アラフォー社畜のゴーレムマスター
第百四十三話 パズルの迷宮最下層
パズルの迷宮下層の情報はひどく少なかった。
もともとこの先を攻略していたのはライドッグや魔女など、ごく一部の探索者だけであったからだ。
しかしここまでの経験則からいけば、上層から中層の深部にいくにつれて時間の流れは徐々に遅くなっている。
中層の最後では、迷宮内の一日は地上でのおよそ半日程度だった。
もしかすると最下層に近づくにつれて、限りなくゼロに近づいていくのではないか、と松田は思う。
攻略の時間に制限のある現状では、必ずしも悪いことではない。
「少し身体を慣らしておかないと危ないさね」
ここにきてノーラは積極的に前線へ出た。
戦力的にステラやディアナに劣るとはいえ、彼女には切り札である魔法完全無効化があり、フェイドルの迷宮で新たに手に入れた秘宝がある。
絢爛たる七つの秘宝には劣るが、フェイドルの迷宮を突破したノーラもひとつの秘宝を手に入れていた。
倍加の首飾り。
文字通り所有者の魔力、身体能力、スキルなどの任意のものを倍加する。
一日に使用制限が三回までというのが玉に瑕だが、十分に有用な秘宝であった。
何より完全魔法無効化の時間も倍加できることが大きい。
とはいえ使っておかなくては、その効果を体感することができないので、ノーラは身体能力の倍加を使用した。
強固な意志と不断の努力で練り上げた武力が、体内の奥深くから溢れる力で倍加され全能感がノーラを包む。
「……やみつきになりそうだよ」
明らかにレベルの違う技のキレ。
普段なら切り裂くのが精いっぱいのはずの魔物が、あっさりと骨ごと両断される。
今ならあのマリアナにも勝てるだろう。
まさかマリアナがフェイドルの迷宮でシェリーを相手に死線を潜り抜けているとは夢にも思わないノーラはそう思った。
「まだまだ、です。わふ」
死角となった背後からノーラに襲いかかろうとする上級夢魔を、ステラは魔力をこめた足で蹴り飛ばした。
夢魔は肉体はあるものの、かなり精神体によった構造をしているので物理ダメージが通りづらいのだ。
「すまない。助かる」
なんとか攻撃に身体は慣れてきても、防御のほうはまだまだのようであった。
倍の速度で動き回ることができても、集中力や警戒の勘はそうそう倍にはできないということである。
「お父様! 私も! 私も!」
「ディアナ、ステイ」
ノーラとステラ、白兵戦闘を得意とする二人の連携と、その防御をフォウがどこまでフォローできるか。
その実験なので今回ディアナとクスコはお留守番である。
『ところで主様』
「どうしたクスコ?」
『間に合うと思いますか?』
それが何を意味するのかは、今のところ松田とクスコだけがわかっている。
「とっとと終わらせておさらばしたいね。ラクシュミーさんには知らせておいたけど、国家間戦争にかかわりあう趣味はない」
『この際、立ち位置を明らかにするのも手だとは思いますけど』
クスコは松田のために心配していた。
かつての主、ライドッグはいかなる国家とも妥協しなかった。
ただひたすらに己の魔法の研究のためだけに、邪魔をする国家を蹂躙した。
もちろん協力する国家もあったが、それはあくまでもライドッグの研究の協力であって、軍事的な同盟ではなかった。
ライドッグほどの戦力が、どう動くか想定できないのは気味が悪い。
国家とはスタンドアローンを嫌う。枠に収まる気がないのなら排除するというのが社会である。
「なかなか我がままに、とはいかないもんだね」
ライドッグのような孤高の生き方は敵を産む、とクスコは言っているのだった。
そうでなければ他の伝説級探索者のように、迷宮のなかへ引きこもっているしかない。
松田は人間不信ではあるが、社会性をうしなったわけではないので、引きこもりは勘弁してほしいところであった。
「ま、おいおい考えるさ」
もう少し人を信じられるようになったら――――。
ステラやディアナたちだけだった世界にドルロイ、ハーレプストが現れ、このところノーラがそこに加わりつつある。
そこから新たな世界が開ける可能性を、ようやく松田は考えることができる気がしていた。
