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守銭奴にも武士の魂 ~札束風呂の元祖、岡定俊の貫いた武士の一分~

高見 梁川

第四話 戸木城の戦い

 羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合の戦端が開かれると、蒲生氏郷は伊勢攻略の先陣を担い伊勢峯城をたちまち攻略した。正しく信長の娘婿に名に恥じぬ電光石火の戦巧者ぶりであった。
 さらに休むまもなく加賀野井城をもせん滅したものの、織田信雄家老木造長政が籠城する伊勢街道の要衝、戸木城はどうにも攻めあぐねている。
 すでに包囲から数か月、ようやくこのところ守城側にも疲れが見え始めたところであった。
 戸木城はもともと木造具政の隠居所として築城された簡易な小城であったが、息子長政の代に拡張され南伊勢防衛の中核を担うこととなった堅城である。南は雲出川が流れ、西は稲白川の深い谷であり、北は深い田が広がり、東は奥行のある横堀で守られていて、大軍の侵入を寄せ付けない。
「…………首尾はどうじゃ?」
「恐れながら、さすがは名門木造、渡りをつけるのに難儀をしている様子にて」
 主将蒲生氏郷を前に無念の表情を見せるのは、甲賀二十一家のひとつ佐治家の棟梁佐治義忠であった。蒲生家との付き合いは長く、先々代の蒲生定秀からの関係である。
 もともと蒲生家は六角家の家臣であり、領地である日野は甲賀の里にほど近い。自然氏郷は甲賀忍びを使うことに慣れていた。
 実は戸木城内部には織田信雄に愛想をつかした内通者がいるのだが、その男との連絡が先日以来絶えているらしい。連絡役の渡りが捕らえられてしまった証拠であった。
 木造長政は後のことではあるが、百々綱家とともに成長した信長の孫の三法師、織田秀信の養育係を任されるほどの武将である。
 名将氏郷の力をもってしても、正攻法では攻め落とせずにいるのだから、村上源氏の庶流北畠氏の血を受け継ぐ名門木造の血はやはり伊達ではないといえるだろう。
「こちらから背中を押してやらねばなるまいな」
 氏郷という男は元来守勢の人ではなかった。連絡がつかぬからといって、いつまでも座して待つという選択肢は氏郷にはない。動かぬならばこちらから動いて裏切りを促すまでだ。
 あまり戦いを長引かせると、大軍を動員しているこちらが不利になる。四月の長久手における戦いで池田勝入斎を討ち取られ、羽柴勢全体が敗北しないために汲々としている時でもある。
 氏郷の見るところ、遠く九州からは大友宗麟が息も絶え絶えの救援要請を行っており、四国の長曾我部元親が淡路をうかがう状況では、このまま徳川との長期戦を戦うのは愚策であった。
 ゆえに、氏郷は近い将来、羽柴と徳川の間でなんらかの手打ち、あるいは決戦が行われるのではないかと考えていた。いずれにせよこの戦はもう長くはない。
 峯城や亀山城を攻略しただけでも武功としては十分だが、今後の秀吉との間で立身するためにはもう一押し手柄が欲しいというのが本音である。
 ならばここで力押しをして、内通者が裏切りやすいよう背中を押してやるべきではないか。
「煙硝(火薬)は足りておるか?」
「ははっ! 先日の間垣屋の手当てにより、あとひと月はもちますかと」
 氏郷の問いに間髪入れず大柄な老人が答えた。老人の名は結解十郎兵衛、氏郷の守役として初陣から付き従っている男である。もともとは六角家の家臣で槍の十郎兵衛と謳われたが算盤勘定にも長けていた。
「間垣屋か……こたびも善兵衛には随分と助けられたな」
 堺の豪商はほぼ全てが秀吉に独占されてしまっていて、大量の鉄砲と煙硝は徳川家康と直接対峙する尾張へと根こそぎ運び去られている。
 そんななかで、倭寇という独自の販売経路を持つ間垣屋善兵衛の存在は、蒲生家にとって非常に大きかった。
 多かれ少なかれ、大名家はそうした独自の伝手を持つものだが、間垣屋は氏郷のような小大名にとっては非常に優秀な得難い商家であったと言える。
「――――そういえば間垣屋から雇い入れたあの若者はどうしておる?」
 ふと思いついたように氏郷は言った。
 仮にも氏郷は蒲生家の当主であり、信長の娘婿として畿内では一目も二目も置かれる存在である。 
 足軽の一人一人がどうしているかまで把握していられるはずがない。こうして思い出したのは本当に偶然のようなものであった。
「ああ、あの男はなかなか面白い男ですぞ?」
 十郎兵衛はくつくつと背中を丸めて破顔した。この男には珍しくどうやらよほど件の男がお気に召したらしかった。
 滅多にみることのできない守役の砕けたにやけ顔に、氏郷はひどく興味をそそられた。
「どうやら本当に面白い男のようだ」
「ええ、亀山でも首を三つ上げましたし、次の手柄次第では役を与えるのもよいかもしれませぬ。なかなか見どころのある男ですぞ?」
 問題は一介の兵でありながら、定俊が煙硝を運んできた間垣屋の手代たちを前に、まるで侍大将のようにふるまっていたということか。
 たかが十八ほどの若者が、手代や人足を自分の手足のように動かす様子がおかしくて、十郎兵衛はまた笑った。
 あの岡という若者、よほど間垣屋では知れた顔であったらしい。
「――うむ、では確か岡源八郎……と申したか? 明日は先手衆へ入れてみよ」
「御意」




