アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第十五話 迷宮その4

 ――――ビシャッ!


 叩きつけるような水音とともに猛烈な臭気が立ち上った。
 「――酸か?」
 酸に特有の酸っぱい匂いに気づいて松田はゴホゴホとむせ返った。
 『キマイラ? まさかこんな小さな迷宮に!』
 獅子の顔に山羊の胴体、そして毒蠍の尾。まさにギリシア神話に語られるキマイラの姿そのものである。
 蠍の毒は神経毒であったはずだが、この世界のキマイラは酸を飛ばしてくるらしい。
 ガスンという鈍い音がして、前衛のゴーレムのうち二体が制御を失って虚空へと消えた。
 「――――召喚サモンゴーレム!」
 新たに六体のゴーレムを召喚して松田は前衛の防御力を高めた。
 敵が飛び道具を出してくる以上、まずは防御を優先しなくてはならなかった。
 なんといっても松田自身は土魔法とゴーレムのチート以外はいたって平凡な人間なのだから。
 「――――召喚サモンゴーレム!」
 追加で騎槍装備の騎兵ゴーレムを左右に四体ずつ召喚する。
 タワーシールド装備の防御特化型とは逆に、完全攻撃型の騎士ゴーレムであった。
 「騎槍突撃ランスアタック!」
 一糸乱れぬ統率ぶりで騎兵ゴーレムが突撃を開始する。松田の持つ並列思考制御あればこその連携で左右から突き出された槍は、正しくキマイラの巨体を貫いたかに見えた。
 『水槍ウォータスピア!』
 ごおお、という轟音が響くのとディアナが水の槍を上空へと放つのは同時であった。
 巨体に似合わぬ敏捷さで、一瞬のうちに天井へと舞い上がったキマイラはその獅子の口から炎のブレスを吐き出していた。
 もしディアナの迎撃が間に合わなければ松田は黒焦げになっていたかもしれない。
 ジワリと松田のこめかみから冷や汗が流れて落ちた。
 「さすがはボスモンスターってことかよ!」
 『キマイラは魔物のなかでも知性が高い部類に入ります。人語を理解していますので、ある程度こちらの行動は読まれると思ってください』
 「早く教えておいて欲しかったよ! そういうことは!」
 道理で量ったように騎槍突撃を避けるわけだ。
 「ゴガアアアアアアアアアア!」
 耳が痛くなるような咆哮が轟き、キマイラへと向かったガーゴイルが見えない壁にでもぶちあたったかのように砕けて散った。
 このまま制空権を取られるのはまずい。
 「――――召喚サモンゴーレム!」
 キマイラに匹敵する飛行モンスターとなるとあれしか思い浮かばない。もう少しRPGをプレイしておけばよかったと埒もないことを考える松田であった。
 「来い! グリフォン!」
 眩い光の粒子とともに、二体のグリフォンが召喚された。
 鷲の上半身と獅子の下半身を持つグリフォンは、キマイラと同じくギリシア神話を起源とするモンスターで元の名をグリュプスという。
 黄金を守護する者の異名を持ち、白兵戦闘ではキマイラに勝るとも劣らない。
 毒攻撃やブレスが使えない点を除けばキマイラとの戦力は拮抗したといえるだろう。
 「グギュアアアアア!」
 「グルアアアアア!」
 空気を切り裂く甲高い咆哮とともに、高速で空中戦が始まるとまさに怪獣大決戦という趣であった。
 あまりに非現実的な光景に松田が見惚れていると、一瞬の隙をついてキマイラがブレスを撃ってきた。
 『ウォーター防壁スクリーン!』
かろうじてディアナの魔法が間に合うが、相殺しきれなかった余波が熱風となって松田の肌を炙った。
 『主様、気を抜かないでください!』
 「すまん」
 どれだけ非現実的に見えても、あそこにいる怪物は現実リアルであり、松田を容易く殺しうるものであった。
 危うく死にかけたのだという現実リアルを、松田は冷や汗とともに受け入れた。
 「――――アイアンランス
 グリフォンを左右に回避させ、松田は空中に浮かぶ二十の鉄槍をキマイラに向けて撃ち放つ。
 高速で飛来する鉄槍をキマイラは器用に爪と牙で捌いたが、落としきれなかった三本の槍が白い毛で覆われた胸に命中した。
 「ギョアアアアアアアアアアアアアアッ!」
 真っ白な毛を鮮血で濡らし、キマイラは悶絶するように絶叫する。
 たまらず視線をそらしたその隙を逃さず、左右からグリフォンが突進した。
 空中での加速力ではグリフォンはキマイラに大きく勝っている。
 キマイラは風魔法で離脱を図るが、それよりグリフォンが体当たりするほうが早かった。
 ドゴッという鈍い衝撃音とともにキマイラの胸元へ飛びこんだグリフォンは、鋭い鉤爪を槍の突き刺さったままの傷口に突き立てる。
 噴水のように新たな鮮血が傷口から迸った。
 先ほどまでの敵意はどこへやら、キマイラは怯えたようにグリフォンを突き放すと背中を見せて逃走した。
 『勝負ありましたね。雷撃ライオット!』
 容赦ない追撃がディアナから放たれた。
 雷の直撃を受けてキマイラは大きくビクリと痙攣する。
 力を失って落下を始めたキマイラの巨体に、上空からグリフォンが、地上から騎士ゴーレムが襲いかかった。
 「騎槍突撃ランスアタック!」
 「突進チャージ!」
