに終了するまで四時間以上の時間を必要とした。
気疲れでどっかりとソファにもたれかかった松田に、空気を全く読もうとしないロータスが、ここぞとばかりに話しかけた。
「マツダ殿はいったいどんなスキルをお持ちなのかな? 本来ライドッグのものである絢爛たる七つの秘宝を使える理由はそのスキルのせいなのだろう?」
「――――少し席を変えましょうか?」
「心配はいらない。我々の会話は誰にも認識できぬようにした」
人前で秘密のスキルを話すことなどできない、と思ったが、ロータスはいつの間にか自分の秘宝あるいはスキルによって会話の流出を遮断したようであった。
(さすがは伝説級探索者は格が違った)
背筋をザワリ、と冷たいものが走る。
正面からの戦闘ならばともかく、今この瞬間、ロータスに松田を殺す意思があればきっと勝てないと思われた。
「私がホムンクルスを研究しているのは聞いたと思うが」
「はい。人造生命は錬金術師にとっては究極の夢のようなもの。私も興味があります」
「……ホムンクルス研究は、もともとは不老不死の研究から派生したひとつの学問でな」
不老不死に対するアプローチは何も時間制御や転生ばかりではなかった。
老いることが問題なら若い身体と交換できればよい。自分の分身である若い身体を人工的に造り出す。
それがホムンクルス研究の始まりだった。
「今でこそ生命の創造、神に対する挑戦などと言われているがな。もとはといえば生に対する執着の産物だよ」
自分はそうではないがね、と目だけで語ってロータスは続けた。
「――――我々錬金術師の間で語り継がれている伝承がある」
そのあとに続く言葉に松田は驚くとともに絶句した。
「人造身体に乗り移るための予備的な実験だがね。秘宝に意識を転写するという研究をしていた人狼族の女性がいたというのだよ。聞き覚えがあるのではないかね?」
「――――その女性の名は?」
「伝承が歪んでいなければ、ステラというそうだ」
やはりそうか、と松田は首肯する。
同時にそれはロータスの予想でもあったらしい。
「絢爛たる七つの秘宝は、そのステラの人格が付与されている可能性が高いだろうね」
ディアナとフォウが同じ人格の転写というのはにわかには信じがたい。
苦笑しながら松田は答えた。
「しかし彼女たちはライドッグを造物主として認識していますよ?」
「人格といえど、それを意図的に編集すれば歪みが現れる。所詮転写は経験ではなく記憶にすぎないからなおさらだ」
「なるほど」
オリジナルのステラの人格――記憶を転写したとしてもそこに様々な能力を付与する過程でどうしても歪みが生じる。
うすっぺらな記憶だけの人格が、生の経験を積めばさらに歪みは大きくなるというわけだ。
もしかすると転写そのものの技術になんらかの不備があるのかもしれない。
絢爛たる七つの秘宝がそれぞれ違った能力と性格を持つのはそのあたりが理由であろう。
「およそ秘宝を扱わせることでステラを超える人材はこの千年現れていない。と、思っていたが世に知られぬ天才がいるものだな」
「全くです」
あの006や005を製造した錬金術師が全く世に知られていないことは驚きである。
動機が死んだ娘と再会するためとはいえ、その技術を誰かに伝えてくれていれば世界が変わった可能性があった。
あのゴーレム技術と、絢爛たる七つの秘宝が備える特殊技能が組み合わされば、間違いなく世界は変わっていた。
――――もしかするとゴーレムに世界が支配されるターミネーターの未来のような展開さえ考えられたかもしれない。
「最近つくづく思うのだが」
ロータスは自嘲するかのように薄く嗤う。
「伝説級などと呼ばれてはいるが、私のような男は言っては何だが凡人だよ」
ひとくくりに伝説級探索者といっても、その格差は大きく決して同レベルにはいない。
ロータスは、はっきりとその事実を認めた。
