守銭奴にも武士の魂 ~札束風呂の元祖、岡定俊の貫いた武士の一分~

高見 梁川

第二十二話 老兵の戦い

 だが真っ正直な正攻法で鵜飼藤助に勝てると思うほど、小六は自分の腕に慢心していなかった。ぬかりなく失われた二本の指をあえて見せることで相手の隙を誘っている。もちろんその程度で角兵衛が小六を侮ることはありえないが、それでも指を失った小六の左手に対する警戒感は下がるであろう。いかに手練れの忍びでも、人差し指と中指をなしに苦無や手裏剣の狙いをつけることは難しい。
 ゆえに、投擲武器は捨て、刀での白兵戦闘に活路を見出しているよう、小六は装っていた。忍びの戦いとは、究極的に虚と実の駆け引きなのである。
 角兵衛は小六の意図に気づいていた。気づいていてなお、小六が何をするのかに興味があった。八郎には遊ぶな、と言っておきながら業が深いことだと思う。自分がまだ鵜飼藤助であったころを知る壮年の忍びが、いかほどの腕を持つか確かめたいという欲求を抑えることができない。
 たちまちのうちに二人の間合いは接近した。小六は角兵衛が得意の印字打ちを使わぬことを訝しみながらも、相討ちの覚悟でさらに踏み込みの速度を上げる。
 そして身体を屈め、忍び刀を突きたてるように見せながら、小六は口から含み針を角兵衛へと放った。熟達した忍びは小指の先ほどの針を二間ほど離れた的へ正確に命中させることができる。
 しかしその含み針ですらも囮で、小六の本命は実は足にあった。いつの間にか小六は足の親指と人差し指で器用に苦無を握っている。忍び刀の刺突を避ければ、そのまま至近距離から苦無を投擲するという二段構えの攻撃に小六は絶対の自信を持っていた。
 まるで手のように器用に足を使うことにかけて、小六は伊賀組の中でも一、二を争う腕の持ち主である。もともと忍びは蛸足と呼ばれる特殊な鍛え方で足の指先を操る修行を修めるが、なかでも小六は肌が特殊なのか、本物の蛸の足のように自由自在に獲物を指に吸いつけることが可能であった。
「うむ、見事」
 小六の意図に気づいた瞬間、角兵衛はにんまりと笑う。ちょうどうなじのあたりが、火にあぶられたかのようにチリチリと痛い。久しぶりに感じる生と死の定かならぬ境目の感覚であった。
 ほんのわずかな気の緩みや偶然が、即死と敗北に繋がる。この感覚を角兵衛は密かに待ち望んでいた。死ぬ前にもう一度、この高揚感に身を浸して死にたかった。だが――――
「ぐはっ!」
 驚いたことに角兵衛は自らの忍び刀を手放し、素手で小六の苦無を弾いた。刀では振る、という作業が必要となる。振っていては間に合わないと判断したのである。本来なら手甲は手首から肘までを覆うものだが、老齢のため角兵衛の手甲はほとんど腕輪のように手首近くしかない。それでもなお正確に苦無の軌道を逸らす技量はさすがであった。真に驚くべきは、そうした作業をこなしながらも小六に蹴りをお見舞いしているということだ。
 切り札を躱されて小六は呼吸を乱して距離を取る。激痛が脇腹から首筋を貫いて脳天にまで達した。間違いなく肋を折られたときの症状であった。
「さすがは音に聞いた鵜飼藤助、まさかこれほどの腕とは……」
 自信の一撃をあっさり躱されて、悔しいというより小六は新鮮な感動を味わっていた。今相対している老人が、真実伝説の忍びであると心から実感したのである。いつお迎えが来てもよさそうな老人になっても、人はこれほどの戦闘力を持ちうるのだ。日ごと思い通りにならなくなる身体に、少々年齢を取りすぎたと愚痴をこぼしていた小六は己の不明を恥じた。
「――――それでは最後の一手を仕る」
 おそらくは通じないであろうが、ここで最後の力を出し切らずに死ぬことは我慢がならなかった。同時に、満足のいく一撃はこれが最後になるであろうことも自覚している。体力の低下と激痛がこれ以上の戦闘を小六に許さないのだ。
「……彼岸花」
 両手を軸として逆立ちし、駒のように回転しながら、小六は一呼吸の間に二十本もの苦無を放った。とっておきの奥の手であり、苦無も通常のものより一回り小ぶりで鈎型に曲がっている。それを左右の足に十本づつ握った様からついた名前が彼岸花。いかに角兵衛が伝説の忍びであってもこの同時攻撃を捌ききれるものか。
 ところが角兵衛の対応は小六の予想の遥か上を行った。迫りくる鈎型苦無を数で倍する礫によって迎撃したのである。もとより攻撃力はいらない。苦無の軌道さえ逸らしまえばよいのだ。 
 それにしても高速ですれ違う礫で二十本もの苦無を迎撃することが現実に可能なものであろうか。天下の伊賀組といえど同じ真似をできる忍びは一人としているまいと小六は思った。さらに――――
「お、お見事…………」
 口唇から一筋の血を零して小六はどう、とうつ伏せに倒れた。その背中には忍び刀が深々と突き刺さっている。先ほど苦無を防ぐために角兵衛が捨てたはずの忍び刀であった。
 その刀が、なぜ、どうやって小六の背後に突き刺さっているのか。理解できぬままに小六は嗤った。
 忍びの技のなんと遼遠なることか。戦国の昔は、こうした妖怪のような使い手が幾人もいたという。それにしても小六の背後にあったはずの忍び刀を、いったいどうやったら突き刺すことができるというのか。
 小六は最初から自分に勝ち目があるなどとは思っていなかった。それでも十分満足だった。至高の芸術ともいうべき術理を目の当たりにできたうえ、最低限の仕事は果たしたのだから。
 角兵衛も八郎も小六が果たした最後の仕事に全く気づいていない。一斉に放たれた二十本の苦無。そのなかに一本だけ、角兵衛からわずかに逸れて放たれたものがあった。角兵衛もまた、放っておいても命中しないものをあえて迎撃しようとはしなかった。
 ――――その一本にはしっかりと、『鵜飼藤助』の名が刻まれていたのである。


