アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第七十九話 国境での勧誘その3

 ディアナがこれほど好悪の情を露わにするのは珍しいことである。
 基本的に秘宝アーティファクトであるディアナは、松田と関わり合いのあること以外には関心が少ない。
 さらに秘宝として松田の役に立つことを優先するはずのディアナが迷宮に入りたくないというのだからただごとではなかった。
「もしかして白狐と昔何かあった?」
「奴らは敵です。私たちより弱い癖に主に媚びて、あまつさえ秘宝にはない主従の絆があるなどとほざく出来損ないなのです!」
 そのあまりの剣幕にステラですら呆気にとられた。
「要するにご主人様の取り合いをしたですか? わふ」
「違うもん! 私のほうがお父様の役に立てるもん! だからお父様、使い魔なんか放っておきましょう?」
「……使い魔? その白狐は使い魔なのか?」
「そんなっ! あんな化け物みたいな使い魔を使役するなんて、聞いたことがありません!」
 あの白狐には宝石級の探索者ですら手を焼いたのだ。
 変幻自在でとらえどころがなく、戦えば勝てないこともないのだが、止めを刺すことができない。
 白狐さえいなければ第一次討伐は成功して今の予算不足に嘆く必要ななかったのである。
「ところで、どうしてディアナちゃんは白狐のことを?」
 いかに探索者とはいえ、幼いディアナがあんな化け物を知っているのは不自然であった。
 アリスの素朴な疑問を聞いた松田は顔色を青くして笑みを引き攣らせた。
「昔の知り合いに似たのがいたということですよ。ディアナはこの国に来るのは初めてですし」
 さらに何かを続けようとしたディアナの喉を、ステラが目にも止まらぬ速さで撃ち抜いた。
 ディアナの人口声帯が一時的に機能不全を起こして声が出せなくなる。
 よくやった! ステラ!
 わふっ!
 お互いにアイコンタクトを交わして、主従はぐっと親指を立てた。
「そうですか……そうですよね」
 常識的に考えて、ディアナが迷宮の白狐を知っていると考えるほうがどうかしている。
 アリスはどこか釈然としないものを覚えながらも、それ以上に大事なことがあったのを思い出した。
「お願いです! 可能な限りマツダさんの期待に沿うよう交渉しますので、どうかお力を貸してください!」
「ふむ…………」
 当然のようにただ働きを要求されれば、拒絶する以外の選択肢はないが、このままではハーレプストとの約束が果たせない。
 何より松田には迷宮を攻略するためのはっきりとした目的がある。
 その目的のためには、現在の状況は利用しがいのあるものであった。
「協力してもいいけど、条件があります」
「な、なんですか!?」
 目を輝かせてアリスは身を乗り出した。
 その拍子にたゆんと胸の双丘が揺れ、つい本能的に松田の視線が吸い寄せられると、アリスは顔を真っ赤にして胸を両手で隠すようにして後ずさった。
「だめ! だめですよ! 私は子供のころから気になっている人が……」
「お父様、鬼畜です」
「ご主人様、何をするつもりですか? わふ」
「人聞きの悪いことを言うな! お前らは俺をどういう目で見ているんだ!」
 そもそも社畜はそんな要求はしない。
 なぜなら彼らが求めるとすれば、そんなことより待遇改善のほうが遥かに大事だからだ。
 両手に圧迫されて、手のひらから零れんばかりの肉塊から目を逸らして松田は弱弱しく頷いた。うん、本当だぞ。
「条件というのは他でもない。無償でいいから迷宮で発見した秘宝アーティファクトに関しては発見者のものとする契約を結びたいのです」
「はあ……今は魔石どころか秘宝もないありさまですが」
「それに関しては目をつぶりましょう。なんなら期間を限定してくれても構わいません」
 アリスは小首を傾げて考える。
 確かに王国は探索者の秘宝持ち帰りを認めていないが、
「それでいいのでしたら、上司に上申してみます」
「よろしく頼む。無償で働かせるためにはそれなりの対価がなくてはね。君だってこれ以上減給されたくないだろう?」
「頑張ります!」
 鼻息も荒く拳を握るアリスのお腹が可愛らしくキュウ、となった。
「ははは、前祝に今日のところはこのまま食事も奢らせてもらうよ」
「はう……あ、ありがとうございます」
 羞恥に頬を染めながらも、食欲には勝てないのか、アリスは松田に深く頭を下げた。
 『茶房フォーション』はお茶の美味しさもさることながら、ランチメニューにも定評があることを地元のアリスはよく承知していた。






