黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

a sequel(30)〜続く世界に〜

 




 カズキの手により"白祈の酒"が運ばれてくる。


 澄んだ透明のガラス瓶に、やはり濁りのない白祈の酒が満たされていた。歩むカズキに合わせ、液面はゆらりゆらりと揺れて、其処にしっかり在ると見る者は理解出来た。


 その大変珍しい酒に誰もが目を奪われている。


 しかし良く見れば、視線は酒に行っていない。一人として目を逸らさず、右から左へと顔を振るだけ。その先は当然に聖女だった。近付いてくるカズキを見るラエティティもヴァツラフも、夢でも見ているのかと恍惚としている。








 足首まで隠すロングドレスは加護を齎す神々を表し、黒を基調としている。だがよく見れば全体に白と銀の線が斜めに彩られていて、重い印象を和らげた。肩は大胆に露出し、背後に回れば綺麗な背中も目に入るだろう。封印を施された聖女の刻印こそドレスに守られているが、ヤトの鎖はところどころ顔を見せている。肩から先、素肌のままの両腕には煌びやかな腕輪が幾つか並んでいた。


 首回りの言語不覚はあえて隠さず、まるでソコに繋がっている様なネックレスが逆に脇役だ。


 一房だけ編まれた黒髪は銀月と星の髪飾りも相まって、少女を大人に見せた。翡翠色が映える様、瞳周りの化粧は最小限だが、唇に引かれた紅は草原に咲く花の様に淡い色を湛える。薄っすらと水白粉みずおしろいがのる頬は優しさを表しているようだ。


 誰もが美しさを知っていたつもりだが、それすらも簡単に裏切って聖女は歩む。白祈の酒さえも、聖女を彩る道具の一つだった。




「ラエ、ティティ。どうぞ?」


「はい……カズキ様」


 恭しく差し出した盃に、トクトクと透明な神酒が注がれた。ちょっと多目に入ったが、寧ろありがたいと幸せになる。


 見守るリンディアの者達は同情の視線を送っていたが、幸か不幸かラエティティは気付いていない。カズキ以外美味いと思えない神酒と伝えているのだが、信じてくれないのだ。


 聖女カズキ様が口に含まれた神酒が、美味しくない訳がないと。


 聖女に直接注がれた酒を口にする……酷く不遜に感じもするが有り難さが上回る。ラエティティ暫く透き通った液面を眺めていたが、ゆっくりと口元へ近づけていった。


 スイと盃を口に当て、そのまま流し込んだ。瞬間彼女の眉は歪んだが、努めて表情に出さない。リンディアの面々の同情心は益々強くなり、同時に女王への尊敬の念も強まった。


 ゴクリ。


 喉を鳴らすラエティティ。何処か辛そうだ。


「美味しいです、聖女様」


 頑張った、私……内心自画自賛していたラエティティに更なる試練が襲う。


「そう?なら、もう一杯、どぞ」


 トクトクトク……さっきより多く注がれた神酒。


 それを見事な笑顔で見詰めるラエティティ。でもピクピクと整った睫毛が揺れている。ニコニコ顔のカズキと静まる広間。


 誰かが小さな声で言った。


 頑張れ、と。


























「カーディル王、後でお話ししたい事があります」


「うむ、構わない。他には誰か必要か?」


「よろしければ……アスト、アスティア両殿下。コヒン宰相、そしてカズキ様にも……宜しいでしょうか?」


「アスト達は勿論大丈夫だが、カズキは……」


 歓迎の宴を再度催したリンディア王国は、予定していた白祈を贈る事が出来た。聖女から注がれた酒は名実共に神酒となったのだ。味はともかくとして。


 宴も佳境となり、其々が楽しそうに酒を酌み交わしている。そして二人の王が視線を送った先にいる聖女を見て不安になったのだ。


 誰も飲まない白祈の酒を嬉しそうに独占すると、チビチビと飲み続けている。その表情には幸せが溢れていて、見る者に神々の祝福があるだろう。多分。


 両隣にはアスト、アスティアの兄妹がいて、飲み過ぎないように注意を払っている……残念ながら聖女本人は気にもしていないのが丸分かりだ。


 ヴァツラフも吹っ切れたのか、アストと乾杯を繰り返しているようだ。会話に耳を済ませば、また試合をするぞと語り合っている。その内、戦法や力の刻印にも話が広がり、真剣味を増していく。


