エレメンツハンター

柏倉

第10章-1 ジンの所業

 時空境界を顕現させ、ジンは宝船をヒメジャノメ星系へと逃がした。その判断は正解だった。その後も、TheWOCの宇宙戦艦が次々とワープアウトしてきたのだ。
 ただ、敵艦が完全にワープアウトするのを大人しく待つ義理はなく、ジンと彩香は容赦のない砲撃を浴びせている。
 超エナジーフィールドにレーザービームは、ほぼ無力。まだミサイルの方が、爆発力によってフィールドを歪めるため有効である。しかし、その常識が崩れたのだ。
 ジンが操縦するセンプウと彩香の搭乗するユキヒョウの砲撃によって、緻密に制御されている超エナジーフィールドが、無秩序なエナジーの奔流へと変わる。むろん中の艦の表面は、超エナジーによって多大な損害を受ける。それは宇宙戦艦の装甲でも同様である。
 宇宙戦艦のコンバットオペレーションルームは混乱の極みにあった。今までの軍事常識が全く通用しないのだ。
 実のところ、ジンと彩香も最初は目を疑った。
 超エナジーフィールドが無秩序になる現象など見たことも聞いたこともなかった。
 現在のワープ技術でもワープイン、ワープアウトは危険を伴う。それは超エナジーフィールドの制御に失敗し、暴走する可能性があるからだ。逆に制御さえ出来ていれば、問題は発生しない。そして超エナジーフィールドの制御技術は、確立されているのだ。
 TheWOCにとって、不可解で原因不明の現象なのだが、ジンと彩香には心当たりがあった。
 センプウとユキヒョウの砲撃には、ダークエナジーが使用されている幽谷レーザービームなのだ。通常のレーザービームにはないダークエナジーが、超エナジーフィールドに影響を与えていると推察できる。
「次から次へと湧いてくるな。彩香、新しい機体に交換だ」
『承知しました、ジン様。それと宇宙戦艦は、菌やウィルスではありませんので湧いてきません。わたくしが除菌剤にでもなったようで不快です』
 ユキヒョウの格納庫から、通常合金を使用している手打鉦と同じ材質の球体が射出された。ただ半球体で20メートルの手打鉦と異なり、直径が30メートルぐらいある球体なのだ。
「そうか・・・。菌やウィルスならば、我らに害をなさないから見逃してやっても良かったがな。ルリタテハ王国の為にも殲滅しておこう」
 2人は平易な口振りで淡々と、まるで茶飲み話をしているかのような雰囲気でディスプレイ越しに会話している。戦闘開始から、すでに20時間が経過しているにもかかわらず疲れをみせない。
『TheWOCにとっては不運ですね』
 球体がジンの駆るセンプウに近づき2枚貝のように割れる。中にジン専用機の白いラセンと、大型スナイパーライフル”遠轟雷(エンゴウライ)”2挺が入っていた。折りたたんでいた四肢を伸ばしたラセンが、両手にエンゴウライを持って待機する。
 次の瞬間には、センプウが割れ目へと取り付く。
 薄く開いた2枚貝のような30メートルの手打鉦は、敵の攻撃からラセンを護るため、刻一刻と位置を変える。ジンはセンプウの胸部にあるコクピットから飛び出し、ラセンに乗り込みコクピットが閉じる前に操縦する。その間、僅か4秒。
 アンドロイドだから可能な芸当であった。
 生身にクールメットとスペースアンダー姿で宇宙空間に飛び出しても、むろん肉体は無事に済む。そのように設計されているのだ。しかし宇宙空間で長時間の遊泳は不可能である。酸素が足りなくなるからだ。
 人であったなら、酸素供給装置とクールメットを接続する。そして、コクピット内の気圧を安定させる。
 この2つが完了しないでサムライを操縦すると、人体への負荷が大きく最悪の場合、意識を失ってしまうのだ。
「彩香、センプウを回収せよ」
 30メートルの手打鉦が分離した瞬間、白いラセンが宙へと飛翔した。様々な孤を描きながらも滑らかな軌道で、TheWOCの攻撃を躱しながらエンゴウライを連射する。ほぼ全弾がTheWOCの人型兵器であるバイオネッタを貫く。
