観相師・景春

daishige

●3.堺


 湯本、景春、早瀬、足軽頭の矢田は、中山道を京大坂方面に向かっていた。日が山間に沈みかけた頃、一行は、妻籠宿に着いた。
 宿に入ると女将が、一行の泊まる部屋に案内した。部屋は2階であった。
「板倉殿、あの女将の顔をしかと見たか」
「はい。湯本殿もお気づきになられましたか。不倫の相がありありと出てました」
「あの亭主は可愛そうなものだな」
「早瀬様、どうしました」
景春は、湯本と話している姿をあっ気にとられてみている早瀬を見ていた。
「お二人は、よく話が合いますね。私などはさっぱりです。なっ矢田」
早瀬は、旅装を解いている矢田を引き合いに出した。
「あっしは、鉄砲以外は、酒と女でして」
「まっ、楽しい旅ではないか」
湯本は、満足げに一行たちを見ていた。

 景春が湯船に浸かっていると、矢田がニヤニヤして風呂に入ってきた。
「ここの女将は、長逗留の旅芸人と恋中のようでさぁ」
「そうか、旅芸人か。よくあることなのだろうな」
「ここの亭主は、知っているんですかね」
「見てみぬふりということあるがな」
「それで、今晩、芝居を広間でやるそうですが、見ますか」
「暇つぶしに、どんな奴か見てみるか」

 宿の広間は、広間と言っても、16畳程で舞台となる板の間が4畳程であった。
義経一行の安宅の関を旅芸人たちが演じていた。
「あの義経をやっているのが、女将の相手だそうです」
早瀬が矢田から聞いたことを、自分が調べてきたことのように、湯本に伝えていた。
「そうか。そこそこの色男だな」
湯本は、その男をまじまじと見ていた。
「湯本殿、田舎芝居にしては、小道具に凝っている一座ですね
景春は、刀や槍に目が行っていた。
 弁慶役の男が、義経の頭を叩く。安宅の関の名場面。他の逗留客から歓声が上がる。
富樫役の男が、関の通行を許可する。すると、関所の役人役の男が、刀で背後から義経を斬りつける。
 景春は、こんな場面はないと思っていると、血が逗留客に吹き飛び、悲鳴が上がった。騒然とする舞台と客席。
「おのれ、市之丞、」
役人役の男は、手傷を負って逃げる義経役の男に叫んでいた。
「あれは、ここの亭主じゃないっすか」
矢田が、叫ぶ。宿の中は、大騒ぎとなり、湯本たちは、取りあえず、部屋に戻った。

 しばらくすると、宿場の役人が、亭主を捕縛して、宿の土間で吟味していた。
市之丞は、血を流しているものの致命傷にはなっていなかった。女将は、必死に市之丞をさすっていた。この光景を遠巻きに見ている景春たち。
「成実屋、一部始終を話せ」
「亭主は、興奮していた上に、酒も入っていたので、話がしどろもどろであった。
「うちの人が、急に乱心して、お客様に襲いかかったのです」
女将は、平然と言っていた。
「乱心か」
「お役人さん、ちょっとそれは違うようです」
景春が声を上げると、その場の一同の目が景春に集中した。
「女将の不義密通が原因で、このようになったのでしょう。女将と旅芸人を問いただせばわかるはずです」
「あんたは、誰だ」
役人が詰め寄ってきた。
「通りかかり観相師です」
「観相師、それはなんだ」
「人の顔を見て、その人の所業を知ることができます」
「そうか、だが、この亭主にまず聞かなければならん」
「ここの亭主を罪に問うのか、女将を罪に問うのかで大違いですよ」
「あのー、その人の言う通りです。旦那様が不憫でなりませぬ」
宿の丁稚が、ぼそりと言い出した。
「小僧、この怪しい男の言うことに一理あるのか」
「はい。たぶん、女将さんに聞けばわかります」
丁稚が言うと、女将は、逃げかけたが、すぐに役人に取り押さえられた。
「えーい、皆の者さがれ、後は我々が吟味いたす。余計な口出しはするな」
役人は、面倒臭そうに、人垣を追い払っていた。

