美しきこの世界

Rickey

 ある町の朝。一日の眠りの中に光が訪れました。町の遠く向こう側に眠っていた太陽が現れたのです。太陽が起きてから少したつと、多彩な石畳やレンガや木材の道が広がる町の住人達はその日の準備を始めます。眠っていた空気の中に住人達の話し声や独り言が混ざり始め、機器の音や自然の音、動物達の音も現れ、クイナという町の朝のオーケストラが広がっていくのです。
 カラキランコロン。ある家の玄関のドアにつるされた古びた鐘の音、それと同時にキィと木製の扉が開く音が響きました。所所修復された跡がある木製の扉は温かな音を作ります。
 「入るよ!」
 朝にぴったりな心地良い声と共に現れたのは一人のおばあさん。そしてそれがこの家の住人、夢にとって、町の人達とのふれあいの始まりの合図なのです。
 夢の家にやってきた大好きなミロクおばあさんはいつも、とても面白い話を聞かせてくれます。夢はいつも朝の家事の終わりをおばあさんの来る少し前に合わせ、その日の気分で選んだ飲み物と、いつものお菓子をテーブルに並べ、ミロクおばあさんが来るのを待つのです。でも今日は夢の支度が少し遅れているようです。
「はーい!」
 飲み物の用意をしていた夢が答えました。玄関から入って来たミロクおばあさんは、爽やかな春に合わせた鮮やかなグリーンの洋服と、少し大きめの茶色い帽子を被っていました。服を少し多めに着、ゴワゴワさせるのがミロクおばあさんのいつものスタイルです。パタパタッと脱いだ帽子を叩き、玄関の側の帽子掛けにそっとぶら下げました。
「春の空気は気持ちいいけど砂埃まで陽気に舞って困るさ」
 おばあさんがそう言いながら奥に入ると、ようやく用意できた紅茶の入ったティーポットとカップをお盆に乗せ、バタバタと台所から夢が出てきました。
「そんなふうに見える世界は素敵だわ!」
 夢はニコニコしながらテーブルに置いたカップに湯を注ぎました。おばあさんはテーブルへ歩いてゆき、いつもの椅子に深く腰掛けました。分厚くて自然な形を全体に残した丸いテーブル、そして同じデザインの椅子、夢の家は木製のものが沢山あります。
「やっぱりあんたは変な子だねぇ。でもあたしの着る物はいつも複雑だから手入れが大変だよ」
 ミロクおばあさんは自分の服を優しく撫でながら微笑み、体を温めようと夢の用意した紅茶にそっと手をのばしました。でもミロクおばあさんは何やら不思議そうな顔をしてカップの中を覗き込んでしまいました。夢はそんな表情を待っていたのか、おばあさんの質問を待たずに説明を始めました。
「すごいのよ! この紅茶はね、昨日来ていた商人さんが仕入れていて、とっても珍しい南の国の紅茶なの。たった一つしかなかったから見つけるとすぐに買っちゃったわ!」
 夢の入れた紅茶には、ぷかぷかと揺れる緑や青やだいだい色が入り交じった葉っぱがありました。ミロクおばあさんはこんな変な色の飲み物は見た事がありません。夢はミロクおばあさんが思った通りの反応をしたのが嬉しくて顔から笑みがこぼれました。
「そんな顔をしないでおば様、飲んでみて! きっと気に入ってくれると思うから! あぁ、もう、そんな顔しないで! 赤道付近のものはみんな鮮やかな色をしているって商人さんが言っていたわ!」
 それでもミロクおばあさんは訝しげな顔でカップを覗き込み、沢山あった顔のしわが深くなるほど凝視しています。葉をツンツンと沈めたり揺らしたりしながら何か気持ちの落ち着くところを探しています。カップの中の葉から染み出て自信ありげに主張し合う色を少し混ぜると、右や左や上や下に様様な色が混ざり合ってグラデーション化してゆき、また元の主張を始めます。そのままカップを持ち上げ鼻の下に持ってゆくと、何物か正体を探るように匂いを嗅ぎました。するとおばあさんの表情が固まってしまったのです 。どうやら見た目で描いていたイメージとは違い、甘い果実の香りや優しい酸味の香り、そんな鮮やかな香りが喉の奥を駆けて行ったのです。
「これは何だい? 甘いフルーツの香りがするよ?」
 おばあさんの表情に満足して台所に戻っていた夢は、片面には綺麗にコーティングされたパステルカラーの蜜、もう片面には動物の絵が描かれた動物形のビスケットを楽しそうに皿の上に並べていました。愛らしい動物達の表情が分かるように皿に並べ、ミロクおばあさんの元へ運んでゆきました。
「南の国の果物の葉っぱなの。果物が出来るのを葉っぱに変えるって言ってたわ!」
「何を言ってるんだい」
 きっと商人はちゃんと説明したであろう栽培方法は夢には届かなかったんだろう、とおばあさんは理解し、でもそんな事はもうどうでもよく、興味が湧いた紅茶の味を確かめようとカップを口元に運びました。おばあさんの口に紅茶の味が広がり鼻を抜けた瞬間、閉じた瞳と傾いた眉は大きく広がり笑みがこぼれました。
「フルーチーだねぇ」
 その様子を見ていた夢は唇をぎゅっと閉じてフフッと笑い、ビスケットが並べられた皿をおばあさんの方に寄せました。おばあさんは紅茶の色に目を奪われたままガラッとビスケットを手で探り適当に一つ取って食べ、「桃とマンゴーみたいな甘さだね。オレンジ、の酸味。後はバナナだよ。おいしいね。果物は大好きだよ」と言いました。おばあさんはいつものお菓子には関心もなく、紅茶の葉っぱをプカプカさせながら「でもこの葉っぱは飾りだね。これも紅茶っていうよりジュースみたいだよ。綺麗な色はどういう仕掛けなんだろうね? 綺麗で気分も南国だよ」と言うと夢は「そうなの?」と驚きました。もちろん夢は商人からそう聞いていたのですが、商人の「南国の飲み物だよ」という言葉と多彩な葉を見た途端に夢の心はキラキラしてしまい、水面に滴った一滴の水性絵の具のように瞬く間に体中に広がり、商人の声は夢の背景になってしまったのです。それほど夢にとっての南国は本でしか知らない素敵でカラフルな世界なのです。
「どんな人だったんだいその商人は」
「いつもの商人さん。綺麗な飾りを腰のベルトに付けていて、揺れるたびにとても綺麗に輝くの!」
「羽根の形をした飾りだろ? あれは石が光ってるんだよ。太陽の光に反射して石が輝くんだ。あいつは昔からそうさ、ああいうのが好きなんだ。それにああいう文化が好きだから良い仕事さ。自分の好きな場所に行って調達してくりゃ稼げるんだから」
 南の国の文化や町をよく知る商人さん。そうだと知ると夢はまた商人に会いたくなりました。文字でしか知る事のできない国の話を聞きたくてたまらないのです。
 ミロクおばあさんは窓の外を眺めながら少し考えました。
「そうだね、きっとまだ帰って来たばかりだろうから、後で一緒に市場に出てみるかい。久々に顔を見に行ってやろうかね」「行きましょう! 仕事は少しですぐ終わるわ! 迷惑じゃないなら聞きたい事が沢山あるの!」
 思いもしなかった話が訪れた夢の心はドキドキとして舞い上がりました。クイナの町以外の地域や国を自分の目で見る事がなかなか叶わない夢にとって、とても嬉しいミロクおばあさんの提案でした。

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