『承知しました。それにしても、まさかジン様と遭遇するとは、TheWOCの艦隊も想像していないかったでしょうね』
 センプウは自ら四肢を折りたたみ、手打鉦に収納される。そして30メートルの球体がユキヒョウへと戻っていく。
「それは早計だな。TheWOCは3個分艦隊を派遣してきたのだ。我らを抹殺する気でいたと考えるのが妥当。3個分艦隊程度の戦力では、ヒメシロ星系を征服できない。しかし、ヒメジャノメ星系を支配下に置き、我らを抹殺するには充分な数よな」
『なるほど・・・通常宙域で囲まれていたらと考えると・・・ゾッとします。今は、敵が順次ワープアウトしているので、攻撃が楽で良いですね。各個撃破しやすくて・・・軍事演習のために、わざわざ良い的を用意してくれたかのようです』
 実際のところは、彩香の言うような難易度が低い戦場ではなかった。
 宇宙戦艦の主な攻撃手段であるレーザービームと誘導ミサイルの荒れ狂う空間に、ジンと彩香が身を置いている。そこに宇宙空母から発艦した無数の艦載機による攻撃が加わるのだ。
 ジンと彩香がワープアウトしてくる艦を攻撃している間、ワープアウトを終えた宇宙戦艦と宇宙空母、その艦載機が何もしない訳ではない。ラセンとユキヒョウは攻撃を回避しながら、未だ超エナジーフィールドを纏っている艦を優先目標にしている。
 艦のワープアウトは、33隻目が最後だった。
 TheWOCの戦力は、ジンの読み通り3個分艦隊だったのだ。

 宇宙空間での艦隊戦において、星系内であれば、恒星や惑星、小惑星、衛星などを・・・。星系間では、ワープポイントや星間物質の雲、小天体などの特異点を・・・。戦略、作戦、戦術に組み込む。
 近距離であれば宇宙戦艦のレーザービームは確実に命中する。ただし、それは敵戦艦も同様なのだ。そのため、互いに距離を詰めるし、互いに距離を取る。
 艦載機が敵艦を攻撃している時、艦は敵の砲撃が命中しない位置まで距離を取ろうとする。逆に敵艦は、艦載機を盾にして砲撃の届く位置へと距離を詰めようとする。
 しかしTheWOCの相手は、ユキヒョウ1隻とサムライ1機。
 艦隊の陣形が崩れきり、乱戦となっていた。
 それにも関わらず、TheWOCが圧倒的に劣勢に立たされているのだ。
 TheWOCの33隻目がワープアウトしてから9時間、戦闘開始から実に29時間が経過している。29時間を休憩なしで、ジンと彩香は戦闘を続けているということだ。ジンに至っては戦闘中にサムライを4回乗り換え、現在5機目で戦っている。
「ジン様。現状認識が間違っている上、高圧的な降伏勧告がオープンチャネルで繋がっていますが・・・。如何いたしますか?」
 ユキヒョウのメインディスプレイには、TheWOCの艦隊の総司令官が大写しになっていた。そこから”貴艦を完全に包囲している。武装解除し降伏したまえ。捕虜としての待遇を約束してやろう”というような内容を言葉を変えて何度も告げている。
 度し難い愚か者ですねぇ。
 現状を戦争と勘違いしているようでは、命運は尽きましたね。
 甘すぎます
『何処だ?』
「データリンク完」
 ユキヒョウに搭載されている幽谷レーザービームが一斉に放たれ、闇光する漆黒の7条の瞬きが敵艦を貫き一瞬で宙に消えた。一瞬後、TheWOC艦隊の旗艦から眩い閃光が発生し、艦体が爆ぜ跡形もなくなった。
「了・・・早すぎです、ジン様。部下の報告は、最後まで聴いて欲しいものです」
 互いに距離を取った宇宙戦艦の砲撃は、中々命中しない。宇宙空間において正確で精確な計測は難しく、数撃てば当たるという砲撃戦になることが多い。
 しかしサムライを駆るデスホワイトは、敵艦を攻撃できる距離で交戦しながら観測手を務められる。それどころか、ユキヒョウとであれば、狙撃手も兼ねられるのだ。
 故にユキヒョウの攻撃は、敵宇宙戦艦に命中する。
