黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜
a sequel(12)〜リンディアの王女〜
女王の命令とは言え、何故ここまで自分が必死なのか分からなかった。確かに美しい娘ではあったが、髪はボサボサ、肌にも爛れがあった。化粧も全くしてないし、所作も乱雑だ。
なのに、ヴァツラフは命令ではない別の何かに追い立てられていた。それは初めての、不思議な感覚だった。
「ここか……」
「恐らく……治癒院です」
ケーヒルが案内役で、周囲に聞き込みすれば簡単に居所は割れた。まあ、綺麗な少女が髪の乱れを意に介さず走り去って行けば、注目を集めて当然だったのだろう。
「あれは……」
正門前に留まる馬車にケーヒルは見覚えがあった。周囲には騎士が数人、中にはノルデの姿もある。ノルデが居るなら最早間違いないだろう。
「見事な馬車だ。ケーヒル殿?」
「恐らくアスティア王女殿下かと……目的も同じと思われます」
「王女殿下が此処に?」
「はい」
ヴァツラフは疑問を深める。何故少女一人に王女自らが?と頭に浮かんだ。
リンディアは昔と変わらず大国だ。ファウストナの様な小国でも簡単に街に出るわけではない。ましてや、たった一人の王女が態々に迎えに来るなど、ヴァツラフには分からなかった。
「ケーヒル殿……何故」
「殿下、ラエティティ女王陛下をお待たせする訳にはいきません。先ずは……確認しましょう」
「……分かった」
どうもケーヒルは全てを明かしたくない様だ。そもそも此処は他国で、しつこく聴き回る事でもないだろう。ヴァツラフは無理矢理に納得し、ひとまずは口を閉じた。
ノルデ以下待機中の騎士はケーヒルに気付き、そしてヴァツラフと見慣れない男達も目に入った様だ。剣こそ抜かないが、僅かに警戒する。
「控えよ。此方はファウストナ海王国の第二王子、ヴァツラフ殿下だ」
言葉が終えた瞬間、騎士団が一糸乱れず膝をつき、首を垂れた。その規律ある行動にヴァツラフは息を飲んだが、努めて表情には表さない。
「ケーヒル殿、今は公式の場ではない。騎士の皆には力を抜いて欲しい」
「はっ。お心遣いありがとうございます。全員、楽に」
「「「はっ!」」」
やはり見事に起立し、同時にヴァツラフには目を合わさず、僅かに視線を下げている。
「ノルデ、中にはアスティア様が?」
「はい。クイン様も同行されています」
「そうか。殿下、リンディア城に参られる前ですが、先ずはアスティア王女殿下とお会い下さい。段取りも何もありませんが……申し訳ない」
「気にするな。そもそも此処にいるのはラエティティ陛下の我儘。此方こそ済まない」
「では……」
「お前達は此処で待て。王女殿下に厳つい貴様らを見せては不興を買う」
戦士団は無言で頷き、各々が建物の壁際に寄った。騎士団には僅かに視線を送るのみで、ドサリと腰を下ろす。浅黒い肌を惜し気もなく晒し、汚れた革鎧は確かに荒くれ者に見えなくもない。短槍もリンディアでは珍しいだろう。
「……済まんな。我が戦士達は礼儀を知らないのだ」
「ははは……戦士とは斯くあるべき、ですかな」
そうしてケーヒルとヴァツラフ両名も治癒院へと入って行った。
「此方です」
「ありがとう、チェチリア殿。殿下、暫しお待ち頂けますか?」
「勿論だ。王女殿下がいる部屋にいきなり入る程非常識ではない。まあ、奴等を見れば信じて貰えないかも知れんが」
「彼らは魔獣との戦いで国を守った英雄。私は身近に感じておりますぞ。では……」
肩を竦めたヴァツラフを見て、ケーヒルはチェチリアに続いた。
閉まった扉を確認し、ケーヒルは部屋へと目を配った。窓の近く、ベッドの横にアスティアは腰掛けている。すぐ側にはクインが凛と控えていた。そして近づいて見れば、森人の服を着たまま横たわるカズキが視界に入る。チェチリアは気を遣って扉の前に残った。
「アスティア様……どうやら目的は同じですかな?」
「ケーヒル、先ずは無事な帰国嬉しいわ。ご苦労様」
「おっと、確かにそうでした。やはり歳ですかな……」
口髭を撫で、アスティアの表情を再び確認する。明らかに泣いた跡があり、未だ哀しみに暮れているのだろう。
