守銭奴にも武士の魂 ~札束風呂の元祖、岡定俊の貫いた武士の一分~

高見 梁川

第二十八話 生きる者死にゆく者

 柳生家下屋敷は品川の西(現在の西五反田)に約一万二千坪余の広大な敷地を有していた。将軍家の剣術指南役として、代々故郷柳生に帰ることなく、この下屋敷に常駐することを常とした。
 すでに江戸の街は深い闇に包まれ、行燈のぼんやりした明かりだけが室内をゆらゆらと照らしている。
 正座して静かに文机に筆を走らせているのは江戸柳生の総帥、柳生又右衛門宗矩であった。
 将軍家の信頼も厚く、いまだ旗本の身ではあるが将来大名へと立身するであろうことは確実と当然のように思われている。それは宗矩が単なる剣術家ではないことに起因していた。
 さる元和二年のことである。将軍秀忠の長女である千姫との結婚の約束を反故にされた坂崎直盛が謀反を画策した。輿入れする千姫を兵を率いて奪おうとしたのである。さすがにそんなことをされては坂崎家はお取りつぶしを免れない。家老の一人が幕閣に訴えて事態が発覚し、穏便にことを済ませるため直盛を説得に単身赴いたのが宗矩であった。結局坂崎直盛は家老に暗殺され家は取りつぶしとなるが、寸鉄帯びず説得に赴いた宗矩の株は大いに上がった。
 そして今までの剣術の概念を覆す活人剣という発明、剣の境地が政治にも生かせるという主張は、宗矩が一剣術家でいることを許さなかった。
 のちに宗矩は総目付という大名の監視役にまで出世し、将軍に次ぐ権力者である老中にすら恐れられることになる。その萌芽がすでに芽を吹かせつつあったといえるだろう。
「よろしいのですか? お館様」
 宗矩に影のように従う矮躯の男――狭川新左衛門はそう問いかけずにはいられなかった。先刻、伊賀の組頭中林帯刀が退出したばかりである。柳生忍軍にとって、伊賀組は年来の宿敵であった。その敵がせっかく弱みを見せたのに、わざわざそれを看過する道理がわからなかった。
「わからぬか? 我が新陰流の高弟ともあろうものが」
「いまだ修行がいたらず、不甲斐なきことにて」
 そう頭を下げはしたものの、新左衛門に納得した様子はなかった。一門の同志には伊賀組に討たれた者もいる。お互いに簡単に許せるような関係ではないはずだった。
「心は万境に随って転ず。転処、実に幽なり」
 その言葉は新左衛門には知る由もないが、禅宗伝法祖師二二祖の摩拏羅まぬら尊者の伝法のである。実に柳生新陰流の奥義、まろばしの意を体現した言葉であり、活人剣の思想性の核であったといえるだろう。
 心が決して一か所に留まっていてはならない。まろばしとはすなわち、球体のごとく相手の動きに応じて自由に対応すること。そして球体が坂を転がるごとく自然の力を利用して勝利することである。
 それは単なる剣の理のみならず、世の中の流れ、政治の流れ、人としての生き方全てに通じる真理というのが宗矩の主張であった。ゆえにこそ柳生新陰流は治国天下の剣でありえた。
 しかしその思想性は当時の異端であったともいえる。あるいは宗矩ではなく、柳生新陰流の道統が甥の柳生利厳へと伝えられたのは、そうした思想性に対する石舟斎の危惧であったのかもしれない。また宗矩と利厳の後年の対立も、そうした思想性の食い違いを抜きには考えにくいのではあるまいか。
「――――我ら柳生はこの太平の世にいかにして生きるべきか」