 彩香は舞姫システムで手打鉦を操り、近距離迎撃用の幽谷レーザービームでユキヒョウに纏わりつくバイオネッタを相手にしている。宇宙戦艦への砲撃は全てジンが担当しているのだった。
 旗艦を失って1時間も経たない内、またしてもTheWOCから通信が入った。
「ジン様、オープンチャネルで降伏の申し入れがありました。如何いたしますか?」
『・・・バカを言うな、彩香。どこの宇宙艦隊が、たかが1隻の民間の恒星間宇宙船に降伏するのだ』
 ジンの口振りから、全然信じられないとのニュアンスではなく、却下である事が読み取れた。
 TheWOCの最初の通信内容よりは分を弁えていたので、彩香はジンの発言の一部訂正と翻意を試みる。
「ユキヒョウは民間船ですが、ジン様の操縦しているサムライは紛れもなく軍用機です」
『確かにな。しかし、3個分艦隊以上の宇宙戦艦が、1機の人型兵器に降伏する軍隊がいるとでも? 我が考えるに彩香よ、降伏の申し入れは汝の勘違いだ』
 常識論を振りかざしてジンが語っている時は、無理を押し通す時。
 彼の通り名には”強引がマイウェイ”というのもあるのだ。
「ジン様?」
『停戦してから武装解除まで行い。その状態を保つのが降伏と言えるのだ。それにだ、TheWOCは、この強力なジャミングを解いていない。自ら実行しているジャミングの所為で艦隊運動どころか、バイオネッタ4機編隊での行動すら、まともに成し得ない。そのような敵が統一した意志を持って降伏を申し込んでいるだろうか?』
 極めて強力なジャミングは戦闘が10時間超えたあたりから開始された。サムライの近くの艦がユキヒョウの的になっていることから、ジンが観測手・・・スポッターを務めていると推察したのだろう。ジンがスポッターであるとは、正確な推察であった。しかし妨害方法が間違っていた・・・というより、現在の技術では妨害方法がない。
 通信は精神感応物質オリハルコンを使用している。
 オリハルコンは精神と通信できるのだ。オリハルコン同士の通信は、精神との通信より技術的な難易度が低い。そしてルリタテハ王国の科学力は、オリハルコン同士の通信を技術として確立していた。
 TheWOCは強力なジャミングで”手打鉦”の動きを止めようとしているが、オリハルコン通信のため、電磁波の影響を全く受けない。電磁波はダークマターに干渉できないのだ。
 ただ、オリハルコン通信の媒体が何であるかは解明できていない。一説には重力波ではないかとも言われている。オリハルコン通信技術はルリタテハ王国で最も人気があり、最も資金が投入されている研究分野なのだ。
 TheWOCは自らの強力なジャミングによって、逆に自陣内の通信に多大な影響を受けていた。もはや戦術どころか、艦隊運用にまで支障を来している始末である。
 TheWOCの人型兵器であるバイオネッタは部隊としての行動ができず、ユキヒョウにバラバラに攻撃を仕掛けるだけで、”手打鉦”の罠に見事に嵌る。
 また他のバイオネッタ部隊は、ジンのセンプウを包囲したが、距離測定がまともにできず同士撃ちとなった。慌てて攻撃を中止した刹那、センプウの闇光する幽谷レーザービームライフルによって、纏わりついていたバイオネッタ全機が一瞬にして撃破されたのだ。
「・・・そう・・・ですね」
『さて、彩香。以上より汝の勘違いとみるのが妥当だ。良いか、強力なジャミングゆえ、オープンチャネルも影響を受けたのだ』
「失礼しました、ジン様。わたくしの勘違いのようです。すべてはジン様の仰る通りですね」
 彩香はあっさりとジンの屁理屈を受け入れた。
 疲れを知らないジンと彩香とはいえ武器弾薬やエナジーには限りがあり、敵の装備品を鹵獲したくとも戦場の敵を掃討しない限りは無理である。
 ならば戦闘の続行が、一番生存確率を高くする方法であると彩香は理解したのだ。

 第3分艦隊の旗艦に所属している主だった幕僚が、指令室に集結していた。その8人の幕僚は、一様に渋い表情を浮かべているのだが、一人だけ平静を保っている老齢の参謀がいた。
