アラフォー社畜のゴーレムマスター
第四十三話 討伐依頼その5
こうして直に目を合わしてみればシトリの存在感は圧倒的である。
間違いなくリジョンの町で戦ったキマイラとは格が違う。
キマイラ自体も魔物のなかでは上位に入っていたはずだが、シトリはそれ以上の強さを持っているのは確実であった。
「後列、斉射!」
半円状に包囲したゴーレムの後列が一斉に矢を放つ。
機械的に速射される矢はシトリを針鼠のように貫くかに見えた。
「――――こんな程度で思い上がってもらっては困るな」
刹那、不可視の障壁に弾かれるようにして矢はすべてあらぬ方向へと飛び去って行く。
シトリは一歩たりとも動かぬまま無傷で松田を見て嗤った。
「――後列、送還、召喚、ゴーレム!」
矢が役に立たないとわかった松田はすぐに弓騎士ゴーレムを送還して、新たに槍騎兵型のゴーレムを召喚する。
「なん…………だと?」
さすがにこれはシトリも驚きを隠すことはできなかった。
そもそも数百ものゴーレムを松田が操っていること自体がおかしい。
それもおそらくはあの強力な秘宝――ディアナであるとシトリは予想していた。
だが今の召喚に秘宝が使われた形跡はなかった。少なくともシトリはそれを感じることはできなかった。
まさかこのゴーレムを松田は本気で一人で掌握しているのか?
ようやくシトリの表情に焦りの色が広がり始めていた。
「…………ふん、だが非力であることに変わりはない!」
シトリは余裕をもって攻撃を待ち続けることを止めた。
業腹ではあるが、早めに倒すべき敵であると松田を認めたのである。
タワーシールドを並べて防御人を敷くゴーレムの一角に、猛烈な勢いで蹴りを放つとシトリはその反動を利用してフワリと空中に舞い上がった。
――――だが。
「グリフォンゴーレム、近づけるな」
空へと浮かんだシトリが急激な方向転換ができないのをいいことに、二匹のグリフォンゴーレムが全力で体当たりを敢行する。
踏ん張ることのできない空中での衝突は、シトリといえども無力化することはできなかった。
たまらず地上へと叩き落され、シトリは屈辱に顔を赤くして憤った。
「貴様っ! この屈辱、ただでは殺さぬぞ!」
「殺せるものならやってみろ」
「人間ごときがっ! 過ぎた力をもって増長したか!」
「お口に砂ついてるで?」
地面に叩き落された拍子に、べったりと口元から顎にかけてついた砂まじりの泥を拭い、シトリはぶるぶると肩を震わせて咆哮した。
「――――殺すっ!」
完全に理性の箍がはずれたシトリに松田は内心で舌を出す。
『わりと容赦ないですね、主様』
(むしろどこに容赦してやる要素があるの?)
『それもそうでした』
「うがあああああああああああああっ!」
魔物としての殺戮本能の命じるままに、シトリは吠えた。そして技術の欠片も感じられないただ卓越した身体能力によって、たちまち数体のゴーレムをいくつかの塊へと分割した。
「やばいな。召喚、重装歩兵)」
包囲を崩されそうになったことで、慌てて松田は大型の重装歩兵を召喚する。
タワーシールド装備の騎士型ゴーレムより重量でほぼ一・五倍、大きな円盾と鎖帷子と全身鎧して防御力を増した重装歩兵が前列を固めた。
「無駄なあがきをっ!」
シトリは鈍重な重装歩兵を嘲笑うかのように、円盾を割り、腹に穴を開け、兜ごと首を吹き飛ばした。
だが重装歩兵の巨大な質量そのものが、シトリの突破力を奪うこととなる。
一体一体では対抗できない重装歩兵でも、包囲を崩されるよりも松田が召喚して穴を埋めるほうが早い。
倒す→召喚されるの無限ループに嵌ってしまったことに、シトリは苛立ちを隠せなかった。
それだけなら松田の魔力も無限ではない。
消極的で不本意だが松田の魔力切れを待って、満を持して痛めつけるという選択肢もなくはなかった。
ところが左右から迂回して突進してくる槍騎兵型のゴーレムは、攻撃力だけならシトリを傷つけるには十分なものを持っていた。
さらに地味にディアナから放たれる攻撃魔法が痛い。シトリが判断を迷うような局面で、うまく注意を乱してくるのである。
それによってシトリは決して浅くない傷を負うこととなった。
「おのれ、おのれ、おのれえええええっ!」
それにしてもこの男のどこにゴーレムを維持し続ける魔力があるというのだろうか?
