アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第五十二話 災難の始まりその3

 少女――試作マリオン006は惑乱していた。
 最後に造物主に与えられた任務はこの施設の維持と秘匿であった。
 そのため少女は自覚することもない孤独のなかで、必死に施設を守り続けてきた。
 いつか造物主がこの施設に帰ってくることを信じて、愚直にただ一人で千年以上の時を過ごしてきたのである。
 もちろん造物主であった男はとうの昔に死亡していた。
 人はそれほど長命にはできていない。だが少女は与えられた命令にあくまでも忠実であろうとした。
 ――――そのように造られた存在だった。
 しかし自立型の試作機である少女は、同じ与えられた命令にも優先順位をつけ、それを自らの判断で選択することが可能であった。
 切なる想いで少女は決断する。
 たとえプログラムされた心であったとしても、ディアナのような絢爛たる七つの秘宝には遠く及ばない原始的な感情回路であるとしても、少女の主人に対する想いは本物だった。
 「施設の劣化度数五十、身体損傷率四十%、現状での任務の遂行は不可能であると判断します。一八〇〇(ひとはちまるまる)をもって秘匿任務を放棄。施設修復と維持のためマスター捜索を最優先とします」
 少女に任された約束の地、この迷宮だけは守らなくてはならない。
 そのためには人の目から隠れて秘匿を維持することを諦めなければならなかった。
 何より今後の判断についてマスターの指示を仰ぐ必要があった。
 マスターの技術をもってすれば、劣化著しいこの迷宮を整備することも、大きな損傷を負った少女の身体を修理することもそれほど難しいことではない。
 だがそれは言い訳で、少女の心はマスターにもう一度会いたいという子供が親を求めるような切ない想いに満たされていた。
 「どうか非力な私をお救いください。マスター、マスター。マスター、マスター、マスター、マスター、マスター、マスター、マスター…………」
 壊れたようにこの世にはいないマスターを少女は呼び続けた。


 少女の感慨をよそに、彼女が発した命令はただちに迷宮内の防衛システムをアクティブにした。
 本来迷宮の防衛システムは、内部への侵入者を迎撃するようプログラムされている。
 防衛を担当する魔物は、下層のプラントで生産され迷宮内の巡回任務についており、その数は増えすぎないように調整されていた。
 少女の命令はその抑制プログラムを無効化する。
 透明な水槽プラントのなかでポツリ、ポツリ、と受精卵が孵化を開始した。
 まず最初に量産体制に入ったのは、七十センチほどの芋虫状の射撃型防衛生体サムス05であった。
 大量の素材在庫を抱え、成長の時間のかからないサムス05はたちまちプラント内で栄養を補給し発育していく。
 ――――その数、およそ二万。
 防御力に乏しく、スカウトにも一撃で破壊されてしまう彼らだが、その火力は決して侮れるものではなかった。
 射程距離およそ五十メートルほどの熱線は、耐火ミスリル製の防具でもないかぎり回復不能なダメージを与える。
 その衝撃と熱量は銅級の魔法士に匹敵した。
 もしその数が一斉に集中砲火を浴びせたら、要塞都市マクンバといえど無事に済むことはありえない。
 しかもあくまでも二万は第一次生産であって、素材量的には最終的に六万以上を生産することが可能であった。
 数的主力はそれとして、打撃部隊としての別種生体も存在する。
 もっとも巨大なのは彷徨鎧リビングメイル型生体ケオイン02であった。
 重装甲の分厚い鎧そのものである彼らは、並みの魔法士の火力では傷ひとつつけることはできない。
 もともと生命体でない彼らは魔法に対する抵抗力が強いため、ちょっとした国家軍隊の精鋭なみの突破力を発揮することが期待されていた。
 さらに凶悪なのは毒針を持つ蜂型生体メルク04と、双翼人ハーピー型生体レイヴ06である。
 わけても小さな身体を利用し毒を与えるメルク04を完璧に防ぐことは不可能に近い。
 制空権の確保も大きく、マクンバに駐留する都市軍では時間を稼ぐことすら難しいかもしれなかった。
 唯一の救いはマクンバには比較的多くの探索者が存在し、貴重な武具を量産してくれるドワーフの鍛冶師が数多くいるということだ。
 「プラント稼働率八十%…………切り札を切るにはまだ足りませんか」
 少女は物憂げに嘆息した。
 在りし日の全盛期であれば、迷宮は二日で全兵力をすべて稼働状態で揃えることができただろうに。
 現状のまま生産が推移するとして、マスターを捜索するために迷宮から軍団を派遣するのは三日後になるはずであった。
 「ああ、どこにおられるのですかマスター……マリオン006は心配です。なぜこれほど長くお帰りにならないのか」
 原始的な感情回路しか持たない彼女は、造物主であるマスターに疑いを抱くことを禁じられている。
 ゆえに彼女は思うのだ。
 マスターはなんらかの障害によって帰ることができないのではないか?
 あるいは優先すべきなんらかの活動に精励なさっているのではないか?
 それを邪魔することは、被創造物である自分たちにはとても不遜な行いなのではないか?
 それでもなお、マスターに会いたい。命令を受けたいという欲求を少女は優先した。
 非常事態における緊急措置として、その判断は妥当であった。
 自己学習機能により初めて未熟な少女の心が動き始めていることを、少女はいまだ気づかずにいた。




