アラフォー社畜のゴーレムマスター
第七十七話 国境での勧誘
デファイアント山脈を降りると、そこはスキャパフロー王国側の関所を擁した宿場町メッシナの街である。
やはり中継貿易の基地として様々な商人が多数滞在していて、その活気はむしろランカスターの街より盛んであるように思われた。
関所の入り口であるにも関わらず、左右には交易の商人や旅人のための屋台が所せましと並んでいる。
「わふう……いい匂いです」
くんくんと鼻を鳴らしてステラはうっとりした視線を屋台に向けた。
肉の焼ける刺激的な音や、ソースの香ばしい香りが漂っていて、少なからず健康な若者の食欲に訴えかける。
放っておくとふらふらと屋台へ歩いていきそうなので、松田はステラの腕をがっちりと握りしめて苦笑した。
「全く…………せめて入国審査が終わるまで待て」
「わふう……残念です」
がっくりとステラは肩を落とす。
山中では保存食しか食べていないから気持ちはわからなくもないのだが。
四列に並んだ入国審査の列の最後尾に並ぶと、松田はステラの銀髪を優しく撫でた。
「すぐに終わるから、そしたら食べに行こうな」
「はいです! わふ」
(甘いです。とろ甘です主様)
なんだかんだと松田はステラに甘い。
それはステラがまだ子供であることと無縁ではないことをディアナは知っている。ステラが世間の悪意を知る大人になったとき、松田はステラをどんな目で見るのだろうか。
正直大人になったステラというのも想像ができないのだが。
(――――私は主様に従う知性ある秘宝。どこまでも主様のために尽くすのみ)
秘宝という存在理由はそれだけであったはずだ。
しかしこうして身体を得た今、ディアナには新たな欲望がある。
それは主の壊れた心を癒してあげたいという欲望、そしてもうひとつは秘宝として許される範囲を超えていた。秘宝の立場を逸脱する以上、ディアナはその欲望を肯定する気はなかった。
――――秘宝とはただ主のためだけに存在するのだから。
「…………銀級探索者?」
松田のギルドカードを確認した女騎士がギラリと瞳を輝かせる。
そのあまりに切羽詰まった表情に、のけぞるようにして松田は後ずさった。
「我が国にはなんの御用で? ああ、わかっています! 迷宮に入りたいのですね? 探索者なら迷宮に入るのがお仕事ですものね?」
せっかく可愛い顔をしているのに、とあるヤンデレを思い出させる迫力である。
「ああ、心配いりません。最速で許可が下りるよう紹介状を用意いたします。貴方のご活躍を心よりお祈り申し上げます!」
「――――紹介状?」
それなら自分にはすでに師からの紹介状がある、と松田が言いかけたそのとき――――。
「こんな女騎士では不安なのも無理はありません! 私なら勤続二十年、十人長として部下をまとめる地位でもありますし、ぜひこの紹介状をお持ちください」
「そ、そんな! 横からずるいですよ十人長!」
やけに愛想のいい笑顔で、三十代後半の騎士が女騎士を押しのけた。
その光景に一種の既視感に襲われた松田は、涙目で抗議の視線を十人長に向ける女騎士を見つめる。
(なんだろう? この光景には見覚えがある……)
松田の脳裏にやたらと肩書を強調して、土壇場で客との交渉役を乗っ取った当時の常務の顔が浮かんだ。
自分の手柄は自分の手柄だが、部下の手柄も自分の手柄にしてしまう。
「今までの私の苦労は?」
「仕事なんだから苦労するのは当然だろう? 私も君のためを思えばこそ、こうして出張ってきたのだよ?」
(お前なんかいなくても、もう契約は決まってたんだよ!)
「いやあ、わざわざ出張ったかいがあった。私でなくてはこれほどの条件は得られなかっただろうからな」
(殺してえ…………四勤二休で月給四十万もらっておきながら働きすぎでつらいとか言ってるイタリア人なみに殺してえ)
彼女の視線はあのときの自分と同じものだ。
魂でそれを松田は理解した。
そんな松田の葛藤には気づかず、女騎士はすがりついた。
「お願い! 私の紹介状受け取って! でないと今月の生活が、もう……これ以上減給されたらやっていけない!」
「NORUMA…………だと?」
社畜の背負った巨大すぎる業のひとつの頂点がサビ残であるとすれば、もうひとつの頂点はこのNORUMAであろう。
明らかに達成が不可能なNORUMA。
それは社畜の鋼鉄の精神すら容易く浸食する。
奇蹟でも起こらぬかぎり減給されることが確定した月給。そして減った給料に容赦なく上乗せされるサビ残。
往々にして会社は減給の責任を、NORUMA未達という形で本来負う必要のない社員へと押しつける。
数年に一度、偶然にNORUMAを達成して減給のない月があると、それだけで満足してご褒美に赤ちょうちんをくぐってしまうのが社畜の哀しい性であった。
もはや理不尽に対する怒りという感情が擦り切れてしまった哀しい性…………。
そういえばデパートに務めた結果、売れ残りの総菜を自腹で購入することを義務づけられ、二年で三十キロも太ってしまった友人は今どこで何をしているだろうか?
