アラフォー社畜のゴーレムマスター
第百三十四話 ノーラの帰宅
「さて、良かったらうちに泊まるかい? 少し狭いがどうせあんたら同じ部屋で寝るんだろ?」
ギルド出張所を出てサーシャと別れた松田に、ノーラは軽く声をかけた。
とはいえ、どことなく気恥ずかしさが隠しきれていないのは、ノーラの両親がいまだ健在で暮らしているからだ。
適齢期をとうにすぎたノーラが、松田を連れて帰れば、両親がどんな反応をするか想像に難くない。
まず間違いなく、結婚相手、少なくともその候補だと思われるのは確実だった。
もっともそうした雰囲気さえ利用してしまおうと考えているノーラである。
いつの世も婚活女子は強かでたくましい。
「そういうことならお世話になろうか」
ノーラの生家は、意外にも牧歌的な赤い屋根の平凡な民家だった。
庭で鶏に餌を与えていた初老の女性が、ふと気配に気づいたようにこちらを見上げた。
少しふくよかだが目鼻立ちのはっきりした造形が、どこかノーラの面差しに似ている。
「ノーラ! あんた、今までどこで何をやってたんだいっ!」
どうやらノーラの気の強さは母親譲りのようだ。
鼓膜が痛くなりそうな大声でいきなりノーラの肩を掴むと、力任せにがくがくと揺さぶる。
戦いで鍛えたノーラに抵抗を許さぬ剛腕ぶりであった。
「いたたたた! 相変わらず馬鹿力だな。母さん」
「せっかく私に似て美人に産んでやったのに。あんたときたら女だてらに剣なんかぶら下げて…………」
この時点でようやくノーラの母は松田たちに気づいた。
「なんだい、もしかして亭主を連れてきたのかい?」
意味ありげにノーラの母は松田をつま先から頭のてっぺんまで見回した。
「冗談じゃありませんわ!」
「ご主人様は私のなのです! わふ」
「こんな大きな子供、いつの間に産んだんだい?」
「ステラはノーラの子なんかじゃないのです! わふわふ」
「お父様とノーラはただの商売仲間なんですから、勘違いしないでください!」
抗議するディアナとステラを、さもわかったようにうんうんと頷くと
「コブつきとはなかなかお前も特殊な趣味をしているね」
「誰がコブつきですか!」
「ステラ、コブじゃないのです。わふ」
「お前ら、からかわれてるだけだからいい加減反応するのはよせ」
泰然と松田はステラとディアナの暴走をたしなめた。
この程度のいじりで動揺しているようでは社畜は務まらない。
自分より年上のオジサンやオバサンを部下にして円滑に使おうと思ったら、自分からいじられにいくくらいのメンタルがなければやっていけないのだ(偏見)。
「タケシ・マツダと申します。ノーラのお母さんでいらっしゃいますか?」
「…………つまらないね。そこはお義母さん、娘さんをくださいというところだろう?」
「生憎今のところその予定はなくて……」
「ふん、あくまでも今のところは、だろ?」
松田の肩にことん、と額を預けてノーラは自信満々に笑う。
「ノーラ、男を捕まえるのに仁義は無用……私がお父さんを捕まえるのにどれだけ手練手管を使ったか……わかってるね?」
「任せておいてよ。私は母さんの娘だよ?」
「ふっふっふっ!」
「あっはっは!」
ノーラの母、ペリザードは勢いよく笑った。
ライバルを蹴落とし、外堀を完全に埋め尽くして今の旦那――ノーラの父であるコーエンと結婚したのはもう三十年近く前になる。
当然デキ婚で、結婚式の日にはすでにお腹の中にはノーラがいた。
娘にそんな自分の遺伝子が受け継がれていることを確認したペリザードは満足げに頷くのだった。
夕方になり、仕事から帰ってきたコーエンは、ペリザードと違いいたって常識人であったことは松田のみならずディアナやステラの胸にも苦い感情を覚えさせた。
いつの世も捕食する側と捕食される側がある。それはその後の結婚生活が幸せかどうかとは別の問題として厳然と存在する。
松田の同僚たちも、そうとは気づかぬままにどれだけ捕食されていったことか……。
(ま、結局奪幸せな奴が勝ちなんだけどね)
誰にも捕食される機会すらなかった自分が負け組であることは、松田自身は一番よくわかっていた。
「それでうちのノーラはどうかなマツダ君?」
素朴でありながら、相当な料理の腕――これもコーエンを落とすために培われたのだろうが――の冴えをみせたペリザードの夕食に松田たちは舌鼓を打った。
貴重であるはずの蜂蜜酒も開けているあたりは、かなりの奮発であると言える。
もっとも何年経っても姿を見せなかった娘が帰ってきたのだから当然か。
それにしてもコーエンよ。普通父親は娘が嫁に行くのは嫌がるものではないのか。
「男勝りではあるんだけどねえ。とても優しくて面倒見のいい娘なんだよ」
「――――そうでしょうね」
コーエンの言う通り、ノーラは優しい女なのだろう。
彼女のように美しく年頃の女性が、自ら探索者となって妹のために人生を捨てるような決断をするのには、恐ろしく勇気が必要であったに違いない。
だが同時に、その優しさはあくまでも家族に向けたものだ。
