黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

a sequel(2)〜ファウストナ海王国〜

 










 ファウストナ海王国ーーー




 リンディア王国より遥か南、森をぬけた先に半島が横たわり、その突端にその国は在った。当時の資料にはリンディアと比べれば国力は30分の1、人口は最盛期でも10万に満たないと記されている。海産物と塩が貿易の殆どを占め、国民の大半が水の上を泳ぐ事が出来ると言われる不思議な国だ。


 特徴は幾つもあるが、小国でありながらも精強な戦士団が筆頭に上がる。槍を用いた戦士は世界的に有名なリンディア騎士に迫ると言われていた。彼らは錆びやすい金属鎧を使わない。革鎧を主とした戦士は動きが素早く、長い槍も相まって名を売った。


 貝や海藻すら調理し、魚を生で食すことから森人対して海人うみびとと呼ばれる事もある。そこには変わり者を見る意味が多分に含まれ、森人に対する様な畏怖は含まれていない。


 リンディアには及ばないものの、数百年前から在る数少ない国で、基本的に女王が統治する。ファウストナでは海にも神々が居て女王、つまり女性が好まれると信じられているからだ。その為、大変珍しい女性の戦士も存在していたらしい。


 だが……魔獣が現れ半島からリンディア等への街道が閉ざされると、情報は届かなくなった。リンディアでも嘗ての友好国を心配する余裕は無くなり、滅亡していてもおかしくないと思われていたのだ。


 ファウストナ海王国は、そんな小さな国だった。


























「それは本当ですか?」


「はい、間違いなくリンディアの騎士です」


 ラエティティが居る王宮は焼き締められた木材を主に使用した黒い建物だ。海風から守る生活の知恵は今も連綿と受け継がれている。リンディア城と比べるのは烏滸がましいが、歴史を積み重ねた見事な城だった。


「やはりリンディアは生きていましたか……あれ程の大国が簡単に滅びるなど考えられませんでしたが……魔獣の攻撃をどう躱していたのか」


「まさに……我等も風前の灯火でした。あの不可思議な白い光が無ければ、今頃はヴァルハラへと旅立っていたでしょう」


「癒しの光ですね……魔獣を消し去るだけでなく、負傷者すら助けて頂けるとは……白神の御加護でしょう」


 編み込まれた赤い髪は背中側に流れ、玉座に垂らされている。琥珀色の瞳は天に向かい、その鋭い眼光は閉じられた。メリハリの効いた肢体は目を引くが、同時に苦難の時代を生き抜いた女王に誰もが畏怖を覚える。年齢は40を超えるが、未だ生命力に溢れた女王には関係など無いだろう。


「騎士の代表が謁見を求めています。如何しますか?」


「騎士は何処に?」


「北の森を抜けて直ぐ、抵抗はありません」


 つまり侵略の意図は無いと考えて良いだろう。まあリンディアに併合された方が国民は幸せかもしれない……ラエティティは口にしなくとも思ってしまう。それ程までに国力には差が有り、ましてやファウストナは滅びる寸前だ。正直今すぐにでもリンディアに援助を求めたい。


「我等は誰が対応を?」


「ヴァツラフ殿下です。安心して下さい」


 ヴァツラフはファウストナの第二王子で、この国の戦士にしては理知的な出来た息子だ。因みに第一王子は戦うのが大好きな如何にもファウストナらしい海の男で、交渉には向いていない。臣下にも知られているし、本人も難しいのは弟に任せたと普段から豪語している。


「そう……では謁見の許しを与えます。丁重に迎えて下さい。その騎士の名は?」


「はっ……ケーヒル殿と。リンディア騎士団の副団長だそうです」


「そっ、それを早く言いなさい!副団長など……リンディアの重鎮ですよ!待たせないで!」


 急いで!お願いだから怒らせないでね!そう叫ぶラエティティは意外と可愛らしかった。その顔は青白くなってはいたが。


















 小国にとって近くにある大国を知る事は非常に大切な事だ。冗談で無く存亡の鍵を握るし、日常の生活にも相手国との貿易が欠かせない。軍事と経済に巨大な影響を与える以上、研究を怠る訳にはいかなかった。