 スキャパフロー王国の玉座に腰を下ろした国王、ジョージ五世は機嫌悪そうに眉を顰めた。
「…………それは真か?」
「コパーゲン王国の国境が騒がしくなっております。展開された兵力はおよそ二個連隊ほどですが、騎兵が多く決して侮ることはできません」
「愚かな! またぞろ戦争を起こしたいのか!」
 先代エドワード三世の時代に戦争で国力を疲弊させた記憶もまだ鮮明である。
 ジョージは吐き捨てるようにそう言った。
「我が国も国境警備隊を増強しておりますが、二個連隊を防ぎきるには不足です」
 軍務卿のスペンサー伯も苦々しげである。
 なぜなら今現在、迷宮にかなりの戦力を投入しており、戦争が始まる前にこれ以上疲弊することは避けたかった。
 かといって迷宮の異常を放置しておくことも難しい。なんといっても迷宮から入る収益は国家予算の一割以上に達するのだ。
 これをなくしたままでは軍事費に悪影響が出ることは避けられなかった。
「いったいどうして今、何のためにコパーゲンの連中は兵を投入しているのだ?」
「なんでも重要な国家犯罪者の捜索に当たっているということでして……」
「馬鹿もやすみやすみ言え! たかが犯罪者ごときに完全編成の正規軍二個連隊が必要あるものか!」
 その返答があまりに人を食った戯言のように感じられて、ジョージは拳を震わせて立ち上がった。
「お待ちください陛下」
 宰相であるバッキンガム公は少しばかり首を捻ると、諫めるようにジョージに向かって声をあげる。
「コパーゲン王国で何か深刻な事態があったことはどうも本当らしいですぞ?」
「二個連隊の騎兵を国境に展開しなければならないほどか?」
「我が国とてそれに匹敵する、いえ、それ以上の兵力を吸い取られているではありませんか?」
 その言葉に含まれている意味をジョージは正しく察した。
「――――迷宮か?」
「はい、あちらでも何か大きな動きがあったようで」
「――――探れ。内容次第では我が国の問題の突破口となるかもしれん」
 そのためなら多少の荒事になっても構わん、とジョージは断言した。
 スキャパフロー王国としても、現状の迷宮の異常は初めての経験なのだ。
 もしかしたらこの異常はコパーゲン王国から波及したものではないのか?
 その事実を知られたくないために、コパーゲン王国は危険を知りつつ軍隊を動員したのではないのか?
 そうジョージが考えたのは無理からぬことであった。
「しかし陛下、調査の報告を待つ余裕はありませんぞ?」
 軍務卿のスペンサー伯がいうのも当然であった。
 もしコパーゲン王国が本当に侵攻の機会を狙っていた場合、あらかじめ備えておかなければ下手をすれば国が亡ぶ。
「無論、いつ攻められてもいいよう対応の準備はせねばならぬ。宰相、なんとか宝石級の探索者を呼び戻せぬか?」
 こうなっては悠長に迷宮の討伐に正規軍を投入している余裕はない。
 たとえ費用はかさむとしても、迷宮は探索者に任せるべきであった。
 しかしながらあまり浪費ばかりもしてられない。今なお迷宮からの収入は実質ゼロのままなのだから。
「難しいですな。一度離れた探索者を呼び戻すには、よほど魅力的な条件を提示しなくては」
「そこをなんとかせよ! このままではじり貧だぞ」
 都合のいいことを言っている自覚はあるが、ジョージは意見を曲げるつもりはなかった。
 国防と経済の復旧は、どちらかだけを優先するわけにはいなかい問題であった。
「…………困ったものです。国家予算はいくらでも湧き出る魔法のツボではないのですが」
 ただでさえ迷宮の収入が落ち込み、軍事費の増加が見込まれるのにさらなる出費は負担が大きすぎる。
 すでに毎日百名近い探索者と五百人近い騎士を交替で投入しているため、莫大な経費がかかっていた。
「スペンサー伯、今現状迷宮の攻略はいかほどお進みなのですか?」
 宰相の問にスペンサー伯は気まずげに視線を逸らせた。
「面目ないが百階層を過ぎたあたりの白狐が突破できん。押し戻されて最初からやり直しというのが続いている」
「歴戦の探索者や正規軍の騎士を退けるとは、いったいいかなる存在なのでしょう? 迷宮の歴史を紐解いてもそんなフロアマスターがいたという記録はないはずなのに」
 おそらくは数を増やしただけでは埒があくまい。
 宰相は厳しい顔でジョージに向き直った。
「陛下、我が国はいまだ過日の戦争から完全に立ち直ってはおりません。特にドワーフの元老評議会は戦争に利用されるのを嫌がりますし」
 優秀なドワーフを多く抱えることを強みとして、優秀な武器さえあれば戦争に勝てると思ったのが先代の王だった。
 自分たちの作った武器で数知れぬ生命が奪われたことに対する彼らの警戒心は高いままであった。
「そんなことは承知しておる。だから増税も徴収も控えておるではないか!」
「ですがこのままでは彼らの協力がないと埒があきませんぞ? 軍務卿に短期間で迷宮を攻略する自信があるのなら別ですが」
「もともと迷宮は大規模な軍隊が活動する場所ではない。かといって貴重な将軍を探索者のように支援もなしで送り出すわけにもいかん」
 実力で宝石級探索者に匹敵する将軍は、スキャパフロー王国でもわずかに五人。
 戦争の危機が間近にある状況で、指揮能力にも長けた彼らを迷宮で失うなど絶対に許容できることではなかった。
「軍に早急な解決が不可能であり、財政の許容も限界となれば方法はひとつしかありません」
 宰相は不本意極まることを隠そうともせず、憮然とした表情のまま続けた。
「――――秘宝の所有を解禁して探索者を釣るほかありますまい」
「なっ…………!」
 ジョージははっきりと狼狽えた。
 迷宮で発見される秘宝は、全て王国で管理するのが規則である。
 それは迷宮で発見される秘宝を研究、模倣することによって鍛冶の技術を向上させてきたドワーフたちにとっては死活問題ともいえる。
「そんなことができるとでも……?」
「あくまでも特例ですよ。少なくともこの国家的危機が回避できるまでのことです。それとも、軍も金も使わず何か名案がございますか?」
「むっ…………」
 年齢で二十近くも年長のバッキンガム公に言われて、ジョージは返す言葉に詰まる。
 理性では宰相の提案が現実的であることはわかっている。だが、ドワーフとしての本能が素直に頷くことを拒否していた。
「…………所有の数に制限を加えるというのは? 例えば五品までとか」
 スペンサー伯の言葉に、まるで釣り針にかかる魚のようにジョージは食いついた。
「三品までだ! 三品以上は認めん! そのように手配して一刻も早く探索者たちを呼び集めよ!」
「御意」



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