 満身創痍の無残な姿でメッサラがマクンバに舞い戻ってきたのは、迷宮を脱出した翌日のことである。
 その様子は見るからにひどいもので、関所で身分証を呈示したメッサラが、身分確認より先に応急室へ連行されたほどであった。
 蜂型のメルク04に刺された顔は化け物のように腫れあがっていたし、千数百度の熱線が掠った影響で左手は重度の火傷に侵されていた。
 それでも生命線である足を負傷しなかったのは、さすがはスカウトの面目躍如というところだろうか。
 高熱に浮かされたメッサラは懸命の回復魔法によってかろうじてその命を取り留めた。
 もし関所に辿りつくのがもう少し遅ければ、解毒が間に合わなかっただろうと治療にあたったクレリックが零したほどであった。
 運よく命を取り留めたメッサラであったが、彼の意識が回復したのはそれから丸一日が経過してからのこととなる。


 「うわああああああああああああああっ!」
 熱線に身を焼かれる悪夢から、絶叫とともにメッサラは目を覚ました。
 同時に全身を痺れるような激痛が襲う。
 骨まで達しようかという重度の火傷は、クレリックの回復魔法でも応急的な治療しかできなかったのである。
 むしろメッサラの生命を危機に落とし込んでいたのは蜂の毒であり、解毒のほうが優先されるべきであった。
 ようやく自分が関所で意識を失い、治療を受けていたらしいことにメッサラは気づいた。
 「――――気がついたか。運のいい男だ。あと半刻到着が遅れていればお前の命はなかったはずだぞ?」
 マクンバの関所を指揮する守備隊の隊長テリオッドをメッサラは知っていた。
 年齢が近いということもあるが、もともと二人はメノラーの村の同郷出身であった。
 メッサラが迅速な治療を施してもらえたのは、彼との繋がりがあったおかげでもある。
 そのことを悟ったメッサラは深々とテリオッドに頭を下げた。
 「助けてもらって感謝している」
 「お前はメノラーの村に帰ったと聞いていたが、迷宮にもぐったわけでもあるまいに、どこであんな怪我をした?」
 テリオッドの言葉を聞いたメッサラは自分が知らせなければならないことを思い出し、血相を変えて叫ぶように言った。
 「そうだ! 一刻も早く探索者ギルドに非常事態宣言を伝えてくれ!」
「おい待て、非常事態宣言だと?」
 選ばれた上位の探索者は、個人やパーティーレベルでは対応できない非常事態に際し、ギルドの全面的な介入を要請する非常事態を宣言することができる。
 つい先日のシトリ出現においても宣言されているが、基本的に数年に一度あるかないか程度のことだ。
 ――だが、迷宮の外で非常事態が宣言されたことはテリオッドの知る限り一度もないはずであった。
 「迷宮が現れたんだ。メノラーの村から五キロほど離れた場所に」
 「なんだと?」
 迷宮の出現は確かに脅威である。
 しかし出現したばかりの迷宮は銅級探索者でも十分攻略できる程度の難易度であり、わざわざ非常事態を宣言するほどの事態とも思われなかった。
 「この目で見ても信じられん、が、新たに発生した迷宮ではない。現在も稼働中の恐ろしく古い迷宮だ。下手をすれば古代の迷宮である可能性がある」
 「まさか――――それこそ冗談だろう?」
 古代迷宮といえば、国家が直接管理するほどの貴重なものである。
 大概は国家の力をもってしても攻略することのできない伝説級の迷宮であり、国家がその出入りを規制していることが多い。
 ここ百年で新たに発見された伝説級の迷宮は存在しないはずである。
 まさかこのマクンバの傍で発見されるなどということが、テリオッドにはにわかには信じられなかった。
 「これまでもずっと稼働していたのか、最近再稼働したのかは知らん。が、メノラーからの街道で怪しい光が見られるようになったのはここ数日のことだ。いや、そんなことよりも――――」
 事の重大さを知るメッサラは、自分の言おうとしていることの恐ろしさに一旦言葉を切って唾を呑みこんだ。
 「…………問題なのは俺が迷宮を脱出したあとも攻撃を受けたということだ」
 「なんだとっ?」
 テリオッドは顔色を変えた。迷宮の魔物は迷宮の外どころか階層すら移動しないというのは常識である。
 だがごく稀に、迷宮が外界へ浸食を開始することがある。
 迷宮災害と呼ばれるある種の天災のようなもので、その悪夢のような光景から迷宮に携わる者にはこう表現されていた。
 「――――迷宮が……溢れるというのか?」



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