 彼の名はジョン・サルストン。小柄な体躯に強い意志を感じさせるグレーの瞳、短い白髪の下にある頭には膨大な軍事知識が入っている。
 サルストンは民主主義国連合の連合軍に30年間所属し、参謀として輝かしい実績を残した。彼の実績に目を付けたTheWOCは招聘したのだ。以来約20年間、サルストンはTheWOCの私設軍隊で、過去の作戦の知識を披露し、将来の軍事作戦を立案した。
 彼の軍事作戦に基づいて、TheWOCは開発した軍需品の評価を実施したのだ。
 またサルストンは、時に技術者と議論し、時に軍隊の参謀を教育し、時に艦隊司令官を導いた。
 そんな実績と人望を兼ね備えたサルストン参謀が落ち着いているので、司令官のクレイグ・メロー提督は言葉に希望を込めて戦局を尋ねた。
「サルストン参謀。貴官はこの戦局をどう読む?」
「芳しくありませんな。敵の宇宙船の射撃は正確無比で、防御にも隙がない。敵の新兵器は戦闘の有り様を変えるかもしれません。それにサムライのパイロットは尋常でない。人の域を越えているといっても良い。なぜ1機しか戦場に投入しないのか・・・。乱戦での相撃ちを怖れているのか・・・。パイロットが2名しかいないので、交代で戦場に出陣しているのやもしれませんな。サムライのパイロットが観測手を務めているから宇宙船の射撃の精度が高いのは間違いないでしょうな。それにしてもこの戦い方・・・デスホワイトの戦い方に、余りにも似ている。ここ20年以上戦場に現れたとの話を聞かないので、エースパイロットの数人に伝授したのでしょうな」
 メロー司令のブラウンの瞳に不安の色が顕れ、幕僚の間には動揺が広がった。
 デスホワイトの雷名は天の川銀河の軍隊に轟き、将兵に恐れられていた。
「デスホワイトの伝説再びか・・・民主主義国連合にとっては頭の痛い事実だ」
《”モンテイアージ”轟沈! 艦隊司令部機能を第2分艦隊”レポラーノ”が継承》
 機械の合成音声が司令室に響いた。第2分艦隊の旗艦レポラーノから予め決めていた符丁の通信が入ったのだ。
 メロー司令は、斜め後ろに控えている副官のリータ・レーヴィ=モンタルチーニに、右手を少し挙げ合図した。
「了解しました、メロー提督」
 モンタルチーニは動揺を声に出さないよう抑制し返事した。女性としては低く良く通る声である。そして目の前になる端末を即座に操作し、司令部機能継承について承知した旨の符丁を全艦艇に通知したのだ。
 幕僚達の前ある巨大3Dホログラムに、刻一刻と変化する戦況が表示されている。ピクトグラムで宇宙戦艦、宇宙空母、人型兵器などを現し、色で敵味方を識別できるようになっている。また中心には、第3分艦隊旗艦”グロッターリエ”がマークされているのだ。
「メロー提督。レポラーノの戦術コンピューターとのリンクの切断を具申いたします」
「どういう意図だ、ゴルジ大佐」
 穏やかな口調だが、鋭い視線をメロー司令はカミッロ・ゴルジに向けた。
「司令部からの命令とはいえ、第2分艦隊の盾となる宙域への陣を張るだけ。第1分艦隊の二の舞となる未来しか見えません。戦力の逐次投入は愚策です」
「尤もな意見だ。しかしな、司令部からの命令には従わねば。どうか?」
 ゴルジ大佐も心得たもので、メロー司令の指摘に対する解決策を意見具申する。
「強力なジャミングのため、リンクが切断されることは、戦場では良くある事象です」
「モンタルチーニ大尉。リンク切断の実行。それと、其の事を艦長に伝達・・・」
 メロー司令が副官に命令している途中で、サルストン参謀が徐に口を挟む。
「メロー提督。戦術コンピューターリンクの周波数帯域のジャミングが特に強ければ、更に説得力が増しますな。先にジャミングを強化するのが良いかと」
 サルストンは意見具申の体を成しつつ場を落ち着かせようと、意図的にゆったりとした口調で話した。
「なるほど・・・サルストン参謀の意見も採用しよう。戦術コンピューターの通信のジャミングを強化し、次にリンクの切断。それと艦長に意図の説明もだ!」
