黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

a sequel(24)〜晩餐と月〜

 












「ラエティティよ、前も言ったがカーディルと呼んでくれていいのだぞ?」


「もう癖みたいなものです。気にしないで下さい、カーディル王。私の名はそのままでお願いしますね」


「うむ……それは構わないが、友好国としてだな……」


「決して二心はありません。本当に、此れが私ですから。我儘を許して下さい」


「……分かった」


「それにしても見事な晩餐です。ファウストナでは味わえない一品ばかり、毎日が楽しみで太ってしまいそうでしたから」


「貴国から提供された塩は素晴らしいと、料理長が言っていたそうだ。間違いなく其のおかげだよ。雑味がここまで消えるとは、私も驚くばかりだ」


「まあ!それは嬉しいです。国の製塩職人に必ず伝えますわ」




 ほぼ全てが合意に達し、両国は新たな時代へと歩み出す事となった。明日の夕方にはカーディル、ラエティティの二人が調印し、同盟国として復興を推し進める事になるだろう。


 それを祝し、両国の王は白祈の間に広がる広間にて晩餐を楽しんでいた。カーディルからの提案だったが、快諾したラエティティがこの場を願ったのだ。


 カーディルはあと一歩足りないと思っている。出来るだけ砕けた態度も隠してないし、先程も名を呼んで欲しいと伝えた。しかしラエティティから隔意は消えない。元々の性格といえばそうだろうが、アスティアから聞いた女王はそうではないのだ。ファウストナから見れば隔絶した国力を誇るリンディアに警戒を解いていない?いや、それはない筈だ。我等にファウストナに対する敵意は全く存在しない。


 やはり……カーディルは内心呟く。


 聖女不在が効いているのだろう。僅かな時間稼ぎのつもりが此処まで掛かるとは……嘘を吐くなど下らない決断をしてしまった。だが、あの時の懸念は間違っていなかったし、カズキの痛ましい変化は予想出来なかった。


 もしこの場にカズキが聖女として在れば、ラエティティに心からの笑顔が浮かんでいただろう。それどころか他人行儀な女王を聖女は嗜めたかもしれない。クインにすら敬称呼びを嫌う娘なのだから。


 カズキのムッとした表情を思い出し、思わず苦笑を浮かべる。


「どうされました?」


 食後のワインが二人の前に並ぶ。同時に砕いたナッツとチーズ、そして蜂蜜が垂らされ貴重な黒胡椒とファウストナの岩塩が少量散らされたビスケットが供された。


「いや、済まない。少し思い出してしまってな」




 更に笑顔を隠さなくなったカーディルを見ながら、赤い液体を口に運ぶ。リンディアのワインは本当に美味しいと何度も思う。ヴァツラフ程酒に強ければ、浴びる様に飲んでみたいわね……そんな馬鹿らしい事を考えながら、そろそろかしらと様子を伺った。


 両国は明日、正式に同盟を結ぶ。


 それは素晴らしい。ファウストナにとっては望外の成果で、リンディアを訪れる前の覚悟を返して欲しいと笑ってしまいそうだった。


 だけど……本当の友好国にはなれない。


 どんなに強く素晴らしい王がいても、神々を蔑ろにする国に未来はない。いずれ神の怒りに触れ、神罰が降るのだ。聖女を愛した黒神ヤトはもう既に怒り狂っているかもしれない。憎悪を司る神の逆鱗に触れるなど、想像するのも恐ろしい。


 そして、自分も許す事など出来ないだろう。


 命尽きたのはリンディアの責任ではない。カーディルやアスティアの人柄を知れば、聖女を愛していたのは本当の筈だ。それでも……国を守る為だとしても、神々を軽んじたその時、全ては罪へと落ちるのだ。


「女王としては、駄目なのかもね……」


 もしかしたら、ファウストナの民に辛い結果を生むかもしれない。でも、許せない……


「ラエティティ、何か言ったか?」


 音もさせず、ワイングラスを置く。


 そして、ラエティティはカーディルの碧眼を真っ直ぐに見る。


「カーディル王。白祈の間、其の前で嘘を言葉にしたくありません。それは貴方様もでしょう。ですから……どうか本当の事を教えて欲しい。そうでないなら、私は答えを決めなければなりません」