家族を守るためにはあえて、他人の幸せを踏みにじる冷酷さもノーラは持ち合わせている。
あのフェドルの迷宮で、リアゴッドの介入がなければ、下手をするとノーラは松田を殺そうとしていたかもしれないのだ、
今も彼女は、妹を救うためならあえて松田を裏切るだろうし、それを松田は悪いことだとは思わない。
しかし本当に裏切られたら、以前と同じように無感情でいられるか、松田には自信がなかった。
「んふふふ……ねえマツダ。これ私が作ったんだよ? ちょっと味見してちょうだい?」
ノーラは松田の返事にそんな葛藤があったとは思わず、肯定的に受け取ったようであった。
甲斐甲斐しく手作りの煮込み料理を松田に差し出すと、すぐにディアナとステラが反応した。
「お父様は自分で食べられます!」
「ステラだって、ちゃんと料理くらい作れるのです! わふ」
いやいや、ステラ(お前)が作れるのはワイルド感溢れる焼き物だけだろう。
「ふん!」
その辺を見越しているのか、ノーラは完全にドヤ顔の姿勢を崩さない。
こればかりは女性としての年季と経験がものをいう。
身体機能の大部分を人間と同じように再現しているディアナだが、残念ながら味覚まで再現できているとは言い難い。
失われた知識の006の素体も、そこまでの再現はできていなかったのだ。
器用なディアナだけに、正確な味覚さえあれば相当に料理の腕もあがる気はするのだが。
「いいねえ。華やかだねえ」
コーエンさん、悪いが貴方の目は節穴です。
「ここにマリーカがいてくれたら、それ以上何も望まないんだけどねえ」
さっと空気が凍りつくのが、こうしたことに鈍感なステラにもわかった。
「あんた、それは…………」
苦々しい声でペリザードがコーエンをたしなめる。
そこでようやく気づいたようにコーエンは慌てて頭を下げた。
「ああ、すまない。気にしないでくれ。ステラちゃんやディアナちゃんとみているとついつい思い出してしまうんだ。いつまでたっても変わらないあの娘の姿がつらくて、もう何年も会いに行っていない情けない父親なのにね……」
コーエンは寂しそうに力なく顔を俯かせた。
確かに情けなくはあるのだろう。
しかしそれを責める気持ちにはなれなかった。ペリザードやノーラもそうらしい。
たとえどれだけつらくても、死んでしまえば人はそれを受け入れ新たに前を向くことができる。
しかし時が止まってしまったマリーカには、その変化がない。
生きている喜びも死んでしまった悲しみもなく、ただ永久に止まってしまった事実だけが残される。
そんな中で不可能に近い挑戦を諦めないノーラが特殊なのであって、コーエンのような凡庸な男が諦めに身をゆだねるのは無理からぬことであった。
そんな暗い空気を吹きとばすように、ノーラはパンパンと両手を合わせた。
「気にすることないよ父さん。もうすぐ何もかも元通りにしてみせるから」
胸を張り、堂々とノーラは言い切った。
もちろん、それはただの心意気であって、具体的な手段があるというわけではない。
それに今は解放されたパズルの迷宮という確かなアテがある。
そうだとしても、ノーラのこの心の強さは改めて松田に新鮮な衝撃を与えた。
人は諦めを受け入れる生物であって、コーエンのようにつらい現実から逃げるほうが楽なこともある。
特に社畜時代の松田の生き方はそういうものだった。
「そうだろ? マツダ」
ノーラにまぶしい笑顔を向けられて、松田は困ったように苦笑した。
「微力を尽くしましょう。俺なりに」
夕食後、コーエンは得意気に自宅の風呂を自慢した。
「ここは綺麗な水と薪材だけは豊富だからね。大抵はどこの家庭でもお風呂は充実しているんだけど、うちはその中でも広いと思うよ?」
「ま、数少ない道楽だしね」
また始まった、といいたげにペリザードも肩を竦めた。
パズルの街は地方都市としてはそれほど小さなものではないが、郊外の農家となるとやはり娯楽は少ないものだ。
大きな湯舟は、コーエンの数少ない自慢の種なのに違いなかった。
「楽しみですね? お父様」
「久しぶりのお風呂なのです! わふ」
「…………何をナチュラルに幼女と入ろうとしているのかな? マツダくん」
温厚を絵に描いたようなコーエンの声は、氷のように冷たいものだった。
もっとも、ようやく娘が連れてきた男が当たり前のように小さな女の子とお風呂に入ろうとしたら、男親ならば誰もが同じ反応を示すかもしれない。
顔は非常ににこやかなままなのがまた恐ろしかった。
「たまには男同士の連帯を強めるというのも必要なことじゃないかな? もう少し酒に付き合ってくれたまえ」
その目が絶対に逃がさないよ? と語っていた。
ついいつもの癖でディアナやステラにつられてしまった松田は、苦笑しながら背中に冷たい汗を流すしかなかった。
「お父様と入りたかったのに…………」
「…………わふ」
「あんたらもそろそろ他人の目を気にすることを覚えなよ」
呆れながらノーラは広い湯舟に長い手足を伸ばす。
筋肉はついているはずなのに、女性らしい柔らかさが損なわれていない見事なプロポーションであった。