 直ぐ側にそんな空気があるのに、聖女様は我関せずと残り少ない酒を盃に注ぐ。自分で、幸せそうに。


「お、お幸せそうですね……」


 ラエティティは空笑いを浮かべ、何とか言葉を紡ぐ。二杯も飲んだあの酒だが、あんなに美味しそうに飲むカズキを見れば中身は別ではと錯覚してしまうのだ。


「酔い潰れなければ、だな」


 自称お父様も呆れてしまい、それ以上言葉は続かないようだった。
























「お待たせしました」


 遅れていたアスティアが、カズキを伴って入室する。直ぐ後ろにはクインも居て、眠そうなエリが続いた。


 夢の中に案の定旅立った聖女を起こし、頑張って連れてきたのだ。最初はぐずったカズキだが、話しを聞いてくれるならファウストナの最高級酒をラエティティが提供してくれるらしいよ……そんな餌をぶら下げられて、フンフンと鼻を鳴らしながら歩いて来た。騎士が操る軍馬でさえ、そこまで露骨な行動を取らないのは間違いない。


「よし、揃ったな」


 アスティアとカズキが腰を下ろすのを確認して、カーディルは始まりの合図を送る。クインとエリは壁際まで下がり、時に全員の飲み物を給仕するのだろう。


「皆さん、お集まり頂きありがとうございます。わたくしの我儘ですが、どうしても聞いて欲しいのです」


 全員に視線を合わせ、ラエティティは礼を述べる。先程までの浮ついた空気は存在しない。隣にいるヴァツラフも何かを決意した眼をしている。


「気にする必要はない。我等は真に友好国となれた筈だ。少し遅れたが、な。コヒン、調印書はあるな?」


「はい、此方に。後は署名を待つのみですじゃ」


「よし」


 片目を瞑り、和やかな空気を作り出したカーディルだったが、続くラエティティの言葉に視線は鋭くなってしまう。


、まさにその言葉でございます」


「……どういう意味だ?」


 益々他人行儀になったとカーディルもアスト達も緊張する。カズキだけはよく分からなくて左右に首を振って様子を伺って、アスティアは思わずそのカズキの手を握った。


「予定していた同盟への調印、其れを再度やり直したい。そう考えております」


「……何故だ?カズキへの、使徒との関係なら確かにラエティティには納得出来ないだろう。しかしカズキが望むのは家族の存在、貴女にも説明した筈だ。確かに嘘をついたのは謝ろう。だが……」


「聖女カズキ様の望みを叶えるなら、私達の常識など其れこそ無意味です。その幸せそうな笑顔を見れば、否定などする訳がありません」


 ラエティティはフワリと笑顔を浮かべ、手を繋ぐ姉妹に視線を送った。


「では何故……同盟を」


 調印書を机に置くコヒンは力無く俯いた。


「……時に、ロザリー様の眠る丘への道、整備は進んでおりますでしょうか?」


 突然の話題転換に周囲は戸惑う。だが、ラエティティの悪癖を知るヴァツラフだけは溜息を隠さない。毎度の事ながら面倒臭い母親だと思うのだ。


「アスト」


「はっ。実は今滞っております。道を緩やかにする為、丘を一度削り再整備を行う予定でした。しかし、想定外の巨岩が複数見つかり躱す方法を再協議しております。破壊する事も難しく、運ぶにも時間が必要です」


「やはりそうですか……わたくし達も是非ロザリー様へ謝意を伝えたいと思っています。何より聖女カズキ様の御命を救い母となられたお方。聞けば私達と同じ髪色をなされていたとか。ロザリー様に間違えられるなど、光栄の極みですが……この世界に母親は一人だけ。一日も早く参じたいものです」


 流れるように言葉が全員の耳に届くが、混乱は強まる。同盟の話は何処に行ったのだ、と。


「それは良いが、何の話だ?」


 ヴァツラフ以外の全員に疑問符が浮かんだ。カズキにもだが……彼女はほぼ最初からだ。


「このヴァツラフですが、乱暴な上に礼儀も知らない粗忽者です。母として情け無い限りですが、同時に誇りに思う息子でもあります。魔獣を何匹も討伐しましたし、何より力の刻印を刻まれた使徒の端くれですので」


 更に道が変わり、流石のカーディルも眉を歪めた。


「ラエティティ……」


「お願いがあります」


「……ああ」


「その巨岩とやら、取り除くのにヴァツラフをお使いください。勿論我が戦士団も。数人ですが選りすぐった強者ばかりです。礼儀は御勘弁下さいね」


「それは有難いが……」


「ありがとうございます!少しでもカズキ様のお役に立てるなら、これ以上の幸福はありませんわ!ね?ヴァツラフ」


「……はい。光栄です」


 嫌そうな表情だが、与えられた仕事に対してではないだろう。自身の母の悪癖に腹が立つやら恥ずかしいやら……複雑な心境なのだ。


 もう何が何やら分からなくなって、カーディル達はお互い目を合わせる。


「それが話したい事か?ラエティティよ」


「あら?、お分かりになりませんか?」


 何処か砕けた雰囲気を出し始めたラエティティに、天を見上げるしかない。


「母上、いい加減にして下さい。悪い癖ですよ、本当に」


 もう我慢ならないとヴァツラフが口を出した。本当にすいません、うちの母が……そんな言葉が不思議と見えたりした。


「……なんで皆そうなのかしら?」


 まるで分からないと悲しみを浮かべるラエティティだが、誰も同情などしなかった。本人は踊る会話が大好きなのだが、舞っているのは一人だけ。観客も呆れているぞとヴァツラフは言いたいだけだ。