努力だけでは絶対にたどり着くことのできない伝説級の頂にいるロータスもまた、才能の格差に悩む男の一人なのだった。
「――君の持っている秘宝は終末の杖と不可視の盾だったか。オリジナルに近い人格を持っているとすれば、おそらく終末の杖だと思っていたが違っていたようだな」
「そういえば秘宝が秘宝を作ったという話は聞きませんね」
「絢爛たる七つの秘宝には身体がなかった。思考することはできても、動かすべき手や足を持たなかった。ふむ、そのあたりもオリジナルの人格をトレースできなかった原因であるかもしれないな」
言われてみれば、声を出して泣くことも、手も足も身体を何一つ動かせない子供は、まともに成長するかと問われると松田にも疑問であった。
「……ライドッグが転生したと聞いたが」
「間違いありません。今はリアゴッドと名乗り宝冠コリンを持っております」
「一刻も早く倒せ。万物を見通す眼イリスを手に入れればそれも能うだろう」
松田は唐突なロータスの言葉に首を傾げた。
ロータスは伝説級探索者とはいえ、まだ百有余歳にすぎない。
ライドッグが生きていた世代とは遠くかけ離れているはずであった。
「我々錬金術師の間では、ライドッグという男は無視できない存在でな」
歴史上ライドッグを上回る魔法士はいないと言われる。
それは彼が特別なのは人類最後の究極の望み、不老不死へあと一歩のところまで到達していたと言われているからだ。
「ライドッグの死が暗殺であるというのは我々の間では常識だ。並みの毒ではすぐに対処される。一説にその手段は呪いであったのではないかと思われる」
「呪い――――ですか」
そういえばエレノアがそんなことを言っていたような気がする。
ライドッグ様にかけられた呪いを解き、あの方と添い遂げるとかなんとか。
「もし呪いだとすると、ライドッグが無事転生できたのはおかしいんだな」
「どういうことですか?」
「呪いというのはね。身体ではなく魂にかけられるものだからだよ。しかも呪いというのは決して代償なしには発生しない。逆にいえば、代償さえあれば格下が格上よりも大きな力を行使することもできる」
ようやくライドッグほどの魔法士が死ななくてはならなかったかわかってきた。
「何者かがライドッグの魂が呪いによって衰弱死する前に解放した。という可能性もなくはない。そもそも呪いを解呪することは珍しいことじゃないからね」
ものすごく嫌な予感がしてきた。
まさかそれって……
「呪いが解呪できなかったとすれば、転生したライドッグ――今はリアゴッドというんだっけ? それは転写された人格である可能性があると思うんだよ」
ここでロータスは困ったように腕を組んで俯きながら唸った。
「でも、だからといって秘宝に転写された人格が、魂として転生するなんてことが可能なのかな?」
あくまでも秘宝は秘宝であり、そこに魂はない。いや、ないはずだ。
しかし今のディアナやフォウを見ていると、本当に秘宝に魂がないのかわからなくなることも確かであった。
「わけがわからなくなってきた……」
「すまんな。俺もだ。だがこの謎が解ける人物はおそらく一人しかいない」
「覆面ですね」
「そうだ。もしライドッグを転生させたとすればそれは彼女であり、まず間違いなく彼女も転生していると考えるべきだろう」
「…………そうですね」
名無しのゼロが、もっともオリジナルに近い人格の秘宝であるかどうかは別として、覆面ステラが転生していないはずがなかった。
それはエレノアも言っていた。
転生するためにこそ、覆面ステラはパズルの迷宮を訪れたのだと。
「ところが彼女が転生したという話は噂にも聞かない。表には出なかっただけで、ライドッグを上回る天才魔法士である可能性がある彼女が、だ」
「失敗したということは?」
「もちろん、天才にも失敗はある。しかし天才が失敗する確率を考えればそれを前提として想定するのはあまりにも危険だ」
「…………はい」