特にぷっかりと湯に浮いている脂肪の塊は圧巻だ。
感覚がマヒしているのかもしれないが、ノーラから見れば松田が幼女マスターと綽名されるのは気の毒というしかない。
そのうえ松田が人間不信気味で、美女や美少女の誘惑にもいたって淡白な反応しかしないからなおさらだ。
でも密かにノーラは、松田も一人の成年男性であって、実は胸を押し当てられると体温が上昇して腰が引けることに気づいている。
たまに自慢の巨乳に視線を向けられることもあるから、興味がないというわけでもなさそうだ。
少々頑なすぎる面さえクリアできれば、陥落させることも不可能ではないと考えている。
場合によっては既成事実を迫ることも視野にいれているが、そのためにはディアナとステラ、フォウにクスコの目を免れる必要があった。
いざ松田と二人っきりになることができれば、ノーラには魔法完全無効という切札がある。
時間は短くとも、ああして、ああすればいかに松田でも……と夢想するノーラであった。
「本当に広いですね」
「ま、五人くらいなら余裕で入れる広さはあるよ。それだけが自慢だけれどね」
特に豪華というわけでもなく、景色がよいというわけでもない。
露天風呂はさすがに防犯上問題がありすぎるので、よほど金のある旅籠や貴族でもないとなかなか維持できるものではなかった。
「ステラちゃん、また胸が大きくなったんじゃない?」
「そうですか? わふ」
そうは言いながらもステラはうれしそうにまだ控えめな胸に手をおいた。
「くっ……私だって本当は……」
「お姉さま、お姉さまはそのままのほうが……」
「フォウに私の気持ちはわからないわっ!」
松田の理想像に近い身体を手に入れるはずであったディアナは、親の仇でもみるような目でノーラの巨乳を睨みつける。
本人はばれていないと思っているようだが、たまに松田がノーラの胸の谷間をチラ見しているのは、ディアナもノーラも気づいていた。
子供でも女性は視線に敏感なものだ。侮れない。
「ご主人様も大きな胸のほうが好きですか? わふ」
湯舟にぷっかりと浮かぶノーラの巨乳をうらやましそうにみて、ステラは呟いた。
「そこは人の好みってもんがあるからねえ……ま、嫌いな男は少ないだろうけどね」
「ステラも早く大きくなりたいです。わふ」
「あんたは見込みありそうだと思うわよ?」
まだようやくBカップ程度のステラだが、身体を動かすのが好きでカロリーを消費している割に、ほどよい脂肪の付き方をしている。
ノーラの経験上、こうした女性は胸が大きくなる確率が高かった。
「ステラのくせに……私だって……私だって……」
「ディアナも可愛いですよ? わふ」
「天然そうにみせるけど、絶対わかって言ってるでしょ! 貴女!」
「わふ?」
そんな微笑ましい? やりとりをしている二人を、ゆっくりと湯舟に肩までつかりながらノーラは眺めながら考えていた。
ディアナのそれはファザコンに近いものだが、ステラは明らかに異性として松田をみている。
もっとも情緒が育ちきっていないので、子供の初恋に近しい程度ではないかとノーラは思う。
しかしだからといって侮ってはかかれない、とノーラは見ていた。
ステラのような勘の鋭いタイプは、心が成熟がしていなくても男を捕まえる好機を肌で知っている場合がある。
こういってはなんだが従姉がこのタイプで、幼なじみの男に子供のころから狙いを定め、見事に捕まえていた。
「…………どうしたらこんなに胸が大きくなるですか? わふ」
興味津々という体でステラに問いかけられたノーラは、胸を張っていささかも形の崩れていない見事な巨乳を見せつけた。
「適度な食事と、身体を鍛えることと……好きな男の視線を意識することだな」
「ノーラはいっぱい好きな男の人に見られたですか? わふ」
「ごふっ!」
素朴なステラの質問に思わずノーラは噴き出す。
急にあることを思い出してしまったからだ。
――実のところ、ノーラは処女である。
探索者などという男所帯で、腕っぷしも強いから度胸は据わり、下ネタも豪快に笑い飛ばすようになった。
男慣れしているようにみせかけ、女だからとからかわれないよう演じて見せるのが癖になっていた。
それが当たり前であったために、いつしか自分が百戦錬磨のように錯覚していたが、よく考えたら耳年増なだけでステラたちとあまり立場は変わらなかった。
しかもすでに三十路が迫っている…………。
(しまった! おこちゃま相手にえらそうにしている場合じゃなかった! ハヤクナントカシナイト……)
「あれ? 顔が赤いですよ? ノーラのぼせたですか? わふ」
美しい空を見上げているうちはわからなくても、いざ下をみると断崖絶壁であることに気づけば人は立っているのも恐ろしくなるものだ。
人は年齢を重ねるにつれ、自分の望む姿、あるいは他人が自分に求める姿を演じることに慣れていく。
また、そうであるよう社会が強制するといってもよい。
三十路過ぎても白馬の王子を待つお局がいたら、痛いと思わないだろうか?