ゴーレム召喚は維持運用に魔力を消費するため、ほとんど廃れかけたマイナー魔法である。
数百のゴーレムを召喚するだけでも伝説級にありえない話なのだが、それをもう十分以上維持し続けているのはもっとありえなかった。
上位魔法を休みなく、ひたすら十分連射し続けるのを考えれば、どれほど馬鹿げたことかわかるだろう。
だが現実に松田はそれを成し遂げている。
――――もしかしたらとんでもない男を相手しているのかもしれない。
シトリは生れて初めて恐怖に近い感情を覚えた。
対する松田も内心は冷や汗ものであった。
思ったよりも槍騎兵がダメージを与えられないでいた。騎兵の槍攻撃が致命傷に至らないということは、両手剣の騎士ゴーレムの攻撃はそれ以下ということになる。
かといってゴーレムの数を減らし、大物ゴーレムを召喚することも憚られた。
シトリの移動速度は速く、万が一にも松田の懐に飛び込まれたら勝ち目がないからだ。
互いに決め手のないまま消耗戦が続く。
「――――召喚、ゴーレム!」
(いかん、魔力が三分の一をきった)
タラリと松田はこめかみから脂汗を流した。
膠着状態のままさらに二十分近い時間が経過している。
地味に重装歩兵の維持魔力がきつい。タワーシールド装備の騎士ゴーレムに比べ実質二倍近い魔力を持っていかれる。
しかしシトリの攻撃をなんとか耐え凌いでいるのは重装歩兵のおかげであった。
もちろん成果がなかったわけではない。
突撃のたびに壊滅しているとはいえ、槍騎兵はシトリに着実にダメージを与えることに成功していた。
すでにシトリの上半身はいたるところが鮮血に染まっている。
常に上から相手を見下していたシトリにとって、怪我を晒し大きく肩で息をする様を見られるのは屈辱以外の何物でもなかった。
まさか自分がここまでてこずることになろうとは。
それでもなお、シトリは自分が敗北するとは夢にも思っていなかった。
松田の顔色を見るところ、このまま消耗戦を続けていても勝てるかもしれない。
だがジリジリとではあるが、シトリは松田の気がつかぬ程度に前進して包囲の輪を縮めさせている。
(もう少し――――もう少しだ!)
逸る心を抑え、シトリは新たに突撃してくる槍騎兵をいなす。
槍攻撃はまともに食らえばシトリであってもかなりの痛手となる。
まずは慎重に攻撃を避けなくてはならなかった。
(くそっ! この魔神の眷属たる私がっ! こんな無様な醜態をさらすとは!)
