アラフォー社畜のゴーレムマスター
第百三十二話 古き災厄
「今から千年以上も前、とある人狼族のひとつに天才的な魔法士が現れたわ。そのころは人狼も数あるひとつの種族に過ぎなかったから、小さな支族に分かれて隠れ住むようなことはしていなかった」
それどころか小さいながらも人狼はひとつの国家すら所有していた。
その国の名をパズルという。
「それじゃまさか…………」
呻くようにいうノーラに、サーシャは頷いて見せた。
「そう、このパズルこそはかつて人狼が集まり治めた地上で唯一の国家、その首都だったの」
――――そう。エルフやドワーフと同じように、人狼もまたかつてはこの世界の一員として胸を張れた時期があった。
種としての滅亡を免れるため、隠れ住まねばならぬようなこともなく、エルフほど閉鎖的な種族でもなかった。
むしろ人間と共存するコミュニケーション能力に優れていたとさえいえる。
そんな人狼族をある災厄が襲う。
王家の庶子として生まれた娘――その名は今となっては誰もわからない。同じ人狼の一族ですら禁忌として伝えることを拒んだからだ――が、その類まれなる美しさと魔法の才を見出され、頭角を現すのにそれほど時はいらなかった。
「彼女が人間との紛争が発生し、戦場に姿を現したのは十二歳の時だと言われているわ。この遺跡に色気を出した今はもうないマブルチカ王国の一個連隊がそれで全滅したとか」
「やれやれ、いつの時代にも天才ってのはいるもんだね」
うっとうしそうにノーラは長髪をかきあげた。
ノーラは決して無能ではない、努力する秀才だが、世の中にはそんな努力を嘲笑うような天才がいることは知っている。
松田もそうした天才の一人だ。本人にその自覚はないようだが、たまにノーラは松田の持つ桁外れの才能に嫉妬して神の不公平を呪う気持ちになるのだった。
「そのころはまだ良かった。人狼は種族としてはマイノリティーに属したから、彼女のような天才は抑止力としてとても貴重だった。当時の国王は諸手を挙げて彼女の功績を称えたそうよ」
もともと人口や国土の少ない人狼は、大国からすればいつ侵略されてもおかしくない獲物だった。
パズルの迷宮の利権もまたそれを後押ししていた。
実際のところ国境や利権をめぐるトラブルはこれが初めてというわけではなく、日常的に繰り返されてきたことだった。
そこに颯爽と登場した天才魔法士。
彼らが熱狂するのも無理からぬ話である。
「その後も彼女は護国の守護神として、戦力の中核であり続けた。そんなときに二人は出会ってしまう……」
「それが――ライドッグ……」
サーシャは松田の予想に無言で頷いた。
「二人が最初に出会ったのは戦場ではないわ。ライドッグがパズルの迷宮の探索にやってきたのよ。彼もまだ伝説級の探索者になったばかりで、絢爛たる七つの秘宝も持っていなかったころの話よ」
そのときすでにライドッグは、すでに四十代も半ばになろうとしていたという。
エルフと違い、人間の一生はあまりにも短い。
その寿命を伸ばすために、高位の魔法士たちは必死に探索と研究を続けるのである。
ライドッグもまたそんな魔法士の一人であった。
自分ほどの才能を持つ魔法士が、たかが百年ほどで失われてよいはずがない。
高位になればなるほど、人間の魔法士は例外なく寿命を伸ばすために研究をしていくことになる。
伝説級の魔法士ともなれば、四百、五百年ほどまで寿命を延ばすのは難しくはあっても不可能ではなかった。
それでもなおライドッグは満足できなかった。
彼が求める魔法の秘奥はまだ遥かに遠く、そのために必要な時間が五百年程度で足りるとは到底思えなかったからだ。
永遠の命が欲しい。
永遠の時間さえあれば、自分ならどこまでもこの魔法を進化させることができる。
魔法の発展が世界を幸福にしてくれると、そのころのライドッグは本気で信じていた。
そんな理想に燃えるライドッグと、天才として、祭り上げられはしたものの、孤高の存在であった人狼の女が出会ったのは、ある意味運命であったのかもしれない。
初めて出会う同じレベルの天才同士、しかも異性の相手に二人は急速にその距離を縮めていった。
「…………まあ、急に恋愛関係とまではいかなかったらしいけどね。二人は公務やら研究やらそっちのけで毎日迷宮の攻略にいそしんでいたらしいわよ」
このパズルの迷宮だが、ひとつ大きな特徴を持っていた。
それが迷宮内の場所によって、時間の流れが違うという原因不明の現象である。
特に二百階層を超えると、時間の速さがほぼ半分以下になる。これは体感時間に対して、実際の時間の経過が半分以下になるという意味だ。
この現象の謎が解明できれば、人が人生で活動できる時間を倍以上に増やすことができる。うまく応用することができれば、限りなく不老不死に近づくことも可能であるはずだった。
そんな理由で、パズルの迷宮は当時世界的にも人気の迷宮であったという。
この迷宮を復活させるために、国をあげて優秀な探索者を動員したのは、故ないことではなかったのだ。
おかげでノーラの妹はいい迷惑であったわけだが。
「…………でも二人の協力は長くは続かなかった。ライドッグは喧嘩別れするようにパズルを去り、女は憑かれたように攻略を進めた」
「ライドッグは去った?」
「――――と、伝えられているわよ? 理由はわからない。いつの間にかライドッグの傍らには、もう一人の人狼の女がいたらしいわ」
「えええっ? それじゃいったいどっちの女が厄介事を引き起こしたんですか?」
てっきり名を残すことすら許されなかった女が、迷宮で事故を引き起こし、人狼がライドッグに狙われる原点になったものと思っていたディアナは食い気味に尋ねた。