それはつまり、ステラを覆面ステラの転生体である可能性を疑えということなのだろう。
この老伝説級探索者は、自らの好奇心と、松田に忠告するためにこの機会を設けたに違いなかった。
わかっている。
エレノアの証言だけでなく、あのパズルの迷宮のアンデッドやサーシャの話を聞いただけでも、ステラはあまりに怪しすぎる。
しかし信じたい気持ちが、疑う気持ちよりも大きくなりつつあることを松田は自覚していた。
まだこの世界に来たばかりのころは決して抱かなかった感情である。
「納得しがたいようだな」
「理解しているつもりではありましたが」
「あくまでも可能性の話だ。心のどこかに留め置いてくれればそれでよい。現にライドッグの転生体とやらが、不覚をとったというのであれば、結局ステラが目指した転生は不完全なものだったのだ」
もしライドッグが完全な形で蘇っていれば、まだ魔法士として未熟な松田が撃退することなどありえない。
それほどライドッグとは圧倒的な存在だった。
ロータスは直接会ったことはないが、文献や遺産からライドッグの偉大さは痛いほどよくわかった。
ライドッグが完全でないということは、ステラもまた完全ではない可能性が高い。
「――――気休めだがこれを渡しておこう」
「これは?」
ロータスが松田に手渡したのは濃い紫水晶の指輪であった。
「私がホムンクルスと意思疎通を図るために作った試作品でね。言葉ではなく精神でつながることができる」
覆面ステラが蘇ったとすれば、今のステラの人格はリアゴッドのように膨大な情報の海に飲み込まれてしまうだろう。
そんな圧倒的な情報の一部となったステラと意識をつなぐことができるか、といえば確かに気休めかもしれない。
「ご好誼ありがたく」
それでも松田にとっては例えようもなくありがたい保険であった。
きっかけさえあれば、今のステラであれば、裏切られることもないと思う程度には、いつの間にか松田もステラにほだされていたのである。
「――――無事に生きて戻ってくれ。人格と魂は別ものなのか。環境と経験は魂を変質させるのか。ホムンクルスを創造するにあたって難問は山積だからね」
「ははは…………善処します」
人格と魂は別ものなのか?
我思うゆえに我あり(コギトエルゴスム)とデカルトは言った。
もはやディアナをただのプログラムされたAIだと松田は考えることはできない。
しかし秘宝である以上、ディアナは松田の命令に逆らうことはできないだろう。
もとはといえばそれを望んでいたはずなのに、どこか釈然としないのは――――
(俺もこの世界で変質した、ということなのか?)
だとすれば、リアゴッドの変質と自分の違いは?
クスコはあれがライドッグとは異なる存在だと言ったが、自分は松田毅は、はたして同じ存在といえるのだろうか?
「お父様!」
「ご主人様!」
ディアナとステラが天真爛漫な笑みを浮かべて左右から松田の腕に抱きついてきた。
いつの間にかロータスの張っていた結界は解けていた。
「話というのはそれだけだ。マツダ殿の未来に幸多からんことを」
「ありがとうございます」
伝説級探索者はほとんどの場合孤独である。
それは彼らの持つ力が強すぎることと、何よりその力を得る過程でなんらかの権力との闘争を余儀なくされるからだ。
松田のように突如として規格外の力を与えられた伝説級探索者はほとんどいないと言ってよい。
長い年月と経験を経て、凡人がたどり着けぬ領域にまで己を昇華したのが彼らである。
幸運なことに、松田は孤独ではなく同等に近い仲間に恵まれている。
それがどれほど貴重なことかロータスは身に染みて知っていた。
おそらくディアナもステラも、その戦闘力は宝石級の中でも上位に入るだろう。
直に伝説級の領域へ足を踏み入れる日も近い。
では宝石級の探索者の数がどれほどいるか。王都のような巨大都市に精々五、六人いればよい程度ではないだろうか?