下手に包囲陣に近づきすぎると、ゴーレムがシールドバッシュを仕掛けてくるから要注意なのである。
魔力さえあればゴーレムの数だけは召喚できるかもしれない。
だがこの高度な連携を可能とするゴーレム運用技術は、もしかすると数百という恐るべきゴーレムの数以上に貴重なものであった。
(認めよう。この私が戦うに値する人間であったと)
ニヤリ、とシトリは不敵に哂う。
戦うに値する強敵は、シトリの勝利に花を添えるだけの存在にすぎないのだから。
「――――待っていたぞ! この時を! さあ、乙女よ狂え!」
シトリは男女の機微を操り、恋人たちの絶望を見ることを無上の喜びとする。
アイリーナに復讐の呪縛を与えたのもそのひとつであった。
恋人を殺され、復讐もむなしく返り討ちに会い、その復讐の意思さえ操られたものであったと教えてやるためにシトリはアイリーナを見逃した。
人間の絶望を鑑賞するために、シトリは戯れに精神を、とりわけ女性の心を好んで操る。
しかしそれは、決して戦闘につかえないわけではないのだった。
「…………わふっ、ご主人様……ご主人様のお肉が欲しい」
「ごめん、ちょっと何を言ってるのかわからない」
『いけません! ステラはシトリの術にかかってしまったようです!』
「なんだとっ?」
心の底から冷ややかな汗が全身からどっと溢れた。
松田はステラの身体能力が自分を遥かに上回ることを知っている。
「ちいっ! 鉄壁!」
咄嗟にステラとの間に鉄の壁を錬成するが、ステラには通じなかった。
「お肉! ご主人様のお肉ぅっ!」
「あとでステーキでもなんでも食わせてやるから今は大人しくしてろ!」
軽々と壁を乗り越え、松田へとダイブするステラにディアナが放った水弾が直撃した。
「わふっ!」
『主様、小手先の魔法ではステラを止めることはできません。ステラを抑えている間にシトリを倒すか、あるいは――――』
ディアナが言いよどむのが松田にもわかった。
不確定要素であるステラを先に倒す――反撃不能になるほど徹底的に――とディアナは言っているのだった。
「グリフォンゴーレム! シトリを押しつぶせ!」
万が一に備え、上空の護衛に当たらせていた虎の子のグリフォンを投入することを松田は決断した。
「甘いな! 考えが安易しぎるぞ人間よ!」
それさえもすべてはシトリの予想内の反応であった。
シトリは戦いの途中から、松田がグリフォンの、空中戦の制御に自信が持てずにいることを察していた。
グリフォンの攻撃さえかいくぐれば松田に接敵することは容易い。
してやったりとシトリは会心の笑みを浮かべた。
鋭い爪で頬から血しぶきがあがるのも構わず、シトリは四匹のグリフォンの隙間を潜り抜け、ついに松田との間にあった障害が消えた。
「もらった――――!」
「ご主人様! 美味しい美味しいご主人様! わふわふう!」
逃れられぬ前後からの挟み撃ち。
生存を優先するならば迷わずステラを排除するべきだ。ステラさえいなければもう一度仕切りなおすことも不可能ではない。
所詮ステラは他人だ。自分の生命以上に優先すべき存在ではないはずだ。
理性では激しくそう訴えていたが、松田の身体は断固として動こうとはしなかった。
『岩弾! ダメ! 間に合わない!』
「――――解呪!」
張りのある女性の声が響くと同時に、ステラは松田に対し凶行に及ぼうとするシトリをはっきりと認識した。
「ご主人様に何するです! わふ!」
「ば、馬鹿なああああ!」
十中九まで勝利を手中にしていた刹那、勝利はシトリの手から零れ落ちていった。
無警戒だったステラに腹部を打撃されシトリは吹き飛ぶ。
あとほんの数秒あれば、シトリの腕は松田の心臓を貫いていたはずだ。
まさに千載一遇の機会を逃したシトリは、その元凶の女に理不尽な怒りを向けた。
「なぜ貴様がここにいるっ?」
「あの人の仇、討たせてもらいます!」
その視線の先にいたのは、決然としてシトリを睨みつけるアイリーナである。
シトリは己の仕掛けた余計な遊戯のために、戦いに敗北しようとしていることを認めることはできなかった。
「まだだ! まだ、もう一度貴様らを操れば……」
「――もう遅い」
シトリが惑乱している隙に、ここが勝負どころと松田は槍騎士ゴーレムを送還し、全長四メートルほどのサイクロプス型のゴーレムを五体召喚している。
「そんな馬鹿なあああああああああああああああああああああああっ!」
振りかぶられた巨大なメイスが上下左右から襲いかかり、莫大な運動エネルギーはシトリを襤褸きれのように薄っぺらな平面にすりつぶした。
「……すげえな。てめえ、いったい何者だ?」
見上げるばかりの巨大ゴーレムを見て、メッサラは剣呑な目を松田に向ける。
こんな馬鹿げた銅級探索者がいてたまるか!