「了解しました」
 急ぎ、コンバットオペレーションルームでグロッターリエの指揮をとる艦長に、モンタルチーニが連絡を入れた。
 リンク切断の命令で浮足立った幕僚を宥める効果はあったようだな。ただ残念ながら、幕僚達の表情から不安を消し去るに至らなかった。やはりメロー司令から、勝利できると思わせる作戦を説明してもらうしかないか・・・。
 サルストンは参謀としての職務に忠実であり、有能でもあった。すでに作戦の立案を終え、3Dホログラムに表示できるまで用意してあったのだ。

 メローは、自分の端末に表示されたサルストン准将の作戦案にざっと目を通した。そして、参謀として第3分艦隊の幕僚としてサルストン准将が配属された幸運に感謝すると共に、その作戦案の採用を即断即決する。
 端末の内容を3Dホログラムに展開し、メローは幕僚達の注目を集める。
「さて、諸君」
 メローが良く通る声で幕僚達の注意を惹き、落ち着きを払った口調で死地へと誘う。
「サルストン参謀がデスホワイト伝説の終止符を打つ作戦を立案してくれた。伝説のデスホワイトを退治して、戦史に我々の名を刻みつけようではないか」
 ちょっと散歩に行こうか、と誘われたのかと勘違いするぐらいの軽い話し方だった。
「尤も、敵は300メートル級の宇宙船1隻と人型兵器1機。サルストン参謀の作戦がなくても勝利するだろう。その上、お膳立てまでしてあるのだ。後は淡々と、作戦を実行すれば良い」
 悪戯に誘うかのような笑みを浮かべ、メローは皆に畳みかける。
「簡単なことだろ?」
 さっきまで幕僚達は、TheWOC旗艦モンテイアージが撃沈された事実に慄いていた。
 敵はデスホワイト。
 そんな幕僚たちの士気が、急上昇したのだ。
 その様子にメローは満足すると、サルストン准将に作戦の説明を任せた。
「本作戦の要諦は・・・」
 サルストン准将の説明を耳に傾けながら、TheWOCの私設軍隊が、遠路はるばる赴いてきた目的を思い起こしていた。
 現状考えうる限り、最善の作戦をサルストン参謀は提示してくれた。しかし、勝利できるだろうか? 第3分艦隊は中破以上の艦はないが、既に第1分艦隊は8割以上、第2分艦隊は約3割の艦が戦闘不能になっている。
 もはや撤退すべき状況なのだ。
 生き残りを救うのに、それ以上の命を犠牲にするのは不合理であり、艦隊司令としては失格である。しかし艦隊司令部機能を継承した”レポラーノ”から未だ撤退命令はないし、第2分艦隊に撤退の兆候はない。
 目的を果たすために、最悪のケースをも想定せねなるまい。
 メローは頭を軽く振り思考の迷路から抜け出した。
 さて、今はサルストン准将の作戦を完遂することに集中すべきだ。
 ちょうどサルストン准将からの説明と、幕僚からの質問が終了した。メローは幕僚達の視線を一身に受け、徐に語り始める。
「さて、諸君。我々が伝説となる準備は調ったかい? 後は実行するだけだ。早速取りかかろう」
 自信に満ちたメローの言葉に幕僚が敬礼で応えた。
 幕僚は各々の担当するセクションに命令を飛ばし始めた。ある者は人型兵器バイオネッタの部隊行動の徹底と作戦配置について。ある者は第3分艦隊の全艦に戦域移動について。ある者は戦艦の武器管制システムに兵器使用について・・・。
 第3分艦隊のコンバットインフォメーションセンターに、緊張感溢れる静寂が戻った。
 高い練度と士気、それに細心の注意を払い第3分艦隊はジンと彩香に覚られずに陣取りを終えようとしていた。
 目標はユキヒョウ。
 スポッターを排除できなければ、スナイパーを排除すれば良い。極めてシンプルな思考によって導き出された結論だが、言うは易し行なうは難し。
 宇宙戦艦の主砲の射程にユキヒョウを捉えるということは、ユキヒョウの射程に入るということでもある。TheWOCの宇宙戦艦が、被弾して散々な目にあっているにも関わらずだ。