 ファウストナ海王国にとってリンディア王国がそれにあたり、ラエティティは小さな頃から文献等で学んでいた。つまり、魔獣襲来に向けて援護を頼める相手など他には無いのだ。しかし……森を抜ける為、何度となく部隊を送ったが、結局成果は生まれなかった。






 リンディアを大国足らしめるのは多くの要因がある。


 肥沃な大地、連綿と続く王家、刻印保持者の数、そして圧倒的な軍事力だ。


 ラエティティはファウストナの戦士団は精強であると自負を持っている。彼らは確かに強く、そして勇猛だ。リンディア騎士団に並ぶと称された事もある。そう、リンディア騎士団、だ。強さの尺度にリンディアを用いる意味は誰でもわかる事だろう。遥か昔から、かの騎士団は象徴だったのだ。


 そして、文献や資料でしか見た事のないリンディア騎士団の部隊がファウストナへ現れた。ましてや副団長など、ラエティティにすれば怪物にも等しく同時に英雄でもあるのだろう。


 記憶にある資料によれば、騎士団長は王、或いは王子が兼務する。ある意味で団長位は名誉職で、副団長こそが実質の頂点だ。個人の戦闘力は勿論、指揮や組織の運営にすら関わる要職で、大袈裟に言えば世界最高の戦士と答えるだろう。


 ファウストナから見れば、他国の王に等しき人なのだ。ラエティティは何故こんな小国にと深く悩んでしまうが、同時にこれを生かさない手はないと覚悟を決める。


 まずファウストナに限らずどの国も疲弊してある筈で、それはリンディアも例外ではないだろう。もしかしたら過去の大国は力を失い、この小国に助けを請う可能性すらある。楽観的過ぎるが、あの肥沃な大地へとファウストナが影響を及ぼす事も有り得るかもしれないのだ。


 交易が途絶えて久しいが、時代は動くもの。


 今がファウストナ変革の時期であるかもしれない。なれば副団長との会合は重要な意味を持つ。女王として、自国の利益を願うのは間違っていない筈だ。一手を慎重に、しかし大胆に打たなくては……ラエティティは震える手を摩り、鋭い眼光を北へと向けた。




























「ケーヒル副団長殿、ラエティティ陛下より許可が……ファウストナへご案内致します。出来れば直ぐにでも出立したいと思いますが」


 切り株にドカリと腰を下ろしていたケーヒルは閉じた目を開く。遥か彼方ではあるが、ファウストナの街が見える。何より、生まれて初めて見た海は圧巻だ。あれが全て水ならば、リンディアは苦難の時をもっと健やかに過ごせたかもしれない。


「了解した、我等は直ぐにでも。ヴァツラフ殿下はおいでか?」


「はい、今こちらに向かっております」


「使者殿、ご苦労だった。では準備に入る」


「はっ」


 そうしてケーヒルは立ち上がり、立ち去る使者を見送って背後に待機する2小隊に目を配った。森人も含まれる彼らは、恐怖の象徴だった森を踏破した強者達だ。だが……小国とは言え、かの有名だったファウストナ戦士団も控える中、覚悟は要るだろう。友好国であったのは事実だが、それも過去の事。何があるかは分からない。騎士はともかく、森人には説明が必要だ。


「ファウストナ海王国か……魔獣の脅威に耐えぬいたのだ、小国などと侮る訳にはいかない。だが、聖女の慈愛は戦いを望まないだろう。会談は慎重に対応しなければ……」


 ケーヒルが近づくとフェイは気付いて全員に合図を送る。まだ説明はしていないが、あの森人ならば驚く事では無い。最近共にする機会が増えたが、フェイの有能さは想像以上だった。


「フェイ、会談の許可がおりた。我等はこのままファウストナに入る。準備してくれ」


「大体の準備は終えています。それとこれを……」


「これは?」


「カズキ……聖女の絵姿です。必要な場合もあるでしょう。無ければ、命護りの替わりにして下さい」


 カズキの横顔が見事に描かれた絵は丁度ケーヒルの掌に収まる大きさだ。翡翠色の瞳、銀月と星の髪飾り、そして腰まで届きそうな黒髪。髪の長さは昔の物だが、カズキの特徴をしっかりと捉えている。何より……首回りには刻印が精緻に書き込まれていて、作者はカズキを見た事があるのは明らかだった。