「……そうだな。分かった」


 カーディルも全てを察して短く済ませる。吐いた嘘の責任を取らなければ……心から謝罪し、カズキを聖女としてラエティティの前に。


 もしかしたら信じて貰えないかもしれない。黒髪は燻んだ灰色に変わり、あの言語不覚の刻印も傷付いている。言葉を紡ぐ事が不自由なカズキでは、自身を聖女として認めさせる事も難しい。いや、それを望んですらないだろう。聖女として扱って欲しいとは思ってないし、そもそも聖女の自覚があるのすら怪しいのだ。癒しと慈愛の刻印を目にすれば違うだろうが、女性の肌を他人に晒す事を強制するなど許されない……カーディルは背筋を伸ばし、椅子に深く座り直す。




「私が伺いたいのは……聖女カズキ様の事です」




 真摯な、綺麗なラエティティの言葉は響き渡った。
























 両国の王は今頃晩餐を楽しんでいるだろう。


 一昨日、カズキと歩いた夜はヴァツラフに敗北する結果で終わってしまった。昨日は同盟の為の詰めを行なっていて、時間が作れなかったのだ。


 だがあの勝負とヴァツラフとの会話は、アストを決定付けた。アスティアの発破も意味があっただろう。


 カズキとカーラ、違いはあれども同じ女性を愛してしまった二人は、やはり友であり好敵手だ。だから今日、アストはカズキの元へ向かう。心にある言葉と気持ちを伝えるのだ。どんな結果になろうとも認めなければならない……そんな強くて弱々しい決意を秘めて脚を動かす。


「私は……カズキを愛している。いつまでも隣りにいて欲しい。ただそれを伝えるだけだ」


 一人呟き、アストは前へ進んでいった。
















「こんなところに……」


 ある決意を秘め、探し回っていた。


 漸く見つけた彼女は、ゴソゴソと何かをやっている。


 見えるのは巨大な厨房の手前の一室だ。人が十人並んでも埋まらないテーブルの前で一人立っている。見える範囲で幾つかの調味料や食材が並び、何かを作っていると知れた。


 ゆっくりと近づき、様子を伺う。


 甘い香り、何かを炒った香ばしい匂い、紙袋にはビスケットが数枚。


 真っ白な皿にビスケットを並べ、炒めたナッツ類を砕いた物を散らす。更にチーズ、蜂蜜、その上にはリンディア産の黒胡椒とファウストナの塩を少し振りかける。絵を描く様に、お皿は彩られた。