「――――くわしいことは私にもわからない」
ただでさえ禁忌として言い伝えが途切れがちで、サーシャが聞いた話も正確なものかどうかは甚だ疑わしいのである。
あるいは主客が転倒していてもおかしくない、とサーシャは思う。
彼女にとって、この話はすでに神話の領域なのだ。
歴史的事実というには、あまりに時が経ちすぎていた。
長老といえども実際に見聞きした者はおらず、人狼が隠れ住むことになった怨念が、どんなに話をゆがませているかわかったものではなかった。
「女のことはいいよ! 早く話を先に進めとくれ!」
ディアナと違い、ノーラにとって大切なのはこの迷宮が妹に及ぼした影響とその解除方法である。
ライドッグを取り巻く女模様など最初からなんの興味もない。
「……それじゃ先に進めるわね。迷宮を攻略する過程で二人の不老不死に対する意見が衝突したらしいわ。大抵の場合長寿を実現しようとする魔法士には二つのアプローチがあるけど、それが何かわかる?」
「生憎と俺はその辺は素人なものでして」
土属性に特化した松田が答えられるはずもないが、ディアナは違った。
彼女は知性ある秘宝として、様々な属性の魔法に関するエキスパートでもあったからだ。
伊達に終末の杖という異名をとっていたわけではない。
ディアスヴィクティナ、終末の杖、またの名を魔法の図書館という。
殲滅と破壊に好みを全振りしているからわかりにくいが、ディアナはほぼすべての属性魔法を使いこなす万能魔法士である。
その驚くべき多様性から、ついた仇名が魔法の図書館。単純に使える魔法の多さだけなら、ライドッグすら凌ぐと恐れられたものだった。
ゆえにディアナにとって、サーシャの問いの回答は至極簡単なものであった。
「停止か逆行ですね?」
「うん、さすがに知っているよね。というかなんでマツダは知らないの?」
「これには山よりも高く海より深い理由が……」
「ステラもわからないです! わふ!」
「……ステラちゃんには最初から期待してないわ……」
思わずがっくりと脱力するサーシャであった。
「続けるわよ? 理論的には二つかもしれないけれど、現在魔法士が使用するのは例外なく停止――それも完全な停止ではなく老化を遅くするものよ。エルフの長寿も構造的にはこの停止が劣化したものと考えられているわ」
「なるほど」
年齢には敏感にならざるをえない微妙なお年頃のノーラも、この話題には文句をつけようとはしなかった。
アンチエイジングは、女性にとって異世界であったも共通の関心事なのである。
「だからエルフのような長寿の種族でもないかぎり、人間が長寿を達成しようとしても肉体の老化は避けられない。いかに伝説級の魔法士だとしても、二十代三十代で完成させられるほど簡単な技術ではないから」
サーシャの言う通り、この世界に寿命を延ばした魔法士は何人もいても、その中に若者は一人もいない。
大抵は老人になってから、ようやく死期を延ばすだけの力量を手に入れる。
エルフであれば、若々しいままに寿命を延ばせるだろうが、逆に彼らはもともと寿命が長いので、自分の寿命を延ばすことに興味がないのだ。
ゆえにこの世界で長寿を手にした魔法士は、幻影で見た目を操作することがあっても、実は老人ばかりということになる。
不老不死に近づくことができても、若返りに成功した魔法士はいない。
「ライドッグは停止では満足できなかったのね。肉体、特に脳が老化したままでいることを容認できなかった。彼がパズルを離れたのは逆行の術式を研究するためだと言われているわ」
そのライドッグの決断を人狼の女は受け入れることができなかった。
おそらくは彼女なりにライドッグを愛していたからではないか、とサーシャは思う。
その後も逆行に成功したという例をサーシャは寡聞にして知らない。
魔法技術が今よりも進んでいた当時でも、ライドッグの試みは無謀にしか見えないものだった。
そんな無謀な挑戦よりも、確実な長寿を目指すべきだ、と彼女は考えたのではないか。
「ライドッグと別れた後の彼女は精神の均衡を失っていく。そして究極の不老不死――自分自身ではなく他人の時を止める実験を開始するの」
「それはっ!」
ノーラは叫んだ。
まさにそれこそが妹を侵している症状そのものに思われた。
「彼女が何を考えたのかはわからない――もしかしたらライドッグを死なせたくなかったのかも。いずれにしろ彼女は選択を間違えた。土台無理なのよ。停止を他人に施すことができるくらいなら、今頃王侯たちはみんな金と権力にあかせて長生きしているわよ」
不老不死は誰もが夢見る究極の目標だ。
どれほど強大な力を誇ろうと、いかに傾城の美貌を誇ろうと、その時間は決して長いものではない。
だからこそ彼らは持てる全ての権限を用いて不老不死、または若返りの研究をさせた。
しかしそれが成功したという記録は歴史上一度たりとも存在しないのである。
かろうじて見た目だけ老化を遅らせる秘宝が、伝説級の国宝として存在している程度だ。
この世界でいまだ死の恐怖から一人として逃れられた者はいない。
不死者として名高い吸血鬼やリッチも、厳密な意味で不死ではなく、代替作用で寿命を延ばしているに過ぎない。
結局少しづつ身体は劣化するし、肉体と寿命が同期しているのでダメージを負うとすぐに消滅する。
そんな不完全な生しかないのに、他人の生命まで操ろうとする試みが成功するはずがなかった。
「結果、パズルの住民の間で犠牲者が出始めた。時間の感覚がおかしくなって、まともな生活ができなくなったり、一週間眠り続けて、逆に一週間起き続けたり」
