炎罪のウロボロス

あくえりあす

11、すべてが憎い……


少年期、私は元々口数の少ないタイプであった。寡黙だった、といった方がより相応しいかもしれない。加えてこれまで述べてきたように様々な負荷が心身に掛かった結果、二次成長期を迎える頃になると、私はあらゆる意味で不活発、無気力な人間になってしまっていた。
私が言うべきことではないが、そう考えれば、辛うじて高校には入学できたものの、特に目的や将来の希望や夢も無ければ、夢中になれるものが何一つなく、ずっと友と呼べる存在など一人もいなかった私が、自室に引きこもるようになるのも、時間の問題だったのかもしれない。
勿論これも医学的知見に基づいた結論ではない。自分の身に起きたことをランダムに並べて得た推論に過ぎない。
だから私が世界中を憎悪し、自分が誰よりも不幸だと思い込むようになった真因とは、まるで関係のない思い込みかも知れない。

「おい! いるのはわかっているんだ! 出てこい!」

父が蒸発する前にも、そして蒸発したあとにも、狭いアパートの一室で、母と二人、明かりのない部屋で息をつめて身を潜めたこともしばしばあった。
玄関の前に立ち、大声で私たち親子を威嚇して来たのは無論、父親が作った借金の取り立て屋たちだ。
だが義父のおかげで、十代以降の私には、こんなつらい経験は皆無となった。とはいえ心の安寧はすぐには訪れることはなかった。
形は違えど、他者に振り回され続ける人生。逃れることのない苦痛の連続。己が主張をすべて封印しようとも、おカネの心配がなくなれば幸せになれる。そんな無邪気な夢想はとうの昔に誤りであったことを思い知らされ、ふと立ち止まり自己を顧みれば、心は蝕まれ、自らの運命に絶望し、これを呪い、返す刀で誰彼かまわず周囲への強い憎悪を抱くようになっていたのだ。
無論、当時の私にはそれを冷静かつ客観的に分析する能力も気力もなかったのだが。

ただどれだけ絶望し、どれほど孤独を感じようとも、私は”死”に逃げ道を求めることはしなかった。
強い疎外感。誰からも尊重されず、誰からも必要とされず、誰からも愛されていないとしか感じられない日々。
気が付けば他者に向けられたあらゆる悪感情は、実は自らへと向けられいたものの鏡写しであることを、ぼんやりとだが私は自覚した。

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