 ――二日後、遅れて到着した黄番の伊賀組たちは、小六の働きを無駄にしなかった。彼らは本来アダミを誘拐する任を果たすべきであったが、『鵜飼藤助』の名はそれを躊躇させるだけの重大な懸念材料であり、当然のように彼らは江戸の方丈斎へ指示を仰いだのである。




 慌ただしく達介とおりくが藤右衛門の応急処置を施していく。定俊は村長の作左衛門に説教の中止を伝えると、すぐさま家臣の林主計を呼んだ。
 定俊より一回り若い林主計は、洗礼名をコスモといい歴としたキリシタンである。計数に明るく定俊にとっては分身ともいえる岡家の勘定役を任されている男で、岡家の経理で彼が知らぬものは何もない。残念ながら戦のほうはからきしであるが、この男はひとつの特技を持っていた。本草学に明るいのである。そのため主計は稀少な薬草を金に飽かせて大量に所有していた。
「どれだけ金がかかっても構わん。藤右衛門殿を死なすな」
「無論、兄弟のために物惜しみする気はありません」
 もともと主計は責任感だけは人一倍な苦労性の男である。融通の利かないそんなところが弟の岡重政を彷彿とさせた。だからこそ定俊の莫大な富をほとんど無制限に任されていたともいえるだろう。藤右衛門の患部を一瞥した主計はすぐさま薬草を取りに屋敷の蔵へと駆け出した。
「おそらく藤右衛門殿は命を拾うでしょう」
 おりくの言葉に定俊は力強く頷く。怪我が重いのは確かだが、本当に危険なのは脇腹に受けた忍び刀の刺し傷だけであり、それも本能的に藤右衛門はうまく致命傷を避けている。藤右衛門ほどの戦人が、体力が保たずに衰弱死するとは定俊は毛頭考えていない。
 何より定俊の戦人としての勘が、藤右衛門から死臭を全くといっていいほど感じていなかった。死臭とはいっても、匂いというよりは気配である。どれほど意気軒昂にみえても、どこか距離が離れているような、光の当たり方が異なるような違和感がある。戦場ではそんな男はなんの前触れもなく唐突に死んでしまうことが多かった。
 幸いにして藤右衛門からそうした気配は感じられなかった。ならばしぶといことこの上ない戦人であれば助かるであろう。
「――――藤右衛門殿……」
 おそらくは助かるし、死んだときは運がなかっただけのことだ、と当然のように割り切っている定俊とおりくとは違い、アダミは沈鬱そのものであった。素人である彼の目には藤右衛門が助かる確率はそれほど高くないものに思われたのである。
 ともに海外へ追放され、命を賭して日本へ帰還した同志でもある。もしアダミが言い出さなければ今も藤右衛門はマカオで健やかにいられたかもしれない。そう思うとアダミの胸は張り裂けそうに痛んだ。否、それ以上にアダミには後ろめたさを覚えなくてはならぬ事情が存在した。
「――――私はあの忍びを追ってみます。あれでも深手を負っておりましたゆえ」
「達介を連れていけ。手負いといっても忍びを甘くみるでない」
 このままじっとしていることに耐えられなくなった重吉が駆け出そうとするのを、定俊は静かにたしなめた。重吉の腕は先の戦いでも見た通り見事だが、忍びが本気で死力を尽くしたときの恐ろしさを定俊は天正伊賀の乱で幾度も味わっている。手負いだからといって絶対に油断などしてよい相手ではなかった。
「やれやれ、お館も人使いが荒い」
 そうぼやきながらも達介は火縄の整備に余念がない。年齢とともに体術が衰えた達介が、現役であり続けるために火縄銃は欠くことのできない武器なのである。
 やがて藤右衛門は近習たちの手によって猪苗代城へ運ばれ、伊賀組たちの無惨な死体も回収された。忍びの死体は、送りこんだ幕府にとっても送りこまれた側にとっても厄介ものでしかないのだった。