 これからカーディルとラエティティに出される一品をカズキは作っていた。前の世界、とある蜂蜜屋で教えて貰ったレシピだ。ワインにも合うし、おやつにもなる。


 青い侍女服を隠すエプロンは少し汚れてしまったが、満足出来たのだろう。小さな頭がウンウンと揺れた。


「OK」


 この世界では誰一人として理解出来ない言葉を紡ぎ、散った汚れを皿から拭う。


 完成だ。


「カーラ」


 作業が終わったのを見計らい、後ろから声をかけた。


 銀細工の花が揺れる青い髪紐で括った灰色の髪。それを揺らしながらカズキは振り返った。そして声をかけてきた男の姿を認める。


「ヴァッツ」


 カズキ、いやカーラの前に立ったのはアストではなく……ファウストナの王子ヴァツラフだった。


「少しいいか?」


 頭を横に傾けカーラは暫し考える。


「いい」


 自分で持っていくつもりだったが、別に拘りはない。仕事の一環だし、ヴァッツの相手も其の一つだ。


「少し、待つ」


「ああ」


 厨房の中に声を掛けて、カーラは戻って来た。完成を伝えたのだろう。


「何を作っていたんだ?」


「ん?」


 ハニークリームチーズクラッカー黒胡椒を添えて……言っても伝わらないし、長過ぎて言葉に出来ない。なら答えは一つだろう。


「食べる?」


「いいのか?」


「うん」


 材料が有れば作るのは簡単だ。パパッと再び完成させ、どうぞと差し出した。


「頂こう」


 思わぬ収穫にヴァツラフは嬉しくなった。好きになった女性の手料理を味わうなど、初めての事だ。それがどんなに簡単なモノでも変わりはない。


 パクリと半分口にして、ゆっくりと咀嚼する。


「これは……美味いな。甘みと酸味、香ばしさもあって、酒が進みそうな味だ」


 残り半分も放り込み、幸せの味を楽しんだ。


「美味し?」


「ああ、最高だ」


 笑顔をほんのり浮かべ、カーラは材料などを片付ける。それも直ぐに終わり、口の中を水で濯ぎそのまま飲み込んだヴァツラフの前に戻った。


「待つ、ありがと」


「いや、俺が勝手に来ただけだ。もういいのか?」


「うん」


 ヴァツラフは予め考えていた場所へカーラを伴い向かう。他の者に話は聞かれたくないし、かと言って個室に連れ込む訳にもいかない。ならばと決めたのは、リンディア城の周囲を囲む廻廊だ。夜なら人も少ないし、見通しも良い。


 暫く無言で歩けば、すぐに到着する。厨房からはそう遠くない。


「カーラ、大事な話がある。ゆっくりと話すが、分からなかったら言ってくれるか?」


「はい」


 予想通り人影は無いし、壁側に寄れば周囲からも見え難いだろう。


 余計な言葉は要らない。ただこの気持ちを伝えるのだ。もしかしたらリンディアに強制されている役割からも遠去けたい。もう嘘をつく必要もないし、ファウストナに来ないかと。許されるなら自分の妻として共に生きて欲しい……それだけだ。


「カーラ……俺は」


 壁を背に立つカーラ、更に一歩近づくヴァツラフ。


 右腕を壁に押しつけ、もう目と鼻の先にいるカーラを見詰める。細い顎に左手を添えて、ほんの少し上向かせた。巻かれた包帯すらカーラを彩る飾りに見える。


 一方のカズキは突然雰囲気を変え、にじり寄って来るヴァツラフを見て、うん?と表情を変える。


 何か様子がおかしいぞ……その表情はそう言っていたが、何故か振り払えない。真剣なヴァツラフを見れば、何か巫山戯ている訳では無いのがわかってしまった。


 そして、フラフラと泳いでいた視線をヴァツラフに合わせた。


 どうしたの? そう疑問を浮かべるカーラにヴァツラフは強い眼差しを向ける。


 見上げる瞳は、確かに聖女と同じ翡翠色。


 今頃になってヴァツラフの胸は強く鳴り始め、少しだけ戸惑った。






















「カズキ……ヴァツラフ……」


 聖女の間に居なかったカズキを探してアストは城を歩き回っていた。まさか晩餐向けにカズキが料理を作っているなど、アストはもちろんだがクインすら驚いたのだ。


 料理長に聞き、カズキが向かった方へ歩むアストの目に二つの人影が映る。


 それは見たくない、しかし此処から離れる訳にいかない光景だった。ヴァツラフが何をしたいのか、遠くても判る。緊張した顔色、二人の距離、何かを待つ様なカズキ。


 壁に寄り掛かり距離を詰めたヴァツラフは、カズキの顎に手を添えた。


 それを見たアストは、脚は動かなくなった。


 心は叫んでいるのに、声にならない。




 やめてくれ……


 離れろ……


 触れるんじゃない……


 その女性は私の……




 嫉妬、怒り、恐怖、悲哀、そして痛み。


 まるで黒神が加護を与えたかのように、アストの心は乱れていく。


 一歩近づいたその身体は大きく、背後の壁とヴァツラフに挟まれたカズキは身動きも出来ないだろう。


 言葉は聞こえない。でも、嬉しそうにカズキが頷いたなら、自分は正気でいられるのだろうか……力一杯に拳を握り締めても、何の慰めにもならない。


 もっと早くカズキに伝えていたならば……白祈の間でカーディルに言われた言葉が再びアストを責めた。自惚れていたのだ、自分は。大事なものはこの手で掴んでおくべきなのに、失われそうになってから気付くなんて……千々に乱れる心と裏腹にアストの眼は動かず、瞬きも出来なくなった。








