黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜
a sequel(10)〜聖女捜索隊〜
先程の酒場から歩いて直ぐの、建物同士の隙間にカズキはいた。腰を落とし、身体を小さく丸めて警戒している。
お土産を2本も貰って上機嫌になったカズキは次の店を探すべく街中を闊歩していた。目的は当然に梯子酒だ。偶に注目する者もいるが、まさか堂々と歩いているとは思わないのか、カズキ本人だと露見はしない様だった。そして、早朝は開いてなかった気になる店が看板を出している。
カズキはその店に狙いをつけ「此処だよねやっぱり」と内心、身体と視線を向けた時に気づいたのだ。
丁度その店から出てきた二人組の男達。一見普通の客に見えたが、カズキには分かった。自身の経験が警報を鳴らしたのだ。元の世界で中途半端にアウトローだったカズキは、警察……この世界でいう騎士達の匂いを嗅ぎ取った。
袖の下から僅かに見える腕は鋼の如くに引き締り、眼光はさりげない様に周囲へと配られている。何より酒の気配を感じない。
自分の直感を信じたカズキは、素早く建物の影に隠れたのだ。そして、お土産を落さないよう少しだけ顔を出していた。
「素早い、さすが」
地図まで出して打ち合わせを始めた二人を確認し、直感は確信へと変わった。多分アスティアかクインが手を打ったのだ……カズキは愛する人達の行動力を侮ってはいない。しかし、昼から酒場を狙うとは……何故だ?
「見つかる、お土産……」
酒臭いであろう自分が補導され、事情聴取を受けたら……カズキは酔いが冷めていくのを感じた。
先ず酷く怒られるだろう、そして髪のことを聞かれる。今後の脱出はもっと警戒されるし、何より……お土産が没収される!
ジジィは月が丸くなって開けろと言っていた。詳しくは不明だが、味が最高になるとか神事に関わるとか、そんなところだろう。見るからに高級で旨そうだし、絶対に飲みたい。つまり、最悪捕まったとしても此れだけは死守しなければならないのだ……カズキは強く決意し、頭を回転させ始めた。
側から見るものがいれば、美しい顔をキリリと引き締め、光を湛えた瞳に目を奪われるだろう。その頭の中が欲望に染まっているのを知らなければ、だが。
「守る、大丈夫、待ってて」
世界を救済した時と同じ言葉を紡いだカズキだが、アストすら微妙な顔になるのでは無いだろうか?
騎士達が次の目的地へと移動を開始して、それを確認したカズキも動き出す。その瞳には迷いは無く、何かを決断したのだろう。歩み出した脚に迷いは感じない。
「病院、チェチリア、近く」
呟いて、カズキは人波へと消えて行った。
「いた?」
「いえ……やはり城内には……」
部隊長を拝命したアスティアは副隊長のクインに確認した。因みに、部隊名は聖女捜索隊だ。撒き餌に酒を用意し、あとは行方の糸口を掴むだけだった。"酒の聖女"の名を賜ったカズキには二重の意味でピタリだろう。
「いくら何でも不自然だわ……誰一人として見てないなんて。あんなに目立つし、隠していたらそれも印象に残るだろうから」
「はい……しかし、正門も通用門にも確認しましたが、誰もカズキを見ては……もしかしたら、私達すら知らない抜け道を見つけたかもしれません」
「まさか、また誰かに拐われたとか……」
「アスティア様、それは無いでしょう。置き手紙もありましたし、あれは間違いなくカズキの筆跡です。何より声を出せて、警備の騎士達を掻い潜るなど不可能でしょう」
「そうよね……私が昨日意地悪したから……嫌になったのかな……」
「カズキはそれくらいで怒ったりしません。それに……もしそれが原因なら、見て見ぬ振りをした私達にも責任があります。余り難しく考えないで下さい」
二人の気持ちが少しずつ落ち込んでいったその時、アスティアの居室の扉が叩かれた。あの音、あの叩き方なら兄様だろうと、アスティアはクインに合図する。
「アストだ」
「はい、今開けます」
「兄様、カズキは見つかった?」
アスティアに視線を送りつつ、ゆっくりと入室する。右側にはアスの部屋にあったいつもの化粧台があり、カズキの絵が追加で飾られていた。カズキがこの部屋を訪ねる事は何故か無いが、見付かったら少し恥ずかしいのではないだろうか……そうアストは思考したが言葉にはしなかった。
「まだだけど、有力な情報が手に入ったよ。ノルデだ」
「有力な情報!?」
「ああ、捜索隊隊長に聞いて欲しくてね。ノルデに話を聞くかい?」
「勿論!ノルデは?」
「そう言うと思って外で待たしているよ」
流石に王女の居室には入れない。アストもそれを理解し、少し離れた場所に待機して貰っている。
アスティアは簡単に身支度を整えると、足早に扉へと向かった。焦りは其処まで無いが、早くカズキを連れ戻したいのだろう。廊下に出ると左右に視線を配る。そして直ぐにノルデは見付かった。
先の廊下、その曲がり角に直立不動で立っているのだから当たり前だ。
「騎士ノルデ、ご苦労様」
「はっ!」
後からついて来るアストとクインは、ノルデの姿勢に苦笑してしまう。基本的に真面目なノルデらしいと思った。
因みにエリは寝坊の罰を受けてクインの指示の元、廊下に立たされている。当然朝ご飯は抜きだ。救いを求めてアストを見たが、やはり苦笑して頑張れと無言で口を動かした。それを見て絶望感を全身で表すが、誰一人同情はしていない。