「その程度で済めばよかったのにねえ」
「うん、でも済むわけがないわ。もし彼女を止められるかもしれなかった人間はもうそこにいなかったんだもの」
研究の意味、成果、構想、彼女を理解できるただ一人の男は、もうパズルから去っていた。
「――――そして彼女はついに決定的な事件を起こす。迷宮を探索中の探索者パーティーが時間を止めた状態で発見されたの。停止が不完全だったせいで、彼らは餓死していたわ。見た目はまるで生きている状態そのままに」
「おい! ちょっと待てよ!」
聞き捨てならなかったのはノーラである。
妹の時間が動き出しても、実は死んでいたなど到底認められることではなかった。
「幸か不幸か、そのときより技術は進歩しているから、死んでいる可能性は排除してもいいわ」
「……脅かすない。幸も不幸も幸に決まってるじゃねえか!」
「生きているからこそ、家族は望みを捨てられない。しかも運よく目が覚めたころには、知っている家族も友人も誰もいないなんてことだってありうるのよ? いいえ、そんなことより私が怖いのは……」
サーシャは冬の冷気にあてられたようにブルリと肩を震わせた。
「生きている実感もないのに、永遠に死ねないとしたら、それは死ぬことよりも恐ろしいわ」
それはサーシャから見れば逸脱と孤独である。
誕生し、生きて、死んでいくという世界のサイクルから逸脱してしまった異形であり、それはサーシャは心底恐ろしかった。
人の精神というものは、永遠という重みには耐えられないとサーシャは思う。
エルフですら、生きていることに倦み疲れる長老も多いというのに、まともな人間に耐えられるはずがなかった。
「――――話を続けるわね。女は王家の血筋で、今や救国の英雄だから、その実験で多少の犠牲者が出たからといって、なかなか処罰することはできなかったのね。それからも犠牲者は増え続けた。そしてついにあまりに行方不明者の数が多いことで、パズルの迷宮を利用する探索者が激減してしまったわ」
さすがにこうなると王国も女を放置しておくことはできなかった。
迷宮の収入は王国の財源として重要な部分を占めていたので、それが無くなるというデメリットを見逃すわけにはいかなかった。
折よくというべきか、周辺諸国との関係も、婚姻政策や条約の締結により以前より格段に安定したものになっていた。
「連続探索者行方不明事件の犯人として女は拘束された――――正確には拘束しようとしたけれど逃げられた。女は迷宮内に立てこもり、討伐にきた兵士たちを次々と実験台にしていったの」
単身で万騎に匹敵すると謳われた王国の守護神が今や、災厄の化身になろうとしていた。
たちまち百を超える騎士の命が失われ、国王は決断を迫られる。
軍による集団戦に向いていない迷宮では、古来より探索者こそが最大の力を発揮するのだ。
莫大な報酬を約束して、各地から優秀な探索者が集められた。
そのなかに、あのライドッグとともにパズルを離れた人狼の女の姿があったという。
「ライドッグの姿はなかったらしい。女がこれまでどうしていたのか、知る者は誰もいなかった」
「私たち絢爛たる七つ秘宝も知らない存在ですね。造物主様は妻も弟子も取らぬ人でしたから」
ライドッグは孤独な男だった。
子供は作ったがすべて私生児である。
行く先々で歓迎され、国王と同格のもてなしを受けはしたが、一人たりとも懐に入れようとはしなかった。
かといって松田のように秘宝や使い魔を、同等の人格として扱うわけでもない。
あのライドッグの孤独を、ディアナは今さらながらに恐ろしく思うのだった。
「おそらくはその人狼の女が、不老不死の術式についてのエキスパートだったんだと思う。紛らわしいから、この女を覆面と呼ぶわね」
「覆面?」
「なんでもその女は、ずっと覆面を外そうとはしなかったらしいのよ」
「なるほど、それで覆面ね」
「この先はほとんど私の推測だからそのつもりで聞いてね。さすがに精鋭の探索者たちを相手にするのは女にとっても無理だった。たちまち彼女は追いつめられたの」
どれほど優秀な魔法士でも、同じく優秀な探索者が連携をとって攻撃してくれば傷つき退却を余儀なくされるものだった。
うまく退却できただけでも、彼女の力は空恐ろしいもので、過剰にすら思われた戦力が決して過剰ではなかったことを証明した。
「追いつめられた彼女は切札の停止魔法を発動させた。でも、それはやはり不完全だったの。人の肉体の老化を完全に停止させることができれば、理論的にはいかなるダメージも無効化させることができる。止まっているものを傷つけることはできないから」
「…………それはもう老化停止とかいう次元の問題ではないような」
単なる不老不死ではなく、完璧なる状態の保存。それが出来たらもはやそれは人間ではない。神の所業だ。
「まあ、当たり前よね。人が本当の意味で不老不死になったら、それはもう人ではないもの」
どうやらサーシャの感想も松田と同様であったらしい。
「でもさすがは天才と謳われただけあって、女を殺すことはできなかったらしいわ。討伐に参加した探索者たちもあわや、という時、覆面が女の術式を逆手にとり彼女を時間の牢獄に封じ込めた――とされているの」
「歯切れが悪いわね」
「最も大事な証人となるべき覆面が、その場で命を失ってしまったから、全ては憶測にすぎないのよ。いずれにしろ覆面が命を懸けた牢獄を解放するには、彼女と同等の天才が必要だった。だから当時の国王は迷宮を完全に封印することを決めた」
「思った以上にやばい話じゃないか」
下手をすれば当代最高レベルの探索者が束になっても敵わなかった伝説の魔女とご対面ということになる。