 二人の王子、そして両国の全てに亀裂が入ると思われた瞬間だった。


 でも……


 望んでなくとも、それを理解していなくても、聖女が見守る前では全ての争いは露と消えていくのか……カズキは空を見上げて翡翠色が瞬く。






















「あっ……!」


 何かを言おうとしているヴァツラフの肩口の先、廊下に立つ柱の横から銀色の光が漏れ出した。その光は目蓋を閉じる程ではないが、カズキに焦りが生まれた。


「なんだ?どうした?」


 ヴァツラフが何か言ってるけど、今はそれどころじゃなくて……カズキは冷静さを失う。


 元の世界より遥かに巨大に見える衛星。この世界では銀月と呼ばれる星。クレーターは少なく、冷たい凛とした光を放つ。その銀月はを描いている。


 美しい、見事な、満月だ。


 もう夜だし、前と違って簡単には抜け出せないのに……チェチリアの病院まで遠いのに……


 忘れていた……大事なことを……


 酒場でダグマルの親父が言っていた。


 ……こっちの酒は銀月だ。月が丸くなる日に開けろよ?必ずだ……


 つまり満月の日にあの酒を開けなければならないのだろう。それに何の意味があるか分からないが、此処は異世界。今日開けなければ水になるとか、腐り落ちるとかしても不思議じゃない……カズキは悲惨な結果を想像した。


 大事な酒が死んでしまう……?








「大変……死んで、しまう……駄目、いや、だ」


 真っ青な顔色に変わったカーラを見てヴァツラフは焦る。まるで何かを見詰める様に空を見上げている。切れ切れの言葉は不吉な響きを纏った。


 唇は紫色になり、綺麗な瞳には僅かだが涙が滲み始めた。


「カーラ!大丈夫か!?何があった!」


 小さな身体は震え出し、もうヴァツラフの姿は映っていないのか……


「行く、行かない、と……大変、許し」


 そして何かを決意したのか、ヴァツラフをもう一度見た。そこには強い意志が宿る。まるで戦いに赴く戦士の如く、強く凛々しい。


「カーラ……?」


「ヴァッツ、ごめん、なさい。また後、話、急ぐ」


 ごめん!


 そう叫ぶとカーラはヴァツラフの横をすり抜け、走り出した。何かに追い立てられるように、全力の疾走だ。侍女服がはためき、チラチラと綺麗な脚が見える。しかしそれも気にせず、廻廊の向こう側に姿を消してしまった。


 カーラが見ていた空を見れば、銀月が雲に消えていく。深い黒は雨を降らせるかもしれない。


「なにが……どうしたんだ……?」


「ヴァツラフ!」


 すぐ後ろから声が聞こえてくる。振り返れば駆け寄ってくるアストが見えた。


「ヴァツラフ、何があった!?まさか酷い事を……無理矢理など、あの時の話しを反故にするのか!」


「馬鹿を言うな!そんな事はしない!」


「では何故!」


「俺にだって分からない!突然顔色が悪くなって、言葉を……」


「言葉?どんな言葉を……教えてくれ!」


「切れ切れで……死ぬ、大変、駄目、行かないと、瞳に涙を浮かべて……」


「死ぬ、行かないと……まさかまた……聖女として……」


「何を言ってる?聖女?」


「ノルデ!!」


「はっ!」


 遠くに控えていたノルデはアストの元へ駆け寄り跪く。深く頭を下げ、微動だにしない。


「追ってくれ!行き先は伝達出来る様に、私は皆に知らせる……父上に、アスティアに……」


「必ず!」


 走り去るノルデを見送り、ヴァツラフに向き直った。


 本当なら自分が追いかけたい。だが、聖女として歩むならそれを止めたりしないと決めている。それに……ファウストナについた嘘を詫びなければ、もうこれ以上は許されない。ヴァツラフは心からカズキを好きになり、真正面から伝えようとしたのだから。


 ラエティティと目の前で困惑しているヴァツラフを連れて……聖女の本当の姿を……


「ヴァツラフ」


「……ああ」


「一緒にきてくれ、話したい事がある。友として、神々の信徒として」


「いいだろう。説明してくれるのだろう?」


「ああ、全てを。カズキとカーラ、聖女の全てを」


 二人の男は走る。


 向かう先は白祈の間……そして……















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