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守銭奴にも武士の魂 ~札束風呂の元祖、岡定俊の貫いた武士の一分~

高見 梁川

第三十九話 漁夫の利は果たせず

 武士と忍びの互いの誇りをかけた戦が始まったのを、嬉々として眺める複数の目があった。彼らは見弥山を望む上ノ山の雑木林でこの瞬間を待ちわびていたのである。
「こうもうまくいくとは思わんだ」
 定俊と伊賀組を争わせ、漁夫の利を得るのが黒脛巾組横山隼人の目論見であったが、それは見事に的中したといってよいだろう。
 現にアダミをセミナリオに置いたまま、定俊と甲賀の精鋭は皆伊賀組との対決のために見弥山の山中に分け入っていた。
 定俊も伊賀組も、直接の戦闘では全く勝てる気のしない相手だが、今ならその怖い鬼も同士討ちで手が離せまい。もはや黒脛巾組の行く手を阻むものは誰もいないのだ。
「どこへ行く?」
 一人、竹永兼次が凄みのある笑みを浮かべ堂々と背筋を伸ばし、見弥山に向かって歩き出すのを横山は慌てて咎めた。
「もとより我が手で越後守の命を奪うため」
「それはあくまでも手段のひとつでしかない。こうして戦う必要がなくなった今、あの南蛮人を攫えば目的は事足りる」
「そちらの事情がはそうかもしれぬが、生憎俺にとってはそうではない」
 戦国の生き残りにして蒲生家にその人ありと畏れられた岡越後守を倒す。そう聞いたからこそ依頼を受けた。太平の世の剣士が戦国の武士に勝利することで、新たな道を開くことができると信じたのである。こんなところで伊賀組に全てを奪われるのを認める気など毛頭なかった。
「組の命に逆らうか?」
「――――試す気があるなら試すがいい」
 腰の愛刀、孫六兼元の濃口をきって竹永は殺気を振りまいた。竹永は完全に本気であった。必要とあらば横山を含む黒脛巾組全てをここで鏖殺する覚悟でいた。
 それを理解した横山は口惜しそうに唇を噛む。戦闘力では竹永に勝てぬことを知っているからである。勝てぬと知って戦いを挑む法は忍びにはない。アダミ誘拐の目的を達成するためには、ここで竹永と敵対するという選択肢はなかった。
「勝手にしろ。決して奴らにこちらの邪魔をさせるな」
 万が一定俊と伊賀組が一時休戦してこちらの排除に向かわないとも限らない。それにアダミを攫う程度なら竹永の手を借りる必要はないはずだ。苦々しくではあるが、横山は竹永の自由を認めた。
「あまり越後守を侮らぬほうがよいぞ」
「貴様に言われるまでもない!」
 横山は竹永の忠告の意味を測りかねた。任務を至上とする横山は油断するつもりなど欠片もない。それは竹永もわかっているはずだ。
 しかし定俊と直接戦闘しなくて済むからといって、歴戦の将でもある定俊がなんの手配りもしていないはずがないことに、横山が気づくのはそれからまもなくのことであった。
 確かに定俊は伊賀組との戦に兵を動員する気はなかった。だからといってアダミを守ることを放棄したわけではない。いくら最後の戦いに臨むからといって、アダミを無防備に放置しているはずがなかったのである。
 セミナリオに侵入しようとした黒脛巾組が、遮蔽物のない講堂前の広場に姿をさらした瞬間、複数の銃撃にさらされた。
「何?」
 横山は慌てて近くの茂みに飛びこんで銃撃を避ける。逃げ遅れた黒脛巾組の配下がまた一人銃撃によって倒れた。これで残る配下は二人だけに減った勘定である。
「まさか……待ち伏せていたというのか?」
 伊賀組だけではなく黒脛巾組もアダミを狙っているということに気づかれていたのか?
 明らかに用意周到に用意された殺し間であった。おそらく銃手の数は八名ほど、しかもかなりの腕だ。精鋭で名高い岡家の銃手であればそれも当然のことであろう。
「私も殿に形見分けを任された以上はその信に応えなくてはなりませんのでね」
 身動きのできなくなった黒脛巾組の一味を見下ろして、天窓から首を出した林主計がにんまりと嗤う。そのすぐ頭上を棒手裏剣が通過していった。配下の者が主計の襟首ごと引っ張らなければ、今頃眉間に突き刺さっていたかもしれない。やはり戦うことに関してはからきしは主計である。
 どうにも格好がつかない、と残念そうに首を振る主計もまた間違いなく武の者であった。
(――――甘くみた!)
 定俊が無防備にセミナリオをがら空きにしたと信じていた先刻までの時分を殴りたい衝動に横山は駆られた。
 セミナリオの外周は綺麗に整地され六間ほどの広場になっていて身を隠す場所がない。これではいかに優秀な忍びでもただの的である。