そもそも松田では覆面が施した牢獄の封印を解除することもままなるまい。
ボスモンスターを倒せばよいだけの迷宮攻略とはあまりに勝手が違いすぎた。
「そう、だから里から術者を集めて再封印するしかないと思うのだけれど……」
「冗談じゃないよ!」
反射的にノーラは叫んでいた。
再封印するということは妹たち犠牲差を見捨てるということだ。
それができるくらいなら、ノーラはこんな年齢まで血のにじむような努力を続けてこれなかっただろう。
これは彼女がようやく得たほんのわずかな希望の光なのだ。
「この遺跡が暴走すれば、何十倍何百倍も犠牲が出るかもしれない。その責任が貴女にとれるとでも?」
「生憎妹を捨てるくらいなら、誰にどれだけうらまれようと本望さ!」
「――――マツダ、貴方は理解してくれるわね?」
正直なところ、サーシャにとってノーラは全く脅威ではない。
今この場においては、ディアナやステラを従える松田こそが最強の存在だった。
人狼の戦巫女たるサーシャの実力をもってしても、今の松田は対抗することが難しい。
ディアナとフォウが絢爛たる七つの秘宝だと判明した今ではなおのことだ。
「――臭いものに蓋をするって嫌いなんですよね」
面倒なものは誰しも先送りしたいものである。
それは国家だろうと企業だろうと変わらない。
その結果、真面目で誠実な者ほど貧乏くじを引かされる。
退職した本当の責任者はうまく逃げ切り、本来なんの責任もない人間が首を斬られるのだ。
そうした先送りというものが松田は嫌いだった。
「では貴方ならこの問題を解決できると?」
「わずかながら糸口は見えますので、試してみる価値があるかな、と」
「貴方は魔法には詳しくないと言っていたと記憶しているけれど?」
解決できるならこれほど長く封印を続ける必要などない。
伝説級の探索者すらさじを投げたのが、このパズルの迷宮なのである。
「話してしまって構わないだろうね? ノーラ」
「ふえ?」
急に話題を振られたノーラが、なんのことはわからずに間抜けな声をあげた。
「彼女には非常に稀少な魔法完全無効のスキルがある。この災厄の大本に刃を届かせることも……あるいは」
「あああああああああああっ!」
今さらのように松田の言っていることに気づいてノーラは叫んだ。
「もしかしたらこのスキルでマリーカも?」
「それができればいいんだけど……試してみるかい?」
慌ててマリーカが安置された洞窟へ飛び出していったノーラだが、しばらくして見るからに気落ちした表情で戻ってきた。
「…………駄目だった」
「いい思いつきだと思ったんですが、やはり大本を潰さなきゃ駄目ですか」
ふう、と松田は嘆息する。
おそらくは駄目だろうという予感はしていた。
「本気でやる気なの?」
あまりにも分の悪い賭けだ、とサーシャの瞳が語っている。
正直なところ、そこまでの義理は松田にはないはずだった。
しかしここまできてマリーカを見捨てるという決断は松田にはできなかった。
我がままに生きる。
そのためについに国家を相手に戦って勝利した。
幸せそうなハーレプストとラクシュミーもを見たときに、自分も変わりたいと思った。
同時にあの二人も所詮は同じだと囁く自分もいる。
本当に危なくなったら、いつでもマツダを切り捨て自分の幸福を追求するはずだ。信じたらいけない。
残念ながら松田の本音はそれを否定できないでいる。それでも変えたい。変わりたいと思う。
その気持ちを今は大事にしたかった。
「――――お父様、私も攻略すべきだと思います」
おそるおそる松田に口を出したのはディアナである。
「ここには絢爛たる七つの秘宝の気配があります。何も確かめずに封印してしまうべきではありません。貴女もそう思うでしょう? クスコ?」
『そうね。多分、間違いないわ』
「そんな……ありえないわ! ここは千年以上前に封印されているのよ? 確かに封印は歪んだかもしれないけれど、それだって十年ちょっと前の話でしょう?」
時系列がおかしいとサーシャは言った。
いつ絢爛たる七つの秘宝が造られたか、定かではないがライドッグ存命中であると考えて間違いはないだろう。
この遺跡が封印されたのは、人狼がまだライドッグに狙われる以前の話だ。
ライドッグの死後秘匿されたといえど、絢爛たる七つの秘宝をこのパズルに隠すのは不可能であるはずだった。
「わかりません。でも私はこの感覚が正しいと信じます」
そしてすがるように松田を見つめるディアナに、松田は苦笑するように優しく頷いた。
「ですから、サーシャさん。俺たちはこのパズルの迷宮に挑みます」
ノーラやマリーカに対する同情心ではなく、強い己の意志が松田の瞳に宿っているのを見て、サーシャも説得を諦めた。
「…………仕方がないわね。でも、それはそれとしてこっちも再封印の準備は進めさせてもらうわよ? 場合によっては貴方たちを見捨ててこの遺跡を封印するわ」
「それはまあ、やむを得ないですね」
松田には松田の事情があるように、サーシャにはサーシャの事情がある。
まして攻略の如何によっては、さらに破滅的な暴走が引き起こされないとも限らないのだ。
サーシャがそれに備えるのはむしろ当然のことであろう。
「ありがとうマツダ! 私はあんたを信じてたよ!」
感極まったノーラが勢いよく松田に抱きつくと、豊満な胸をギュッと松田の胸に押しつける。
グニャリという魅惑的な柔らかさと弾力の感触に、松田も思わず口元が緩むのを抑えることができなかった。
「おうふ」
「不潔です! お父様!」
「ご主人様、すぐに離れるです! わふ」
「なんか貴方たちと話していると、事の深刻さを忘れるわよ……」
