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守銭奴にも武士の魂 ~札束風呂の元祖、岡定俊の貫いた武士の一分~

高見 梁川

第十九話 戦いの始まり

「与兵衛たちはまだ現れぬか?」
 ともすれば凍りつくような寒い夜である。
 磐梯山に隣接した赤植山の山中に、三人の男が車座に顔をつきあわせている。目立つことを嫌ったものか、焚火すらなく光といえば月明かりだけの闇のなか、しわがれた男の声はやけに大きく聞こえた。
「いくらなんでも遅すぎる。何事かあったとみるべきであろう」
「……つまりは倒されたというのか。我が伊賀組ともあろうものが」
 苦々しそうに初老の男は唇を噛んだ。
 三人のなかでもっとも年長のこの男の名を音松という。先日齢五十に達したものの、影走りの音松を綽名されるほどの神足通の使い手である。その稼働速度は老いてなお八郎のそれを上回る。
 彼の見るところ、与兵衛は確かに腕利きとまではいかなかった。しかし今となっては貴重な伊賀忍びの中堅に恥じないだけの実力は持っていた。その与兵衛が倒されたとなれば、相手の腕がよいのか、あるいはよほどの数を用意したか。
「黄番の連中を待つという手もあるが?」
「そのような恥さらしな真似ができるか! そもそもこのような田舎ごとき、我ら紫番だけで十分と吐いたのを忘れたか!」
 方丈斎が派遣した伊賀組のうち、先発したのが彼ら紫番の面々である。同じ伊賀者とはいえ必ずしも仲が良いということはない。むしろ陰働きの少なくなった今、仲間といえど功名争いの相手という認識が強いほどである。手をこまねいて後発の助けを待つなど到底認められることではなかった。
「おそらくは与兵衛を倒したのは猪苗代の甲賀者であろう。どうやらただの流れ者ではなさそうだ」
 同じ忍びの流派でありながら、長の統制から外れたものを流れ者と呼ぶ。おりくは必ずしも甲賀の統制から外れたというわけではないが、公儀と利害を相反する以上流れ者と言われるのもやむを得ぬところであろう。
「よくよく考えれば上杉の軒猿と伊達の黒脛巾を相手にしなければならぬ土地柄だ。侮るべきではなかった」
「今更言ってももう遅い!」
 このところ楽な仕事が多すぎた。豊臣家滅亡後、各地の有力な忍びは主君を失い、あるいは遠い国へと転封を余儀なくされていた。忍びがもっとも得意とする攪乱や不正規戦は、土地との密接な関わり合いが欠かせない。ゆえにこそ伊賀忍びは己の縄ばりでない他国でも、有利に戦いを進めることができたのだ。
 もはやこの日の本で伊賀組に敵う忍びなどいない。いたとしてもそれは柳生のように剣を能くする特殊な忍びのみ。そう密かに信じていただけに音松の屈辱は大きかった。
「やるからには必ず成功させねばならんぞ? 万が一しくじればこの俺たちでも首が飛ぶやもしれぬ」
「むう…………」
 僚友の重蔵の言葉に音松は低く唸った。言われてみれば確かに出立の際の方丈斎の意気込みはただ事ではなかった。下手にしくじれば生きて帰っても処分される可能性は十分にあった。そう音松が考えるだけの執念らしきものを方丈斎は発していたのである。
「――急ぐ理由もないではないな。今日俺が見かけた商人、あれはおそらく黒脛巾組の手の者であろう」
「あの片目の古狸か!」
 最後の一人、小六の言葉に音松は叫ぶ。
 三人は方丈斎から百万両について知らされてはいなかったが、アダミが恐ろしく重要な機密を握っている可能性があることは知っていた。あの百戦錬磨の政宗が食指を動かすには十分な理由であった。
 そもそも伊達の黒脛巾組は、全国でも数少ない強力な忍びの集団である。組織されたのが比較的遅かったために諜報能力はともかく戦闘能力はそれほど高くない。それでも決して油断することのできない相手だった。よく考えればこの会津猪苗代はかつて伊達の領地であったこともあるのだからなおさらである。
「ここまできて黒脛巾組にアダミをさらわれるようなことがあっては目もあてられん。幸い、アダミの行動はわかった」
 このところセミナリオで教鞭をとりつつ、週に三度ほど猪苗代城外に出て村人に説法をするのがアダミの習慣になっていることを音松は掴んでいた。その情報を信じるならば、二日後にはアダミはこの赤植山のふもとへとやってくる。
 問題はアダミを決して殺してはならないということ。すなわち、いかに護衛である藤右衛門と重吉を殺すかということであった。
「たかが浪人二人――といいたいところだが、努々油断はするまいぞ」
「おう」
 失敗は死を意味する。あの方丈斎の逆鱗に触れることを思えば、背筋が寒くなる思いを音松たちは禁じえなかった。それでもなお、油断さえしなければ勝てるとも確信していた。
 彼らがくぐりぬけてきた修羅場というものは、それほど生易しいものではなく、今の世ではもはや経験することも難しい希少なものであるからだった。
「与兵衛を倒した甲賀者こそ侮れぬ。いったいどうやってそんな手練れがこんな田舎に隠れ住んでいたものか……」
 さすがの彼らも、まさか関ケ原以来隠れ潜んでいた伝説の甲賀忍者鵜殿藤助が、遥々日野の山奥からやってきたなど思ってもみない。ましてその藤助をも凌ぐ若き忍び、八郎の存在など夢想だにしなかった。ごく当然のようにおりくとその配下の忍びが優秀であると受け取ったのである。
「…………今度は襲うのは我らのほうだ。この伊賀組の力、思い知らせてくれるわ」
 音松の言葉に小六も重蔵も我が意を得たりとばかりに頷く。彼らの程度の違いこそあれ、伊賀組こそ最強であることを寸毫たりとも疑っていないのだった。
 否、後ろ盾もかつての威勢も失った今だからこそ、彼らは誇りと自らの強さを信じるしか法がないのだ。