銀級である自分のプライドを粉砕するような理不尽の塊を、メッサラは親の仇でも見るような目で睨みつけていた。
「えっ? どこにでもいる土魔法士ですよ?」
松田がそう答えたときにはすでに、一体のミスリルゴーレムを残してすべてのゴーレムは送還されていた。
いけしゃあしゃあと恍ける気満々の松田に、思わずメッサラは手甲を地面に叩きつけて絶叫した。
「そんなん通るかああああああああああっ!」
間違いなくリジョンの町で戦ったキマイラとは格が違う。
キマイラ自体も魔物のなかでは上位に入っていたはずだが、シトリはそれ以上の強さを持っているのは確実であった。
「後列、斉射!」
半円状に包囲したゴーレムの後列が一斉に矢を放つ。
機械的に速射される矢はシトリを針鼠のように貫くかに見えた。
「――――こんな程度で思い上がってもらっては困るな」
刹那、不可視の障壁に弾かれるようにして矢はすべてあらぬ方向へと飛び去って行く。
シトリは一歩たりとも動かぬまま無傷で松田を見て嗤った。
「――後列、送還、召喚、ゴーレム!」
矢が役に立たないとわかった松田はすぐに弓騎士ゴーレムを送還して、新たに槍騎兵型のゴーレムを召喚する。
「なん…………だと?」
さすがにこれはシトリも驚きを隠すことはできなかった。
そもそも数百ものゴーレムを松田が操っていること自体がおかしい。
それもおそらくはあの強力な秘宝――ディアナであるとシトリは予想していた。
だが今の召喚に秘宝が使われた形跡はなかった。少なくともシトリはそれを感じることはできなかった。
まさかこのゴーレムを松田は本気で一人で掌握しているのか?
ようやくシトリの表情に焦りの色が広がり始めていた。
「…………ふん、だが非力であることに変わりはない!」
シトリは余裕をもって攻撃を待ち続けることを止めた。
業腹ではあるが、早めに倒すべき敵であると松田を認めたのである。
タワーシールドを並べて防御人を敷くゴーレムの一角に、猛烈な勢いで蹴りを放つとシトリはその反動を利用してフワリと空中に舞い上がった。
――――だが。
「グリフォンゴーレム、近づけるな」
空へと浮かんだシトリが急激な方向転換ができないのをいいことに、二匹のグリフォンゴーレムが全力で体当たりを敢行する。
踏ん張ることのできない空中での衝突は、シトリといえども無力化することはできなかった。
たまらず地上へと叩き落され、シトリは屈辱に顔を赤くして憤った。
「貴様っ! この屈辱、ただでは殺さぬぞ!」
「殺せるものならやってみろ」
「人間ごときがっ! 過ぎた力をもって増長したか!」
「お口に砂ついてるで?」
地面に叩き落された拍子に、べったりと口元から顎にかけてついた砂まじりの泥を拭い、シトリはぶるぶると肩を震わせて咆哮した。
「――――殺すっ!」
完全に理性の箍がはずれたシトリに松田は内心で舌を出す。
『わりと容赦ないですね、主様』
(むしろどこに容赦してやる要素があるの?)
『それもそうでした』
「うがあああああああああああああっ!」
魔物としての殺戮本能の命じるままに、シトリは吠えた。そして技術の欠片も感じられないただ卓越した身体能力によって、たちまち数体のゴーレムをいくつかの塊へと分割した。
「やばいな。召喚、重装歩兵)」
包囲を崩されそうになったことで、慌てて松田は大型の重装歩兵を召喚する。
タワーシールド装備の騎士型ゴーレムより重量でほぼ一・五倍、大きな円盾と鎖帷子と全身鎧して防御力を増した重装歩兵が前列を固めた。
「無駄なあがきをっ!」
シトリは鈍重な重装歩兵を嘲笑うかのように、円盾を割り、腹に穴を開け、兜ごと首を吹き飛ばした。
だが重装歩兵の巨大な質量そのものが、シトリの突破力を奪うこととなる。
一体一体では対抗できない重装歩兵でも、包囲を崩されるよりも松田が召喚して穴を埋めるほうが早い。
倒す→召喚されるの無限ループに嵌ってしまったことに、シトリは苛立ちを隠せなかった。
それだけなら松田の魔力も無限ではない。
消極的で不本意だが松田の魔力切れを待って、満を持して痛めつけるという選択肢もなくはなかった。
ところが左右から迂回して突進してくる槍騎兵型のゴーレムは、攻撃力だけならシトリを傷つけるには十分なものを持っていた。
さらに地味にディアナから放たれる攻撃魔法が痛い。シトリが判断を迷うような局面で、うまく注意を乱してくるのである。
それによってシトリは決して浅くない傷を負うこととなった。
「おのれ、おのれ、おのれえええええっ!」
それにしてもこの男のどこにゴーレムを維持し続ける魔力があるというのだろうか?