こめかみを抑えてサーシャは苦笑しながらふるふると首を振った。
それどころか小さいながらも人狼はひとつの国家すら所有していた。
その国の名をパズルという。
「それじゃまさか…………」
呻くようにいうノーラに、サーシャは頷いて見せた。
「そう、このパズルこそはかつて人狼が集まり治めた地上で唯一の国家、その首都だったの」
――――そう。エルフやドワーフと同じように、人狼もまたかつてはこの世界の一員として胸を張れた時期があった。
種としての滅亡を免れるため、隠れ住まねばならぬようなこともなく、エルフほど閉鎖的な種族でもなかった。
むしろ人間と共存するコミュニケーション能力に優れていたとさえいえる。
そんな人狼族をある災厄が襲う。
王家の庶子として生まれた娘――その名は今となっては誰もわからない。同じ人狼の一族ですら禁忌として伝えることを拒んだからだ――が、その類まれなる美しさと魔法の才を見出され、頭角を現すのにそれほど時はいらなかった。
「彼女が人間との紛争が発生し、戦場に姿を現したのは十二歳の時だと言われているわ。この遺跡に色気を出した今はもうないマブルチカ王国の一個連隊がそれで全滅したとか」
「やれやれ、いつの時代にも天才ってのはいるもんだね」
うっとうしそうにノーラは長髪をかきあげた。
ノーラは決して無能ではない、努力する秀才だが、世の中にはそんな努力を嘲笑うような天才がいることは知っている。
松田もそうした天才の一人だ。本人にその自覚はないようだが、たまにノーラは松田の持つ桁外れの才能に嫉妬して神の不公平を呪う気持ちになるのだった。
「そのころはまだ良かった。人狼は種族としてはマイノリティーに属したから、彼女のような天才は抑止力としてとても貴重だった。当時の国王は諸手を挙げて彼女の功績を称えたそうよ」
もともと人口や国土の少ない人狼は、大国からすればいつ侵略されてもおかしくない獲物だった。
パズルの迷宮の利権もまたそれを後押ししていた。
実際のところ国境や利権をめぐるトラブルはこれが初めてというわけではなく、日常的に繰り返されてきたことだった。
そこに颯爽と登場した天才魔法士。
彼らが熱狂するのも無理からぬ話である。
「その後も彼女は護国の守護神として、戦力の中核であり続けた。そんなときに二人は出会ってしまう……」
「それが――ライドッグ……」
サーシャは松田の予想に無言で頷いた。
「二人が最初に出会ったのは戦場ではないわ。ライドッグがパズルの迷宮の探索にやってきたのよ。彼もまだ伝説級の探索者になったばかりで、絢爛たる七つの秘宝も持っていなかったころの話よ」
そのときすでにライドッグは、すでに四十代も半ばになろうとしていたという。
エルフと違い、人間の一生はあまりにも短い。
その寿命を伸ばすために、高位の魔法士たちは必死に探索と研究を続けるのである。
ライドッグもまたそんな魔法士の一人であった。
自分ほどの才能を持つ魔法士が、たかが百年ほどで失われてよいはずがない。
高位になればなるほど、人間の魔法士は例外なく寿命を伸ばすために研究をしていくことになる。
伝説級の魔法士ともなれば、四百、五百年ほどまで寿命を延ばすのは難しくはあっても不可能ではなかった。
それでもなおライドッグは満足できなかった。
彼が求める魔法の秘奥はまだ遥かに遠く、そのために必要な時間が五百年程度で足りるとは到底思えなかったからだ。
永遠の命が欲しい。
永遠の時間さえあれば、自分ならどこまでもこの魔法を進化させることができる。
魔法の発展が世界を幸福にしてくれると、そのころのライドッグは本気で信じていた。
そんな理想に燃えるライドッグと、天才として、祭り上げられはしたものの、孤高の存在であった人狼の女が出会ったのは、ある意味運命であったのかもしれない。
初めて出会う同じレベルの天才同士、しかも異性の相手に二人は急速にその距離を縮めていった。
「…………まあ、急に恋愛関係とまではいかなかったらしいけどね。二人は公務やら研究やらそっちのけで毎日迷宮の攻略にいそしんでいたらしいわよ」
このパズルの迷宮だが、ひとつ大きな特徴を持っていた。
それが迷宮内の場所によって、時間の流れが違うという原因不明の現象である。
特に二百階層を超えると、時間の速さがほぼ半分以下になる。これは体感時間に対して、実際の時間の経過が半分以下になるという意味だ。
この現象の謎が解明できれば、人が人生で活動できる時間を倍以上に増やすことができる。うまく応用することができれば、限りなく不老不死に近づくことも可能であるはずだった。
そんな理由で、パズルの迷宮は当時世界的にも人気の迷宮であったという。
この迷宮を復活させるために、国をあげて優秀な探索者を動員したのは、故ないことではなかったのだ。
おかげでノーラの妹はいい迷惑であったわけだが。
「…………でも二人の協力は長くは続かなかった。ライドッグは喧嘩別れするようにパズルを去り、女は憑かれたように攻略を進めた」
「ライドッグは去った?」
「――――と、伝えられているわよ? 理由はわからない。いつの間にかライドッグの傍らには、もう一人の人狼の女がいたらしいわ」
「えええっ? それじゃいったいどっちの女が厄介事を引き起こしたんですか?」
てっきり名を残すことすら許されなかった女が、迷宮で事故を引き起こし、人狼がライドッグに狙われる原点になったものと思っていたディアナは食い気味に尋ねた。
「――――くわしいことは私にもわからない」
ただでさえ禁忌として言い伝えが途切れがちで、サーシャが聞いた話も正確なものかどうかは甚だ疑わしいのである。