言葉遣いや物腰にしても、やはり年相応というものを人は求める傾向にある。
そして同様に、本当の自分を押し隠して年相応を演じる女性も数多く存在する。
かつて松田の部下で、三十代前半で結婚した明るいオバサンのような性格の女性がいた。
ところが結婚式の数か月後、深刻そうな表情で彼女に相談があると告げられる。
てっきり妊娠がわかって退職するのだろう、と松田は思った。
彼女は貴重な戦力なのだが、こればかりは致し方のないことだ。
会社はブラックでも、松田は社畜である自分を他人に強制することが嫌いなタイプであった。
だからこそ自分を極限まで追い込んで死に至ったともいえる。
「――――実は夫と離婚の危機なんです」
「ええっ?」
彼女の夫は同業者で松田もよく知る人物であり、たった数か月で離婚されるほどひどい男とも思われなかった。
ところが、話を聞くとオバサンのように下ネタにも平気だった彼女は、実は処女でどうやら彼もほうも童貞であったらしい。
それで初夜に破瓜の痛みで絶叫して暴れた彼女の反応をみて、ちょっとしたEDになってしまったらしく、それ以降レスに、という流れのようだ。
(こいつ……それを俺に話してどうするつもりなんだ?)
「支社長なら、接待とかでいろいろ経験豊富そうだから……」
(わかってねえな! 接待は自分が楽しんじゃいけねえから接待なんだよ!)
「まあ、男は男同士で話してみることもある。しかし女性のことはわからないから同じ同性に相談してみなさい」
「……わかりました。よろしくお願いします」
結局周囲の努力もむなしく二人は一年ほどで離婚した。
松田の経験上だが、経験豊富だと口に出す女性で本当に経験が豊富なのは精々五割程度である。
言葉や態度とは裏腹に、非常に初心で経験皆無であった女性も数名いたが、どうやらノーラもその同類であるらしかった。
自分が新品のルーキーであることを自覚してしまったノーラは、耳まで赤く染まってブクブクと顔まで湯舟に沈んでいった。
――――一方そのころ
「小さい頃のあの子は、それはそれはシャイでね」
「はぁ…………」
我が子自慢しているようにみえてコーエンの瞳はいささかも笑っていなかった。
その目には覚えがある。
男の品定めをするときの目であった。
「ディアナちゃんやステラちゃんくらいのノーラを君にも見せたかったな。きっと驚くと思うよ?」
親ばかのようにみせかけて、実はノーラのことを激しくプッシュしている。
同時に松田がどんな男なのか、あの手この手で探ろうとしているのだ。
特にディアナとステラの存在は、見過ごすわけにはいなかかった。
「それにしてもよく慕われているのだね。あの年頃のノーラはもう恥ずかしがっていっしょにお風呂には入ってくれなかったよ」
「ですよね……あはは…………」
さすがの松田も乾いた笑いしか出てこない。
迂闊に同意すれば相手にパスを渡したも同然、かといって否定的なことを言えば怒りを買いかねないという二重の罠。
正直なところコーエンが怒ったところで、松田に何かできるわけではないのだが、なんとなくペリザードとノーラ母娘を敵に回すことは憚られた。
というより嫌な予感しかしない。
「あれほど慕われているのだから、もちろん私の杞憂だとは信じているが、君とステラちゃん、ディアナちゃん、どんな関係だい?」
(確認来たあああああああああああ)
いくらなんでも正直に答えることは不可能だった。
奴隷と所有物です、などと答えた日には松田の全人格を否定されることは確実である。
かといって迂闊な嘘は、真実をノーラが知るだけに藪蛇になる可能性が高かった。
「も…………」
「も?」
「黙秘します」
(って、何を言ってるんだ俺はああああああ!)