 冷や汗が出た。こうして待ちに徹しられると、鉄砲という武器は定俊より始末が悪いかもしれない。ここに竹永がいたとしてもやはり突破は困難であろう。武芸者の腕は鉄砲の数には歯が立たない。それが戦を通じて証明された真理であり、剣を磨くものたちが解決することのできない命題だった。
 その答えのひとつが活人剣なのである。いまだそれは世に受け入れられているとは言い難いが、槍にも鉄砲にも勝てない剣が太平の世を生き延びていく道は、精神性にしかないと気づく者は気づいていた。
 なんとか打開策を見いだせないかと懊悩している横山の前に、いきなりセミナリオの扉が開かれた。反射的に懐の棒手裏剣を投げつけようとして、横山は危うくその手を止めた。
 扉の前に立つ長身のその男こそ、彼らの目的たるアダミであったからである。
「――――帰ッテアナタタチノ主ニ伝エナサイ」
 静かにアダミは茂みに潜む横山へ向かって語りかけた。
「我ガ隠シ財宝ハ遠ク澳門ニアリ、ソノ使用ノタメノ割符ハスデニ他ノ者ヘ託シマシタ。コレ以上ココデ何ヲシテモ貴方方ハ何モ手ニ入レラレナイデショウ」
 何を馬鹿な、と横山は憤る。それができるくらいなら最初からこうして猪苗代まで足を運んでいない。だが言われた言葉の意味は重大であった。アダミの足取りをいくら追跡しても、金が動いた気配がないことが疑問であった。百万両ほどの大金が動けば必ずなんらかの痕跡が残る。その痕跡がないという謎がアダミの説明なら解けるからだ。
「何ヨリ、私ヲココカラ連レ去ルコトハ不可能デス。ナゼナラ――――」
「連れ去られる前にこの俺が斬るからだ」
 アダミの背後に立つ藤右衛門が答えた。キリシタンは自害が禁じられている。ゆえに同胞たる藤右衛門の手でアダミを斬るというのである。
 そんなことができるはずが――といいかけて横山は息を呑んだ。高々と金丁して刀を抜いた藤右衛門には明らかな殺気が漲っていた。
 戦国の武士の言葉は重い。特に傾奇者と呼ばれる男たちは戯れにすら容易く命を懸ける。政宗にもそうした傾奇者の気質があるために横山は藤右衛門の覚悟を見誤らなかった。
 おそらくアダミをさらおうとすれば、躊躇することなく藤右衛門はアダミを斬るだろう。そしてアダミも抵抗することなくそれを受け入れるはずであった。それが彼らの定俊に対する最後の誠意であった。
 死人となったアダミに用はない。生きて捕えてこそ価値があるのである。しかし相手がアダミを守るのではなく、攫われそうになったらアダミを殺すとなると、その手を逃れて生きたままアダミを誘拐するのは不可能に近かった。
(これだから死に狂いの武士どもは度し難いのだ!)
 命の値が安いのは忍びも同じである。あるいは忍びのほうが容易く死ぬかもしれぬ。だが、武士のように死を望むことはない。忍びの死はあくまでも任を果たすための結果であって、華々しい死や名誉ある死など毒にも薬にもならぬ。
 キリシタンとしてアダミと藤右衛門がこの猪苗代に彼らが密入国してきたのは、命を賭しても布教をするつもりであったはずだ。
 にもかかわらずあっさりと死を決してしまえる武士という人種が横山は心の底から嫌いであった。許しがたい自己満足であり、なんら意味をなさぬ行為に思えたのである。
 また、時代もすでに殉死すら禁じる方向へと進んでおり、死という美を意識する武士の時代は過去のものとなろうとしていた。
「夕刻までには岡家の馬廻りと下士がやってくるぞ? 疾く去らねば挟み撃ちにして一人も逃さぬ」
「ぬう…………」
 口惜しいが藤右衛門の台詞は正しかった。鉄砲の的となったまま、さらに完全武装の兵と戦うことなどもとより想定していない。さらにアダミを生きたまま誘拐する可能性もなくなった。で、あれば退いて善後策を上に委ねるのが黒脛巾組の在り方である。伊賀組のように命を捨て誇りのために戦うような思いは横山にはなかった。そういう意味で、彼らも太平の世に生きる新しい種の忍びなのであろう。
 ひゅっ、と短い口笛を合図に、黒脛巾組は風のように撤退した。見弥山へ向かった竹永のことなど、ちらとも考えぬ見事な逃げっぷりであった。
「やれやれ、やはり用意していて正解でした」
 少々緊張感のない声で主計は零した。顔は笑顔だが、額にはじっとりとした脂汗が張り付いている。武才のない主計にとっては予想はしていても大きな重圧に耐えなくてはならぬ時間であった。
「さて、殿、こちらはお心置きなく」

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