あるいは主客が転倒していてもおかしくない、とサーシャは思う。
彼女にとって、この話はすでに神話の領域なのだ。
歴史的事実というには、あまりに時が経ちすぎていた。
長老といえども実際に見聞きした者はおらず、人狼が隠れ住むことになった怨念が、どんなに話をゆがませているかわかったものではなかった。
「女のことはいいよ! 早く話を先に進めとくれ!」
ディアナと違い、ノーラにとって大切なのはこの迷宮が妹に及ぼした影響とその解除方法である。
ライドッグを取り巻く女模様など最初からなんの興味もない。
「……それじゃ先に進めるわね。迷宮を攻略する過程で二人の不老不死に対する意見が衝突したらしいわ。大抵の場合長寿を実現しようとする魔法士には二つのアプローチがあるけど、それが何かわかる?」
「生憎と俺はその辺は素人なものでして」
土属性に特化した松田が答えられるはずもないが、ディアナは違った。
彼女は知性ある秘宝として、様々な属性の魔法に関するエキスパートでもあったからだ。
伊達に終末の杖という異名をとっていたわけではない。
ディアスヴィクティナ、終末の杖、またの名を魔法の図書館という。
殲滅と破壊に好みを全振りしているからわかりにくいが、ディアナはほぼすべての属性魔法を使いこなす万能魔法士である。
その驚くべき多様性から、ついた仇名が魔法の図書館。単純に使える魔法の多さだけなら、ライドッグすら凌ぐと恐れられたものだった。
ゆえにディアナにとって、サーシャの問いの回答は至極簡単なものであった。
「停止か逆行ですね?」
「うん、さすがに知っているよね。というかなんでマツダは知らないの?」
「これには山よりも高く海より深い理由が……」
「ステラもわからないです! わふ!」
「……ステラちゃんには最初から期待してないわ……」
思わずがっくりと脱力するサーシャであった。
「続けるわよ? 理論的には二つかもしれないけれど、現在魔法士が使用するのは例外なく停止――それも完全な停止ではなく老化を遅くするものよ。エルフの長寿も構造的にはこの停止が劣化したものと考えられているわ」
「なるほど」
年齢には敏感にならざるをえない微妙なお年頃のノーラも、この話題には文句をつけようとはしなかった。
アンチエイジングは、女性にとって異世界であったも共通の関心事なのである。
「だからエルフのような長寿の種族でもないかぎり、人間が長寿を達成しようとしても肉体の老化は避けられない。いかに伝説級の魔法士だとしても、二十代三十代で完成させられるほど簡単な技術ではないから」
サーシャの言う通り、この世界に寿命を延ばした魔法士は何人もいても、その中に若者は一人もいない。
大抵は老人になってから、ようやく死期を延ばすだけの力量を手に入れる。
エルフであれば、若々しいままに寿命を延ばせるだろうが、逆に彼らはもともと寿命が長いので、自分の寿命を延ばすことに興味がないのだ。
ゆえにこの世界で長寿を手にした魔法士は、幻影で見た目を操作することがあっても、実は老人ばかりということになる。
不老不死に近づくことができても、若返りに成功した魔法士はいない。
「ライドッグは停止では満足できなかったのね。肉体、特に脳が老化したままでいることを容認できなかった。彼がパズルを離れたのは逆行の術式を研究するためだと言われているわ」
そのライドッグの決断を人狼の女は受け入れることができなかった。
おそらくは彼女なりにライドッグを愛していたからではないか、とサーシャは思う。
その後も逆行に成功したという例をサーシャは寡聞にして知らない。
魔法技術が今よりも進んでいた当時でも、ライドッグの試みは無謀にしか見えないものだった。
そんな無謀な挑戦よりも、確実な長寿を目指すべきだ、と彼女は考えたのではないか。
「ライドッグと別れた後の彼女は精神の均衡を失っていく。そして究極の不老不死――自分自身ではなく他人の時を止める実験を開始するの」
「それはっ!」
ノーラは叫んだ。
まさにそれこそが妹を侵している症状そのものに思われた。
「彼女が何を考えたのかはわからない――もしかしたらライドッグを死なせたくなかったのかも。いずれにしろ彼女は選択を間違えた。土台無理なのよ。停止を他人に施すことができるくらいなら、今頃王侯たちはみんな金と権力にあかせて長生きしているわよ」
不老不死は誰もが夢見る究極の目標だ。
どれほど強大な力を誇ろうと、いかに傾城の美貌を誇ろうと、その時間は決して長いものではない。
だからこそ彼らは持てる全ての権限を用いて不老不死、または若返りの研究をさせた。
しかしそれが成功したという記録は歴史上一度たりとも存在しないのである。
かろうじて見た目だけ老化を遅らせる秘宝が、伝説級の国宝として存在している程度だ。
この世界でいまだ死の恐怖から一人として逃れられた者はいない。
不死者として名高い吸血鬼やリッチも、厳密な意味で不死ではなく、代替作用で寿命を延ばしているに過ぎない。
結局少しづつ身体は劣化するし、肉体と寿命が同期しているのでダメージを負うとすぐに消滅する。
そんな不完全な生しかないのに、他人の生命まで操ろうとする試みが成功するはずがなかった。
「結果、パズルの住民の間で犠牲者が出始めた。時間の感覚がおかしくなって、まともな生活ができなくなったり、一週間眠り続けて、逆に一週間起き続けたり」
「その程度で済めばよかったのにねえ」
「うん、でも済むわけがないわ。もし彼女を止められるかもしれなかった人間はもうそこにいなかったんだもの」
研究の意味、成果、構想、彼女を理解できるただ一人の男は、もうパズルから去っていた。
