アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第七十五話 デファイアント山脈を越えてその4

 「――――どうして…………」
 アランが思わず呟いたのも無理はない。
 最初から状態異常の防御結界を張り巡らせた王宮ならともかく、こんな山深い場所のテントで睡夢の魔香が通じないなど夢にも思わなかったからだ。
 あれはこうした非常時のための切り札で、少なくない、いや、かなり大きな金額を積んで手に入れたものなのである。
 商人としてアランが納得がいかなかったのも当然であった。
 「簡単なことですわ。私が呼吸をしていなかったからです」
 「そんな馬鹿な話があるかっ!」
 納得がいかずに怒鳴りつけるアランをパリスは無言で護衛隊の後ろへと下がらせた。
 今問題なのはそんなことではない。
 「その様子じゃ要件はわかっているようだな」
 「はい。ステラが人狼であると知って捕えようとしたのでしょう? 参考までに聞きますがどうしてわかりました?」
 「俺はとある場所で人狼と戦ったことがあってな。そこであのスキルを見たことがある」
 「ああ、なるほど。それは迂闊でしたね」
 うんうん、と小さな顔を上下させるディアナは、事の深刻さを理解していないように思われた。
 あるいはもう敵わぬものと諦めているのだろうか。
 「そんなわけで大人しく捕まってもらえるか? 嬢ちゃんもその歳で魔法が使えるならいいご主人に会えるかもしれん」
 「――――主人? 主人ですって?」
 ピクリとディアナは形の良い眉を跳ね上げた。
 はっきりと怒気の混じった表情に、油断なくパリスは身構える。
 「あんまり馬鹿な真似はお薦めしないな。そっちがヤル気なら手荒いことになる」
 ディアナが優秀な魔法士であることは昼間の戦闘でわかっていた。
 パリスの装備をもってしても魔法の直撃を受ければ無傷というわけにはいかないだろう。
 魔法耐久力の少ないナルガクあたりが食らったら……まあ、あの体力なら死にはしないだろうが被害は甚大だ。
 甘く見て油断するなど思いもよらない。
 「ええ、もちろん手荒いことになりますとも。これが手荒いことにしないでいられるでしょうか? ノー! ありえません!」
 ディアナは戦う気だ。どうやら説得は聞きそうもないと考えたパリスは瞬時に抜刀して飛びかかった。
 ――――が、それよりも早く不可視の衝撃波が護衛隊の面々を吹き飛ばした。
 「がっ!」
 「ま、まさかこれは……魔力解放?」
 魔法士のケテルが驚愕に顔を青ざめさせる。
 ディアナは何一つ術など使っていない。ただ体内に閉じ込めていた魔力を解放しただけで人を吹き飛ばすほどの衝撃波を作り出したのだ。
 「ありえない…………」
 そう、本来ならありえない。ケテルの師匠は宮廷魔法士を務めるほどの優秀な魔法士であったが、その師匠にして魔力を解放してもそよ風程度である。
 パリスやナルガクのような巨漢を吹き飛ばすほどの魔力が、いったいどれほどのものか想像もつかない。