「確か……ファウストナの皆様と一緒では?リンスフィアを散策中だと聞いたわ」
「正にその通りです。今、廊下にヴァツラフ王子殿下がいらっしゃっています。事情を説明しますが、殿下に入室頂く前に話をしておかなければなりません」
その視線の先には灰色に染まった聖女が眠っていた。
「王子殿下が……?分かりました、手短に。クイン、お願い出来る?」
クインの方が要点を端的に纏め、直ぐに答えを導いてくれるだろう……そう考えたアスティアは任せる事にする。
「はい。では、此方から……」
それぞれがカズキに引き寄せられ、此処に出会った理由を語り始めた。
「なるほど……」
クインらしい説明は端的に、そして見事に要旨が伝わってケーヒルを納得させた。ノルデの行き過ぎたカズキへの忠誠が生み出した仮説は、最早止まらない真実へと変貌したのだ。もし酒に飲まれていないカズキが目を覚ましていたら、余りの勘違いに顔を覆ったかもしれない……いや、悪巧みがバレないと密かに笑うかも。
「確かにパジとやらのベッドで涙を流す理由など、他には思い当たらんな。慈愛の刻印を持つ聖女が燃える水に興味を持つなど、不自然な事だ。慈愛と対極の、破壊の象徴と言える」
「はい……この髪は、余りに見る影もありません。どれ程に苦痛と戦ったのでしょうか……言語不覚の周りの肌は、赤く爛れていたのですから。確認しましたが、喉から肩口まで広がっていました」
まあ、確かに苦痛とは戦った。水桶に頭ごと突っ込み、皮膚の炎症に抗ったから。原因は自業自得と断定していい。
「ケーヒルはどうして此処へ?しかもファウストナの王子殿下と一緒なんて」
負けじとケーヒルも、此処に来るに至った理由を説明する。やはり、端的で分かり易かった。そしてロザリーの名が出る事で、カズキへの同情はより強まってしまう。
「弱った心で彷徨っていたのね……其処へロザリー様と似ている女王陛下が目に入った。直ぐに現実に突き当たったカズキは此処に戻ったんだわ。そして、眠りに着いた」
実際は酔った頭で次の店を探し、偶然にラエティティに出会っただけ。そしてケーヒルに捕まるのを恐れたカズキは逃走し、隠れ家と勝手に決めた治癒院に来たのだ。
「アスティア様。カズキは先程も名乗っていません。刻印も隠し、まるで聖女と知られたくない……そう感じました。ましてや、今は髪も灰色になって、癒しの力すら封印されています。ヴァツラフ殿下、そしてラエティティ女王陛下にどう説明するか……慎重に考えませんと」
聖女の存在は高度な政治問題に成りかねない。神々の使徒を矮小な人の政に当て嵌めるなど不遜の極みだが、それが避けられない現実でもあった。
カーディルも懸念していた様に、リンディアが独占を目論んでいると誤解するだけで、新たな戦争の火種になるかもしれないのだ。逆に象徴であった黒髪は灰色となり、刻印は痛め付けられたかの様に見える……その現実に、事情を知らない神々の信奉者は怒りに震えるかもしれない。そして、ラエティティは間違いなく敬虔な神々の信徒だ。
肝心の聖女も今は眠りに落ちている。疲れ果てたカズキを無理矢理起こしたくはないし、仮に起きても本人から説明させるのは困難なのだ。言語不覚は今もカズキを縛っている。
そう瞬時に考えたアスティアは、事の大きさに胸が痛んだ。王女とはいえ、自分は何も知らない子供だと悔しくなる。
「私には判断など出来ないわ……お父様か兄様に相談しないと……クイン、どう思う?」
「余りに、全てが予想外で突然過ぎました。今は答えを出す事は早計かと。此処は時間を稼ぎましょう。それに……聖女が正体を明かしたくないなら、従う方が良いと思います。救済の時もそうでしたが、我等には不思議に思える行動にも意味がありましたから」
あの日……突然森人の服に着替え、無謀としか思えない戦場へと歩んで行ったのだ。そして、世界は救済された。
「そうね……とりあえずは隠しましょう。帰って相談しないと。ヴァツラフ王子殿下には嘘をついてしまう事になるけど、後で私からお詫びします」
「分かりました。では、ヴァツラフ殿下をお呼びします」
「偽名を考えませんと……カズキにも後で分かり易い簡単な響きが良いでしょう」
「そうね……カズキ……カーラはどうかしら?昔読んだ物語に、そんな聖女がいた気がする」
