黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

a sequel(7)〜ノルデの忠誠〜

 








 治癒の力は無くなってしまった。


 いや、ヤトの言葉を借りるなら封印されたのか。魂魄は痛まないし、その使い方も分からない。あれ程簡単だった癒しの行使は、まず不可能だろう。


 封印を解けば良いのだろうけど、方法は教えてくれなかった。


 あれから怪我なんてしてないけど、きっと回復も普通?になった筈。まあ、死ぬほど過保護な環境だし、余り心配していない。






 自分が変わってしまったと理解している。






 性自認は女性に傾いているし、昔の様な攻撃性は失われた。あの憎悪が何なのか分かるのに、もう遠くに感じてしまう。


 ロザリーを思い出すと暖かい気持ちと悲しさが浮かぶし、人を好きになれて幸せだと強く思う。


 好き、愛している、愛おしい、焦がれる……多くの言葉は知っていたが、その本当の意味など実感していなかった。世の中にはそんなモノもあるのだろうと、他人事の様に思っていた。だけど……幸せとはこれだと、今こそ幸せなんだと確信することが出来る。


 それをこの世界の人が教えてくれた。


 沢山の人……そしてアスティアや、アストが……


 だけど、同時にまだ変わらないモノもある。


 着飾るのは面倒くさいし、少し恥ずかしい。化粧などは特にそうで、顔に何かを塗りたくると違和感が凄い。正直、直ぐにでも洗い流したくなるが、周りが嬉しそうにしてると我慢しようと思う。


 あの日、クインとエリにごちゃごちゃと飾り付けられた時はクリスマスツリーにでもなった気分だった。まあ、昔の家にそんなモノは無かったけど。


 アストが喜んでいたみたいだし……良かったのかな。








 でも、最近不満が溜まっている。


 この城、リンディア城には沢山のお酒が眠っている。昔飲んだ様なモノもあるし、ワインなんて中々の種類だ。流石に冷えたビールは見た事がないけど、舌で味わいたいものが多い。


 だけど……近頃は殆ど楽しめてない。


 アスティア達が何をしたいのかは分かってる。この世界の女性なら当たり前の事を自分は出来ない。それを教えようと気を遣ってくれているのだろう。


 御褒美扱いのアレが本当に遠いのだ。


 あの蒸留酒は間違いなくブランデーだったから、何としても飲みたかった。まあ、失敗に終わったけど……


 だが今は別の事に少しだけ腹を立てているのだ。


 つい先ほど、あの懐かしい酒を貰えたと喜んでいたら、直ぐにお預けとなった。アスティアは何か話していたし、事情があるのだろう。だけど、一度手に入ったはずの物を奪われるのは落胆が激しい。それなら最初から期待させないで欲しいものだと思う。


 もう怒りは消えたが、だからこその欲求がムクムクと迫り上がってくる。


「作戦、いる」


 そうだ、何か手を考えよう。


 要は飲めればいいし、別に城に限定する必要なんて無いのでは?街に出れば店はあった筈だし、多分飲み屋もあるだろう。城の構造は殆ど理解したから、逃げるのは難しくない。心配を掛けたくないし、時間は最小限に。


「問題、あり」


 自慢する気なんてないけど、今の私は有名人だ。街には絵が沢山配られているらしいし、顔を見られた事もある。もし脱走出来ても、直ぐに騒ぎになって終わりだろう。


 どうやら黒髪は珍しいらしく、確かに自分以外見たことがない。黒髪とこの眼は特に知られているのは間違いないのだ。


 隠す……


 いや、逆に不自然だ。今は夏らしく、暑い。それに、そんな格好では目的の酒を楽しめない。


「髪、塗る」


 染料で染めるか、脱色すればいいのでは?


 染料が一番だけど、絶対そんな都合のいいものは無い……そんなの余裕のある世界じゃないと需要なんてない。此処はつい最近まで滅亡の危機にあった世界だ。


 脱色は戻せないから、バレる。


 そもそも脱色剤なんて……いや待てよ?