「はっはっはっ!」
コーエンは相変わらず、目だけは一切笑わずに肩をゆすって笑う。
「男には人にいえない秘密があるよね。まあ、私はペリザードには根こそぎばれてたけど」
「そ、それはお気の毒に…………」
おそらくペリザードに用意周到に情報収集されていたのだろうな、と松田は同情した。
「いやいや、自分をさらけ出すということも男には必要だよ?」
きっとペリザードさんに隠し事をしないことが幸せの秘訣だと信じさせられてるんだ……。
そう思うと目頭が熱くなる松田であった。
「だから素直に話してしまいなさい。なあに、いざ話してしまえば自分が思っているほど大したことではないものさ」
「黙秘します」
コーエンと松田の攻防は、ディアナたちが風呂から上がってくるまで続いた。
その後コーエンは風呂に松田を誘ったが、断固として拒んだ結果、なぜかディアナとステラがもう一度乱入してきて、非常に痛い目で見られたのはご愛敬というべきか。
「人生には間違いがあるものさ。それを正してくれるのが愛すべき伴侶だよ?」
いったいどこまで深くコーエンを洗脳したのか、ペリザードの手腕に背筋の寒くなると同時に、ノーラへの警戒感を強める松田であった。
ギルド出張所を出てサーシャと別れた松田に、ノーラは軽く声をかけた。
とはいえ、どことなく気恥ずかしさが隠しきれていないのは、ノーラの両親がいまだ健在で暮らしているからだ。
適齢期をとうにすぎたノーラが、松田を連れて帰れば、両親がどんな反応をするか想像に難くない。
まず間違いなく、結婚相手、少なくともその候補だと思われるのは確実だった。
もっともそうした雰囲気さえ利用してしまおうと考えているノーラである。
いつの世も婚活女子は強かでたくましい。
「そういうことならお世話になろうか」
ノーラの生家は、意外にも牧歌的な赤い屋根の平凡な民家だった。
庭で鶏に餌を与えていた初老の女性が、ふと気配に気づいたようにこちらを見上げた。
少しふくよかだが目鼻立ちのはっきりした造形が、どこかノーラの面差しに似ている。
「ノーラ! あんた、今までどこで何をやってたんだいっ!」
どうやらノーラの気の強さは母親譲りのようだ。
鼓膜が痛くなりそうな大声でいきなりノーラの肩を掴むと、力任せにがくがくと揺さぶる。
戦いで鍛えたノーラに抵抗を許さぬ剛腕ぶりであった。
「いたたたた! 相変わらず馬鹿力だな。母さん」
「せっかく私に似て美人に産んでやったのに。あんたときたら女だてらに剣なんかぶら下げて…………」
この時点でようやくノーラの母は松田たちに気づいた。
「なんだい、もしかして亭主を連れてきたのかい?」
意味ありげにノーラの母は松田をつま先から頭のてっぺんまで見回した。
「冗談じゃありませんわ!」
「ご主人様は私のなのです! わふ」
「こんな大きな子供、いつの間に産んだんだい?」
「ステラはノーラの子なんかじゃないのです! わふわふ」
「お父様とノーラはただの商売仲間なんですから、勘違いしないでください!」
抗議するディアナとステラを、さもわかったようにうんうんと頷くと
「コブつきとはなかなかお前も特殊な趣味をしているね」
「誰がコブつきですか!」
「ステラ、コブじゃないのです。わふ」
「お前ら、からかわれてるだけだからいい加減反応するのはよせ」
泰然と松田はステラとディアナの暴走をたしなめた。
この程度のいじりで動揺しているようでは社畜は務まらない。
自分より年上のオジサンやオバサンを部下にして円滑に使おうと思ったら、自分からいじられにいくくらいのメンタルがなければやっていけないのだ(偏見)。
「タケシ・マツダと申します。ノーラのお母さんでいらっしゃいますか?」
「…………つまらないね。そこはお義母さん、娘さんをくださいというところだろう?」
「生憎今のところその予定はなくて……」
「ふん、あくまでも今のところは、だろ?」
松田の肩にことん、と額を預けてノーラは自信満々に笑う。
「ノーラ、男を捕まえるのに仁義は無用……私がお父さんを捕まえるのにどれだけ手練手管を使ったか……わかってるね?」
「任せておいてよ。私は母さんの娘だよ?」
「ふっふっふっ!」
「あっはっは!」
ノーラの母、ペリザードは勢いよく笑った。
ライバルを蹴落とし、外堀を完全に埋め尽くして今の旦那――ノーラの父であるコーエンと結婚したのはもう三十年近く前になる。
当然デキ婚で、結婚式の日にはすでにお腹の中にはノーラがいた。
娘にそんな自分の遺伝子が受け継がれていることを確認したペリザードは満足げに頷くのだった。
夕方になり、仕事から帰ってきたコーエンは、ペリザードと違いいたって常識人であったことは松田のみならずディアナやステラの胸にも苦い感情を覚えさせた。
いつの世も捕食する側と捕食される側がある。それはその後の結婚生活が幸せかどうかとは別の問題として厳然と存在する。
松田の同僚たちも、そうとは気づかぬままにどれだけ捕食されていったことか……。
(ま、結局奪幸せな奴が勝ちなんだけどね)
誰にも捕食される機会すらなかった自分が負け組であることは、松田自身は一番よくわかっていた。
「それでうちのノーラはどうかなマツダ君?」
素朴でありながら、相当な料理の腕――これもコーエンを落とすために培われたのだろうが――の冴えをみせたペリザードの夕食に松田たちは舌鼓を打った。
