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守銭奴にも武士の魂 ~札束風呂の元祖、岡定俊の貫いた武士の一分~

高見 梁川

第三十七話 待ち望んでいたもの

「武士ずれが、嘗められたものですな」
 一衆を預かる伍平は定俊がわずかばかりの共を連れて、忍びの縄張りたる山中へと足を踏み入れるのを見て嘲りの声をあげた。
「――――あの男を侮るな」
 少なからず配下の男たちが伍平に同調しているのをみた大善は、唸るようにして彼らを叱咤した。
 古い伊賀組忍びには、天正伊賀の乱で武士に敗北したのは数の暴力のせいである、というぬぐいがたい思いがある。当時信長だけが成しえた対応不能な飽和攻撃さえなければ、同数に近い戦力なら決して負けることはなかったという自負が。
 まして数に劣る武士になど後れを取るはずがない、という思いは大善もまた共有するところだが、別して一部の武士もののふはそれに当てはまらないことも事実であった。
 例えば歴戦の伊賀組をも金縛りにした定俊の咆哮。個人の力で戦場の色を塗り替えられる天与の才を与えられた武人は確かに存在する。
 それ以上に、大善は第二次天正伊賀の乱における定俊の武をその目で見ていた。横山喜内、坂源兵衛らとともに先鋒を任された定俊たち蒲生勢の、天魔のごとき強さを大善は片時も忘れたことはない。
 忍びの精髄たる奇襲攻撃、伏兵による左右からの挟撃が、大善にとっても自信の一撃が鎧袖一触に弾き返された。子供に背中から拳で殴られても、大人は笑って子供をたしなめる余裕があるが、まさにそんな力の差を大善は感じた。数が少ないとはいえ、その相手の一人である定俊を侮るなど到底できるはずがなかった。
「あの男を一人と見るな。奴一人で百人の足軽より手強いと思え」
 百人でも多すぎるとは大善は思わない。しかし伍平たち配下の忍びは大善の剣幕に頷きながらも、その意味を実感することができなかった。そのわずかな意識の差を彼らが理解するのは、もう少し後のことになる。


