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守銭奴にも武士の魂 ~札束風呂の元祖、岡定俊の貫いた武士の一分~

高見 梁川

第十四話 伊賀組の暗躍

 神君伊賀越えの功績を称され、服部半蔵家を筆頭に大量の伊賀忍びが、伊賀同心組として幕府に召し抱えられた頃、隠密といえば伊賀組の天下であった。ところがその栄光の時間は、彼らの期待に反してあまりに短く儚かった。
 家康から代替わりした二代将軍秀忠は側近として大和の土豪、柳生但馬守宗矩を重用し、徐々に隠密としての陰働きを柳生忍軍に頼るようになったからである。幕閣の重要な秘匿性の高い陰働きは、すでに柳生のものとなって久しかった。
 これは家康の信任も厚かった鬼の半蔵こと服部正成が慶長元年に病死して以後、三河の生まれであるいわばよそ者の服部家と本家の伊賀忍者に確執が生まれたことに端を発する。。正成の跡を継いだ服部正就は、家中の混乱の責任を問われ改易されてしまう。心機一転汚名を返上するべく大坂に出陣するも、天王寺口の戦いで討ち死してその死体は結局見つからなかった。正しく伊賀忍びの恥ともいえる不名誉極まる死にざまであった。
 その後、弟の服部正重が跡を継ぐが、これまた大久保長安の娘を妻にしていたことから幕閣の追及を受け、ついに改易となってしまうのだからつくづく運がない。
 現在伊賀同心組を所管しているのは服部中保正である。服部家には三つの流れがあり、服部半蔵の流れが上服部家、保正はその名の通り中服部家にあたる。家康に長く仕え信任も厚かったが、そもそも保正は武士であって忍びのことはほとんど知らなかった。この人事は要するに伊賀同心を忍びではなく下級官吏として扱うと宣言したに等しかった。
 これが面白かろうはずがない。東照神君を助けたのは自分たちであり、天正伊賀の乱ではあの信長を相手にも一歩も退かなかったという強烈な自負が彼らにはある。
 二百人を超える伊賀同心組の組頭の一人、野村方丈斎もそうした不満を抱く一人であった。
「このまま手をこまねいているわけにはいかぬ……もう我らに残された時間は少ない」
 重々しい方丈斎の嘆きに、若頭の太助が頷く。若頭といってもすでに三十を過ぎ、太助より若い忍びは全伊賀同心の二割ほどしかいない。伊賀組の老齢化は急速に進んでいた。
 大坂の陣において、戦を経験していない兵が戦いの作法を失伝していたように、同じことが忍びの世界でも起ころうとしていたのである。
 忍びにとってもっとも大切な技とは――忍術とは、すなわち不正規戦における技量である。たとえ闇に隠れていても、忍びの本質は戦人なのだ。情報収集など余技にすぎない。音もなく山野を駆け、変幻自在の忍術を駆使して奇襲によって敵の荷駄を襲い、隙あらば敵将を暗殺することこそ忍びの華である。少なくとも方丈斎たち古い忍びにとってはそうであった。そうあらねばならなかった。
 ところがいざ太平の世となり実戦がなくなると、肝心の不正規戦の技を磨く機会がない。いくら本気で修練したしてもそこで得られる経験は、たった一度の実戦に及ばないのである。
 そうしてみると柳生は違った。彼らは忍びであると同時に柳生新陰流の剣客であり、武士でもあった。ゆえに戦はなくなっても、それなりに命を懸ける機会に恵まれていた。むしろ槍と弓が廃れた太平の世では、剣術はさらなる発展を遂げているとすら言える。
 表沙汰にならぬ程度に、闇で伊賀と柳生が小競り合いとなったときも、伊賀側に分が悪い状態がこのところ続いていた。いや、現実には分が悪いどころではない。戦闘になれば十中七、八までは伊賀者が敗れる。
 このままでは先祖代々培われきた忍びの技は、遠くない将来、中身のないただの型に成り下がるであろう。そうなれば二度と闇の世界で伊賀の忍びが、舞台の華となることもあるまい。
 それが方丈斎には口惜しくてならなかった。
 柳生はよかろう。彼らには堂々と表の世界で胸を張れる剣という道があるではないか。裏の世界まで己の手で支配しようとは僭上も極まるというものではないか。