――――同じころ
デアフリンガー王国との国境に近いリベットの街では、ワーゲンブルグ王国の先発隊が一万二千にまで膨れ上がっていた。
「後続の状況はどうか?」
「今夜中には残る八千が到着の予定です」
「急げ、補給と休息の後すぐに出発するぞ!」
パズルの街を攻略する第一次遠征部隊は総数二万、さらに王都から後詰として三万が出発することになっている。
もちろんそれ以上も動員できるが、初動で後れをとっているデアフリンガー王国を緒戦で圧倒するには十分な兵力であった。
移動手段と常備兵力が限られたこの世界の国家としては、ワーゲンブルグ王国はまずまず動員に成功したほうであるといえる。
どうしても騎士団以外の貴族へ軍役を命じるとなると集結には時間がかかるものだ。
「斥候から報告は?」
「パズル周辺に異常なし、とのことです」
「引き続き警戒を続けろ。少しでも変わったことがあればすぐに報告を怠るな!」
「了解しました!」
「…………うまいこと時間が稼げればいいが……」
ワーゲンブルグ王国としては、デアフリンガー王国と全面戦争に及ぶつもりはない。
有利な状況でパズルの領有を認めさせられればそれでいいと考えている。
遠征軍の司令官であるプルトニーは、現状をいささかも楽観していなかった。
海洋国家であるワーゲンブルグ王国は、海上交易が弱体化しいわば身体が衰えた状態にある。
そのため栄養をパズルに求め、病身に鞭を打っているようなものだ。
長期戦になればデアフリンガー王国優位になることは想像に難くなかった。
隣国が味方したくなる程度に、初動でどれだけ成果をあげられるかが鍵である。
特にデアフリンガー王国と仲の悪いリュッツォー王国の協力は欠かせない。
勝ち目がないとわかって味方してくれるような、おひとよしな国家は存在しないからだ。
「デアフリンガー王国の国境警備隊は精々数千、パズルに駐留しているのも五百足らずというのが救いだな」
まず敗北するということが考えられない兵力差である。
緒戦でまず勝利宣言するのはほぼ問題あるまい。
そして神経をすり減らせながらいよいよ出発となったプルトニーは、自分の目論見が甘すぎたことに気づかされることになる。
「国境に兵力なし!」
「パズルももぬけの殻になっている模様!」
戦うべき相手が目標から根こそぎいなくなっていた。
「やられた! わかっていたのか!」
おそらくは事情を知ったのは、ごく最近のことなのだろう。
だから迎撃するだけの兵力を用意することができなかった。
どうせ負けるくらいなら、と最初から兵力をすべて撤退させたのだ。
果断というべきであろう。
みすみす領土への侵入を許すのは、よほどの胆力が必要である。
「…………やむをえん。少し痛めつけておきたかったが、まずはパズルを手に入れたことでよしとするか」
デアフリンガー王国とて、いつまでも自国の領土を占領されて放置していては沽券にかかわる。
このまま先行の優位を利用して、決戦に勝利するしかない。
そのためにも…………。
「パズルの迷宮は有効に利用させていただく。魔石にしろ秘宝にしろ戦力の維持には欠かせんからな」
「あれがガーディアンか」
下層が平原型の迷宮であったために、飛行ゴーレムを使って大幅に時間を短縮することができた。
非常に便利なので、これまで使用者がいなかったのが不思議なくらいだが、基本的にパーティーで行動する探索者では、一人だけ飛行魔法が使える魔法士がいても無駄らしい。
仮にパーティー全員を魔法士が飛行させても、飛行中の制御は魔法士頼りになるから、戦士や弓士なども地上のように思うように動けない。
結果魔物に襲撃されたら、下手をすると詰む。
飛行型の秘宝は、それこそ国宝級なので、松田のように飛行ゴーレムを乗り物にして移動するというのは本当に反則なのだそうだ。
「これまでのガーディアンとはタイプが違いますね」
「小さいから弱い……ってことはありえんよな」
見るからに巨体で、異形が多かったこれまでのガーディアンと違い、パズルの迷宮のガーディアンは仮面を被った一人の騎士のようにも見える。