 雷撃で身体の痺れが取れないキマイラに、それらの攻撃を避ける余裕はない。
 ひと際高くキマイラは啼いた。
 死を恐れるような、死を受け入れるような、知性がある者に特有の哀しさを感じさせる声であった。
 ――――ゾブリ
 鉄槍が深く肉に食い込む音がした。
 松田を苦しめたボスモンスター、キマイラは遂にその生命活動を停止したのであった。
 「――――やってくれると思ってたぜ」
 まさに松田がキマイラを滅ぼすのを待っていたように、ラスネイルはキマイラのブレスで崩れた壁の影から姿を現した。
 潜伏ハイドのスキルを持つラスネイルだからこそ、キマイラの餌食にならずに生きのびることができたのだ。
 松田を守るためのゴーレムはキマイラを警戒して前面に展開していた。
 もはや今から戻しても間に合わない。
 「死ね! 限界突破オーバードライブ!」
 自身最速のスキルで松田の背後を襲ったラスネイルは勝利を確信した。
 ゴーレム使いとしては化け物でも、剣士の腕で松田がラスネイルに勝てるはずがなかった。
 だが――――。
 キン、と澄んだ金属音が響き、ラスネイルの長剣は白銀の髪をなびかせたステラのショートソードによって受け止められていた。
 「なあっ?」
 「お前の臭い匂いに私が気が付かないと思ったか、です。わふ」
 「てめえ! 人狼だったのか!」
 ラスネイルほどの男が渾身の力をこめた一撃を、ステラのような幼い少女が受け止められるはずはない。
 それをいとも簡単に成し遂げたのは、ステラが人間の身体能力を遥かに上回る人狼であったからこそであった。
 もっとも最大最後のチャンスを失ったことを、大人しく受け入れるラスネイルではない。
 これ幸いとステラを人質にして、さらに貴重な人狼を手に入れれば大儲けだと剣を握る手に力を込める。
 だがジリジリと剣を押し返していくのは小さなステラのほうであった。
 限界突破を使用したラスネイルの膂力は、ほぼ五割増しに跳ね上がっている。にもかかわらず純粋な力比べではステラの方が上であるという事実にラスネイルは怒り狂った。
 「そんなはずはねえ! この俺がこんな餓鬼に後れを取るなんて馬鹿なことが……!」
 「わふ、雑魚がえらそうなのです」
 「この俺が、この俺が雑魚だとおおおおおおおおっ!」
 「雑魚はいくら叫んでも雑魚なのです。わふ」
 ステラは軽々とラスネイルの剣を弾くと、身体をひねって腹部に強烈な回し蹴りを叩きこんだ。
 「ぐはっ!」
 ラスネイルの身に着けている皮鎧は刃を防ぐためのものであって、決して衝撃を防ぐものではない。
 まともに蹴りの衝撃を受けたラスネイルは、恥も外聞もなくのたうち回りながら口から胃液を吐きだした。
 途轍もない衝撃であった。ラスネイルだからこそ生きているが、それこそゴブリンや一般人程度では蹴りだけで内臓が破裂するだろう。
 ――――こんなはずではなかった。
 のたうち回りながらもラスネイルの目は、ステラを守るように整列したゴーレムの姿を捕えていた。
 自分の力ではあのゴーレムには勝てない。否、ステラにすら勝てない。そんな程度の力しかなかったのだ。
 リジョンの町で一番の腕利き探索者ともあろうものが。
 この町で一番強いのは自分のはずではなかったか? ガイアスと手を組んで金に不自由しない生活が保障されたのではなかったか?
 何もかもが自分の思う通りにいかないことにラスネイルは理不尽な怒りを覚えた。
 「このエルフ野郎! 何もかもてめえのせいで!」
 松田さえ現れなければ、ラスネイルは今も探索者として幅を利かせていただろう。ガイアスもまだまだ野盗として街道で暗躍していたはずであった。
 ラスネイルにとっての幸せな人生を壊したのは、松田という存在のせいである、というのはある意味では真実であった。
 「自業自得、といってもお前にはわからんか」
 ステラがラスネイルが隠れていることに気づいてくれなければ危なかった。
 キマイラとの闘いで夢中なところに襲いかかられたら、松田がラスネイルを防げたかどうかは怪しい。
 というよりステラの嗅覚とディアナの索敵がなければ、松田はとうの昔にこの世界の土に還っていたに違いなかった。
 もちろんディアナの索敵とステラの嗅覚がラスネイルを見逃すことなど現実にはありえないのだが。
 だからこそ、明白に命を狙ってきたラスネイルを許す必要を松田は認めなかった。
 「情をかければステラや俺の命が危ない。許しを乞うつもりはないよ」
 「くそがっ! 男なら正々堂々戦いやがれ!」
 「生憎と俺は一芸特化の新米魔法士でね」
 正直今でも殺人には吐きそうな抵抗がある。しかしすでにガイアスを殺し、ステラを危うく死なせるところであった松田は躊躇わないことに決めていた。
 生存のためなら犠牲を厭うつもりはない。それが法で認められているならなおのこと。
 「――――やれやれ、ホワイトどころかとんだブラックだ」
 次の瞬間、ラスネイルの口からかすれた呪いの言葉が漏れるとともに、盛大な血しぶきが飛び散った。



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