 理不尽な怒りが方丈斎の胸を灼いた。
 伊賀の里には剣や槍の道などない。ただ泥臭く陰湿な忍びの術があるのみだ。あるいはそれは、失われゆく徒花であるのかもしれぬ。戦を知らぬ若者たちにとっては、そんな薄汚れた術など捨てて、平々凡々な下級官吏として生きていくほうが幸せであるかもしれぬ。
 だが方丈斎はそれを知らない。忍びとして生きていくしか生き方を知らないのだ。たとえほかに幸せになる法があったとしても、それは忍びの生き方ではない。
 自分たちが受け継いできたものは、後世に受け継がれなければならぬ、という断固とした思いが方丈斎にはある。
 痩せた土地しか持たぬ山深い伊賀で、その忍びの腕だけを糧に古から生きてきた。農業だけでは食っていけない。忍びの腕なくして生きていく術がない。だからこその――伊賀者。忍びでない伊賀者はもはや伊賀者ではない別の国の人間である。すなわち、方丈斎にとって、忍びの衰退とは魂の故郷の喪失でもあるのであった。


 ほんのかすかに夜風が揺れる。それがただの風でないことは、わずかに漂う饐えた匂いが教えてくれた。
「――――彦兵衛か?」
 碌に手入れもされていない粗末な庭園に、一本だけ見事に聳える松の下に、いつのまにか音もなく蟠る影があった。
 その男が方丈斎配下の下忍、猿飛の彦兵衛であるのはすぐにわかった。
 この彦兵衛、両手が膝下にまで垂れさがるほどに異様に長いという、平時であれば目立ちすぎる特徴を持っている。
 しかし夜の闇に紛れ、木々の間や屋根から屋根へと縦横無尽に飛び回る猿飛の術に関しては、伊賀の誇る手練れのなかでも五本の指に入るほどの術者であった。
「九州はいかがであった?」
 その声に隠し切れない期待の色がある。
 この数年来、方丈斎は信頼のおける手の者を九州へと送り込んでいる。彦兵衛のその中の一人であった。それはもちろん、細川家や加藤家、島津家など徳川家へ対抗しうる大名たちの監視を含んでのことではあるが、それ以外にももうひとつの隠れた任務がある。ほかならぬ方丈斎がその任務を命じたのだ。
「ようやく獲物が網にかかりましたもので、まずはご報告にまかり越しました」
「するとやはり、天草に南蛮人が隠れ潜んでおったか!」
 喜色をあらわにして方丈斎は叫ぶ。
「いかさま、組頭様の見込みどおりでございました。いつの間にか澳門マカオより出戻った者が土地の者に匿われておりましたようで」
「何者じゃ?」
「ジョアン・マテウス・アダミなる宣教師のようにございます」
 キリシタン大名であった有馬晴信が岡本大八事件に連座し、息子直純が日向延岡に転封となると、島原天草は松倉重政の支配するところとなった。
 もともとは豊臣系の大名であったため、松倉重政は徹底的に幕府に媚びることで己の権力基盤を保とうとした。そのためキリシタンに対する弾圧も苛烈を極めた。後に寛永年間に入ってからの弾圧では、実に数百名以上のキリシタンが過酷な拷問の末処刑されたという。
 そんな天草に数年とはいえ、アダミが潜伏していられたのは、アダミの人格を慕う人が多かったこともさることながら、地元住民に深くキリスト信仰が根づいていたためであろう。
 だから方丈斎は、以前からもしアダミのような、南蛮宣教師が潜伏しているとすれば天草が怪しいと睨んでいた。
 長崎や平戸は確かにキリシタンの多い土地ではあるが、幕府寄りの商人のネットワークが張り巡らされていて、長期間隠れ続けるには向かない土地であるからだ。
 もっともこれが天草ではなく薩摩であれば、発見は困難を極めたはずである。言葉も習俗もあまりに独特な島津領は伊賀者のような忍びにとって鬼門でしかない。すでに手練れの伊賀者が幾人も薩摩の大地に屍を晒していた。
 島津義久がキリシタンに転ばなかったのはもっけの幸いであったといえる。
「さりながら、我々が突き止めたときには一歩遅く、すでに一党は天草を離れておりました」
「なんとっ?」
 方丈斎の視線に怒気だけではなく、はっきりと殺意がこもっているのを察した彦兵衛は、慌てて叩頭して続けた。