 景春たち一行は、大垣、関ケ原を経て、京に入り、東寺近くの吉田屋という旅籠に泊まった。
「京の町は、新しい建物が、どんどん建ってます。これも秀吉様のおかげですか」
景春は、2階の窓から、京の通りを眺めていた。
「まぁ、とにかく太平の世になったばかりだからな」
湯本も初めての京に、冷静を装いつつも、喜んでいた。
「お客はん、相部屋よろしゅう願いますか」
旅籠の女中が、他の客を連れて、景春たちの部屋に入ってきた。
「しかしな、狭くなるな、その分、宿代を安くしてくれるか」
早瀬が、渋りながら言う。
「お客はん、今の時期は、お遍路はんやお伊勢参りで、混み合いますので、ご勘弁を」
「いや、我々も武家の端くれ、そうやすやすと相部屋には応じらん」
「そうですか、わかりました。特別に宿賃、五分引きで」
「せせこましいこと申すな、ここは一つ一割引きでどうだ」
「お客はん、大坂の商人みたいですな。六分で」
「いや、面目が立たん一割だ」
早瀬は、顔色一つ変えずに女中をにらむ。湯本は、もう良いだろうと言う顔をしていた。
「もう、清水の舞台から飛び降りたつもりで、八分引きで、もう金輪際、無理です」
「しかたない、八分引きで良かろう」
早瀬は、少し頬を緩めた。女中は、つまらなそうな顔をして部屋を出て行った。
「早瀬様、交渉に長けていますね。商人の心得でもあるのですか」
景春は、女中の後姿を見つめながら言った。
「母方が富山の薬売りでして」
「早瀬、大したものだ」
湯本は、早瀬の肩を軽く叩いていた。
 その場に居合わせた、相部屋の男3人は、どう見ても若かった。
「あのー、お武家様、あいすみませぬ。
私は、林 元長と申しまして、我々は、平戸でデウス様の教えを乞うつもりで、京に立ち寄りました」
3人の中で年長の男が湯本に言った。
「しかし、先年、秀吉様が伴天連の追放令を出されたのに、大丈夫なのか」
「今の所、我々日本人の切支丹は大目に見られています」
「なるほど」
「お武家様も切支丹では」
「いや、私は、そうではないが、話は変わるが、切支丹の南蛮人をすぐそばで見たことがあるのか」
「見たことはあります」
「それで、鼻は、この急須のように長いのか」
「いえ、私の知っている南蛮人は、このようなことは、ありません」
「そうであったか」
湯本は、少し残念そうにしていた。
「南蛮人にも、いろいろな顔があるのでしょう。それで顔色どのようなものです」
景春は、湯本が黙った隙に尋ねる。
「白い人もいれば、黒いというか真黒な人もいます」
「それで、真っ黒って、消し炭のような黒なのか」
「はい、夜など、目しか光っていないように見えます」
「それで、紅毛人は、眉毛も紅毛なのか」
「紅毛といっても、紅のような赤さではなく、赤茶色でして…」
景春は、湯本と共に話に夢中になっていた。早瀬と矢田は、それをしり目に早々に風呂に行っていた。

 一行は、大坂に入り、まず大坂の真田屋敷を訪ねた。
「馬廻り衆のお役目は、いかがでございますか」
湯本は、信繁の真正面に座っていた。
「秀吉様のおそばに仕える身なので、それなりに苦労があるが、珍しいもの何度も目にすることがあり、飽きないぞ」
信繁は、上田や大殿のことが知りたくてたまらない様子であった。
「それは良うございました」
「ところで、湯本、父上や兄上はどうしておる」
「大殿は、旧領の安堵を願っておられます」
「そんなことはどうでも良い」
「元気にしておられます。相変わらず、野山で獣を捕っておられます」
「それで、信幸様は、勉学に励んでいるようです。これからは戦ではなく、頭だと言っております」
「そうか、兄上らしい。それで、湯本、そんなことを話す為だけに、大坂まで来たのか。そんなわけはなかろう」
「お見通しでしたか。実は、堺の南蛮人や紅毛人の顔が見たくて、参った所存でして」
「そんなことであったか。太平の世になった訳だな」
信繁は、湯本に少し後ろに座る景春たちを見回していた。
「湯本、その者は、初めて見るな」
「はい。この者は、観相師でして、此度の供でございます」
湯本が紹介すると、景春は、深々と頭を下げた。
「その方、武家の出であろう。立ち振る舞いからわかる」
「はっ、ご推察通りでございます」
「此度の北条攻めでは、どちらについた」
「どちらにも付いていません。武家が性に合わず息子に家督を任せて、私は、観相の道に参りました」
「面白い生き方をするご仁だな」
信繁が景春を見ていると、しばらくその場が沈黙した。
「信繁様、それで、大殿と奥方の話を続けてよろしいですか」
湯本が沈黙を破る。
「あぁ、これが用件だったからな」

 真田屋敷に一泊した後、一行は堺の町に入った。通りには活気があり、船から荷揚げされた荷物が荷車で運ばれていた。
「確か、信繁様の絵図によると、このあたりに南蛮人の商館があるはずだが」
湯本は、早瀬が広げる絵図を見ながら歩いていた。
「湯本殿、あの二階建ての建物は、違いますか」
「確かにちょっと趣が違う造りだな」
「妙な曲線の文字も書いてあります」
早瀬は、アルファベットの文字を確認していた。湯本の足取りが早くなり、一行は、商館の中に入っていった。中には、南蛮風の戸棚、机と椅子があり、黒い髭面の男が立っていた。
「なんのご用でございまするか」
妙なアクセントの日本語で言っていた。
「あなたは、南蛮人ですか」
湯本は、その男の顔を見ながら、いきなり尋ねる。
「はい。そうでございまする」
「しかし、髪も髭も黒いではないか」
湯本は、少々残念そうにしていた。
「南蛮人は、いろいろな人がいます。それでご用は」
「我々は、絵師でして、南蛮人や紅毛人の顔を描きに堺に参った」
「絵師…、そうですか。しかし、今は私だけです」
「もっと、いろいろな南蛮人や紅毛人に会いたいのだ」
湯本は、日本人に話すように尋ねる。
「なんのためでござりますか」
男はいぶかしんでいた。
「あぁ、堺の風説書きに載せるためです。これに載ると商いが繁盛します」
景春がとっさに応える。
「そういうことですか。他の南蛮人は、今宵、船で到着します。また夜に来てください」