「"パウシバルの指輪"ですね。あれはリンディアを舞台にした古い物語ですから、ファウストナの方々には聖女へと繋がらない筈です。アスティア様、とても良い名前だと思いますよ」
「決まりですな。では」
本当はもっと深く設定を考えるべきだろうが、客人であるヴァツラフをいつまでも待たせる訳にはいかない……ケーヒルはそう考えて、直ぐに行動した。
「アスティア王女殿下。こうしてお会い出来て大変光栄だ。此度は押しかける様な訪問となり、申し訳ない。また、快く会談を承諾頂いたこと、ラエティティ女王陛下もお喜びだった。私からも感謝を伝えさせて欲しい」
公式の場では無い為、アスティアもヴァツラフも正装ではない。それでも男らしさを体現した美丈夫のヴァツラフと、銀の髪を腰まで伸ばした美しきアスティアは、やはり絵になった。
余り感情の篭らない言葉をつらつらと並べ、ヴァツラフは礼儀として軽く頭を下げた。まさか此処でリンディアの王族と会うなど考えてもいなかったのだから仕方が無い。
ファウストナとしては、リンディアに恭順な態度を取るか、争いを覚悟で接するか決めかねていたのだ。ましてや戦士でしかないヴァツラフには、どんな対応が正しいのか分からない。それが中途半端で気持ちの篭らない態度に出てしまったのだ。内心拙いかと不安になったヴァツラフに、涼やかで凛とした声が届く。
「ヴァツラフ王子殿下、私はアスティア=エス=リンディア。このリンディアを纏めるカーディル陛下の娘です」
ヴァツラフは此処で自らの名を名乗っていない事に気付き、自分が冷静で無いと理解した。チラリと王女を見れば、薄い笑顔を浮かべ、まるで睥睨されていると感じてしまう。自分より歳下の娘なのに、大きく見えるのだ。
「先ずは遠い旅を終えられ、リンディアに来られた事、王女として感謝と歓迎の意を贈りたいと思います。また、共に苦難の時代を互いに生き抜いた同胞として、尊敬の念に絶えません。本来なら我が父から労いの言葉を紡ぐべきですが、此処は非公式な場。お許しくださいね」
「……同胞、と?」
まだ会談も終えて無く、その結果もどうなるか判らないのに。ましてや自分達は王でも女王でもない……不用意な発言と言って良かった。ヴァツラフは下らない誇りだと自覚しつつも、アスティアの言葉の揚げ足を取った。そして、それを後悔する。
「はい、同胞です」
そのヴァツラフの言葉に動揺するどころか、更に笑みを深めて堂々と肯定してきたのだ。まるで、自分の下らなくて情け無い男の誇りを包み込む様に。
「ヴァツラフ殿下。貴方様の身に、そしてファウストナ海王国に癒しの光は降り注ぎましたか?」
「ああ、勿論だ。命を繋いでいた民も戦士も、その全てが癒された」
「聖女カズキの慈愛は全ての、世界全てに降り注いだのです。その慈愛は魔獣にすら届き、救済は成りました。貴方様も知るでしょう……聖女の慈愛の前では、我等は余す事無く同胞なのだと」
アスティアの碧眼を見たヴァツラフは、魔獣にすら退いた事のない脚が一歩下がるのを止められなかった。ラエティティ、母は言っていたではないか……聖女が恐ろしい、と。
そして、アスティアには僅かな怒りすらあった。あの日、カズキの魂魄すら犠牲にした献身と慈愛を目にしたのだ。それを知らないヴァツラフに怒りを覚えるのは理不尽な事と思う。だが、この気持ちは止められないのだ。
失われた右腕、ひび割れた顔、伸びない黒髪、力を失った翡翠色の瞳。
そして、ヤトから聞いたカズキの過去。
黒神の刻印という名の呪いすら振り切り、カズキは世界を救った。
そして今、あの美しい黒髪を犠牲にしてでもカズキは戦っていたのだ。聖女の慈愛、その前にいる我等の何と小さき事か!
「ヴァツラフ殿下……どうか心安らかに。私の言葉は、我が父カーディルの言葉と受け取って頂いて構いません」
「わ、分かった」
やはりリンディアの血か……常々に母ラエティティはリンディアを敬い、そして恐れていたが、その理由が分かった気がする……ヴァツラフは心が震え、もう一度アスティアを見る。
そこには変わらない笑顔が浮かんでいた。
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