 確か酒、ビールなら抜けるはずだ。実際はアルコールの力じゃなく、炭酸が重要らしいけど……しかも何回もかぶらないとだめらしいし。でもやる価値はある。そのうち色は戻るし、暫くは気分転換だと思えばよい。


 ここは別世界だが、酒や食べ物は似通っている。炭酸飲料は見た事ないけど、似た物はあるかもしれない。


「いくか」






 いや駄目だろ……そう否定してくれるアスト達もヤトも居ない為、カズキの決心は強くなっていったのだ。
































「カズキ様、どうされました?」


 ノルデは敬愛する聖女が目の前に立ち止まったのを確認すると声を掛けた。


 あの魔獣との戦いでも、使命を果たせなかったと強い後悔の念を持っている。だから、カズキが望む事なら出来るだけ叶えようと思うのだ。


「探し、ない」


「探し物ですか?」


「そう」


 コクリと頷く聖女を見て、見つかるまで共に探すと決める。例え森の中であろうとも、自分は止まらないだろう。


「何でしょうか?協力しますよ?」


「シュ、シュワ」


「シュシュワですか?」


 残念ながらノルデには分からない。何か女性が使う様な道具だろうか?響きから髪飾りとかその辺りか……役に立てそうにないと落胆する。


「違う」


「はい」


「ん……飲む、シュワ、シュワ」


 カズキは頑張った。


「飲む……酒なら駄目ですよ?殿下から禁止されてます」


 酒好き酔いどれ聖女の真実は、城内の者なら誰もが知っている。


「酒、飲む、ない」


「飲まない……飲み物じゃない?」


 伝わらない事にカズキは悩む。そうだ……ぼでーらんげーじ、だ。


 可愛らしい両手を泡に見立て、指先を使い表現する。


「シュワ、シュワ、シュワ」


 ふむふむとノルデは見詰め、可愛いなぁと和む。


 どうやら何かの液体を探しているらしい。飲み物じゃ無く、シュワ、シュワ……何かの薬剤か?


「シュワ……泡ですね!シュワシュワー!泡がシュワシュワーって」


 負けずに全身で表現する。離れた場所に立つ騎士の一人は何か可哀想な者を見る目をノルデに送っていたが、幸い気付いていない様だ。


 ノルデの溢れるカズキへの気持ちは答えを導き出したのだ。


「泡!そう!」


 笑顔を浮かべたカズキを見て、先程の騎士は悔しそうな顔色に変わった。


 飲み物じゃ無く、泡立ちがある薬剤……騎士なら誰もが思い浮かべるものがあるが、アレは危険な物質だ。このリンスフィアにも、リンディア城にも存在する。


「カズキ様、何故そんな物を?」


「つ、つらい」


 聖女は何やら吃ったが、ノルデは特に気にはしない。


「出る、駄目、出られな」


「出られない、ですか?」


「そう!」


 ノルデはさらに思考を深める……態々騎士である自分に聞いてきた以上、何か意味があるのだろう。だが、行動は殆ど共にした事が無いし、ましてや男だ。何か女性らしい意味は含まないだろう。行動、か……そういえば最近一度だけ街に出たな。外円部西街区の治癒院だ。治癒師のチェチリア殿に会い、治療中の患者を慰問した。その中に一人、火傷の患者が寝込んでいて、家に帰りたいと泣いていた。


「街、ですか?」


「う……そ、そう」


 もう癒しの力は行使出来ず、カズキ様は酷く悔やんだのではないか……悔やむ必要などないのに、深い慈愛はそれを許さないのだろう。


 街、火傷、家に帰りたい、つらい、出られない、そしてカズキ様が望んでいるのは、あの液体。


「そうか……」


 癒しの力が無くとも、何か手段は無いかといるのだ……彼を、いや他の誰であっても。少しでも負担を和らげる為に、その原因を調べようと……


「カズキ様、一つだけ教えて下さい」


「はい」


「まだ助けたいと?もう力は失われたのに」


「助けた、い……そう!」


 助けて……そう言葉を結んだカズキは、主語がない。因みに主語は、だ。


「分かりました、案内しましょう。但し、アレは危険な物ですから、私がそばにいる時以外、無闇に触ってはいけません。約束して頂けますか?」


「?? わ、分かった……?」


 ノルデはカズキを優しく導きながら、階下へと降りて行った。






















 "燃える水"と呼ばれる液体がある。


 使用用途は色々とあるが、この時代に最も多用したのは騎士だろう。魔獣が炎を恐れる事はよく知られており、軍事上の必需品だ。攻撃そのものにも使われるが、逃走時の撹乱や魔獣侵攻の経路限定など……戦争末期には主戦派が利用し、アスト率いる防衛軍も大量に消費したのだ。