貴重であるはずの蜂蜜酒も開けているあたりは、かなりの奮発であると言える。
もっとも何年経っても姿を見せなかった娘が帰ってきたのだから当然か。
それにしてもコーエンよ。普通父親は娘が嫁に行くのは嫌がるものではないのか。
「男勝りではあるんだけどねえ。とても優しくて面倒見のいい娘なんだよ」
「――――そうでしょうね」
コーエンの言う通り、ノーラは優しい女なのだろう。
彼女のように美しく年頃の女性が、自ら探索者となって妹のために人生を捨てるような決断をするのには、恐ろしく勇気が必要であったに違いない。
だが同時に、その優しさはあくまでも家族に向けたものだ。
家族を守るためにはあえて、他人の幸せを踏みにじる冷酷さもノーラは持ち合わせている。
あのフェドルの迷宮で、リアゴッドの介入がなければ、下手をするとノーラは松田を殺そうとしていたかもしれないのだ、
今も彼女は、妹を救うためならあえて松田を裏切るだろうし、それを松田は悪いことだとは思わない。
しかし本当に裏切られたら、以前と同じように無感情でいられるか、松田には自信がなかった。
「んふふふ……ねえマツダ。これ私が作ったんだよ? ちょっと味見してちょうだい?」
ノーラは松田の返事にそんな葛藤があったとは思わず、肯定的に受け取ったようであった。
甲斐甲斐しく手作りの煮込み料理を松田に差し出すと、すぐにディアナとステラが反応した。
「お父様は自分で食べられます!」
「ステラだって、ちゃんと料理くらい作れるのです! わふ」
いやいや、ステラ(お前)が作れるのはワイルド感溢れる焼き物だけだろう。
「ふん!」
その辺を見越しているのか、ノーラは完全にドヤ顔の姿勢を崩さない。
こればかりは女性としての年季と経験がものをいう。
身体機能の大部分を人間と同じように再現しているディアナだが、残念ながら味覚まで再現できているとは言い難い。
失われた知識の006の素体も、そこまでの再現はできていなかったのだ。
器用なディアナだけに、正確な味覚さえあれば相当に料理の腕もあがる気はするのだが。
「いいねえ。華やかだねえ」
コーエンさん、悪いが貴方の目は節穴です。
「ここにマリーカがいてくれたら、それ以上何も望まないんだけどねえ」
さっと空気が凍りつくのが、こうしたことに鈍感なステラにもわかった。
「あんた、それは…………」
苦々しい声でペリザードがコーエンをたしなめる。
そこでようやく気づいたようにコーエンは慌てて頭を下げた。
「ああ、すまない。気にしないでくれ。ステラちゃんやディアナちゃんとみているとついつい思い出してしまうんだ。いつまでたっても変わらないあの娘の姿がつらくて、もう何年も会いに行っていない情けない父親なのにね……」
コーエンは寂しそうに力なく顔を俯かせた。
確かに情けなくはあるのだろう。
しかしそれを責める気持ちにはなれなかった。ペリザードやノーラもそうらしい。
たとえどれだけつらくても、死んでしまえば人はそれを受け入れ新たに前を向くことができる。
しかし時が止まってしまったマリーカには、その変化がない。
生きている喜びも死んでしまった悲しみもなく、ただ永久に止まってしまった事実だけが残される。
そんな中で不可能に近い挑戦を諦めないノーラが特殊なのであって、コーエンのような凡庸な男が諦めに身をゆだねるのは無理からぬことであった。
そんな暗い空気を吹きとばすように、ノーラはパンパンと両手を合わせた。
「気にすることないよ父さん。もうすぐ何もかも元通りにしてみせるから」
胸を張り、堂々とノーラは言い切った。
もちろん、それはただの心意気であって、具体的な手段があるというわけではない。
それに今は解放されたパズルの迷宮という確かなアテがある。
そうだとしても、ノーラのこの心の強さは改めて松田に新鮮な衝撃を与えた。
人は諦めを受け入れる生物であって、コーエンのようにつらい現実から逃げるほうが楽なこともある。
特に社畜時代の松田の生き方はそういうものだった。
「そうだろ? マツダ」
ノーラにまぶしい笑顔を向けられて、松田は困ったように苦笑した。
「微力を尽くしましょう。俺なりに」
夕食後、コーエンは得意気に自宅の風呂を自慢した。
「ここは綺麗な水と薪材だけは豊富だからね。大抵はどこの家庭でもお風呂は充実しているんだけど、うちはその中でも広いと思うよ?」
「ま、数少ない道楽だしね」
また始まった、といいたげにペリザードも肩を竦めた。
パズルの街は地方都市としてはそれほど小さなものではないが、郊外の農家となるとやはり娯楽は少ないものだ。
大きな湯舟は、コーエンの数少ない自慢の種なのに違いなかった。
「楽しみですね? お父様」
「久しぶりのお風呂なのです! わふ」
「…………何をナチュラルに幼女と入ろうとしているのかな? マツダくん」
温厚を絵に描いたようなコーエンの声は、氷のように冷たいものだった。
もっとも、ようやく娘が連れてきた男が当たり前のように小さな女の子とお風呂に入ろうとしたら、男親ならば誰もが同じ反応を示すかもしれない。
顔は非常ににこやかなままなのがまた恐ろしかった。
「たまには男同士の連帯を強めるというのも必要なことじゃないかな? もう少し酒に付き合ってくれたまえ」
その目が絶対に逃がさないよ? と語っていた。