「――――そして彼女はついに決定的な事件を起こす。迷宮を探索中の探索者パーティーが時間を止めた状態で発見されたの。停止が不完全だったせいで、彼らは餓死していたわ。見た目はまるで生きている状態そのままに」
「おい! ちょっと待てよ!」
聞き捨てならなかったのはノーラである。
妹の時間が動き出しても、実は死んでいたなど到底認められることではなかった。
「幸か不幸か、そのときより技術は進歩しているから、死んでいる可能性は排除してもいいわ」
「……脅かすない。幸も不幸も幸に決まってるじゃねえか!」
「生きているからこそ、家族は望みを捨てられない。しかも運よく目が覚めたころには、知っている家族も友人も誰もいないなんてことだってありうるのよ? いいえ、そんなことより私が怖いのは……」
サーシャは冬の冷気にあてられたようにブルリと肩を震わせた。
「生きている実感もないのに、永遠に死ねないとしたら、それは死ぬことよりも恐ろしいわ」
それはサーシャから見れば逸脱と孤独である。
誕生し、生きて、死んでいくという世界のサイクルから逸脱してしまった異形であり、それはサーシャは心底恐ろしかった。
人の精神というものは、永遠という重みには耐えられないとサーシャは思う。
エルフですら、生きていることに倦み疲れる長老も多いというのに、まともな人間に耐えられるはずがなかった。
「――――話を続けるわね。女は王家の血筋で、今や救国の英雄だから、その実験で多少の犠牲者が出たからといって、なかなか処罰することはできなかったのね。それからも犠牲者は増え続けた。そしてついにあまりに行方不明者の数が多いことで、パズルの迷宮を利用する探索者が激減してしまったわ」
さすがにこうなると王国も女を放置しておくことはできなかった。
迷宮の収入は王国の財源として重要な部分を占めていたので、それが無くなるというデメリットを見逃すわけにはいかなかった。
折よくというべきか、周辺諸国との関係も、婚姻政策や条約の締結により以前より格段に安定したものになっていた。
「連続探索者行方不明事件の犯人として女は拘束された――――正確には拘束しようとしたけれど逃げられた。女は迷宮内に立てこもり、討伐にきた兵士たちを次々と実験台にしていったの」
単身で万騎に匹敵すると謳われた王国の守護神が今や、災厄の化身になろうとしていた。
たちまち百を超える騎士の命が失われ、国王は決断を迫られる。
軍による集団戦に向いていない迷宮では、古来より探索者こそが最大の力を発揮するのだ。
莫大な報酬を約束して、各地から優秀な探索者が集められた。
そのなかに、あのライドッグとともにパズルを離れた人狼の女の姿があったという。
「ライドッグの姿はなかったらしい。女がこれまでどうしていたのか、知る者は誰もいなかった」
「私たち絢爛たる七つ秘宝も知らない存在ですね。造物主様は妻も弟子も取らぬ人でしたから」
ライドッグは孤独な男だった。
子供は作ったがすべて私生児である。
行く先々で歓迎され、国王と同格のもてなしを受けはしたが、一人たりとも懐に入れようとはしなかった。
かといって松田のように秘宝や使い魔を、同等の人格として扱うわけでもない。
あのライドッグの孤独を、ディアナは今さらながらに恐ろしく思うのだった。
「おそらくはその人狼の女が、不老不死の術式についてのエキスパートだったんだと思う。紛らわしいから、この女を覆面と呼ぶわね」
「覆面?」
「なんでもその女は、ずっと覆面を外そうとはしなかったらしいのよ」
「なるほど、それで覆面ね」
「この先はほとんど私の推測だからそのつもりで聞いてね。さすがに精鋭の探索者たちを相手にするのは女にとっても無理だった。たちまち彼女は追いつめられたの」
どれほど優秀な魔法士でも、同じく優秀な探索者が連携をとって攻撃してくれば傷つき退却を余儀なくされるものだった。
うまく退却できただけでも、彼女の力は空恐ろしいもので、過剰にすら思われた戦力が決して過剰ではなかったことを証明した。
「追いつめられた彼女は切札の停止魔法を発動させた。でも、それはやはり不完全だったの。人の肉体の老化を完全に停止させることができれば、理論的にはいかなるダメージも無効化させることができる。止まっているものを傷つけることはできないから」
「…………それはもう老化停止とかいう次元の問題ではないような」
単なる不老不死ではなく、完璧なる状態の保存。それが出来たらもはやそれは人間ではない。神の所業だ。
「まあ、当たり前よね。人が本当の意味で不老不死になったら、それはもう人ではないもの」
どうやらサーシャの感想も松田と同様であったらしい。
「でもさすがは天才と謳われただけあって、女を殺すことはできなかったらしいわ。討伐に参加した探索者たちもあわや、という時、覆面が女の術式を逆手にとり彼女を時間の牢獄に封じ込めた――とされているの」
「歯切れが悪いわね」
「最も大事な証人となるべき覆面が、その場で命を失ってしまったから、全ては憶測にすぎないのよ。いずれにしろ覆面が命を懸けた牢獄を解放するには、彼女と同等の天才が必要だった。だから当時の国王は迷宮を完全に封印することを決めた」
「思った以上にやばい話じゃないか」
下手をすれば当代最高レベルの探索者が束になっても敵わなかった伝説の魔女とご対面ということになる。
そもそも松田では覆面が施した牢獄の封印を解除することもままなるまい。
ボスモンスターを倒せばよいだけの迷宮攻略とはあまりに勝手が違いすぎた。