 「お父様が眠っていてくださって本当によかったわ。だって、いつも殲滅しようとすると止められるのですもの」
 「――――お前、いったい何者だ?」
 先ほどまでは隠していた魔剣に魔力をこめて、パリスは同格の敵としてディアナを認識した。
 しかし必要以上に恐れてはいない。
 松田のゴーレムやステラのように近接戦闘に特化した存在ならともかく、ディアナはか弱い魔法士にすぎない。
 火力だけは本当に恐るべきものでも防御力が貧弱すぎる。
 それにパリスはかつて傭兵をしていたころに、対魔法士の実戦経験を積んでいた。
 実はパリスが探索者でいた期間は短い。
 だからこそパリスが銀級の探索者であったというのは嘘ではないが、その実力は優に金級に匹敵した。
 「ディアスヴィクティナ、と言っても貴方にはわからないでしょう」
 あるいは終末の杖の忌み名であればケテルあたりは知っているかもしれないが。
 ディアスヴィクティナという真名は造物主たるライドッグと松田、それと同じ絢爛たる七つの秘宝の仲間しか知らない。
 「――――アラン、悪いが殺すぞ」
 先ほどからパリスの第六感にピリピリとひりつくような違和感が走っていた。
 この少女は絶対に見た目通りの存在ではない。もしかしたら松田やステラを大きく上回るような化け物だ。
 強敵と命のやりとりをした時には、いつも同じような危機感を感じていた。
 ディアナを所詮は魔法士であると、無意識に侮っていた自分をパリスは内心で罵った。
 「パリス、それは――――」
 ディアナの容姿も能力も類まれであることは誰の目にも明らかである。
 売ればステラには及ばずともとんでもない高値がつくだろう。
 アランはパリスを止めようと右手を伸ばしたが、パリスはもうアランに続きを言わせなかった。
 「閃移アクセル!」
 この速度ならいかなる魔法の行使も間に合わない。
 まさに魔法士の弱点はたとえ詠唱破棄しようとも、発動まで時間が必要であることにある。
 可哀そうだがこのままディアナの小さな首を撥ね、二度と詠唱できないようにすれば万事は解決だ。
 パリスは自らの魔剣が爆発的に加速した体とともに、血のような赤い魔力を纏い始めたのを確認すると思い切り横に振りぬいた。
 ――――いや、正確には振りぬこうとした。
 ザワリとまるで氷柱を背中に差し込まれたような悪寒がパリスを貫く。
 このままディアナの首を断ち切ってはいけない。理由はわからないが本能に従ってパリスは強引に身体と剣の方向を捻じ曲げた。
 「くっ…………!」
 「あれ、思ったより勘が働きますね」
 くすり、とディアナは妖艶に微笑んだ。残酷な愉悦を知る修羅場を潜り抜けた人間だけが持つ笑みであった。
 「おい、何をやってるんだよパリス!」
 「迂闊に近づくなナルガク! ロビン! こいつを撃て!」
 ナルガクの巨体を押しのけると、ロビンが目にも止まらぬ速さで三本の矢を放つ。
 半瞬で放たれた矢は、三本の閃光となってディアナの身体を直撃した。