ついいつもの癖でディアナやステラにつられてしまった松田は、苦笑しながら背中に冷たい汗を流すしかなかった。
「お父様と入りたかったのに…………」
「…………わふ」
「あんたらもそろそろ他人の目を気にすることを覚えなよ」
呆れながらノーラは広い湯舟に長い手足を伸ばす。
筋肉はついているはずなのに、女性らしい柔らかさが損なわれていない見事なプロポーションであった。
特にぷっかりと湯に浮いている脂肪の塊は圧巻だ。
感覚がマヒしているのかもしれないが、ノーラから見れば松田が幼女マスターと綽名されるのは気の毒というしかない。
そのうえ松田が人間不信気味で、美女や美少女の誘惑にもいたって淡白な反応しかしないからなおさらだ。
でも密かにノーラは、松田も一人の成年男性であって、実は胸を押し当てられると体温が上昇して腰が引けることに気づいている。
たまに自慢の巨乳に視線を向けられることもあるから、興味がないというわけでもなさそうだ。
少々頑なすぎる面さえクリアできれば、陥落させることも不可能ではないと考えている。
場合によっては既成事実を迫ることも視野にいれているが、そのためにはディアナとステラ、フォウにクスコの目を免れる必要があった。
いざ松田と二人っきりになることができれば、ノーラには魔法完全無効という切札がある。
時間は短くとも、ああして、ああすればいかに松田でも……と夢想するノーラであった。
「本当に広いですね」
「ま、五人くらいなら余裕で入れる広さはあるよ。それだけが自慢だけれどね」
特に豪華というわけでもなく、景色がよいというわけでもない。
露天風呂はさすがに防犯上問題がありすぎるので、よほど金のある旅籠や貴族でもないとなかなか維持できるものではなかった。
「ステラちゃん、また胸が大きくなったんじゃない?」
「そうですか? わふ」
そうは言いながらもステラはうれしそうにまだ控えめな胸に手をおいた。
「くっ……私だって本当は……」
「お姉さま、お姉さまはそのままのほうが……」
「フォウに私の気持ちはわからないわっ!」
松田の理想像に近い身体を手に入れるはずであったディアナは、親の仇でもみるような目でノーラの巨乳を睨みつける。
本人はばれていないと思っているようだが、たまに松田がノーラの胸の谷間をチラ見しているのは、ディアナもノーラも気づいていた。
子供でも女性は視線に敏感なものだ。侮れない。
「ご主人様も大きな胸のほうが好きですか? わふ」
湯舟にぷっかりと浮かぶノーラの巨乳をうらやましそうにみて、ステラは呟いた。
「そこは人の好みってもんがあるからねえ……ま、嫌いな男は少ないだろうけどね」
「ステラも早く大きくなりたいです。わふ」
「あんたは見込みありそうだと思うわよ?」
まだようやくBカップ程度のステラだが、身体を動かすのが好きでカロリーを消費している割に、ほどよい脂肪の付き方をしている。
ノーラの経験上、こうした女性は胸が大きくなる確率が高かった。
「ステラのくせに……私だって……私だって……」
「ディアナも可愛いですよ? わふ」
「天然そうにみせるけど、絶対わかって言ってるでしょ! 貴女!」
「わふ?」
そんな微笑ましい? やりとりをしている二人を、ゆっくりと湯舟に肩までつかりながらノーラは眺めながら考えていた。
ディアナのそれはファザコンに近いものだが、ステラは明らかに異性として松田をみている。
もっとも情緒が育ちきっていないので、子供の初恋に近しい程度ではないかとノーラは思う。
しかしだからといって侮ってはかかれない、とノーラは見ていた。
ステラのような勘の鋭いタイプは、心が成熟がしていなくても男を捕まえる好機を肌で知っている場合がある。
こういってはなんだが従姉がこのタイプで、幼なじみの男に子供のころから狙いを定め、見事に捕まえていた。
「…………どうしたらこんなに胸が大きくなるですか? わふ」
興味津々という体でステラに問いかけられたノーラは、胸を張っていささかも形の崩れていない見事な巨乳を見せつけた。
「適度な食事と、身体を鍛えることと……好きな男の視線を意識することだな」
「ノーラはいっぱい好きな男の人に見られたですか? わふ」
「ごふっ!」
素朴なステラの質問に思わずノーラは噴き出す。
急にあることを思い出してしまったからだ。
――実のところ、ノーラは処女である。
探索者などという男所帯で、腕っぷしも強いから度胸は据わり、下ネタも豪快に笑い飛ばすようになった。
男慣れしているようにみせかけ、女だからとからかわれないよう演じて見せるのが癖になっていた。
それが当たり前であったために、いつしか自分が百戦錬磨のように錯覚していたが、よく考えたら耳年増なだけでステラたちとあまり立場は変わらなかった。
しかもすでに三十路が迫っている…………。
(しまった! おこちゃま相手にえらそうにしている場合じゃなかった! ハヤクナントカシナイト……)
「あれ? 顔が赤いですよ? ノーラのぼせたですか? わふ」
美しい空を見上げているうちはわからなくても、いざ下をみると断崖絶壁であることに気づけば人は立っているのも恐ろしくなるものだ。
人は年齢を重ねるにつれ、自分の望む姿、あるいは他人が自分に求める姿を演じることに慣れていく。
また、そうであるよう社会が強制するといってもよい。
三十路過ぎても白馬の王子を待つお局がいたら、痛いと思わないだろうか?