「あいや、しばらく! 足取りを追いましたところ、どうやら北前船にて越後へ向かった様子にて!」
 伊賀組において下忍の立場は低い。いかに彦兵衛が貴重な手練れであったとしても、組頭の機嫌ひとつで首が飛ぶ。よいか悪いかではない。それが伊賀者の在り方なのだ。
 彦兵衛もまた、方丈斎がそう振舞うことになんの疑問も感じていない。生まれてきたときから、忍びとはそういうもので、他の生き方を知らないからである。あるいは伊賀の若い忍びが育たぬ原因は、他の生き方を考える余裕のある太平の世の豊かさにあるのかもしれなかった。
「越後に、のう……」
 方丈斎はしばし沈思した。
 北前船が越後を目指したとなれば、その向かった先は新潟港をおいてほかには考えられない。現在の新潟港を治めているのは、堀直寄から越後長岡を受け継いだ幕臣の牧野忠成である。裏でキリシタンを支援しているとは到底考えられない、徳川譜代であり謹厳実直な忠義の男であった。
「――――とすれば、やはり会津か」
 会津の現藩主蒲生忠郷はキリシタンではないと聞くが、先代の蒲生忠行、先々代の蒲生氏郷は歴としたキリシタンであった。また領内は各地の弾圧から逃れてきたキリシタンが、数多く終の棲家として暮らしていると聞く。
 キリシタン弾圧へ舵を切った伊達政宗を頼ることのできない現状、あるいは北上して秋田を目指すという選択肢もなくはないが、やはり会津へ向かったと考えるのが妥当であろう。
「――して、奴らは財宝をどうした?」
 炯々と目を輝かせて方丈斎は尋ねた。
 正しく行方の知れぬ大久保長安の隠し財宝、その捜索のためにこそ彦兵衛たちは九州に送られていたのである。
 それは決して荒唐無稽な根拠のない夢物語ではない。大久保長安の婿であった服部半蔵正重は、積極的に長安の謀反に加担していたわけではなくとも、資金の流れについてはかなり正確な情報を掴んでいた。佐渡金山奉行として、長安の右腕を務めていた正重は、鉱山収入の一部が長安から伴天連へと流れていることを知っていたのである。
 正重が長安に連座して改易され浪人となりながらも、その情報を一切幕府に漏らさなかったのは、凋落していく服部家と伊賀組の主として、せめてもの幕府に対する意趣返しであったのかもしれなかった。
「それが身一つで北前船に飛び乗ったとしか。少なくとも天草から財宝を運び出したという形跡はありませぬ」
「一刻も早う探せ! まさかとは思うが新潟港から佐渡へ渡ったやもしれぬ。そちらも人を送っておくがよい。万万が一にも財宝を奪われるようなことがあってはなるまいぞ!」
「心得ましてございまする」
「行け!」
 彦兵衛の長い腕が松の枝へ伸びたと思う間もなく、弓から放たれた矢のように彦兵衛の身体は闇の宙へふわりと浮かび上がった。そして塀から屋根へ、屋根から屋根へ見事な猿飛の術で、彦兵衛は暗闇に音もなく消えていく。
 そんな彦兵衛の姿を見送って方丈斎は低く呻くように嗤った。
「くくくく……いよいよ現れたか。そうでなくては、そうでなくてはならぬ」
「組頭様、本当にそのジョアン・マテウス・アダミなる宣教師が財宝の在処を知っておるのでしょうか?」
「知っておるからこそ、わざわざ外国とつくにからこの国へ舞い戻ってきたに決まっておるわ!」
 方丈斎は傲然と太助の問いに答えた。疑うことなど考えてもいない即答であった。
 その返答を聞いて危うい、と太助は思う。本来忍びは徹底した現実主義者でなくてはならぬ。むしろ悲観的なほどに常に危険に備えていなくては生きていくことがままならない。それほどに忍び働きというものは過酷なものだ。
 きっとそうであろう、などというのはもっとも危険な予断であり、往時の方丈斎ならば決して口にしない言葉であるはずだった。
「あの大久保長安が亡き服部正重様にも伝えなかった隠し財宝を我らが見つければ――いや、手に入れることができれば、もはや柳生など相手にもならぬ」
 忍びの道は銭の道ともいう。土地よりも銭がものをいうのが忍びという世界である。そもそも土地の豊かな場所に忍びが育ったためしはない。