 ――戦いの痕跡が薄れ、琵琶沢の村からも喧騒が遠のいたころである。
 辻から少し離れた水路を見下ろす土手から、土に塗れた男が一人、倒れこむようにして太いため息を吐いて脱力した。息をひそめて気配を殺し続けること半日近く。このときまで男は微塵の油断もなく隠形し続けてきたのであった。
 気が緩んだためか、男の額から背中から、滝のような冷や汗が流れて落ちた。隠形中の忍びは心の動揺が身体に現れぬよう訓練を積んでいる。その反動である。
 浅黒い肌に痩身の男は、黒脛巾組の横山隼人であった。かねてより、伊賀組と定俊たちを互いに傷つけあわせるのが隼人の策であった。その策が正しく図に当たったという期待は、もらくも崩れ去った。
「――――あれが本物の戦人というものか」
 定俊の耳をつんざく咆哮を聞いて、よくも恐怖に叫びださなかったと隼人は自分を褒めたかった。すぐにも尻尾を巻いて逃げ出したい衝動を耐えるのにどれだけの意志力を必要としたことか。
 自分がうぬぼれていたことを隼人は認めぬわけにはいかなかった。少なくとも純粋な戦闘行動で忍びが戦人に勝つことは難しい。そもそも黒脛巾組は政宗の代に組織されたもので、忍びとしては歴史の浅さが際立っている。ゆえに伊賀や甲賀のように大規模な不正規戦闘をした経験が乏しかった。創設時から無頼の者をはじめ武士の次男や三男を動員しているため戦いができないわけではないが、忍びらしい不正規戦は苦手というのが黒脛巾組の瑕瑾であった。
 とはいえ、情報収集や流言飛語などにおいて、あの摺上原の戦いでも黒脛巾組は活躍しており、むしろ新しい時代に相応しい忍び組織であるともいえる。
 しかしながら少なからず自分の腕に自信を持っていた隼人にとって、先ほどの戦闘はその自信を木っ端微塵に打ち砕くものであった。もし黒脛巾組の一隊が定俊たちを襲っていれば、あの伊賀組より容易く殲滅されていたに違いなかった。隼人の目にも、伊賀組の土遁の術は見事なものであったのである。
「口惜しいことだが、これはわが手には余る…………」
 無表情な隼人には珍しく、頬の筋肉が無意識に痙攣していた。あれと戦うためには今の黒脛巾組では歯が立たない。あれはまだ時代が戦国であったころに生まれた仇花のような鬼子である。同じ鬼の血を引く者にしか対抗することはできないだろう。
 しかし忍びにとって主命は絶対である。なんとかアダミを誘拐しなくてはならない。しかも伊賀組が近い将来さらに多くの戦力を投入してくる前に。
(…………鬼の血か)
 ふと隼人は一人の配下の顔を思い出した。厳密には配下というより協力関係にある戦闘員と呼ぶべき男である。諸国を流浪して修行に明け暮れ、剣の腕を磨くために黒脛巾組の裏仕事を請け負うあの男――――奴ならばまさに剣の鬼と呼ぶに相応しいだろう。
 運のいいことに先年に柳生新陰流の免許皆伝を受けて帰国し、今は仙台で新たな流派を立ち上げたらしいと聞いた。
 確かその名を柳生心眼流――その創始者となった男の名を竹永隼人兼次という。黒脛巾組のなかでも随一の対人戦闘能力を持つ男であった。

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