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君がため

文戸玲

20 years old

 
 セミが鳴いている。青々とした葉を茂らせた木に,小さな体を精いっぱい震わせて鳴いている。夏だな,感じるのは,この音が気温以上に暑さを感じさせるからだろうか。雄のセミが雌を求めて鳴いていることは知っていたが,「セミは一週間で死ぬんだ。あんなに小さな体で,耳をふさぎたくなるほどの大きな音で誘惑し続けていたら,どれだけ性欲の強い人間でも死ぬだろ」と中学時代に友人に言われたときには目からうろこが落ちたように世界が広がった気がした。今思えば,あの日に生き物の生態に興味を持つようになった。それから医学に興味を持ち,人を救いたいと思う素地が出来たのかもしれない。そうだとしたら,あの日,移動教室で授業に向かうために一緒に歩いていた友人に感謝するべきかも知れない。隣のクラスの陸上部の女の子が,かばんをたすき掛けにして膨らんだ胸を横目にして,鼻の下を伸ばしながら見ていたあいつに。
 
 その言葉を思い出し,大学時代に友人に話したことがあった。自慢げに,「セミが一週間で死ぬのはあの小さな体で性欲に身を任せて,ありえないくらい大きな音で鳴き続けているからなんだ」と偉そうに語った時にはひどく嘲笑された。当時のあの言葉が嘘っぱちだったことに気付くのに,ずいぶんと時間がかかってしまった。

 嘘は良くないし,騙されるような冗談を言うのなら必ずその日のうちに訂正しなければならない。地方から転校した僕はその日,関西の人間は信用しないと誓った。

 関西人にはそれからも何度も騙された。

 あいつは元気にしているのだろうか。 

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