 バチィ!


 矢がディアナの身体を貫くよりも早く、矢は一瞬の放電とともに塵となった。
 「電離プラズマ結界サンクチュアリ! 初めて見た!」
 再びケテルが驚愕の悲鳴をあげる。
 また師匠にすら不可能な高等魔法であったからである。
 「さっきの不吉な予感はこれか…………」
 パリスは苦々しく唇を噛む。下手をすれば塵となった矢は自分の未来の姿であったかもしれないのだ。
 「おい、ケテル。あの結界、魔法抵抗はどうなってる?」
 「電離結界は物理結界だから魔法には効果はないよ?」
 「ならとっととぶっ放せ!」
 「で、でも、人狼が死んだら元も子もないだろう?」
 「そこをなんとかしろって言ってんだよ!」
 護衛隊には手練れが揃っているが、いささか近接戦闘に偏りすぎている。
 山賊や山人を相手にしている分にはそれでも十分だったのだが、こうなると手詰まりであった。
 「お前ら、四方を囲め。あの厄介な結界が解かれたら同時に仕掛ける」
 「しくじるんじゃねえぞ?」
 「誰にものを言っている?」
 「もちろんナルガクに言ってるのさ」
 「心配すんな。息が残るようなへまをしねえさ」
 同時に仕掛けるということは同士討ちの危険が増すということだ。
 彼らはその危険を十分にわかっていながら不敵に嗤った。
 もちろん手加減などしない。仲間を斬り捨てる覚悟で攻撃すると彼らは言っているのである。
 「氷槍アイスランス!」
 範囲魔法でステラごと焼き払うわけにもいかないケテルは、五本ほどの氷槍をディアナへと放った。
 氷槍が魔法障壁によって霧散するのを確かめてパリスたちは一斉に飛びかかる。
 だが――――
 「だ、ダメだ!」
 つい先ほどに感じたのと同じ第六感。
 命の危険を感じてパリスは攻撃を諦めて後ろに飛ぶ。
 しかしほかの仲間たちはパリスほどに危機に敏感ではなかったし、俊敏でもなかった。
 もう止められぬ勢いのままに彼らはディアナへと斬りかかり、接触したかと思った瞬間数千度に達するであろう炎に焼かれて塵と化した。
 「う、嘘だ……物理結界と魔法結界を同時に展開するなんて……」
 先ほどから信じられないことばかりが起こる。
 ケテルは腰を抜かしたようにヘナヘナと膝から崩れ落ちた。
 「…………この程度で驚くなんて、魔法も衰退したものですね。まあ、お父様の魔力のおかげですけど」
 さすがにディアナの魔力でこれほど高出力の結界を同時に展開することは難しい。
 無尽蔵ともいえる松田の魔力を好き放題に使えるからこその力技であった。
 「た、助けて…………」
 「ふふふ……お父様を眠らせてしまったことを恨むのですね。私はお父様ほどに慈悲深くありませんので」
 腰を抜かしたケテルとは対照的に、パリスは唯一ともいえる活路を見出した。
 松田さえ人質にとれれば形勢は逆転する。
 そんなパリスの思惑が伝わったのだろうか。ディアナは能面のように無表情になるとルルルル、と虫の鳴き声のような奇怪な声を発した。
 「こ、高速詠唱?」
 もはやパリスは迷わなかった。
 最初から敵対などするのではなかった。
 こんな化け物をまともに相手をすれば馬鹿を見るだけだ。
 すがりつかんばかりのケテルとロビンには見向きもせず、パリスは高速移動のスキルを発動して一目散に逃げた。
 かつて恐るべき人狼と戦ったときのように、仲間を見捨て、主人を見捨ててひたすらに逃げた。
 自分が生き残るために惜しいものなど何にもなかった。


 「――――逃がすわけがないでしょう? 見敵必殺サーチアンドデストロイ、運命が貴方を相応しい場所へお連れしますように」


 白光が走る。
 熱風と閃光はたちまち暗い夜空を焦がしてアランの商隊すべてを呑みこんだ。
 大地がガラス化するほどの熱量は、恐れも嘆きも祈りもまとめてこの悪しき世界から永遠に解放した。
 パリスはその人生の最後で悪魔の唱えた絶望に追いつかれた。


 「…………残念ですね、ここに赤ワインがあれば完璧だったのですが。飲めないけど」










 「な、なんですか、これは」
 見たこともない赤く焼けた大地。
 ところどころが毒々しい色をした硝子に覆われている光景は悪夢を思い起こさせる。
 松田を追っていて、思わぬ光景に出くわしたリノアはふと寒々しい不吉さを覚えて身を震わせた。
 「まさかとは思うけど、あの疫病神の仕業?」
 ――――そのとき、リノアの視界から外れた窪地から何かが蠢くような気配がある。
 「誰? 誰かいるの?」
 恐る恐る覗き込むと、そこには高価そうな魔道具を頭から被った男が苦しそうに呻いていた。
 よほどの高熱にさらされたのか、傍目にも瀕死の重傷であることが窺える。
 これほどの装備をしていながら重傷を負うとはいったいどんな攻撃にさらされたというのだろうか。
 「…………運が良かったわね。虎の子だけど、人の命には代えられないわ」
 リノアは実家からくすねてきた最高級の秘薬を水とともに男の喉へと流し込む。
 奇蹟的な偶然と全くの善意から、リノアは死すべき運命であったアランを救ったのである。



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