「聞かせてもらえますか?」
「は!アスティア様、何方かのテーブルで……」
「お気遣いありがとうございます。でも今は非常時、急いでいますから」
「分かりました。では……」
「西街区、治癒院ですか……」
「はい。以前にカズキ様が慰問に」
「確か……治癒師のチェチリア様でしたか?」
「それと、以前にカズキ様を助けて頂いた方でもあります」
「そうですね……大変御心の優しい、そして矍鑠とした人ですね」
同時に私財を投げ打って孤児の治療を行う事でも有名だ。病気や怪我をした孤児は西街区に行け……そういう噂が流れる程だった。アスティアは自身に課した責任において慰問などを良く行う事から知っていた。カズキとは違ったカタチの聖女と言っていい。
「仰る通りです」
そして、チェチリアはアストにとり思い出深い治癒師だ。カズキへの無意識の壁を取り払う言葉を授けてくれた。だからアストも先程聞いたノルデの報告に再び耳を傾けるのだろう。
「火傷で……そして燃える水を?」
「その通りです。街、つらい、出られない……そして探し物を、と」
「でも……カズキの、聖女の刻印は……」
「はい、封印されています。ですから、何か別の手段を考える為に燃える水を探し求めたのでしょう」
「そんな……多くの治癒師や薬医、典医すら研究を重ねているのですよ?如何にカズキが聖女であろうとも、不可能な事は」
此処にいる誰もが気付いていない。ノルデのカズキへの忠誠と尊敬の念は既に限界に達している事を。ノルデ本人すらそうなのだから仕方が無いのかもしれない。その過ぎた忠誠はあらぬ方向に考えを到らしてしまうのだ。
「カズキ様は……それでも、せめてもの慰めを与える為に向かったのでは無いでしょうか?もしかしたら、泣き崩れているかもしれません……あの方は深い慈愛を司る聖女なのですから」
同時についさっき、酒の聖女になりました。
「何故……もっと早くに……いえ、すいません。良く報せてくれました。ありがとう、ノルデ」
「アスティア、私から謝るよ。実は直ぐに報告は貰っていたんだ。だが、カズキの意思を制限したくなかったし、何より、今のカズキは只人と変わらないと自覚して欲しかった。あんな無茶はもう沢山だから……だから、ノルデは悪く無いんだ」
「そうですか……それでは大々的に騎士を送るのは良くありませんね。チェチリア様にも迷惑が掛かるでしょうし……」
「アスティア、君が行けばいい。護衛はノルデを始め何人か付けるが、大勢は要らないさ。馬車を使えば時間は掛からない。ラエティティ女王陛下も街を散策中で暫くは大丈夫だろう。仮に来られても、父上と私でとりあえずは問題ない」
「兄様……」
アストは仲直りの良い機会だと役目を譲ってくれているのだ。それが分かって、アスティアは幸せを強く感じた。私は家族に何処までも恵まれていると……カズキの過去など私が包んでしまえば良いのだと、アスティアは誓いを新たにする。
「行ってきます。兄様、ありがとう!」
「ふふ、泣いていたら慰めてあげてくれ。ノルデ、クイン、頼むぞ」
「はっ!!」
「はい」
そして、リンディアの王女が街へと向かったのだ。
「不完、成……?」
出来るだけの事はしたが、完璧とは言えないだろう。しかし、今は時間も無いし仕方が無い。
カズキはこの辺りで唯一知っている建物に先程侵入したのだ。チェチリアという老婆が管理人らしい場所……多分病院らしき建物だ。以前回った際に、壁際に使われていない様子の棚が沢山あった。中には瓶や木箱などが置かれていたのをはっきりと覚えていたのだ。あの場所なら再び迷わずに来れるし、誰かと一緒に行く可能性すらある。
チェチリアの姿はあったが、何かを書いているのか集中していて、カズキには気付きもしなかった。不法侵入の罪悪感を覚えながらもやり切った……瓶達の奥の方に並べて素知らぬ顔で脱出に成功。その部屋には何人か入院していたらしいが、皆んな寝ているのか静かだった。まあ、チェチリアはまた何時でも来て下さいと言っていたし。
後は月が満ちる時に来れば良い。
計画が雑なのは理解しているが、緊急事態なのだから仕方が無いのだ。もっと大きな鞄を持っていれば良かったと後悔しても後の祭りだった。
「夕方、時間、何処か」
もう少し時間はある。さっきの店はどうだろう?調べたばかりの店には当分来ない筈では……そう思ったカズキは随分と抜けた酒を身体に補充しようと、再び歩き出した。どうせ捕まるなら、最後まで酒場に齧り付く……そんな情け無い覚悟を誓いながら。
だが、大きな道に出た時カズキの胸はギュッと締め付けられる事になる。懐かしい色が目に入ったから……それが信じられないから……
「ロザ……」
一人の女性が立っている。薄くて長い布を何枚も重ね巻きした様な服は見た事が無い。白と青、僅かな緑が淡く重なり綺麗だ。その女性の向こうにはケーヒルが居て、立ち話をしている。形こそ違うが馬車すら近くにあった。ずっと前、アストに街へ連れて行って貰った時……同じ様に話していた……
「もう……いなく」
その女性の背中には長い髪が、あの赤い髪がクルクルと纏められ垂れている。でも、あの白い世界にいた時はあれ位長かった。何より色が同じだ。
帰ってきたの……?