たとえ世界は違えども、松田は彼女に同じ道をたどってほしくはなかった。
十人長の騎士に軽く手を振り、松田は女騎士の紹介状を手に取った。
「――――先約、というのもなんですが、彼女が声をかけてきたのが先ですから」
「あ、ありがとうございます!」
パッと喜色を露わにする女騎士に、松田は問いかける。
「といっても、どうしてこんなNORUMAが課されたのかについては納得のいく説明が欲しいですけどね」
「そ、それは…………」
決まり悪そうに女騎士は視線を逸らす。
NORUMAを課してでも探索者が欲しいというからにはそれ相応の理由があるはずであった。
「気にするようなことは何もありません! ですから私の紹介状を……」
「あんたはもうええっちゅうねん」
部下の手柄をかすめ取ろうという人間に限って、勢いと押しだけはあるが案外底は浅いものだ。しかも決して自分がリスクを背負う気はない。
「――――迷宮には行きます。それだけはお約束しますから、事情の説明を」
松田の態度に真摯な決意を感じ取ったのか、女騎士は軽く頭を下げて答えた。
「それではもうじき私の勤務時間が終わりますので、その後お時間をいただけますでしょうか?」
「おいひいっ! おいひいですっ! わふっ!」
「……なかなかいける。こっちの屋台も捨てたもんじゃないな」
ステラとともに松田は屋台の鳥串をほおばって舌鼓を打った。柔らかくもしっかりとした歯ごたえのある鶏肉が、まさに肉汁滴る絶妙な絶妙の焼き加減である。
ここだけの話、松田の最大の好物は砂肝の刺身なのだが、この世界の食中毒を見極めるまでは生で食べるリスクは犯せない。やむなく焼いた砂肝のコリコリした食感を松田は存分に味わうのだった。
「主様、私も早く飲食が可能に改造いたしましょう」
うらめしそうにディアナは松田を上目遣いに見つめた。ひとりだけ仲間外れにされたようでひどく居心地が悪かったのだ。
「そのあたりもスキャパフロー王国で調べられるといいな」
そうそうハーレプストのような人形師がいるとも思えないが、この国にはドルロイを除く残り四人の五槌がいる。
彼らの技術も松田の大きな目的のひとつだった。
何より松田には、バランスブレイカー極まりない一度見れば技術を模倣できるというスキルがある。
錬金技術が向上すれば松田が操るゴーレムも格段に性能があがり、さらにうまくいけばディアナの身体を食事できるよう改造することもできるはずであった。
それにドワーフが管理する迷宮に封印されている可能性のある、ディアナ以外の絢爛たる七つの秘宝も見逃せなかった。
現状でも規格外といってよい戦力を保有している松田ではあるが、一国の介入を撥ね退けられるほどではない。
ゆえにこそ松田はこうしてスキャパフロー王国へと身一つで逃れてきたのである。
国家がなんと言おうと自分の意志を貫き通せるだけの戦力を得るためには、新たな絢爛たる七つの秘宝の存在が欠かせなかった。
「わふぅぅっ! ご主人様! 次はあれ! あのお団子が食べたいです!」
いかにも和風そうなみたらし団子である。
食文化というものは異世界でも共通なのだろうか? それともほかにも地球からの転生者がいるということなのか?