しかしそれが生きた人間でないことは明らかで、騎士にはあるべき首がなかった。
「デュラハン……なのか?」
「騎乗していないデュラハンなんて聞いたことがないわ」
「そんなことより早く殲滅しましょう! お父様!」
「本当にブレないな、お前は」
とはいえいつまでも睨みあっているわけにもいかない。
ここはディアナに任せてみるのもひとつの手だ。
「まあいい。やってみろ」
「ありがとうございます! お父様!」
心底うれしそうに笑ってディアナは詠唱を開始した。
同時に、急速に松田の体内から大量の魔力が失われていくのがわかる。
これはディアナが松田の魔力をも使用する禁呪を唱えるときのいつものことだった。
「星振る力よ。天空の大いなる鐘よ。その波動もて我が敵を焼き尽くせ! 星振波!」
その力は圧倒的だった。
空から一条の光の柱が降りてきたかと思うと、首なし騎士の頭上で一気に爆発し流星群のように降り注いだ。
ひとつひとつが致死級の魔法である。
魔法耐性が強かろうが、結界を張り巡らせていようが、全くお構いなく光の雨は貫いていく。
騎士の姿は大量の雨に飲み込まれるようにして、溶けるように原形を失い指先ひとつ残さずに消え去った。
「なんだ、思ったよりあっけなく……」
「ご主人様、まだです! わふ」
気を抜きかけた松田を背中に守るようにステラが走った。
「なっ!」
失われた騎士の代わりに、不気味に蠢く黒い闇の水たまりがある。
不定形のそれは、あっという間に増殖を開始して数十メートルの沼に変わった。
「召喚ゴーレム!」
慌てて松田はグリフォンゴーレムを召喚して空中に逃れる。
その間にも闇の増殖は止まらない。
すでに沼から池へ、このまま増殖が止まらなければ湖へと拡大していくのは明らかだった。
「……あの騎士にみえた姿は罠か」
現在起こっている現象から、松田はそのように推理した。
あの鎧は内なる闇を閉じこめておくための拘束具で、敵の攻撃を吸収して器が破壊されたら一気に溢れるタイプの魔物なのだろう。
よりにもよって禁呪という最大級の餌を与えてしまったというわけだ。
「性質の悪い……」
「ぼやいてる場合じゃないぞ! マツダ!」
ノーラは闇から飛んでくる水しぶきを浴びたグリフォンゴーレムが、酸っぱい匂いとともに焦げるのを見て叫んだ。
どうやらあの闇は強酸性か、それに匹敵する毒性を持っている。
しかも下手をすると通常の武器ではダメージを与えられない可能性が高い。
「もう! もう! せっかくお父様にいいところを見せるのでしたのに! 不定形生物の分際で!」
「あまり騒ぐと落ちるぞ?」
「種が割れてしまえば、あんなのこの私には雑魚同然です! 汚名返上と参りますから!」
あの化け物が魔力を吸収する性質を持つというのなら、物理による飽和攻撃を仕掛けようと考えていた松田である。
ディアナは完全に魔法戦闘に特化されており、相性は最悪だと思ったのだが。
「暗黒劫洞」
松田が止める間もなく、ディアナは魔法を発動した。
するとディアナが放った闇の球が、闇の水を吸い上げ逆に大きくなっていくではないか。
「どういうことだ?」
「魔力吸収の専用術式ですわ!」
一切の攻撃力はなく、ただ魔力を吸い上げ溜めこむだけの魔法であるらしい。
その点、攻撃手段としての機能も持つ闇の水より吸い上げる力が強いようだ。
せっかく小さな湖に近くまで大きくなった闇の水は、少しづつその体積を減らしていく。
抵抗するかのように水が触手のようにうねり松田やディアナを襲うが、その程度の攻撃では到底フォウの防壁を突破することはできない。
徐々に闇の水は池となり、沼となり、最後は小さな水たまりに戻って大地の染みとなってついには消えた。
「私、完全勝利っ!」
「うん、これはさすがに文句がつけられない」
松田も驚きのディアナ完封勝利であった。
ガーディアンが倒されたことで、サイクロプスの背丈ほどもある巨大な扉が開いていく。
「いよいよ最下層だ」
松田たちはグリフォンゴーレムから下りると、互いに視線を交し合ってゆっくりと頷いた。
「行こう」