「まさか――組頭様は大久保長安の隠し財宝を独占するおつもりか?」
 今この瞬間まで、太助は方丈斎が大久保長安の隠し財宝手を見つけるという手柄をあげて、柳生の鼻を明かしてやろうとしているのだと考えていた。まさか隠し財産をひそかに横取りしようと考えているなど夢にも思わなかったのである。それはもはや幕府に対する謀反も同然であった。
「人聞きの悪いことを。どうせ隠してあるものを我らが頂いたとて、何が問題だというのだ? まあ、大手柄を手土産に幕閣の歓心を買うのも手ではある。いったい誰の手を握るか、よくよく考えねばなるまいがな」
 得意気に方丈斎は鼻をひくつかせ、老中青山忠俊と土井利勝の対立を利用して交渉することまで匂わせた。
 正しく妄想である。政治的に高度な駆け引きにおいて、伊賀者など老中からみれば男の手管を知らぬ初心な未通女にすぎぬ。体よくむしられて塵のように捨てられるのが関の山であろう。
 忍びは古来より体質的に政には不向きで、誰かに命令され使われることに慣れすぎている。ゆえにこそ忍びは歴史の闇に忍んできた。
 まるで毒を飲みこんだような激しい悪寒が太助の肺腑を襲う。
 今や方丈斎は静かに狂気に身を浸していた。気がつかなかった。いったいいつから? 正重が改易にされたときか? あるいは柳生宗矩が将軍家の兵法指南役に就任したときか? 
 もしかすると百万両を超えるという想像を絶する金の持つ魔力が、老人のそれまで隠れていた狂気を増幅させたのかもしれない。
 衰退する伊賀組と柳生忍軍の隆盛、そして服部家の没落と新たな藩主となった藤堂高虎支配のもとで変容していく故郷伊賀。そうしたままならぬ現実が、岩を激流が侵食するように、少しづつ方丈斎の心を壊していったのだと太助は悟る。
 方丈斎といえば、伊賀の陣術――小規模の集団による奇襲――の第一人者と言われた男で、その手腕は対織田戦にも如何なく発揮されてきた。彼の指揮する伊賀組は千人の兵に勝るとすら言われたのである。その方丈斎が伊賀組の行く末を思うあまり狂気に陥るほど、もう手の施しようがないほどに伊賀組は追いつめられていた。太助は知らなかっただけで、もっとずっと以前から伊賀組は完全に幕府の信頼を失ってしまっていた。
 すでに幕閣の誰一人も伊賀組を秘事を託すことのできる存在として認識していない。よいところが体のいい駒であった。
 しかしそんな方丈斎たち組頭をまとめ、再び伊賀組の栄華を取り戻すべく政治的暗闘を引き受けてくれるような頼もしい後ろ盾はもういない。服部中保正のもと、ただただ下級官吏として日々の雑務をこなしていくことだけが求められていた。隠し財宝などという夢のような話にすがらなくては、希望すら抱くことができないというのが今の伊賀組の哀しい現実であった。
 ――――だが過ぎた大金というものは薬ではなく毒にしかならないものだ。落ち目で後ろ盾もない伊賀組が、せっかく莫大な財宝を手に入れても、間違いなく毒にしかならぬ。太助は正しく絶望した。
「蒲生家は甲賀組とつながりが深い。奴らの監視も怠るなよ?」
「か、かしこまりました……」
 反射的に方丈斎に向かって叩頭した太助は懊悩した。
 方丈斎に背くことはできなかった。できないように幼いころから躾けられていた。かといって破滅にまで付き合いたくはない。それどころか内心では今すぐにでも逃げたかった。
 若頭である太助がそう思ってしまうこと自体が、太平の世で忍びという種族が滅びゆく過程のひとつなのかもしれない。
 すでに柳生は新たな時代の忍びの形を受け入れている。いずれは柳生も忍びでなくなることも覚悟していた。しかし伊賀組はその変容を受け入れようとはしていなかった。それが滅びへと向かうものだとしても、断じて受け入れることはできない。たとえ現実から目を背けてもである。
 ――――それが古き伊賀忍者が最後に見せた夢の残滓であった。

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