 生きることすなわち変わり続けること。その思想は常に死を身近に感じ、死をもって人生の価値とする戦国の戦人には受け入れがたいものがあった。歴戦の戦人である細川忠興などは「新陰は柳生殿より悪しく成申候(新陰流は柳生になって悪くなった)」と罵倒しているほどである。 
「死を美化し、死を背負って戦う者は強い。しかし死んだ者の名は遺せても、家も技も道も残すことはできぬだろう」
 死に物狂いとなった伊賀組の戦力は、少なくとも裏の世界においては柳生忍軍を確実に上回る。流浪の土豪にすぎなかった柳生家には伊賀組ほどの実戦経験がないからだ。その伊賀組が、わざわざ戦力をすり減らしてくれるという。しかも戦いの結果にかかわらず、裏の世界からは手を引くというのだ。あえて火中の栗を拾いにいく理由がなかった。
「はあ…………」
 わかったようなわからぬような、狐につままれたような顔をする狭川に宗矩は機嫌よさそうに笑った。
「伊賀組は死に花を咲かせようとしているのだ。死にゆくものを黙って見守るのが武の礼ではないか?」
 勝手に死んでくれるのなら喜んで見送ろうという気持ちが宗矩にはある。もし宗矩ならたとえどれだけ醜く汚くとも、なりふり構わず柳生の生き残りに手を尽くすに違いなかった。美しく満足な死など畜生に食わせてしまえばよい。柳生宗矩個人ではなく柳生新陰流が後世にまで伝世していくためなら、戦人の誇りなどいくらでも投げ捨てて見せる。
 なまじ神君伊賀越えの功績があるばかりに、変わることをよしとしない伊賀組は、宗矩に言わせれば冬眠し損ねた巨熊のようなものであった。冬の山中に餌は少なく、人里に下りて餌を探そうとして猟師に殺されようとしている。どれだけ優秀な遺伝子を誇ろうと巨熊が殺されてしまえばその血は絶える。せめて猟師を多く道連れにして後世に名を残すことができれば御の字であろう。
 そんな手負いの気の荒い熊と戦うのは愚かだ。戦わずに済むのならあえて戦わずとも恥にはならない。事実宗矩は武芸者から勝負を挑まれても、幾度もその勝負を避けている。むしろ剣を伝えるために不要な勝負は極力避けるべきだと考えていた。
 戦国という時代が終わり、戦がなくなると人は刹那的な個人の生き方を改め、組織と家を守っていくためへと変わっていく。この元和、寛永という時代はその過渡期であったといえるだろう。
 正しく宗矩は個人を捨て、柳生新陰流のために、柳生家のために、徳川幕府のためにその生涯をささげた。宗矩の最後の絶筆は肥後藩主鍋島元茂に兵法家伝書を贈るため、弟子の村川伝衛門に支えてもらいながら書いた非常に乱れた書体である。これを乱れ花押という。死に臨んでも宗矩は柳生新陰流安泰のためにその最後の力を振り絞ったのだ。
 死ぬこととは美しきこと、生きるとはすなわち汚れること。しかし汚れることを嫌うその怠惰を宗矩は侮蔑する。
「恨みに捕らわれるな新左衛門。恨みも嫉みも欲も色も否定はせぬが、それに捕らわれては柳生が奥義、まろばしは極められぬと心得よ」
「――しかと心に刻みまする」
 完全に理解したとはいえないながらも、宗矩の言葉はなぜか新左衛門の胸の深い部分に響いた。この若者、狭川新左衛門であるが、後年柳生新陰流を離れ自らの流派である古陰流を創始する。あるいは彼の心には、この日の宗矩の言葉があったのかもしれない。