もともとこの先を攻略していたのはライドッグや魔女など、ごく一部の探索者だけであったからだ。
しかしここまでの経験則からいけば、上層から中層の深部にいくにつれて時間の流れは徐々に遅くなっている。
中層の最後では、迷宮内の一日は地上でのおよそ半日程度だった。
もしかすると最下層に近づくにつれて、限りなくゼロに近づいていくのではないか、と松田は思う。
攻略の時間に制限のある現状では、必ずしも悪いことではない。
「少し身体を慣らしておかないと危ないさね」
ここにきてノーラは積極的に前線へ出た。
戦力的にステラやディアナに劣るとはいえ、彼女には切り札である魔法完全無効化があり、フェイドルの迷宮で新たに手に入れた秘宝がある。
絢爛たる七つの秘宝には劣るが、フェイドルの迷宮を突破したノーラもひとつの秘宝を手に入れていた。
倍加の首飾り。
文字通り所有者の魔力、身体能力、スキルなどの任意のものを倍加する。
一日に使用制限が三回までというのが玉に瑕だが、十分に有用な秘宝であった。
何より完全魔法無効化の時間も倍加できることが大きい。
とはいえ使っておかなくては、その効果を体感することができないので、ノーラは身体能力の倍加を使用した。
強固な意志と不断の努力で練り上げた武力が、体内の奥深くから溢れる力で倍加され全能感がノーラを包む。
「……やみつきになりそうだよ」
明らかにレベルの違う技のキレ。
普段なら切り裂くのが精いっぱいのはずの魔物が、あっさりと骨ごと両断される。
今ならあのマリアナにも勝てるだろう。
まさかマリアナがフェイドルの迷宮でシェリーを相手に死線を潜り抜けているとは夢にも思わないノーラはそう思った。
「まだまだ、です。わふ」
死角となった背後からノーラに襲いかかろうとする上級夢魔を、ステラは魔力をこめた足で蹴り飛ばした。
夢魔は肉体はあるものの、かなり精神体によった構造をしているので物理ダメージが通りづらいのだ。
「すまない。助かる」
なんとか攻撃に身体は慣れてきても、防御のほうはまだまだのようであった。
倍の速度で動き回ることができても、集中力や警戒の勘はそうそう倍にはできないということである。
「お父様! 私も! 私も!」
「ディアナ、ステイ」
ノーラとステラ、白兵戦闘を得意とする二人の連携と、その防御をフォウがどこまでフォローできるか。
その実験なので今回ディアナとクスコはお留守番である。
『ところで主様』
「どうしたクスコ?」
『間に合うと思いますか?』
それが何を意味するのかは、今のところ松田とクスコだけがわかっている。
「とっとと終わらせておさらばしたいね。ラクシュミーさんには知らせておいたけど、国家間戦争にかかわりあう趣味はない」
『この際、立ち位置を明らかにするのも手だとは思いますけど』
クスコは松田のために心配していた。
かつての主、ライドッグはいかなる国家とも妥協しなかった。
ただひたすらに己の魔法の研究のためだけに、邪魔をする国家を蹂躙した。
もちろん協力する国家もあったが、それはあくまでもライドッグの研究の協力であって、軍事的な同盟ではなかった。
ライドッグほどの戦力が、どう動くか想定できないのは気味が悪い。
国家とはスタンドアローンを嫌う。枠に収まる気がないのなら排除するというのが社会である。
「なかなか我がままに、とはいかないもんだね」
ライドッグのような孤高の生き方は敵を産む、とクスコは言っているのだった。
そうでなければ他の伝説級探索者のように、迷宮のなかへ引きこもっているしかない。
松田は人間不信ではあるが、社会性をうしなったわけではないので、引きこもりは勘弁してほしいところであった。
「ま、おいおい考えるさ」
もう少し人を信じられるようになったら――――。
ステラやディアナたちだけだった世界にドルロイ、ハーレプストが現れ、このところノーラがそこに加わりつつある。
そこから新たな世界が開ける可能性を、ようやく松田は考えることができる気がしていた。
――――同じころ