 重吉は正しく瞠目していた。
 この足場の悪い山野にあって、全身を甲冑で身を包み移動するのは並大抵のことではない。まして定俊のような老齢の人間にとっては特にそうだ。
 晩年の大御所(家康)も大坂の陣においては鎧兜を身に着けてはいなかったという。だからこそ真田信繁の最後の突撃から身軽に逃れることができたともいえる。それほどに完全武装の肉体的な消耗度は激しいのだ。いまだ三十代にすぎぬ重吉にとっても、甲冑を帯びて山を登るのは一苦労であった。しかも重吉の当世具足は定俊の纏う南蛮甲冑よりははるかに軽い。
 ところが定俊の軒昂さたるやどうだ。まるで二十代の若者の如き躍動感と覇気が横溢して溢れんばかりである。
 だがもともと蒲生家は甲賀にほど近い山に囲まれた地の出である。こうした山岳戦を得意とする国人領主であり、定俊もそんな戦を幾度も経験してきた。老いたとはいえそれで甲冑を着て戦をできない男はもう武士もののふではない。ごく当たり前のように定俊はそう信じていた。
「定俊様、ここからが結界です」
「うむ」
 ほんのわずかな木々の違和感を感知したおりくの言葉に定俊は頷く。
 忍びが己の力を十全に発揮すべき領域を結界という。本来それは故郷である伊賀や甲賀の地元を指す言葉であったが、今では不正規戦闘における自軍の領域を意味する。
 すなわち、ここからは準戦闘状態に入るというわけだ。特に忍びの不正規戦闘においては罠や伏兵のような奇襲をいつ受けるかもしれないというわけであった。
 だがそんなことへの気負いを微塵もみせずに定俊は飄々とその結界を乗り越えた。同時に、左右の杉林の隙間から二本の苦無が定俊めがけて放たれる。
 閃光のようなこの一撃を、定俊は苦も無くわずかに身体を揺らしただけで弾いた。避け
たのではない。甲冑で弾いたのである。
 名のある武将が贅を惜しまず資金を注ぎ込んだ甲冑は、ときに恐るべき防御力を発揮することがある。有名な信長の南蛮鎧も鉄砲の銃弾を二十間の距離から弾き返すことができたという。信長を狙撃した雑賀衆が、あえて防御力の低い足を狙ったのもそのせいである。
 当る角度をわずかに調整しただけで、忍びが得意とする苦無や手裏剣などをたちまち無効化してしまうのが甲冑武者の恐ろしさであった。忍びが闇の戦士であるならば、武士もののふこそは現世の益荒男であり、こと戦いに関する限り技能の全てに習熟していた。
 その様子を目撃した大善の脳裏に、あの日の記憶が蘇る。
 伊賀北部、甲賀との国境である玉瀧口から侵攻してきたのは蒲生氏郷と脇坂安治からなるおよそ四千ほどの軍勢だった。街道で埋伏し、出鼻をくじくはずであった大善は、仲間との土遁の術に絶対の自信を持っていた。木遁と土遁による奇襲攻撃を受ければ、いかに蒲生の先鋒といえど物の数ではないと。事実、第一次伊賀の乱において、大善は北畠の手勢を数度にわたって撃退したという成功体験があった。
 ――――織田信長なにするものぞ。
 左右から一斉に襲いかかった大善は瞬く間に三人の足軽の首を撥ねた。不意を衝かれて数十人の兵を失えば混乱が生じる。敵の数は? 味方は勝っているのか負けているのか? 退路が断たれてはいないか? そうして混乱が拡散したところを見計らって兵を退くのが伊賀者の戦い方であった。しかし混乱が拡大するよりも早く、あの野太い割れ鐘のような大音声が轟いた。
「何をうろたえる? ただ目の前の敵を叩き伏せよ! 簡単なことであろう?」
「おおとも! よけいなことを考えずに済むわ!」
 咄嗟に声を張り上げたのが定俊であり、その声に乗ったのが横山喜内であった。そして二人が槍を振り回すや、比喩表現ではなく二、三人の忍びが宙を飛んだ。さすがは仁王喜内の渾名は伊達ではなく、まさに坂田金時のごとき剛力であった。
 そんな非現実的な光景にたちまち勇気を取り戻した蒲生勢は、奇襲効果を失った伊賀忍びに対して反撃を開始する。真っ向から戦っては忍びの不利は免れない。
(――――伊賀忍びを嘗めるな!)
 奇襲効果が失われた今、再び蒲生勢を混乱させるためには先鋒の兜首を挙げるしかない、と大善は信じた。この玉瀧口を突破されてしまうと田矢伊予守城まで有力な防御拠点がないため、軽々に退くわけにはいかなかった。
 だが、いざ定俊と横山喜内に狙いを定めると存外に隙がない。言葉通りに目の前の敵をひたすらに槍で叩いているように見えるのに、逆にこちらが狙われているのではないか、という恐怖がある。
 常在戦場の身体で覚えた修練が、本能的に殺気に反応していたのだと今ならわかる。
 気圧されるようにして必死に放った大善の苦無は、定俊が軽く顎をしゃくっただけで兜に弾かれた。
 これは到底敵わぬ、と大善は心を折られ仲間とともに命からがら田矢伊予守城へと退却するが、別動隊に退路を断たれていてそのまま這う這うの体で伊賀を逃げ出した。 
 あの日の敗北感と挫折を大善は今なお忘れられないでいる。いつか必ず雪辱すると誓いながら、今日この日までその誓いは果たされずにいた。
 だがあれから数え切れぬほどの修羅場を乗り越えて、大善も成長した。決して忍びが武士に劣るものでないことを、今日こそ証明する。
「我が伊賀組の怨を知れ、岡越後守!」
 そういって跳躍する大善の顔は耐えることのできぬ喜悦に満ちていた。