 月明かりに石が飛ぶ。闇の中で淡い光とともに求愛の最中であった蛍が、石に草葉をちぎられて風に飛ばされ落ちていく。それが幾度も繰り返されたかと思うと、いつしか数十匹の蛍が一か所に集まってまるでともしびのように大きな光の塊となっているのだった。
 縁側でそれを見つめる角兵衛――鵜飼藤助は人生最後の戦いを前にして静かに闘志を燃やしていた。このまま伊賀組が諦める可能性はまずない。そもそも忍びとは執念深い種族である。さらに屈辱を忘れぬ種族でもある。そうした思いの深さが忍びに対する偏見を産むのだが、こればかりは抑えようとして抑えられるものではなかった。
「お若いですな」
「おう、久しぶりに若い頃に戻った気分じゃよ」
 からかうような達介の言葉に、角兵衛は照れくさそうに応えた。達介は角兵衛より二つほど年下で、甲賀ではよく見知った仲であった。お互いに老いを自覚して久しいだけに、年寄りの冷や水を見られたような気分になったのである。
「それにしてもよう、生きておられました」
「佐治の頭領には感謝しかない。生き恥をさらしたと思うていたが、この俺にかけがえのない孫と死に場所を用意してくだされた」
 亡き主君長束正家に殉ずるつもりだった。殉死を止められ、山深くに隠棲し、いったい何のために生きるのかと自答したことも数えきれない。しかし角兵衛は八郎という才能をを天から与えられた。才あるものは才を愛す。血の繋がった家族以上の愛情をこめて角兵衛は八郎を育てた。
「まこと、あれほどの孫をこの達介、見たことがございませぬ」
 達介には角兵衛の気持ちがよくわかる。なんとなれば達介自身がおりくを育てながら、彼女に実親以上の愛情を抱いてしまったからだ。こうしてわざわざ甲賀を抜け、猪苗代までついてきているのがその証拠であった。もちろんそれを角兵衛もわかっている。だから二人は何も言わなかった。
「――――しかしあれほどの才、いかなる血を引くものか。角兵衛殿は気になりませぬかな?」
 無論、何の血を引かなくとも才をもって生まれる人間はいる。だが、その考えは甲賀という地で同族婚を繰り返し優秀な血統を維持し続けてきた戦国の忍びには通じない。あくまでもそれは例外であり、選りすぐられた遺伝の力の恐ろしさというものを、彼らはその目でその体で知っているからだ。
「知ってはならぬ、ということもある」
 詮索無用、角兵衛は八郎を預かった際にそう固く申しつけられている。逆説的にただの生まれでないことはその時点でわかっていた。
「想像するのは勝手でありましょう。何より死人になんの法がありましょうや」
 鵜飼藤助という人物はすでに死んだことにされている。死人を裁く法は存在しない。まして角兵衛はすでに死を覚悟している。というより死ぬと決めている。今語らなければ秘密は永久に失われるだろう。それを承知で達介は問うているのだった。
「俺ばかりが語るのは不公平であろう?」
 問うからには先に語るべきことがあるのではないか? 角兵衛は目線で達介に促した。
「先代から氏長様に頭領が譲られた折、おりく様が江戸に赴かれた。一族内の私事ということで某は同行しておりませぬ」
「――――義忠様が八郎を連れてきたのも引退して間もなくのことであった」
「やはり」
 達介は自分の想像が正しかったとでも言いたげに二、三度大きく頷いた。
「江戸で性質の悪い風邪にかかった、と半年近くも戻られませなんだ。あのおりく様が珍しいこともあるものだ、と思っておったが……」
「嘘をつけ、そのときからお主すでにこの事態を予想しておったな?」
「まさかまさか! 半ば以上は子供は堕胎したものと思っておりましたよ」
「予想しているではないか!」
 角兵衛は苦く笑った。うすうすは予感していたが、その予感が的中していたことを角兵衛は確信した。
「八郎の母親はおりく様だというのか…………」
 おりくが母親なら父親は一人しかいない。おりくがその秘密を墓場まで持っていくつもりなのもそこに理由があるのだろう。なるほど詮索無用と先代が釘をさすわけだ。
「こんな話、知りたくはなかったぞ……」
「でも疑ってはおったでしょう?」
「先代との約束だ。俺は何も知らん。語るつもりもない。お主もそのつもりでおれ」
 達介は表情を読ませぬ作り笑いでひょひょひょ、と笑った。
「某ですら気づいたのだ。当人が気づかぬと思いますか?」
 角兵衛はギョッと目をむく。うかつにもその可能性について考えていなかったのである。
「そんなそぶりはなかった……と思うが?」
「認めるつもりもないでありましょう。しかし戦いの場ではどうでしょうか?」
 目の前で息子が殺されるのを見過ごす母親がいるだろうか。達介はおりくが自らの危険を省みず八郎を助けようとするなら、おりくに代わって自分が死のうと覚悟を決めていた。
「ありがたいことです。某にもようやく死に場所がきたらしい」
 娘のように思っているおりくのために死ぬ。しかも忍び働きで死ねるのならこんなにうれしいことはない。達介もまた角兵衛とは目指すところは違うが、同じく伊賀組との闘いを死に場所にしようとしていた。
「一杯やるかね」
 思わぬ旅の道連れができたかのように、角兵衛は腰に下げていたどぶろく入りの竹筒を達介に差し出す。
 うれしそうに達介はそれを両手で受け取った。
「ご相伴に預かりましょう」

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