 その液体には使用期限があり、時間と共に効果が減少する。その為、使用の必要に迫られてから大量生産するのが普通だ。もちろん常備品はあったが、大半は使用せず廃棄になっていた。


 基本的には2液式だ。つまり保管時は二つの液に分かれており、使用が近づくと混合する。それぞれ一液いちえき二液にえきと呼ばれ燃焼はするが、混合時は当然比較にならない。完成品は爆発的に燃焼し、しかも少々の水では消火も不可能になる。扱いには注意が必要で、西街区の治癒院にいた男は事故に遭ったのだろう。


 ノルデは其れ等が出来るだけ簡単に伝わるよう基本的知識をカズキに教えていた。当然大半が伝わらないが、それでも何かの助けになればと言葉を噛み砕いた。


「とにかく完成品は危険な液体です。西街区の彼は調合師でしょう、不幸にも事故にあったのです。一液は振ると大量の泡が立ちますから、カズキ様の探し物だと思います。混合前ですから、触れない事もないですが……肌は荒れますよ?」


「あ……うん」


 全く分からない……カズキは思った。しかし探し物という言葉から目的は伝わったようだ。泡が立つが危ないらしい。まあ、振れば蓋も吹き飛ぶだろうし、危ないといえば危ないだろう。やはり炭酸はあったのだ。


「ありがとう」


「いえ……礼を尽くすのは我々です。カズキ様の助けになる事なら、いつでも声を掛けて下さい」


「?」


「いつでも、助けます」


「そう」


「はい」


 そうしている内に二人は外の廊下を進み、目的地に到着する。万が一の事故に合わせ、城外に設けた頑丈な煉瓦造りの施設だ。


「失礼する」


 一声掛けて、ノルデは入室した。ノルデにとっては何度も来た場所で、よく備蓄を回収して部隊に届けていたのだ。


「ん?ノルデか?今日は回収日じゃ……あ……」


 顔見知りの調合師はノルデの後から入室して来た小さな人影に言葉を失う。遠目では見た事があるが、手の届くような近さは経験が無いのだ。しかも今着ている作業着はひどく汚れているし、髭も剃ってない。神々の使徒……いや、神そのものと言っていい聖女が目の前に現れて混乱する。彼女の目に自分を映すのすら失礼な気がして、身体が固まってしまった。


「リリュウ、カズキ様が一液を見たいそうだ。急で済まないが、頼めるか?」


「あ、ああ」


「よろ、しく」


 リリュウはカズキの声を聞き、瞳を見た瞬間痺れて震えた。しかも、自分の汚い手を両手で握って握手されたから、今にも神罰で死ぬんじゃないかと思った。


「聖女様、汚いです!」


「汚い?ごめんなさい」


 何故か自らの綺麗な手を見て謝る聖女。その腕と手にはシミひとつ、黒子すら無い。


「い、いえいえいえ!汚いのは俺、いや私の方でして!す、すいません!」


 ノルデは慣れているのか、特に反応はない。カズキに初めて会う者は大なり小なり一緒だから。


 暫く互いが謝罪し合うと言う不思議空間が生まれたが、時間が解決してくれた。


「ノルデ、なんで一液なんか……何一つ面白くないだろう」


「理由は後で話す。先ずは用意してくれ」


「そりゃ構わないが、二液は流石に駄目だぞ?あれは身体に悪過ぎる」


「そのつもりだ。カズキ様は泡立ちを気にしているんだ。だから二液は関係ない」


「ああ、成る程な。量はいるのか?」


 因みにリリュウはこの間、カズキに目線を合わせていない。目に入ったらまともに喋れない自信がある。


「カズキ様、大量に……沢山、要りますか?」


「要る、ない。少し、試す?」


「分かりました。とりあえず、瓶でいいだろう」


 瓶は混合した燃える水を入れて持ち運ぶものだ。男なら片手で握れる程の大きさだろう。


「分かった。なら、待ってろ」






 そして用意された瓶には、半分程の一液が満たされている。軽く振るとシュワシュワと泡が立つ音が響く。しかもかなりの時間泡が保たれる様だ。カズキは了解の元で蓋を取り、小さな鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。