ゴーレム召喚は維持運用に魔力を消費するため、ほとんど廃れかけたマイナー魔法である。
数百のゴーレムを召喚するだけでも伝説級にありえない話なのだが、それをもう十分以上維持し続けているのはもっとありえなかった。
上位魔法を休みなく、ひたすら十分連射し続けるのを考えれば、どれほど馬鹿げたことかわかるだろう。
だが現実に松田はそれを成し遂げている。
――――もしかしたらとんでもない男を相手しているのかもしれない。
シトリは生れて初めて恐怖に近い感情を覚えた。
対する松田も内心は冷や汗ものであった。
思ったよりも槍騎兵がダメージを与えられないでいた。騎兵の槍攻撃が致命傷に至らないということは、両手剣の騎士ゴーレムの攻撃はそれ以下ということになる。
かといってゴーレムの数を減らし、大物ゴーレムを召喚することも憚られた。
シトリの移動速度は速く、万が一にも松田の懐に飛び込まれたら勝ち目がないからだ。
互いに決め手のないまま消耗戦が続く。
「――――召喚、ゴーレム!」
(いかん、魔力が三分の一をきった)
タラリと松田はこめかみから脂汗を流した。
膠着状態のままさらに二十分近い時間が経過している。
地味に重装歩兵の維持魔力がきつい。タワーシールド装備の騎士ゴーレムに比べ実質二倍近い魔力を持っていかれる。
しかしシトリの攻撃をなんとか耐え凌いでいるのは重装歩兵のおかげであった。
もちろん成果がなかったわけではない。
突撃のたびに壊滅しているとはいえ、槍騎兵はシトリに着実にダメージを与えることに成功していた。
すでにシトリの上半身はいたるところが鮮血に染まっている。
常に上から相手を見下していたシトリにとって、怪我を晒し大きく肩で息をする様を見られるのは屈辱以外の何物でもなかった。
まさか自分がここまでてこずることになろうとは。
それでもなお、シトリは自分が敗北するとは夢にも思っていなかった。
松田の顔色を見るところ、このまま消耗戦を続けていても勝てるかもしれない。
だがジリジリとではあるが、シトリは松田の気がつかぬ程度に前進して包囲の輪を縮めさせている。
(もう少し――――もう少しだ!)
逸る心を抑え、シトリは新たに突撃してくる槍騎兵をいなす。
槍攻撃はまともに食らえばシトリであってもかなりの痛手となる。
まずは慎重に攻撃を避けなくてはならなかった。
(くそっ! この魔神の眷属たる私がっ! こんな無様な醜態をさらすとは!)
下手に包囲陣に近づきすぎると、ゴーレムがシールドバッシュを仕掛けてくるから要注意なのである。
魔力さえあればゴーレムの数だけは召喚できるかもしれない。
だがこの高度な連携を可能とするゴーレム運用技術は、もしかすると数百という恐るべきゴーレムの数以上に貴重なものであった。
(認めよう。この私が戦うに値する人間であったと)
ニヤリ、とシトリは不敵に哂う。
戦うに値する強敵は、シトリの勝利に花を添えるだけの存在にすぎないのだから。
「――――待っていたぞ! この時を! さあ、乙女よ狂え!」
シトリは男女の機微を操り、恋人たちの絶望を見ることを無上の喜びとする。
アイリーナに復讐の呪縛を与えたのもそのひとつであった。
恋人を殺され、復讐もむなしく返り討ちに会い、その復讐の意思さえ操られたものであったと教えてやるためにシトリはアイリーナを見逃した。
人間の絶望を鑑賞するために、シトリは戯れに精神を、とりわけ女性の心を好んで操る。
しかしそれは、決して戦闘につかえないわけではないのだった。
「…………わふっ、ご主人様……ご主人様のお肉が欲しい」
「ごめん、ちょっと何を言ってるのかわからない」
『いけません! ステラはシトリの術にかかってしまったようです!』
「なんだとっ?」
心の底から冷ややかな汗が全身からどっと溢れた。
松田はステラの身体能力が自分を遥かに上回ることを知っている。
「ちいっ! 鉄壁!」