 景春たちは、昼間のうちに堺の町を見て回り、夜になると、再び商館を訪ねた。
商館の広間には、燭台がいくつも置かれ、明るくなっていた。昼間と違って、南蛮人が
独特の衣装を来て、動き回っていた。
「湯本殿、彼らは、男女で何をやっているのですか」
景春は、向かい合った男女が、音楽に合わせてクルクル回っているのを見ていた。
「踊りのようだが、男女の距離がいささか近いようですな」
湯本と景春が話をしている所に、昼間会った、日本語が喋れる南蛮人が来た。
「どうですか、あの女子と踊りませんか」
南蛮人は景春に言う。
「足がもつれそうだ。止めておく。ところであなたの名前は聞いていなかったが、私は板倉景春」
「私は、番頭と通詞をしていますロドリゲスと申します」
「それでロドリゲス殿、南蛮人の顔を書きたいのですが、よろしいですか」
「わかりました」
ロドリゲスは、そう言うと手を叩き、踊りを止めさせ、老若男女6人を壁沿いの椅子に座らせた。
 「黒い人、青い目の人、いろいろいます」
ロドリゲスは、湯本と景春用の椅子も用意させ、座るように促した。湯本と景春は矢立から筆を取り出すと、南蛮人の顔を素描し始めた。
「この若い女性は、雪のような白さだ。しかし髪は茶色かがっている。全くもって、美しい」
「板倉殿、見惚れてますな。私の方は、ふくよかなお内儀といったところですか。しかし胸が大きい」
「湯本殿、顔を描きに来たのですが」
「いゃ、仕方のないことだ。ところでロドリゲス、このお内儀はどのような性格なのだ」
湯本は、眉毛の曲線を描いていた。を
「はい、セニョーラ・エルカーノですか。こちらは、男勝りで、大胆な所があります。商人の才覚があります」
「ロドリゲス殿、この若い女子は、いかなる性格なのですか」
「セニョリータ・アコスタは、人の話を良く聞きますが、早とちりします。涙もろい女子です」
ロドリゲスの言葉を景春は、顔の絵の脇に書き入れていた。
 湯本と景春は、鼻の大きい中年男、眉と目の間隔が物凄く近い年配者など、次々に描いて行った。顔の素描図は、あっという間に十数枚になった。

 「いゃー、ロドリゲス殿、今宵は存分に南蛮人の顔が描けました」
景春は、かさばる絵図をまとめていた。
「非常に、参考になった」
湯本も満足げであった。
「板倉様、これで商いの方も、よろしく、お願いござりまする」
ロドリゲスは、景春の言葉をすっかり信用しているようだった。
「風説画にしますから、商売繁盛ですよ」
景春は、調子の良いことを言っていた。
「それでは、我々は、これで失礼する」
湯本が言うと、広間の入口付近で控えていた早瀬と矢田が、嬉しそうに伸びをしていた。
 一行が、広間を出て、廊下を歩いて行くと、途中に扉が開いて、光が漏れている
部屋があった。人の気配がないのに、明かりを点けているように見えた。景春は、何の気なしに
中を覗くと、青白い肌をした細面の男が赤い汁を飲んでいた。景春は、びっくりして、つまずきそうになった。湯本も景春の異変に気付く。
「あの男、血を飲んでいる。南蛮ではそんな風習があるのか」
景春は前を歩くロドリゲスに声を絞り出して聞く。
「板倉様、あれは、赤い葡萄の酒です。血ではありません」
「しかし、どう見ても…」
「それでは、どうぞこちらへ」
ロドリゲスは、細面の男がいる部屋に一行を案内する。
 一行が部屋に入ると、男は、にっこりと微笑んでいた。ギャマンの杯を南蛮机の上にそっと置いていた。
「これです。葡萄の酒です」
ロドリゲスが、その杯を景春の目の前に持ってくる。
「うむ、先刻と濃さが違うようだが」
景春が言っていると、湯本が臭いをかいでいた。
「確かに、甘い香りが漂っている。板倉殿、血ではないですぞ」
「そうですか」
景春は、ちょっとつまらなそうにしていた。それを見ていた細面の南蛮人は、じろりと景春を見て、不気味な視線を投げかけてきた。その恐ろしさに背筋が凍る思いがした景春であった。
「板倉殿、行きますぞ」
「あっ、これは失礼。私の思い過ごしでした」
 一行が、南蛮の商館を出たのは、ちょうど満月に薄っすら雲がかかる頃だった。野犬か狼の遠吠えが聞こえる中、堺の逗留先に戻った。

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