「ああしてるとステラも普通の可愛い女の子ですね」
「…………こんな話を知っているかディアナ?」
「なんでしょう? 主様」
「犬の味蕾は甘さに敏感に反応する性質があってな。そのせいか大概の犬は甘党だと言われている。まあ、女性は男性に比べて甘党なのも確かだが」
「わふわふ! 美味しいです! ご主人様もひとつ食べるのです!」
「…………確かにどちらか疑いたくなる気持ちはわかります」
「わふ?」
色気より食い気というべきか、花より団子か。
ステラが屋台の食べ歩きに満足するまで、さらに一時間近い時間が必要であった。
そろそろあの女騎士の仕事も終わっただろう。
松田はなおも未練の視線を屋台に向けるステラの手を引き、女騎士との待ち合わせの『茶房フォーション』へ向かった。
やはり中継貿易の基地として様々な商人が多数滞在していて、その活気はむしろランカスターの街より盛んであるように思われた。
関所の入り口であるにも関わらず、左右には交易の商人や旅人のための屋台が所せましと並んでいる。
「わふう……いい匂いです」
くんくんと鼻を鳴らしてステラはうっとりした視線を屋台に向けた。
肉の焼ける刺激的な音や、ソースの香ばしい香りが漂っていて、少なからず健康な若者の食欲に訴えかける。
放っておくとふらふらと屋台へ歩いていきそうなので、松田はステラの腕をがっちりと握りしめて苦笑した。
「全く…………せめて入国審査が終わるまで待て」
「わふう……残念です」
がっくりとステラは肩を落とす。
山中では保存食しか食べていないから気持ちはわからなくもないのだが。
四列に並んだ入国審査の列の最後尾に並ぶと、松田はステラの銀髪を優しく撫でた。
「すぐに終わるから、そしたら食べに行こうな」
「はいです! わふ」
(甘いです。とろ甘です主様)
なんだかんだと松田はステラに甘い。
それはステラがまだ子供であることと無縁ではないことをディアナは知っている。ステラが世間の悪意を知る大人になったとき、松田はステラをどんな目で見るのだろうか。
正直大人になったステラというのも想像ができないのだが。
(――――私は主様に従う知性ある秘宝。どこまでも主様のために尽くすのみ)
秘宝という存在理由はそれだけであったはずだ。
しかしこうして身体を得た今、ディアナには新たな欲望がある。
それは主の壊れた心を癒してあげたいという欲望、そしてもうひとつは秘宝として許される範囲を超えていた。秘宝の立場を逸脱する以上、ディアナはその欲望を肯定する気はなかった。
――――秘宝とはただ主のためだけに存在するのだから。
「…………銀級探索者?」
松田のギルドカードを確認した女騎士がギラリと瞳を輝かせる。
そのあまりに切羽詰まった表情に、のけぞるようにして松田は後ずさった。
「我が国にはなんの御用で? ああ、わかっています! 迷宮に入りたいのですね? 探索者なら迷宮に入るのがお仕事ですものね?」
せっかく可愛い顔をしているのに、とあるヤンデレを思い出させる迫力である。
「ああ、心配いりません。最速で許可が下りるよう紹介状を用意いたします。貴方のご活躍を心よりお祈り申し上げます!」
「――――紹介状?」
それなら自分にはすでに師からの紹介状がある、と松田が言いかけたそのとき――――。
「こんな女騎士では不安なのも無理はありません! 私なら勤続二十年、十人長として部下をまとめる地位でもありますし、ぜひこの紹介状をお持ちください」
「そ、そんな! 横からずるいですよ十人長!」
やけに愛想のいい笑顔で、三十代後半の騎士が女騎士を押しのけた。
その光景に一種の既視感に襲われた松田は、涙目で抗議の視線を十人長に向ける女騎士を見つめる。
(なんだろう? この光景には見覚えがある……)
松田の脳裏にやたらと肩書を強調して、土壇場で客との交渉役を乗っ取った当時の常務の顔が浮かんだ。
自分の手柄は自分の手柄だが、部下の手柄も自分の手柄にしてしまう。
「今までの私の苦労は?」
「仕事なんだから苦労するのは当然だろう? 私も君のためを思えばこそ、こうして出張ってきたのだよ?」
(お前なんかいなくても、もう契約は決まってたんだよ!)
「いやあ、わざわざ出張ったかいがあった。私でなくてはこれほどの条件は得られなかっただろうからな」
(殺してえ…………四勤二休で月給四十万もらっておきながら働きすぎでつらいとか言ってるイタリア人なみに殺してえ)
彼女の視線はあのときの自分と同じものだ。
魂でそれを松田は理解した。
そんな松田の葛藤には気づかず、女騎士はすがりついた。
「お願い! 私の紹介状受け取って! でないと今月の生活が、もう……これ以上減給されたらやっていけない!」
「NORUMA…………だと?」
社畜の背負った巨大すぎる業のひとつの頂点がサビ残であるとすれば、もうひとつの頂点はこのNORUMAであろう。
明らかに達成が不可能なNORUMA。
それは社畜の鋼鉄の精神すら容易く浸食する。
奇蹟でも起こらぬかぎり減給されることが確定した月給。そして減った給料に容赦なく上乗せされるサビ残。
往々にして会社は減給の責任を、NORUMA未達という形で本来負う必要のない社員へと押しつける。
数年に一度、偶然にNORUMAを達成して減給のない月があると、それだけで満足してご褒美に赤ちょうちんをくぐってしまうのが社畜の哀しい性であった。
もはや理不尽に対する怒りという感情が擦り切れてしまった哀しい性…………。
そういえばデパートに務めた結果、売れ残りの総菜を自腹で購入することを義務づけられ、二年で三十キロも太ってしまった友人は今どこで何をしているだろうか?