 伊賀の組頭、方丈斎は陣術、すなわち野戦陣地や罠を利用した奇襲の達者であると言われてきた。
 事実小部隊の指揮官としての力量で方丈斎の右に出る者は、伊賀組広しといえどいないと思われる。だからこそ方丈斎は小部隊指揮官としての役割を果たし続けてきた。
 だがそれはあくまでも勝つために選択する方便であって、方丈斎自身がその戦いを好んでいるかというとそれは異なる。方丈斎自身はむしろ一匹狼で己の技量のみを頼りにした個人戦を好みとしていた。
 孤高の狼は猟師と犬が徒党をなしてやってくる集団戦に敵わない。鉄砲が普及した現在は特にそうだ。しかしかつては山の主といえば、猟師が束になっても敵わない人知を超えた存在と畏れられてきた。まだ方丈斎が幼名の彦六であったころ、牙王と呼ばれた一匹の月輪熊は猟師も決して手出しをしてはいけないとされ、方丈斎も親にきつく言い聞かされたものだ。もしかしたら、そのころの圧倒的な存在に対する畏敬が方丈斎に憧憬の念を抱かせたのかもしれない。
 いずれにしろ、誰かを指揮するという義務から解放された方丈斎は、心行くまで雄敵と雌雄を決しようという喜びに満たされていた。
「すまぬが抑えは頼むぞ?」
「若造一人、伊賀組の名にかけて通しませぬ」
「あの鵜飼藤助が手塩にかけた後継ぎだ。決して嘗めてかかるな」
 大善の配下から派遣された勝郎と太助が、心外なとでも言いたげに声を荒げた。二人とも伊賀組でも手練れとして知られた男であり、戦国の厳しい戦いを生き抜いてきた男であった。なかでも太助は死んだ村雨の従兄弟にあたる。いかな相手であろうと雪辱を果たさぬわけにはいかなかった。
「無論、嘗めてなどおりませぬ。ただの若造にあの村雨が敗れるなどありえぬことでございます」
「うむ、わかっておればよい」
 そういうと方丈斎は鵜飼藤助と戦うことに意識を向けた。もちろん仲間を案じる気持ちはあるが、それよりも鵜飼藤助と戦うことのほうがよほど重大であった。
 八郎の相手を勝郎と太助に任せ、方丈斎は迫りくる鵜飼藤助――角兵衛へと歩を進めた。
 ――こうして直接相対することができるとは。
 甲賀にその人あり、と方丈斎が藤助の噂を聞いたのはまだ若き日のことだった。天正伊賀の乱で甚大な被害を被った伊賀忍びは、分家筋である三河伊賀の服部家の支配を受け、逆に徳川家の支援によって日本最大とも呼べる忍び組織となった伊賀組だが、個の力としては弱体化した。
 それは伊賀崎道順、野村孫大夫、下柘植木猿のような個人として有名な伊賀忍びが、天正伊賀の乱以降一人もいないことでも知れるであろう。
 当初は方丈斎も集団としての伊賀組に誇りを抱いていた。優秀な猟犬の群れは誇り高い孤高の狼を駆逐するのが世の流れである。それが必ずしも真実でないことを知ったのは、あの関ヶ原の前哨戦であった岐阜城をめぐる攻防戦の折であった。
 関ケ原において、西軍の誤算の最たるものは、京極高次の裏切りともうひとつ、岐阜城を守る織田秀信の早期敗北である。この敗北が毛利輝元を日和見に追いやり、石田三成をして持久戦から決戦へと戦略を変更させたといっても過言ではない。
 この岐阜城攻めにおいては情報が複雑に錯綜している。まず織田秀信が籠城ではなく野外での決戦を選択したことである。確かに岐阜城は時代遅れの名城とはいえ、籠城していればすでに石田三成が舞兵庫を援軍に派遣していた。あと少し待つだけで戦況はかわっていただろう。しかし秀信は断固として出撃する。戦いは数に勝る池田照政率いる別動隊が優勢となるも、木造具正や百々綱家が手塩にかけた織田軍もまた善戦していた。この戦いがいともあっさりと織田軍の敗勢となるのは、遊軍を率いる佐藤方政が一度も戦うことなく逃亡してしまったことにつきる。
 その影で、数々の偽の情報が飛び交い、そして敵味方を問わず調略の使者が慌ただしく行きかっていた。
 佐藤方政に織田軍の敗北を伝えたのは誰あろう若き方丈斎自身である。現実として織田軍はまだ敗北していなかったし、整然と岐阜城へ退却しようとしていたのだが、もともと出撃に賛成ではなかった方政は方丈斎の報告を信じた。
 鵜飼藤助が配下の甲賀者とともに伊勢から岐阜へ到着したのはそのあとである。あと一歩の差で藤助は岐阜城の攻防戦に間に合わなかった。これほど早く戦端が開くことは、完全に石田三成の予想を超えていたのである。
 だが激怒した藤助は、行きがけの駄賃とばかりに伊賀忍びを狩りまくった。 
 方丈斎が生き残ることができたのは偶然のたまものであり、不運に遭遇した仲間の数は両手を超えた。
 だが、今の方丈斎はかつての弱かったころの自分ではない。幾たびもの死線を超えてあの日仰ぎ見るしかなかった鵜飼藤助をも超えたと方丈斎は信じた。
「陽炎の方丈斎、一手所望仕る」
「甲賀の角兵衛、老体で不足なくば参られよ」
 二人の距離が詰まっていく。
 これから命のやり取りをするというのに、二人の顔は笑み崩れていた。相手の命をとろうというのに、その目は幼子をみるかのように優しかった。
「よくぞ生きていてくだされた」
 正しく本音で方丈斎は言った。思うようにならない、苦労ばかりの人生であったが、その最後になって自分は報われたと思う。
「もはやこの世に未練なし。見事我が首討ち取って見せるか? 方丈斎!」
「応とも!」
 角兵衛の右手が閃く。
 雨のような礫が一斉に方丈斎を襲った。

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