 舞姫システムで護られたユキヒョウに攻撃を命中させるために、第3分艦隊の全宇宙戦艦による全力射撃をする。そして、バイオネッタの機動力で攪乱して、宇宙戦艦の射線をつくる。
 第3分艦隊の努力が実を結ぼうとする時に、レポラーノからオープンチャネルで信じられない通信が入ったのだ。

 機械の合成音声が司令室に再び響く。
《民主主義国連合TheWOC所属、艦隊司令発。ルリタテハ王国所属、交戦中の宇宙船宛。我が艦隊は、降伏を選択する。現時点をもって、全ての戦闘行為を凍結する》
 コンバットインフォメーションセンターの幕僚は愕然としていた。何度も通信内容を確認したり、隣の幕僚と話したりと、第3分艦隊の司令部の秩序が失われた。その無秩序は第3分艦隊全体に波及し、混乱の坩堝へと落ちていく。
 幸い敵宇宙船も通信を受諾したらしく、攻撃が止まっていた。
 メロー提督も同様に衝撃に愕然としたが、直ぐに指揮官としての役割を全うすべく立ち直った。
「降伏時の手順を遂行せよ」
 メロー提督の命令に、幕僚達は定められた通りに粛々と手順を踏んでいく。
 攻撃をすべて中止し、ジャミングが解く。そして宇宙戦艦、バイオネッタが後退していく。
 各種周波数の通信が回復した。そのため第3分艦隊所属艦船のデータリンクが確立し、戦況把握が容易になった。
 しかし第2分艦隊の旗艦レポラーノとのデータリンクは、依然として確立できていない。第3分艦隊はジャミングを解き、リンクを拒否していないにも係わらず。
「待っていただきたい、メロー提督」
 情報士官最先任のゴルジが叫んだ。
 いち早く戦況を把握したゴルジには、第2分艦隊の司令官”ヤマサキ”の意図が読めたからだ。
 ゴルジは10年近くヤマサキの部下であった。その間、苦汁を嘗めてきたのだ。5年前。メロー提督配下に異動となった時、同僚からは羨望の眼差しで、同期からは祝福で、軍の友人からは祝杯で送り出された。
 メロー提督は部下とのコミュニケーションに定評があり、何より公正な評価を下せるとの評判だったからだ。ゴルジは5年間で少佐から大佐へと昇進し、噂が事実であると実感した。
 メロー提督は公正に実力を評価してゴルジを大佐へと昇進させたのだが、彼は提督に恩義すら感じている。
 あと1~2時間で、メロー提督にデスホワイト討伐という輝かしい経歴が追加されるを、ヤマサキが邪魔しようとしているのだ。こんな理不尽をゴルジは承伏できなかったのだ。
「ヤマサキ司令は、自己保身のみで降伏を申し入れています。第2分艦隊の旗艦のダメージレポートでは中破の評価です。しかし、損害は機関部が中心のため、速度の低下が著しく、またワープは不可能。このまま戦闘が続けば旗艦が撃沈されると判断したのです。恐怖から、自身の命惜しさから降伏したのです。その証拠にジャミングを解いていません。これはレポラーノを攻撃されないための措置。今やジャミングを解いたレポラーノ以外の宇宙戦艦が、絶好の狙撃対象になっているのです」
 ゴルジの魂のこもった叫びは、言霊のように幕僚達に浸透していった。
「軍を率いている司令官が降伏を選択したのだ。我々が戦闘を続けると友軍から撃たれかねない。味方同士で争っても仕方がない」
 無論メロー提督にも言霊は届いていた。しかし、自らが預かっている将兵の命を味方同士の無益な戦闘で散らせる訳にはいかない。
 その考え方を部下として5年間に渡り仕えてきたゴルジには理解できた。メロー提督とは、常に公正であり軍人として有能。また人としては善良で、かつ道徳的な方である。それは良く知っている。
 しかし、このままでは帰還した後、ヤマサキの自己保身のためのスケープゴートにされかねない。
 それは、あまりにも理不尽であり、ゴルジには許容できない。
 なんとかメロー提督を翻意させようとゴルジは言葉を継ぐ。
「そうでなんすが・・・しかし、降伏などと・・・」
「落ち着きたまえ、ゴルジ大佐。問題は、そこではない」
 サルストン准将が冷徹な声色で口を挟んだ。