松田の周りにこれほど実力者が集っていることが異常なのだ。
信じられる仲間がいれば、松田もロータスのように迷宮に隠棲するような人生を送らずに済むかもしれない。
――――だがそれも、伝説の魔女が復活しなければの話であった。
気疲れでどっかりとソファにもたれかかった松田に、空気を全く読もうとしないロータスが、ここぞとばかりに話しかけた。
「マツダ殿はいったいどんなスキルをお持ちなのかな? 本来ライドッグのものである絢爛たる七つの秘宝を使える理由はそのスキルのせいなのだろう?」
「――――少し席を変えましょうか?」
「心配はいらない。我々の会話は誰にも認識できぬようにした」
人前で秘密のスキルを話すことなどできない、と思ったが、ロータスはいつの間にか自分の秘宝あるいはスキルによって会話の流出を遮断したようであった。
(さすがは伝説級探索者は格が違った)
背筋をザワリ、と冷たいものが走る。
正面からの戦闘ならばともかく、今この瞬間、ロータスに松田を殺す意思があればきっと勝てないと思われた。
「私がホムンクルスを研究しているのは聞いたと思うが」
「はい。人造生命は錬金術師にとっては究極の夢のようなもの。私も興味があります」
「……ホムンクルス研究は、もともとは不老不死の研究から派生したひとつの学問でな」
不老不死に対するアプローチは何も時間制御や転生ばかりではなかった。
老いることが問題なら若い身体と交換できればよい。自分の分身である若い身体を人工的に造り出す。
それがホムンクルス研究の始まりだった。
「今でこそ生命の創造、神に対する挑戦などと言われているがな。もとはといえば生に対する執着の産物だよ」
自分はそうではないがね、と目だけで語ってロータスは続けた。
「――――我々錬金術師の間で語り継がれている伝承がある」
そのあとに続く言葉に松田は驚くとともに絶句した。
「人造身体に乗り移るための予備的な実験だがね。秘宝に意識を転写するという研究をしていた人狼族の女性がいたというのだよ。聞き覚えがあるのではないかね?」
「――――その女性の名は?」
「伝承が歪んでいなければ、ステラというそうだ」
やはりそうか、と松田は首肯する。
同時にそれはロータスの予想でもあったらしい。
「絢爛たる七つの秘宝は、そのステラの人格が付与されている可能性が高いだろうね」
ディアナとフォウが同じ人格の転写というのはにわかには信じがたい。
苦笑しながら松田は答えた。
「しかし彼女たちはライドッグを造物主として認識していますよ?」
「人格といえど、それを意図的に編集すれば歪みが現れる。所詮転写は経験ではなく記憶にすぎないからなおさらだ」
「なるほど」
オリジナルのステラの人格――記憶を転写したとしてもそこに様々な能力を付与する過程でどうしても歪みが生じる。
うすっぺらな記憶だけの人格が、生の経験を積めばさらに歪みは大きくなるというわけだ。
もしかすると転写そのものの技術になんらかの不備があるのかもしれない。
絢爛たる七つの秘宝がそれぞれ違った能力と性格を持つのはそのあたりが理由であろう。
「およそ秘宝を扱わせることでステラを超える人材はこの千年現れていない。と、思っていたが世に知られぬ天才がいるものだな」
「全くです」
あの006や005を製造した錬金術師が全く世に知られていないことは驚きである。
動機が死んだ娘と再会するためとはいえ、その技術を誰かに伝えてくれていれば世界が変わった可能性があった。
あのゴーレム技術と、絢爛たる七つの秘宝が備える特殊技能が組み合わされば、間違いなく世界は変わっていた。
――――もしかするとゴーレムに世界が支配されるターミネーターの未来のような展開さえ考えられたかもしれない。
「最近つくづく思うのだが」
ロータスは自嘲するかのように薄く嗤う。
「伝説級などと呼ばれてはいるが、私のような男は言っては何だが凡人だよ」
ひとくくりに伝説級探索者といっても、その格差は大きく決して同レベルにはいない。
ロータスは、はっきりとその事実を認めた。