 その日はひどく底冷えのする朝であった。猪苗代湖と阿賀川の水面は濃密な霧が立ち込めており、ともすれば一間先も朧気に霞んで見えるほどである。特に磐梯降ろしの冷たい風が吹いた日の朝は、大量の湖水を抱える猪苗代湖はこうした霧が発生しやすかった。
「今朝ハイツニモマシテ寒イデスネ」
 刺すような寒さに両手をさするようにしてアダミは震えた。
 これまで長く澳門や天草という南方で暮らしていただけに、猪苗代の寒さは随分とアダミには堪えるようである。これでは猪苗代の冬の厳しさに耐えられるだろうかと藤右衛門は苦笑した。
 高山右近に仕えていた藤右衛門は、厳冬期ではないものの北陸の寒さを知っている。この猪苗代の寒さはあの北陸以上になるというのだ。笑うしかないというのが本音であろう。
「ソレニシテモココハ本当ニヨイトコロデス」
「ほんまにわてもそう思うとります」
 藤右衛門は心から素直にアダミの言葉に頷いた。
 信仰の強さでは決して天草の民たちも猪苗代に引けはとるまい。しかしあまりにここと天草では空気が違う。
 天草ではキリシタンは常に弾圧の目を恐れ、人目を忍んで怯えていた。心のどこかに陰鬱な恐怖が見え隠れした。その恐怖と緊張がこの猪苗代には存在しないのである。正しく第六天魔王織田信長に統治されていたころの自由で闊達な空気がここには流れていた。
 しかしこの平和はいったいいつまで維持できるものか。そう思った時、アダミは胸に真冬のように冷たい風が吹き抜けていくのを感じる。この平和を滅ぼす引き金を、自分は引いてしまったのかもしれないからだ。
 温和で、純粋な猪苗代の信徒たちが将来見舞われるであろう悲劇を幻視してアダミは己の無力を呪った。それでもなお、布教の望みを捨てきれない己の業の深さをも。
「行きまひょか」
「ソウデスネ」
 藤右衛門はアダミの内心を察しながらも、あえて声をかけようとは思わなかった。その問いの答えはすでに日本国内に戻ろうと決心したときから出ていたはずであった。
 信仰のために死ぬのならば本望で、さらに同胞であるキリシタンもそうであると割り切ってしまっているのが藤右衛門の非常なところであろう。定俊が自ら武の者と割り切ったように、藤右衛門もまた、自分を信仰に生きる者と割り切ってしまえる男なのだ。
 むしろアダミのほうが、完全に信仰だけに心を委ねきることができないように見えた。そんな二人の違いを知ってか知らずか、重吉は不愛想に眉を顰めるのだった。
「…………このままでいいのでしょうか?」
 重吉の迷いは日に日に高まっていく一方だった。アダミや藤右衛門を見捨てて他所へ流れる気にもならない。かといってこの猪苗代からキリシタンを糾合し、この日の本に楽園を築くこともあ定俊に否定されていた。しかもその否定をアダミも藤右衛門も受け入れてしまっている。これではいったい何のために遥々九州からついてきたのかわからないではないか。
「スベテハ主ノ御心ノママニ」
 そういいながらもアダミは藤右衛門ほど全てを割り切ることができなかった。それはアダミが優秀な哲学者であり、科学者であったからでもある。信仰心の強さは頑強でも、彼には未来を予測することのできる冷徹な理性があった。
 だからこそ信仰にだけは嘘をつきたくない。
 この命尽きるまで、信仰を広め信徒の魂を救済し続けることをアダミは誓った。たとえそれが虚しい結果に終わるとしても。
「もう少し霧が晴れてから参りませんか? 半刻ほどあればかなり晴れると思うのですが」
「ヨイノデス。早クシナイト午後ノ講義ニマニアイマセンカラ」
 猪苗代城から赤植山のふもとはおよそ一里弱ほどの距離であるが、祭服などを用意する都合上、多少の時間の余裕をみておきたい。特にセミナリオで育成中の新たな日本人修道士の教育に手を抜くわけにはいかなかった。
 密かに後ろめたい気持ちを抱いている分、アダミは心の余裕をなくしていた。
「ま、歩いているうちに晴れまっしゃろ」
「そうですね」
 ――いつの間にかそんなやりとりが日常になりつつあった。それぞれの胸に不安や焦りはあるにしろ、この猪苗代という地はそれを上回る安心感に満ちていた。


 ――――今日、この日までは

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