デアフリンガー王国との国境に近いリベットの街では、ワーゲンブルグ王国の先発隊が一万二千にまで膨れ上がっていた。
「後続の状況はどうか?」
「今夜中には残る八千が到着の予定です」
「急げ、補給と休息の後すぐに出発するぞ!」
パズルの街を攻略する第一次遠征部隊は総数二万、さらに王都から後詰として三万が出発することになっている。
もちろんそれ以上も動員できるが、初動で後れをとっているデアフリンガー王国を緒戦で圧倒するには十分な兵力であった。
移動手段と常備兵力が限られたこの世界の国家としては、ワーゲンブルグ王国はまずまず動員に成功したほうであるといえる。
どうしても騎士団以外の貴族へ軍役を命じるとなると集結には時間がかかるものだ。
「斥候から報告は?」
「パズル周辺に異常なし、とのことです」
「引き続き警戒を続けろ。少しでも変わったことがあればすぐに報告を怠るな!」
「了解しました!」
「…………うまいこと時間が稼げればいいが……」
ワーゲンブルグ王国としては、デアフリンガー王国と全面戦争に及ぶつもりはない。
有利な状況でパズルの領有を認めさせられればそれでいいと考えている。
遠征軍の司令官であるプルトニーは、現状をいささかも楽観していなかった。
海洋国家であるワーゲンブルグ王国は、海上交易が弱体化しいわば身体が衰えた状態にある。
そのため栄養をパズルに求め、病身に鞭を打っているようなものだ。
長期戦になればデアフリンガー王国優位になることは想像に難くなかった。
隣国が味方したくなる程度に、初動でどれだけ成果をあげられるかが鍵である。
特にデアフリンガー王国と仲の悪いリュッツォー王国の協力は欠かせない。
勝ち目がないとわかって味方してくれるような、おひとよしな国家は存在しないからだ。
「デアフリンガー王国の国境警備隊は精々数千、パズルに駐留しているのも五百足らずというのが救いだな」
まず敗北するということが考えられない兵力差である。
緒戦でまず勝利宣言するのはほぼ問題あるまい。
そして神経をすり減らせながらいよいよ出発となったプルトニーは、自分の目論見が甘すぎたことに気づかされることになる。
「国境に兵力なし!」
「パズルももぬけの殻になっている模様!」
戦うべき相手が目標から根こそぎいなくなっていた。
「やられた! わかっていたのか!」
おそらくは事情を知ったのは、ごく最近のことなのだろう。
だから迎撃するだけの兵力を用意することができなかった。
どうせ負けるくらいなら、と最初から兵力をすべて撤退させたのだ。
果断というべきであろう。
みすみす領土への侵入を許すのは、よほどの胆力が必要である。
「…………やむをえん。少し痛めつけておきたかったが、まずはパズルを手に入れたことでよしとするか」
デアフリンガー王国とて、いつまでも自国の領土を占領されて放置していては沽券にかかわる。
このまま先行の優位を利用して、決戦に勝利するしかない。
そのためにも…………。
「パズルの迷宮は有効に利用させていただく。魔石にしろ秘宝にしろ戦力の維持には欠かせんからな」
「あれがガーディアンか」
下層が平原型の迷宮であったために、飛行ゴーレムを使って大幅に時間を短縮することができた。
非常に便利なので、これまで使用者がいなかったのが不思議なくらいだが、基本的にパーティーで行動する探索者では、一人だけ飛行魔法が使える魔法士がいても無駄らしい。
仮にパーティー全員を魔法士が飛行させても、飛行中の制御は魔法士頼りになるから、戦士や弓士なども地上のように思うように動けない。
結果魔物に襲撃されたら、下手をすると詰む。
飛行型の秘宝は、それこそ国宝級なので、松田のように飛行ゴーレムを乗り物にして移動するというのは本当に反則なのだそうだ。
「これまでのガーディアンとはタイプが違いますね」
「小さいから弱い……ってことはありえんよな」
見るからに巨体で、異形が多かったこれまでのガーディアンと違い、パズルの迷宮のガーディアンは仮面を被った一人の騎士のようにも見える。
しかしそれが生きた人間でないことは明らかで、騎士にはあるべき首がなかった。