言葉遣いや物腰にしても、やはり年相応というものを人は求める傾向にある。
そして同様に、本当の自分を押し隠して年相応を演じる女性も数多く存在する。
かつて松田の部下で、三十代前半で結婚した明るいオバサンのような性格の女性がいた。
ところが結婚式の数か月後、深刻そうな表情で彼女に相談があると告げられる。
てっきり妊娠がわかって退職するのだろう、と松田は思った。
彼女は貴重な戦力なのだが、こればかりは致し方のないことだ。
会社はブラックでも、松田は社畜である自分を他人に強制することが嫌いなタイプであった。
だからこそ自分を極限まで追い込んで死に至ったともいえる。
「――――実は夫と離婚の危機なんです」
「ええっ?」
彼女の夫は同業者で松田もよく知る人物であり、たった数か月で離婚されるほどひどい男とも思われなかった。
ところが、話を聞くとオバサンのように下ネタにも平気だった彼女は、実は処女でどうやら彼もほうも童貞であったらしい。
それで初夜に破瓜の痛みで絶叫して暴れた彼女の反応をみて、ちょっとしたEDになってしまったらしく、それ以降レスに、という流れのようだ。
(こいつ……それを俺に話してどうするつもりなんだ?)
「支社長なら、接待とかでいろいろ経験豊富そうだから……」
(わかってねえな! 接待は自分が楽しんじゃいけねえから接待なんだよ!)
「まあ、男は男同士で話してみることもある。しかし女性のことはわからないから同じ同性に相談してみなさい」
「……わかりました。よろしくお願いします」
結局周囲の努力もむなしく二人は一年ほどで離婚した。
松田の経験上だが、経験豊富だと口に出す女性で本当に経験が豊富なのは精々五割程度である。
言葉や態度とは裏腹に、非常に初心で経験皆無であった女性も数名いたが、どうやらノーラもその同類であるらしかった。
自分が新品のルーキーであることを自覚してしまったノーラは、耳まで赤く染まってブクブクと顔まで湯舟に沈んでいった。
――――一方そのころ
「小さい頃のあの子は、それはそれはシャイでね」
「はぁ…………」
我が子自慢しているようにみえてコーエンの瞳はいささかも笑っていなかった。
その目には覚えがある。
男の品定めをするときの目であった。
「ディアナちゃんやステラちゃんくらいのノーラを君にも見せたかったな。きっと驚くと思うよ?」
親ばかのようにみせかけて、実はノーラのことを激しくプッシュしている。
同時に松田がどんな男なのか、あの手この手で探ろうとしているのだ。
特にディアナとステラの存在は、見過ごすわけにはいなかかった。
「それにしてもよく慕われているのだね。あの年頃のノーラはもう恥ずかしがっていっしょにお風呂には入ってくれなかったよ」
「ですよね……あはは…………」
さすがの松田も乾いた笑いしか出てこない。
迂闊に同意すれば相手にパスを渡したも同然、かといって否定的なことを言えば怒りを買いかねないという二重の罠。
正直なところコーエンが怒ったところで、松田に何かできるわけではないのだが、なんとなくペリザードとノーラ母娘を敵に回すことは憚られた。
というより嫌な予感しかしない。
「あれほど慕われているのだから、もちろん私の杞憂だとは信じているが、君とステラちゃん、ディアナちゃん、どんな関係だい?」
(確認来たあああああああああああ)
いくらなんでも正直に答えることは不可能だった。
奴隷と所有物です、などと答えた日には松田の全人格を否定されることは確実である。
かといって迂闊な嘘は、真実をノーラが知るだけに藪蛇になる可能性が高かった。
「も…………」
「も?」
「黙秘します」
(って、何を言ってるんだ俺はああああああ!)
「はっはっはっ!」
コーエンは相変わらず、目だけは一切笑わずに肩をゆすって笑う。
「男には人にいえない秘密があるよね。まあ、私はペリザードには根こそぎばれてたけど」
「そ、それはお気の毒に…………」
おそらくペリザードに用意周到に情報収集されていたのだろうな、と松田は同情した。
「いやいや、自分をさらけ出すということも男には必要だよ?」
きっとペリザードさんに隠し事をしないことが幸せの秘訣だと信じさせられてるんだ……。
そう思うと目頭が熱くなる松田であった。
「だから素直に話してしまいなさい。なあに、いざ話してしまえば自分が思っているほど大したことではないものさ」
「黙秘します」
コーエンと松田の攻防は、ディアナたちが風呂から上がってくるまで続いた。
その後コーエンは風呂に松田を誘ったが、断固として拒んだ結果、なぜかディアナとステラがもう一度乱入してきて、非常に痛い目で見られたのはご愛敬というべきか。
「人生には間違いがあるものさ。それを正してくれるのが愛すべき伴侶だよ?」
いったいどこまで深くコーエンを洗脳したのか、ペリザードの手腕に背筋の寒くなると同時に、ノーラへの警戒感を強める松田であった。
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