「メロー司令。降伏しても捕虜のとしての扱いは保障されませんな。自分たちはTheWOCの私設軍隊です。しかし、ルリタテハ王国からすると民主主義国連合の軍ではない。降伏を受け入れてもらえるかどうか・・・。まず無理ですな。最悪のケースとしては海賊として処理されかねません」
 幕僚達に絶望が広がっていく。
「・・・うむ。サルストン参謀の分析は正しい」
 メロー提督が大きく肯き、即座に決断を下した。
「それではTheWOCの私設軍隊らしく、今回のミッションの目的を遂行するとしよう」
 サルストン准将以外の幕僚は不可解な表情を浮かべている。
「我々は、ヒメジャノメ星系とワープ航路の調査にきた。ということは、調査結果を持ち帰らなくてはならない。つまり、1隻でもワープすれば我々の勝利となる」
 ワープインのポイントは敵宇宙船の向こう側にある。指揮系統の乱れ切っている現状では、1隻ですら辿り着けないだろう。
 ゴルジの情報士官としての分析が、絶対に無理だと盛大に警鐘を鳴らしている。それでも、何もせずに諦めたりはしない。
 メロー提督の恩に報いるためにも・・・、
 起死回生の作戦はないか?
 有効な打開策はないか?
 余りの絶望的な状況に眩暈すら覚える。
 何とか・・・。
 何か・・・。
 メロー提督だけでも・・・。
 どうにか・・・。
 どうか・・・。
 もはやゴルジの思考が神頼みになってきていた。
 その時、ゴルジにとって1度で2度美味しい一報が情報端末に表示された。
 まさに僥倖。
 何といっても、ヤマサキにとって恥の上塗りとなっていたのだ。
《”レポラーノ”大破! 司令部沈黙。機能していない模様》

「良し!」
 ゴルジ大佐の呟きにメローは眉をひそめたが、叱責する時間すら惜しく最優先の命令を下す。
「第3分艦隊旗艦グロッターリエが司令部機能を継承する。各艦に撤退命令。最優先だ! 殿はグロッターリエが引き受ける。命令伝達確認後、ジャミングを再開。急げ!」
「小官は、グロッターリエが殿を務める事と、ジャミングの実施には反対です。意味がありません」
 不謹慎な呟きといい、先程のヤマサキ司令の人物評価といい、ゴルジ大佐は感情に流されている節がある。今は最先任情報士官としての冷静な分析に集中してもらいたいのだが・・・。
 下士官達の集まる店に顔を出しては、コミュニケーションを取るようにしているので、下士官達が話すヤマサキ提督の悪い噂を良く耳にしていた。
 司令官としては無能。
 軍人としては不適格。
 上官としては無責任。
 人間としてはクズ。
 有能な部下を不当に低く評価し、部下に厳しく自分に甘いとの評判だった。
 ただ、今は必要なのはゴルジ大佐の戦況分析であって、ヤマサキ提督の分析ではない。
「私情はいらぬ。最先任情報士官としての意見を聞こう」
 ゴルジ大佐は端末を操作し、3Dホログラムに陣形と損害の推移を示しながら説明する。
「開戦当初に損害が大きかったのは、バイオネッタが展開できなかったためです。バイオネッタを展開後、明らかに敵宇宙船からのレーザービーム砲による単位時間当たりの損害が減少しました。しかし、ジャミングの前後で損害率に大きな変化はありません。敵人型兵器がスポッターであるのは確実ですが、自軍のジャミングは敵の通信を妨害できていないと結論です。翻って自軍は自らのジャミングにより連携がとれていません」
 3Dホログラムの映像に表示されている情報はゴルジ大佐の説明に大きな説得力をもたらしていた。
 メローは得心した。しかしゴルジ大佐の説明では、戦況の事実を明示されたが、勝利するための方策までが遠い。3Dホログラムを睨みながら、メローは起死回生の作戦を考える。
 重苦しい雰囲気の中、サルストン准将が軽い口調で言い放った。
「良い分析だ、ゴルジ大佐。後は作戦参謀の出番ですな。メロー司令官、良い作戦がありますぞ」

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