咄嗟にステラとの間に鉄の壁を錬成するが、ステラには通じなかった。
「お肉! ご主人様のお肉ぅっ!」
「あとでステーキでもなんでも食わせてやるから今は大人しくしてろ!」
軽々と壁を乗り越え、松田へとダイブするステラにディアナが放った水弾が直撃した。
「わふっ!」
『主様、小手先の魔法ではステラを止めることはできません。ステラを抑えている間にシトリを倒すか、あるいは――――』
ディアナが言いよどむのが松田にもわかった。
不確定要素であるステラを先に倒す――反撃不能になるほど徹底的に――とディアナは言っているのだった。
「グリフォンゴーレム! シトリを押しつぶせ!」
万が一に備え、上空の護衛に当たらせていた虎の子のグリフォンを投入することを松田は決断した。
「甘いな! 考えが安易しぎるぞ人間よ!」
それさえもすべてはシトリの予想内の反応であった。
シトリは戦いの途中から、松田がグリフォンの、空中戦の制御に自信が持てずにいることを察していた。
グリフォンの攻撃さえかいくぐれば松田に接敵することは容易い。
してやったりとシトリは会心の笑みを浮かべた。
鋭い爪で頬から血しぶきがあがるのも構わず、シトリは四匹のグリフォンの隙間を潜り抜け、ついに松田との間にあった障害が消えた。
「もらった――――!」
「ご主人様! 美味しい美味しいご主人様! わふわふう!」
逃れられぬ前後からの挟み撃ち。
生存を優先するならば迷わずステラを排除するべきだ。ステラさえいなければもう一度仕切りなおすことも不可能ではない。
所詮ステラは他人だ。自分の生命以上に優先すべき存在ではないはずだ。
理性では激しくそう訴えていたが、松田の身体は断固として動こうとはしなかった。
『岩弾! ダメ! 間に合わない!』
「――――解呪!」
張りのある女性の声が響くと同時に、ステラは松田に対し凶行に及ぼうとするシトリをはっきりと認識した。
「ご主人様に何するです! わふ!」
「ば、馬鹿なああああ!」
十中九まで勝利を手中にしていた刹那、勝利はシトリの手から零れ落ちていった。
無警戒だったステラに腹部を打撃されシトリは吹き飛ぶ。
あとほんの数秒あれば、シトリの腕は松田の心臓を貫いていたはずだ。
まさに千載一遇の機会を逃したシトリは、その元凶の女に理不尽な怒りを向けた。
「なぜ貴様がここにいるっ?」
「あの人の仇、討たせてもらいます!」
その視線の先にいたのは、決然としてシトリを睨みつけるアイリーナである。
シトリは己の仕掛けた余計な遊戯のために、戦いに敗北しようとしていることを認めることはできなかった。
「まだだ! まだ、もう一度貴様らを操れば……」
「――もう遅い」
シトリが惑乱している隙に、ここが勝負どころと松田は槍騎士ゴーレムを送還し、全長四メートルほどのサイクロプス型のゴーレムを五体召喚している。
「そんな馬鹿なあああああああああああああああああああああああっ!」
振りかぶられた巨大なメイスが上下左右から襲いかかり、莫大な運動エネルギーはシトリを襤褸きれのように薄っぺらな平面にすりつぶした。
「……すげえな。てめえ、いったい何者だ?」
見上げるばかりの巨大ゴーレムを見て、メッサラは剣呑な目を松田に向ける。
こんな馬鹿げた銅級探索者がいてたまるか!
銀級である自分のプライドを粉砕するような理不尽の塊を、メッサラは親の仇でも見るような目で睨みつけていた。
「えっ? どこにでもいる土魔法士ですよ?」
松田がそう答えたときにはすでに、一体のミスリルゴーレムを残してすべてのゴーレムは送還されていた。
いけしゃあしゃあと恍ける気満々の松田に、思わずメッサラは手甲を地面に叩きつけて絶叫した。
「そんなん通るかああああああああああっ!」
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