「デュラハン……なのか?」
「騎乗していないデュラハンなんて聞いたことがないわ」
「そんなことより早く殲滅しましょう! お父様!」
「本当にブレないな、お前は」
とはいえいつまでも睨みあっているわけにもいかない。
ここはディアナに任せてみるのもひとつの手だ。
「まあいい。やってみろ」
「ありがとうございます! お父様!」
心底うれしそうに笑ってディアナは詠唱を開始した。
同時に、急速に松田の体内から大量の魔力が失われていくのがわかる。
これはディアナが松田の魔力をも使用する禁呪を唱えるときのいつものことだった。
「星振る力よ。天空の大いなる鐘よ。その波動もて我が敵を焼き尽くせ! 星振波!」
その力は圧倒的だった。
空から一条の光の柱が降りてきたかと思うと、首なし騎士の頭上で一気に爆発し流星群のように降り注いだ。
ひとつひとつが致死級の魔法である。
魔法耐性が強かろうが、結界を張り巡らせていようが、全くお構いなく光の雨は貫いていく。
騎士の姿は大量の雨に飲み込まれるようにして、溶けるように原形を失い指先ひとつ残さずに消え去った。
「なんだ、思ったよりあっけなく……」
「ご主人様、まだです! わふ」
気を抜きかけた松田を背中に守るようにステラが走った。
「なっ!」
失われた騎士の代わりに、不気味に蠢く黒い闇の水たまりがある。
不定形のそれは、あっという間に増殖を開始して数十メートルの沼に変わった。
「召喚ゴーレム!」
慌てて松田はグリフォンゴーレムを召喚して空中に逃れる。
その間にも闇の増殖は止まらない。
すでに沼から池へ、このまま増殖が止まらなければ湖へと拡大していくのは明らかだった。
「……あの騎士にみえた姿は罠か」
現在起こっている現象から、松田はそのように推理した。
あの鎧は内なる闇を閉じこめておくための拘束具で、敵の攻撃を吸収して器が破壊されたら一気に溢れるタイプの魔物なのだろう。
よりにもよって禁呪という最大級の餌を与えてしまったというわけだ。
「性質の悪い……」
「ぼやいてる場合じゃないぞ! マツダ!」
ノーラは闇から飛んでくる水しぶきを浴びたグリフォンゴーレムが、酸っぱい匂いとともに焦げるのを見て叫んだ。
どうやらあの闇は強酸性か、それに匹敵する毒性を持っている。
しかも下手をすると通常の武器ではダメージを与えられない可能性が高い。
「もう! もう! せっかくお父様にいいところを見せるのでしたのに! 不定形生物の分際で!」
「あまり騒ぐと落ちるぞ?」
「種が割れてしまえば、あんなのこの私には雑魚同然です! 汚名返上と参りますから!」
あの化け物が魔力を吸収する性質を持つというのなら、物理による飽和攻撃を仕掛けようと考えていた松田である。
ディアナは完全に魔法戦闘に特化されており、相性は最悪だと思ったのだが。
「暗黒劫洞」
松田が止める間もなく、ディアナは魔法を発動した。
するとディアナが放った闇の球が、闇の水を吸い上げ逆に大きくなっていくではないか。
「どういうことだ?」
「魔力吸収の専用術式ですわ!」
一切の攻撃力はなく、ただ魔力を吸い上げ溜めこむだけの魔法であるらしい。
その点、攻撃手段としての機能も持つ闇の水より吸い上げる力が強いようだ。
せっかく小さな湖に近くまで大きくなった闇の水は、少しづつその体積を減らしていく。
抵抗するかのように水が触手のようにうねり松田やディアナを襲うが、その程度の攻撃では到底フォウの防壁を突破することはできない。
徐々に闇の水は池となり、沼となり、最後は小さな水たまりに戻って大地の染みとなってついには消えた。
「私、完全勝利っ!」
「うん、これはさすがに文句がつけられない」
松田も驚きのディアナ完封勝利であった。
ガーディアンが倒されたことで、サイクロプスの背丈ほどもある巨大な扉が開いていく。
「いよいよ最下層だ」
松田たちはグリフォンゴーレムから下りると、互いに視線を交し合ってゆっくりと頷いた。
「行こう」
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