努力だけでは絶対にたどり着くことのできない伝説級の頂にいるロータスもまた、才能の格差に悩む男の一人なのだった。
「――君の持っている秘宝は終末の杖と不可視の盾だったか。オリジナルに近い人格を持っているとすれば、おそらく終末の杖だと思っていたが違っていたようだな」
「そういえば秘宝が秘宝を作ったという話は聞きませんね」
「絢爛たる七つの秘宝には身体がなかった。思考することはできても、動かすべき手や足を持たなかった。ふむ、そのあたりもオリジナルの人格をトレースできなかった原因であるかもしれないな」
言われてみれば、声を出して泣くことも、手も足も身体を何一つ動かせない子供は、まともに成長するかと問われると松田にも疑問であった。
「……ライドッグが転生したと聞いたが」
「間違いありません。今はリアゴッドと名乗り宝冠コリンを持っております」
「一刻も早く倒せ。万物を見通す眼イリスを手に入れればそれも能うだろう」
松田は唐突なロータスの言葉に首を傾げた。
ロータスは伝説級探索者とはいえ、まだ百有余歳にすぎない。
ライドッグが生きていた世代とは遠くかけ離れているはずであった。
「我々錬金術師の間では、ライドッグという男は無視できない存在でな」
歴史上ライドッグを上回る魔法士はいないと言われる。
それは彼が特別なのは人類最後の究極の望み、不老不死へあと一歩のところまで到達していたと言われているからだ。
「ライドッグの死が暗殺であるというのは我々の間では常識だ。並みの毒ではすぐに対処される。一説にその手段は呪いであったのではないかと思われる」
「呪い――――ですか」
そういえばエレノアがそんなことを言っていたような気がする。
ライドッグ様にかけられた呪いを解き、あの方と添い遂げるとかなんとか。
「もし呪いだとすると、ライドッグが無事転生できたのはおかしいんだな」
「どういうことですか?」
「呪いというのはね。身体ではなく魂にかけられるものだからだよ。しかも呪いというのは決して代償なしには発生しない。逆にいえば、代償さえあれば格下が格上よりも大きな力を行使することもできる」
ようやくライドッグほどの魔法士が死ななくてはならなかったかわかってきた。
「何者かがライドッグの魂が呪いによって衰弱死する前に解放した。という可能性もなくはない。そもそも呪いを解呪することは珍しいことじゃないからね」
ものすごく嫌な予感がしてきた。
まさかそれって……
「呪いが解呪できなかったとすれば、転生したライドッグ――今はリアゴッドというんだっけ? それは転写された人格である可能性があると思うんだよ」
ここでロータスは困ったように腕を組んで俯きながら唸った。
「でも、だからといって秘宝に転写された人格が、魂として転生するなんてことが可能なのかな?」
あくまでも秘宝は秘宝であり、そこに魂はない。いや、ないはずだ。
しかし今のディアナやフォウを見ていると、本当に秘宝に魂がないのかわからなくなることも確かであった。
「わけがわからなくなってきた……」
「すまんな。俺もだ。だがこの謎が解ける人物はおそらく一人しかいない」
「覆面ですね」
「そうだ。もしライドッグを転生させたとすればそれは彼女であり、まず間違いなく彼女も転生していると考えるべきだろう」
「…………そうですね」
名無しのゼロが、もっともオリジナルに近い人格の秘宝であるかどうかは別として、覆面ステラが転生していないはずがなかった。
それはエレノアも言っていた。
転生するためにこそ、覆面ステラはパズルの迷宮を訪れたのだと。
「ところが彼女が転生したという話は噂にも聞かない。表には出なかっただけで、ライドッグを上回る天才魔法士である可能性がある彼女が、だ」
「失敗したということは?」
「もちろん、天才にも失敗はある。しかし天才が失敗する確率を考えればそれを前提として想定するのはあまりにも危険だ」
「…………はい」
それはつまり、ステラを覆面ステラの転生体である可能性を疑えということなのだろう。
この老伝説級探索者は、自らの好奇心と、松田に忠告するためにこの機会を設けたに違いなかった。