「最近リンスフィアで流通しているやつか……何種類あるんだか……」


「知ってるだけでも、二十……いやもっとあるかもしれません。中には癒しの光を放つものや……酒に負けて居眠りする姿まで、まだ増えていくでしょう」


「酒……全く、困ったものだ。皆がカズキを愛する余りの行動だけに、取り締まる訳にもいかないからな」


「そうですね……その絵は敬虔な神々の信奉者が描いたものです。流石にあの美貌を絵に著すのは難しかったようですが、よく特徴を捉えていますから」


「確かに……余程身近に見ないと、これ程正確に描けない筈だ……誰なんだ?」


 フェイはニコリと笑い、チラリと視線を送る。それを追ったケーヒルの瞳はクワッと見開き、驚愕でワナワナと震えた。


「ま、まさか……本当なのか?」


「ええ、描く途中も見ましたし……何度も描き直して、それが五作目の筈です」


「人は……不思議なものだな……信じられんよ……」


 二人が視線を送る先……森人の背負袋に寄り掛かり、涎を垂らし鼾すら隠さない男。一流の森人で南の森であれば右に出る者はいない。短い手足と繋がった眉毛は愛敬があるが、口を開けば皮肉しか吐かない捻くれ者。


「起こして来ます」


 フェイに頭を叩かれたドルズスは「んあ?」と間抜け顔を晒し、キョロキョロと顔を振ると慌てて立ち上がる。


「な、なんだ!?魔獣か!?」


 そして側にあった背負袋に躓き、ドルズスは再び地面に転がった。
































「ヴァツラフ殿下」


「ケーヒル副団長」


 しっかりと握手を交わす二人は、姿形こそ違えど共に一流の騎士であり戦士だった。鍛え抜かれた身体、鋭い眼光、使い古した鎧には多くの傷痕。魔獣の脅威から国を守ってきた矜持が、その全てを物語っているようだ。


「殿下、ラエティティ陛下への謁見をお許し頂き感謝いたします。我がカーディル王もお喜びになるでしょう」


「いや、此方こそ光栄だ。かの名高いリンディア騎士団、しかも副団長となれば陛下も楽しみにされているだろう」


「ファウストナ戦士団の勇猛さこそ……魔獣どもと共に戦う事があれば、さぞ頼もしかったでしょうな」


「時間があれば是非一戦お願いしたいものだ。きっと我等にとって有意義なものとなる」


「ははは……その際は御手柔らかにお願いしたいものです。先日の戦いでは死に掛けた老骨ですからな。この通り、愛剣も砕かれて新兵の如くです」


 鞘からは抜かないが、明らかな新品の大剣は陽の光を鈍く反射している。


「死に掛けたなど……そうは見えないが、白い光を?」


「ええ、間違いなく。遍く癒しが世界に降り注ぎました。本当に……全てが奇跡でしょう」


「あの光が何なのか知っているのか?」


「そうですな……良く知っています」


 目を細めたケーヒルは目の前に立つファウストナ第二王子のヴァツラフを改めて観察する。勿論失礼のないようさり気無くだが、彼の特徴を捉えるのは難しくない。


 目立つのは日に焼けた浅黒い肌だ。ファウストナの人々に共通はしているが、ヴァツラフは群を抜いて焼けている。それだけ熱い陽に晒される中、日々戦いに明け暮れたのだろう。


 赤髪だろうが、全体を短く刈り上げているため分かりにくい。身長はケーヒル程では無いが、長身と言っていい。アストと並べば丁度視線が合うかもしれない。戦いにより鍛え上げた体は硬い筋肉に覆われているが、細身に纏まりアストとは違った種類の美丈夫だ。男を体現するヴァツラフ、歳の頃は20……そんなところか。


「では……神々の加護が」


 そう呟くヴァツラフの最大の特徴……それは露出した両肩の左、そこに刻まれた刻印だ。ヴァツラフ曰く力の刻印で、驚くべきは2階位らしい事だろう。聖女を知るケーヒルに驚きは少ないが、それでも珍しい事に変わりは無い。


「殿下、それはラエティティ陛下がおられる時が宜しいかと。参りましょう」


「……そうだな……」


 ファウストナの王宮まで半日はかかるだろう。両国にとって時間は有限で、早いに越したことはない。


 リンディア、ファウストナ両軍はゆっくりと海へ向けて動き出した。

























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