 定俊はこの半年近く、伊勢の各地を転戦しそれなりの手柄をあげていた。
 しかしそれ以上に定俊が家中で一目置かれるようになった原因は、なんといっても間垣屋との密接なパイプのおかげであろう。
 煙硝などの戦略物資を間垣屋に頼っている蒲生家としては、間違っても間垣屋を怒らせるわけにはいかなかった。一度は信長の支配を受け入れたとはいえ、堺の町はまだまだ客を選ぶ商売の自由を維持し続けていた。
 秀吉のような権力者であればともかく、吹けば飛ぶような日野郷の身代では、怒らせて取引先を変えられてしまえばそれまでだ。
 ゆえに、誰の目にも見事な武者働きを認められながらも、定俊はある種腫物のように扱われていた。
「源八! 源八はおるか?」
 そんな空気に一切頓着しない男の野太い声が響き渡った。
 身の丈は六尺近く、まだ若いのに額は頭頂部近くまで禿げ上がっている。太く不釣り合いに大きな鼻から、興奮で荒くなった息が漏れていた。
 ――横山喜内頼郷、もとは六角家臣で氏郷の初陣からずっと付き従っている男である。まさに蒲生家中でも有数の強剛の士であり、盛り上がった肩口からの岩のような筋肉の輪郭が仁王像を思わせるため、仁王喜内と綽名されていた。
 後に氏郷から蒲生姓を与えられ、蒲生真令を名乗ることになる。氏郷死後は石田三成に仕え、関ヶ原の戦いにおいて織田有楽斎の軍勢を相手に壮絶な戦死を遂げた。
 己の腕を頼むこと厚いが、同僚に嫉妬せぬさっぱりとした性格で、先日来何かと定俊に兄貴風を吹かせることが多い男であった。この戸木城の戦いにおいても、先手の一手を任されており、将来を嘱望される若手武将の一人である。単純に取高を比べるならば定俊などより遥かに上の存在であるはずだった。
「喜内殿いかがなされた?」
「おお、源八! 喜べ、明朝の総攻めにお主も俺とともに先手を任された」
 喜内は気安く、定俊を源八郎を縮めて源八と呼ぶ。
「これはありがたし」
 ぱっと定俊の顔が喜色に輝いた。たとえ城攻めでもやはり先手は戦場の華であり武門の名誉であった。
 近年城攻めは鉄砲の普及とともに、野戦以上に死傷率の高い危険な戦場となっている。しかしそれを忌避する気持ちは定俊にも喜内にも欠片もない。死ねばそれまでの命だと当然のように思い定めていた。死ぬことを覚悟してなお恐れぬのは武士もののふの嗜みであった。人間は運が悪ければ投げられた石に当たっただけでも死ぬ。馬から落ちただけで死ぬこともある。死ぬかもしれないからといって、死を恐れて行動しないのは生きているといえるのか? 生き方を大事にするからこそ死というものは輝くのではないか。
 少なくとも定俊を含むこの時代の武辺は、大真面目でそう信じていた。信仰していたといってもよい。
「搦め手から宇陀三人衆が雲出川を渡る。大手より殿が自ら先陣を切るゆえ、遅れて恥をかくまいぞ!」
「貴殿こそ」
 定俊の主君蒲生氏郷には悪癖があった。いや、必ずしも悪癖というべきではないのかもしれないが、臣下としては頼もしくも困った問題があった。
 指揮官である氏郷本人が、誰よりも早く先頭に立って突撃してしまうのである。同様の悪癖は黒田長政をはじめとした戦国大名の幾人かが患っていて、ある種の有能さが災いする不治の病のようなものだ。
 蒲生氏郷の逸話として有名なのが、銀の鯰尾の兜の武者の話である。
 蒲生家に仕官すると、主君氏郷が、まずこう声をかける。「我が蒲生家には銀の鯰尾の兜をかぶった先手がいるゆえ、彼の者に負けぬよう励め」、すると先頭を突進するその鯰尾の武者はほかならぬ氏郷であった、というわけであった。
 それで戦死してしまえば、氏郷は匹夫の勇を誇る愚か者と蔑まれるであろう。事実秀吉も一度ならず氏郷に前に出すぎぬよう忠告している。
 長久手の戦いにおいて徳川の鉄砲を浴びて討ち死にした鬼武蔵こと森長可などは、猪武者のそしりを免れずにいた。
 ――――しかし不思議なことに武運をもった武将は死なぬものだ。
 徳川家康も伊達政宗も、鎧を脱いだら弾丸が何発もこぼれ出た、気が付いたら兜に数本矢が刺さっていたなどという九死に一生の逸話を持っている。紙一重の運を持った武将だけが、この乱世を生き抜いていくことを許されるのだ。
 まさにその勇気と武運を二つながら持ち合わせた稀有な武辺、喜内や定俊が心からの忠誠を覚える主君、氏郷はそうした唯一無二の武将であった。
 まだ蒲生家に仕えてそれほど時間の経っていない定俊にとっても、氏郷はすでにかけがえのない主君であった。生まれて初めて心から使えるべき主を持ったと定俊は信じた。
「俺もそろそろ手柄をたてんと、善兵衛にも顔が立たぬわ」
 今の定俊は控えめにいっても、間垣屋の伝手でやってきた客人のようなもので、我こそは氏郷の家臣と胸を張って言えるような立場にはない。
 武功をあげること、出世して蒲生家に自分の立場を作り出すこと、その機会を得た定俊は獲物を見定めた鷹のように剣呑に瞳を光らせていた。

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