「そう、だから里から術者を集めて再封印するしかないと思うのだけれど……」
「冗談じゃないよ!」
反射的にノーラは叫んでいた。
再封印するということは妹たち犠牲差を見捨てるということだ。
それができるくらいなら、ノーラはこんな年齢まで血のにじむような努力を続けてこれなかっただろう。
これは彼女がようやく得たほんのわずかな希望の光なのだ。
「この遺跡が暴走すれば、何十倍何百倍も犠牲が出るかもしれない。その責任が貴女にとれるとでも?」
「生憎妹を捨てるくらいなら、誰にどれだけうらまれようと本望さ!」
「――――マツダ、貴方は理解してくれるわね?」
正直なところ、サーシャにとってノーラは全く脅威ではない。
今この場においては、ディアナやステラを従える松田こそが最強の存在だった。
人狼の戦巫女たるサーシャの実力をもってしても、今の松田は対抗することが難しい。
ディアナとフォウが絢爛たる七つの秘宝だと判明した今ではなおのことだ。
「――臭いものに蓋をするって嫌いなんですよね」
面倒なものは誰しも先送りしたいものである。
それは国家だろうと企業だろうと変わらない。
その結果、真面目で誠実な者ほど貧乏くじを引かされる。
退職した本当の責任者はうまく逃げ切り、本来なんの責任もない人間が首を斬られるのだ。
そうした先送りというものが松田は嫌いだった。
「では貴方ならこの問題を解決できると?」
「わずかながら糸口は見えますので、試してみる価値があるかな、と」
「貴方は魔法には詳しくないと言っていたと記憶しているけれど?」
解決できるならこれほど長く封印を続ける必要などない。
伝説級の探索者すらさじを投げたのが、このパズルの迷宮なのである。
「話してしまって構わないだろうね? ノーラ」
「ふえ?」
急に話題を振られたノーラが、なんのことはわからずに間抜けな声をあげた。
「彼女には非常に稀少な魔法完全無効のスキルがある。この災厄の大本に刃を届かせることも……あるいは」
「あああああああああああっ!」
今さらのように松田の言っていることに気づいてノーラは叫んだ。
「もしかしたらこのスキルでマリーカも?」
「それができればいいんだけど……試してみるかい?」
慌ててマリーカが安置された洞窟へ飛び出していったノーラだが、しばらくして見るからに気落ちした表情で戻ってきた。
「…………駄目だった」
「いい思いつきだと思ったんですが、やはり大本を潰さなきゃ駄目ですか」
ふう、と松田は嘆息する。
おそらくは駄目だろうという予感はしていた。
「本気でやる気なの?」
あまりにも分の悪い賭けだ、とサーシャの瞳が語っている。
正直なところ、そこまでの義理は松田にはないはずだった。
しかしここまできてマリーカを見捨てるという決断は松田にはできなかった。
我がままに生きる。
そのためについに国家を相手に戦って勝利した。
幸せそうなハーレプストとラクシュミーもを見たときに、自分も変わりたいと思った。
同時にあの二人も所詮は同じだと囁く自分もいる。
本当に危なくなったら、いつでもマツダを切り捨て自分の幸福を追求するはずだ。信じたらいけない。
残念ながら松田の本音はそれを否定できないでいる。それでも変えたい。変わりたいと思う。
その気持ちを今は大事にしたかった。
「――――お父様、私も攻略すべきだと思います」
おそるおそる松田に口を出したのはディアナである。
「ここには絢爛たる七つの秘宝の気配があります。何も確かめずに封印してしまうべきではありません。貴女もそう思うでしょう? クスコ?」
『そうね。多分、間違いないわ』
「そんな……ありえないわ! ここは千年以上前に封印されているのよ? 確かに封印は歪んだかもしれないけれど、それだって十年ちょっと前の話でしょう?」
時系列がおかしいとサーシャは言った。
いつ絢爛たる七つの秘宝が造られたか、定かではないがライドッグ存命中であると考えて間違いはないだろう。
この遺跡が封印されたのは、人狼がまだライドッグに狙われる以前の話だ。
ライドッグの死後秘匿されたといえど、絢爛たる七つの秘宝をこのパズルに隠すのは不可能であるはずだった。
「わかりません。でも私はこの感覚が正しいと信じます」
そしてすがるように松田を見つめるディアナに、松田は苦笑するように優しく頷いた。
「ですから、サーシャさん。俺たちはこのパズルの迷宮に挑みます」
ノーラやマリーカに対する同情心ではなく、強い己の意志が松田の瞳に宿っているのを見て、サーシャも説得を諦めた。
「…………仕方がないわね。でも、それはそれとしてこっちも再封印の準備は進めさせてもらうわよ? 場合によっては貴方たちを見捨ててこの遺跡を封印するわ」
「それはまあ、やむを得ないですね」
松田には松田の事情があるように、サーシャにはサーシャの事情がある。
まして攻略の如何によっては、さらに破滅的な暴走が引き起こされないとも限らないのだ。
サーシャがそれに備えるのはむしろ当然のことであろう。
「ありがとうマツダ! 私はあんたを信じてたよ!」
感極まったノーラが勢いよく松田に抱きつくと、豊満な胸をギュッと松田の胸に押しつける。
グニャリという魅惑的な柔らかさと弾力の感触に、松田も思わず口元が緩むのを抑えることができなかった。
「おうふ」
「不潔です! お父様!」
「ご主人様、すぐに離れるです! わふ」
「なんか貴方たちと話していると、事の深刻さを忘れるわよ……」
こめかみを抑えてサーシャは苦笑しながらふるふると首を振った。
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