それとも此処はあの白い世界?
見つかるのに、脚が前に出るのを止められない。ゆっくりだった自分の脚は何時の間にか駆け足に変わっていった。
「ロザリー!!」
だが後もう少しと言うところで、見知らぬ浅黒い肌の男に捕まってしまう。振り解こうにも、まるで鉄の様にびくともしない。
「離、せ、ロザリ」
「近づくんじゃない。此方はファウストナの女王陛下その人だぞ」
ヴァツラフから見て危険は感じなかったが、戦士団の一員として義務は果たす。ましてや自分の母だ。身体ごと捕まえ持ち上げた少女も意味が分からないが、何より不思議なのはケーヒル副団長だ。彼なら少女とは言え、近づくのを許す筈が無いと思う。
見ればケーヒルは茫然自失を全身で表現し、特に少女の頭辺りを凝視している。如何にも不自然だ。
「ロザリー、違う……」
勿論、カズキにはあの黄金色の瞳は映らない。
ヴァツラフにとっては抵抗どころか、細い身体を潰してしまわない様に注意していた位だったが、明らかに少女から力が抜けるのが分かった。
「ヴァツラフ、大丈夫です。人違いかしら?私の名前はロザリーではないわ……ゴメンね」
ヴァツラフの右腕に包まれた少女に視線を合わせ、ラエティティは優しく微笑みを浮かべる。ヴァツラフもゆっくりと少女……カズキを下ろした。
「間違い、ごめんな、さい」
直ぐに言葉が不自由な事に気付いたラエティティは、その哀しくも美しい顔に目を奪われる。何となくだが、勘違いの理由も分かってしまった。
「貴女のお知り合いに似ていたのですか?」
「うん、お母さん、もう、居る、無いの、に」
「そう……」
先の戦争で母が亡くなったのだろう。面影を重ねて思わず飛び込んで来たのか……人の死を理解出来ない年齢には到底見えないが、何か理由でもあるのかもしれない……ラエティティはそう判断する。
「私はラエティティ、貴女は?」
何故かケーヒルはビクリと肩を震わせ、そして近づく為に体を傾けた。ラエティティもヴァツラフもそれに気付いたし、カズキも状況を思い出して、素早く反転する。質問には答えない。
「ごめん、間違え!」
「お、おい!カ……」
ケーヒルの声が聞こえたが、カズキは当然無視する。
ロザリーでは無いし、と言うか当たり前だ……ならば捕まる訳にはいかない。髪は見られたが、隠れ家なら近くにあるのだ!その決断と行動は早かった。
そして、森人に追い立てられた兎の如く脱兎する。カズキは見事に人混みに紛れると、直ぐに姿は見えなくなっていった。
「速いな……あんな細い身体で」
ヴァツラフは先程まで感じていた柔らかさと温かさを思い出して、思わず呟いた。何故か花の香りに酒が匂った気がしたが。そしてケーヒルへと振り返る。
「ケーヒル殿。あの少女を知っているな?」
「殿下……確かに知ってはいますが……その前に女王陛下に安易に近づいた事、お詫びさせて下さい。ヴァツラフ殿下に助けて頂きましたな」
「気にしないでください。良くご存知の子なのでしょう?本来なら此処にいない筈、ですね?」
ケーヒルは内心唸った。
あの色が着いた髪、隠された刻印、名前も明かさなかった。何かを隠していて正体も伏せているなら、今は安易に言うべきでは無いのかもしれない。何より、走り去ったカズキが聖女だと、信じて貰えるだろうか?周囲に護衛すら付いていないのだ。
「言える事は……決して怪しい者では無いと言う事。次に会う時は挨拶させましょう」
「ほお……」
「ケーヒル副団長、追って下さい」
明らかに挙動が怪しくなったケーヒルを見て、答えが欲しくなってしまう。それに……何故か、もう一度会いたいとラエティティは思ったのだ。それは不思議な直感と確信だった。
「いえ……その必要は……」
「私はもう一度話がしたいのです。本心ですよ?ですから……連れ帰って下さい」
「ケーヒル殿、行こう。追い付けなくなる」
「……了解致しました……女王陛下、我儘をお許しください」
馬車と騎士達を待機させて戦士団数人を伴い捜索へと加わる。ラエティティは笑顔を浮かべて見送り、ヴァツラフにも視線を合わせた。
目的であるカズキが向かった先は、西街区だ。
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