「ん、臭い」


「余り嗅がない方がいいですよ?肌に悪いですし、間違って触れたら少し痛いです」


「分かった」


 カズキは目的をあっさり達成して内心喜んでいた。飲み物ではないのは当然だが、アルコール臭、いや車の燃料であるアレに近い。"燃える"と言う単語からも類似しているのは間違いないだろう。だが今回重要なのは炭酸だ。当然試したい。


「これ、壊れて、駄目?」


「壊れて……?」


「カズキ様、何か試しますか?」


「うん」


「使ってしまっていいか……そういう意味だろう。どうだ?」


「ああ、構わんよ。大した量じゃないし、今はもう戦時ですら無い。聖女様のお陰で、な」


「ありがと」


「い、いえ」


 礼を伝えたカズキは肩の前に垂れ下がった黒髪を手に取り、寄り分けていく。そうして一本だけ指に挟むと、思い切り引っ張った。


「ああ……」


 話に聞いた癒しは、この美しい黒髪を捧げて行われたらしい。優しい光に溶けていくと、次々と人々を治癒していったのだ。リンディアの国民なら子供でも知っている話だ。ましてや目の前のノルデは正に間近で目撃した一人である。


 僅か一本ですら、宝石に見えてリリュウは目が離せない。光を放つ事もないが、その美に変わりはなかった。


 そうして指に挟んだ髪を瓶の口からゆっくりと入れる。


 カズキは暫くそのままにして、落ちない様に縁に髪を掛けた。


 ノルデはやはりと思いを深める。間違いなく肌や人体への影響を調べているのだ。少女に何が出来るのかと知らない者は思うかもしれない。しかし目の前に佇む彼女は癒しの力を司る聖女。5階位の刻印を刻まれた使徒なのだ。ノルデは最早確信すらしていた。


「帰ったら母ちゃんに教えないとな……聖女様に会ったって。信じて貰えるか……無理だろうなぁ」


 あの偏屈な婆では不可能だ、更にそう心で呟いていたリリュウの手に再びカズキの手は添えられた。驚いて見ると、掌に一本の黒髪。瓶にはまだあるから別の髪だろう。


「聖女様……?」


「信じる」


「えっ?」


「お母さん、大事」


 お母さん……その言葉だけは片言で無く、はっきりと伝わる。聖女の母が今どこに居るのか、二人は良く知っている。だから、カズキの言葉は心に突き刺さるのだろう。


「あ、ありがとうございます。今日は何か美味いものでも土産に買って帰りますよ。そして自慢して……この髪に触れて……」


「うん」


「良かったな。その髪、落とすなよ?」


「落とす訳ないだろう!素裸になってもこれだけは……」


 そんなやり取りを他所に、カズキは瓶から髪を引き上げた。そして……実験は成功したのだ。液体に浸かった毛先は、燻んだ灰色に変色していた。艶も失われ、まるで老人の髪の様だ。


「どうですか?」


「うん、大丈夫」


「そうですか……では行きましょう。アスティア様が心配されてしまいます」


「はい。リリュ、これ、いい?」


「は、はい!どうぞ!」


 一液が入った瓶を受け取り、ニコリと笑う。


 そうして、聖女の……街へ変装して繰り出そう作戦は用意が整った。




 当たり前だが、カズキに治癒院の事など頭には無い。勿論治せる手段があるなら実行しただろうが、今のカズキには不可能だ。それよりも脱色の方法を見つけて、カズキは嬉しそうだった。


 その笑顔を見てノルデも安堵する。そして、更に聖女への忠誠を強くしたのだ。酒を探していたと勘違いした自分はやはり矮小な存在なのだろう……隣を歩く聖女を眺め、ノルデは笑った。












 残念ながら、ある意味でノルデの勘違いは正解だった。カズキはただ酒が飲みたいと、街に繰り出す手段を探していただけだ。アスティア達に聞く訳にもいかないし、顔見知りの彼に質問しただけ。何故かトントン拍子に事が進み、本人が吃驚した位だ。




 カズキが内心北叟ほくそ笑んだこの時、ファウストナ一行はリンスフィアまであと五日の距離まで近づいていた。















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