たとえ世界は違えども、松田は彼女に同じ道をたどってほしくはなかった。
十人長の騎士に軽く手を振り、松田は女騎士の紹介状を手に取った。
「――――先約、というのもなんですが、彼女が声をかけてきたのが先ですから」
「あ、ありがとうございます!」
パッと喜色を露わにする女騎士に、松田は問いかける。
「といっても、どうしてこんなNORUMAが課されたのかについては納得のいく説明が欲しいですけどね」
「そ、それは…………」
決まり悪そうに女騎士は視線を逸らす。
NORUMAを課してでも探索者が欲しいというからにはそれ相応の理由があるはずであった。
「気にするようなことは何もありません! ですから私の紹介状を……」
「あんたはもうええっちゅうねん」
部下の手柄をかすめ取ろうという人間に限って、勢いと押しだけはあるが案外底は浅いものだ。しかも決して自分がリスクを背負う気はない。
「――――迷宮には行きます。それだけはお約束しますから、事情の説明を」
松田の態度に真摯な決意を感じ取ったのか、女騎士は軽く頭を下げて答えた。
「それではもうじき私の勤務時間が終わりますので、その後お時間をいただけますでしょうか?」
「おいひいっ! おいひいですっ! わふっ!」
「……なかなかいける。こっちの屋台も捨てたもんじゃないな」
ステラとともに松田は屋台の鳥串をほおばって舌鼓を打った。柔らかくもしっかりとした歯ごたえのある鶏肉が、まさに肉汁滴る絶妙な絶妙の焼き加減である。
ここだけの話、松田の最大の好物は砂肝の刺身なのだが、この世界の食中毒を見極めるまでは生で食べるリスクは犯せない。やむなく焼いた砂肝のコリコリした食感を松田は存分に味わうのだった。
「主様、私も早く飲食が可能に改造いたしましょう」
うらめしそうにディアナは松田を上目遣いに見つめた。ひとりだけ仲間外れにされたようでひどく居心地が悪かったのだ。
「そのあたりもスキャパフロー王国で調べられるといいな」
そうそうハーレプストのような人形師がいるとも思えないが、この国にはドルロイを除く残り四人の五槌がいる。
彼らの技術も松田の大きな目的のひとつだった。
何より松田には、バランスブレイカー極まりない一度見れば技術を模倣できるというスキルがある。
錬金技術が向上すれば松田が操るゴーレムも格段に性能があがり、さらにうまくいけばディアナの身体を食事できるよう改造することもできるはずであった。
それにドワーフが管理する迷宮に封印されている可能性のある、ディアナ以外の絢爛たる七つの秘宝も見逃せなかった。
現状でも規格外といってよい戦力を保有している松田ではあるが、一国の介入を撥ね退けられるほどではない。
ゆえにこそ松田はこうしてスキャパフロー王国へと身一つで逃れてきたのである。
国家がなんと言おうと自分の意志を貫き通せるだけの戦力を得るためには、新たな絢爛たる七つの秘宝の存在が欠かせなかった。
「わふぅぅっ! ご主人様! 次はあれ! あのお団子が食べたいです!」
いかにも和風そうなみたらし団子である。
食文化というものは異世界でも共通なのだろうか? それともほかにも地球からの転生者がいるということなのか?
「ああしてるとステラも普通の可愛い女の子ですね」
「…………こんな話を知っているかディアナ?」
「なんでしょう? 主様」
「犬の味蕾は甘さに敏感に反応する性質があってな。そのせいか大概の犬は甘党だと言われている。まあ、女性は男性に比べて甘党なのも確かだが」
「わふわふ! 美味しいです! ご主人様もひとつ食べるのです!」
「…………確かにどちらか疑いたくなる気持ちはわかります」
「わふ?」
色気より食い気というべきか、花より団子か。
ステラが屋台の食べ歩きに満足するまで、さらに一時間近い時間が必要であった。
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