わかっている。
エレノアの証言だけでなく、あのパズルの迷宮のアンデッドやサーシャの話を聞いただけでも、ステラはあまりに怪しすぎる。
しかし信じたい気持ちが、疑う気持ちよりも大きくなりつつあることを松田は自覚していた。
まだこの世界に来たばかりのころは決して抱かなかった感情である。
「納得しがたいようだな」
「理解しているつもりではありましたが」
「あくまでも可能性の話だ。心のどこかに留め置いてくれればそれでよい。現にライドッグの転生体とやらが、不覚をとったというのであれば、結局ステラが目指した転生は不完全なものだったのだ」
もしライドッグが完全な形で蘇っていれば、まだ魔法士として未熟な松田が撃退することなどありえない。
それほどライドッグとは圧倒的な存在だった。
ロータスは直接会ったことはないが、文献や遺産からライドッグの偉大さは痛いほどよくわかった。
ライドッグが完全でないということは、ステラもまた完全ではない可能性が高い。
「――――気休めだがこれを渡しておこう」
「これは?」
ロータスが松田に手渡したのは濃い紫水晶の指輪であった。
「私がホムンクルスと意思疎通を図るために作った試作品でね。言葉ではなく精神でつながることができる」
覆面ステラが蘇ったとすれば、今のステラの人格はリアゴッドのように膨大な情報の海に飲み込まれてしまうだろう。
そんな圧倒的な情報の一部となったステラと意識をつなぐことができるか、といえば確かに気休めかもしれない。
「ご好誼ありがたく」
それでも松田にとっては例えようもなくありがたい保険であった。
きっかけさえあれば、今のステラであれば、裏切られることもないと思う程度には、いつの間にか松田もステラにほだされていたのである。
「――――無事に生きて戻ってくれ。人格と魂は別ものなのか。環境と経験は魂を変質させるのか。ホムンクルスを創造するにあたって難問は山積だからね」
「ははは…………善処します」
人格と魂は別ものなのか?
我思うゆえに我あり(コギトエルゴスム)とデカルトは言った。
もはやディアナをただのプログラムされたAIだと松田は考えることはできない。
しかし秘宝である以上、ディアナは松田の命令に逆らうことはできないだろう。
もとはといえばそれを望んでいたはずなのに、どこか釈然としないのは――――
(俺もこの世界で変質した、ということなのか?)
だとすれば、リアゴッドの変質と自分の違いは?
クスコはあれがライドッグとは異なる存在だと言ったが、自分は松田毅は、はたして同じ存在といえるのだろうか?
「お父様!」
「ご主人様!」
ディアナとステラが天真爛漫な笑みを浮かべて左右から松田の腕に抱きついてきた。
いつの間にかロータスの張っていた結界は解けていた。
「話というのはそれだけだ。マツダ殿の未来に幸多からんことを」
「ありがとうございます」
伝説級探索者はほとんどの場合孤独である。
それは彼らの持つ力が強すぎることと、何よりその力を得る過程でなんらかの権力との闘争を余儀なくされるからだ。
松田のように突如として規格外の力を与えられた伝説級探索者はほとんどいないと言ってよい。
長い年月と経験を経て、凡人がたどり着けぬ領域にまで己を昇華したのが彼らである。
幸運なことに、松田は孤独ではなく同等に近い仲間に恵まれている。
それがどれほど貴重なことかロータスは身に染みて知っていた。
おそらくディアナもステラも、その戦闘力は宝石級の中でも上位に入るだろう。
直に伝説級の領域へ足を踏み入れる日も近い。
では宝石級の探索者の数がどれほどいるか。王都のような巨大都市に精々五、六人いればよい程度ではないだろうか?
松田の周りにこれほど実力者が集っていることが異常なのだ。
信じられる仲間がいれば、松田もロータスのように迷宮に隠棲するような人生を送らずに済むかもしれない。
――――だがそれも、伝説の魔女が復活しなければの話であった。
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