あなたが好きでもいいですか

文戸玲

アフタースクール

 進学校を自称している我が高校は,一週間のうちの平日に一日部活の無い日があることを謳っている。そんなことを仰々しく宣伝しなくても,大学進学に力を入れている高校は部活のシステムに無理は無いし,偏差値も比べ物にならないほど高い。たった一日部活がない日があるからと言って何なんだ,偉そうに言うなと小言の一つも言いたくなる。私はもともと部活は嫌いではない。むしろ,女子野球部があることが進路を決めるうえで絶対条件ではないものの,決める一つの材料ではあった。私は野球が好きだ。見るのも好きだし,実際にやるのも好きだ。小学校の頃は男子を打ち負かしていたほどだし,ピッチャーとしてもそこそこやれていた。たまに男女と言われることもあったが,そんなことが気にならないくらい野球に夢中になった。だから,部活のない日を疎ましく感じる日もあるが,今日に限っては幸いそれが吉となった。休みのないことで有名な女子野球部だが,今日はグランドが他の部活でいっぱいで,たまに使える学校の外にある市営球場も監督の都合で使用することが出来ない。だから今日はオフだ。

「ねえ,よかったら今日,放課後一緒に帰らない?」

帰りのHRが終わって部活にいそいそと向かう生徒やグダグダと話をしている生徒,荷物を片付ける生徒で騒がしい教室の中で,注意しなければ聞き取れないような声で話しかけられた。振り向くと,美月が伏し目がちにこちらを向いて立ちすくんでいた。移動教室でお互い気を使いながらでしか会話もしたことのない美月に,声をかけられた。声の主が美月だと気付いた途端に,心臓が躍るように跳ね上がった。そして,耳がカーっと熱くなった。きっと今私はゆでだこのような色の耳をしているに違いない。だしの入ったたこ焼きの素と一緒にタコ焼き機に混ぜたらきっとおいしいに違いない。ぴちぴちの女子高生のゆでだこのような耳,きっと行列が出来るに違いない。粉物は原価が安いという。きっといい商売だ。って私の耳はサメの歯のようにどんどん生えてくるのか,などと自分で自分にくだらない突っ込みを入れる。いけない。緊張したり,上手くいかないときには突然訳の分からない妄想が膨らむ。今,きっと私は緊張している。はあ,と心の中でため息をつく。
 どうしてわたしがこんな気持ちにならなければならないんだ。間違いなく,私は美月ちゃんに誘われたことを喜んでいる。たまたま同じクラスになって,席も近くで,気の毒に思って偉そうにおせっかいを焼いていただけだ。それでも,こんなに綺麗な子が気の置けない友達のように横を歩いてくれるのは何だか嬉しい。類は友を呼ぶ,とよく言うが,綺麗な子には綺麗な友達が多いし,静か目な子にははしゃいだり物事を仕切ったりしない人たちが集まる。どちらが優れていてどちらが劣っているとか,何が偉いとか,そんなことは一切ない。だが,私たちの中にある見えない基準によって,どこかで線引きされ,どこかで優劣が出来ていく。これをスクールカーストというのだと教育評論家がテレビで言っていた。学校の中ではその目に見えない基準で溢れていて,私たちはみんなそれに支配されていた。そんなものはどうでもいい,と心の表面では私は主張しているけど,奥の深いところではそんなものに支配されている自分がいるのも理解している。私たちは学校にいるとそういうものには抗えないのだ。
 学校にいると大人の世界にはきっと見えない何かが見えてくる。あの見えない基準を超えたくて,私は美月に声をかけられたことを嬉しく思っていたのかもしれない。正直,舞い上がっていた。その気持ちに嘘はない。それでも,そのわくわくとは違うドキドキが胸を襲っている。恋をしているわけでもないのに,この感覚は何だろう。不思議な気持ちだ。一緒に帰るといったって,プライベートな話は今までほとんどしたことがない。上手く会話が弾むかもわからないし,合うか合わないかは話した時に直感的に感じるものがある。
 これからどう転ぶかは美月ちゃんに任せるとして,一緒に帰ろう。そう考えた時,頭の中でエロがっぱとの約束がよぎった。そういえばあいつと仲を取り持つなどと訳の分からない約束を交わしたのだ。約束した手前,男気だけは通さなければならない。男ではないけれど。機会があればその話もしてやるか。
 「一緒に帰ろう」と返事をして生徒玄関に向かいながら話をしていると,帰り道の方向がしばらく一緒であること,初めて会った時に声をかけられたのが嬉しかったことなどいろいろと話が出来た。靴を履くまでの間に私たちにあったであろう見えない壁がどんどん薄くなっていくのを感じた。
 靴を履くと美月は笑っていった。

「本当は一緒に帰るの誘ったら嫌がるかなってすごくドキドキしていたんだ。でも,やっぱり声をかけてよかった。いま,すごく楽しい」

予想外にオーバーな歓喜をぶつけられた,嬉しいどころか尻込みした。そんなことを言ってくれるなんて。頼りになる友達がいないからとりあえず仲間欲しさに声をかけただけなのだと思っていたのに。

「あ,迷惑かな?」

私の表情が芳しくなかったのだろう。しまったという表情で美月は言った。

「いやいや,帰り道が一緒って知らなかったし,誘ってくれて嬉しいよ!」

エロがっぱからのお願いもその時は頭のほんの片隅に置いていたのだが,脳内のダストボックスに放り込まれてしまっていた。
 その日から、私と美月の下校が始まることとなった。

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