「母上が話さないなら、俺が……」


「俺とは何ですか……この場でふざけた言葉は許しませんよ?」


 貴方がそれを言うのか……女王らしい張りのある言葉に全員が思う。


「仕方がありません。では結論を」


「頼むよ、ラエティティ」


 どうやら悪い雰囲気では無さそうだと、一同は安堵の息を吐いた。壁際のクインと佇むコヒンだけは理解が及んだのか、緊張は解けていた。


「はい。我がファウストナ海王国は、偉大なるリンディアの元へ……カーディル陛下へ忠誠を誓わせて頂きたいと考えております」


「……つまり、同盟ではなく?」


「併合を求めます」


 ラエティティは永らく続いた祖国をリンディアの領土とする……そう宣言したのだ。余りの発言に全員が唖然とした。王家断絶は重い。誰もが返す言葉を持たなかった。


「ラエティティよ……幾ら女王とは言え、遠く離れたファウストナには民もいるだろう。多くの臣下も。簡単に決める物ではない筈だ」 


「御心配には及びません。実はリンディア王国を訪れる前に皆で話し合っておりまして。もしリンディアが弱体化していたら上手いことして領土を頂き、やっぱり大国のままなら併合して貰うのもあり。そう答えが出ております。ですので結論は不肖このラエティティが決めて良いのです」


 正直な話、ファウストナは国の体をなしていないのだ。あとは滅びを待つだけだったし、リンディアの助けが無ければ王家も何もない。何より、かつての同盟国リンディアに対する憧れは強く醸成されていた。


 余りに明け透けなラエティティの言に、暫く呆然とするリンディア一同。その中でも意味が分からないカズキだけはフラフラと視線を泳がせていた。最高級のお酒は何処だろうと目を皿にしているのかもしれない。


「ただ……」


「ただ、なんだ?」


「もし、カズキ様や神々を軽んじる事が有れば……我等は最後の一人となるまで戦います。それが例え、忠誠を誓ったリンディアであったとしても」


 それは宣誓だった。


 忠誠は捧げるが、それは聖女の愛するリンディアだから。此処は神々の祝福が燦々と降り注ぐ奇跡の国なのだ。


























 カーディルはラエティティの願いを聞き入れ、同盟案を破棄。ファウストナをリンディアの一部とした。しかし、此処でカーディルは新たな条件をつけたのだ。


 ただの領土ではなく、ファウストナを公国とするーーー


 リンディアに忠誠を捧げて貰うが、自治権はあくまでファウストナにあり、独自の軍もそのまま継承された。初代公爵にラエティティを充て、リンディアの発展に寄与せよと発したのだ。


 これをラエティティは受諾。


 後に大量の資金を投じられたファウストナは、大きな発展を遂げる事になる。海の無かったリンディアはファウストナを海の玄関口とした。それにより、後に次々と見つかる他国との貿易に大きな貢献を果たすのだ。瞬く間に巨大な街へと変貌した元ファウストナ王都は、リンディアを代表する貿易都市として機能する事となった。


 リンディア王国は更なる発展を謳歌し、世界に冠たる大国へと進化を遂げていく。
















 初代公爵、後の大公ラエティティの言葉が残されている。


 ーーーファウストナ公国は偉大なるリンディアの槍。仇なす者には我が戦士団が襲い掛かるだろう。だが、我等の忠誠はただリンディアに向かうのではない。聖女カズキ様が愛したリンディア、神々の加護が降り注ぐ神の国。その慈愛にこそ忠誠が相応しい。仇なすとは聖女を軽んじる者。それが例えリンディアであったとしても、例外ではないーーー


 ファウストナには今も大切にされている銅像がある。


 祈りを捧げる聖女カズキ、寄り添うのはアストとアスティアの兄妹。その瞳と祈りは遥か彼方のリンスフィア、その小さな丘に向かっている。聖女が愛した母の眠るその丘には、優しく抱き合う母娘の対となる像があった。隣りには碑文の彫られた石碑。






 その言葉ーーー






「偉大なる貢献を果たした者でさえ"家族の愛"は寄り添っている……神々の愛し子、癒しと慈愛を司る"聖女カズキ"であったとしても」


















 fin















コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品