黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

71.希望と絶望と

 










 それは凄まじいまでの結果だった。


 騎士は獅子奮迅の突撃を試み、森人の放つ矢はその数を増やした。 幾人も魔獣に蹂躙されるが、時間を置けば直ぐに戦線に復帰する。 支えるのか精一杯だった円陣は、魔獣を包囲殲滅する二重の線へと変わった。 響くのは魔獣の悲鳴と人の歓声、そして肉を断つ剣戟。


 そこには絶望感など無く、勝利の余韻すら生まれる。


 何より、皆に恐怖は存在しないのだ。 例え傷付き倒れても、聖女の癒しが自らを暖かく包む。 優しく抱き締められた様なジンワリとした癒しを感じるのだ。


 ふと後ろを見れば、隔絶した美貌を隠しもしない聖女が佇んでいる。 翡翠の瞳には恐怖の色は無く、自分達と戦場を見守る。


 これは戦争なのだろうか? もしかすると神々が齎らした聖戦ではないか……士気は衰えることも無く、活力は溢れ出るばかりだった。


「最後だ……!」


 勝利は簡単に訪れた。 脳天に数本の剣を突き立てれば、断末魔すら上がらず魔獣は絶命した。 見ればついさっき立ち上がった炎は、衰えてもいない。


 時間にして半分にも満たないだろう。 先程までの苦戦は嘘の様に駆逐されたのだ。 これなら連戦も厭わず、城外の魔獣も遠からず消え去ると誰もが思える程だった。




「やったぞ!」
「魔獣め、思い知ったか!」
「俺達は負けない!」
「次も任せておけ!」




 口々に勝鬨は上がり笑顔が浮かぶ。 そこには正に希望があったのだ。












「カズキ……!」


 アストは癒えた脚を動かして城壁を駆け降り、足早に近づくと思わずカズキの両肩に手を置いた。 短くなった黒髪がフワリと揺れてカズキの香りが漂う。 思っていた以上に華奢で細い肩にアストは驚いたが、それを無視して綺麗な瞳に目を合わせた。


「何故ここへ……? 怪我は!?」


 おそらく髪を捧げたのは間違いないだろうが、あれ程の癒しだ。 もしかしたら他にも傷付けているかもしれない。 アストは我慢出来ずに、カズキの身体を眺めた。


 そして側に来たことでアストは理解した。 今まで何処か人から距離を置いていたカズキは、ジッとアストから目を離さない。 それは睨んでいる訳ではなく、まるでアストを気遣っている様だった。


「カズキ……意識が……」


 カズキの瞳からはしっかりとした意思を感じる。 刻印の影響を受けた様子は無いし、寧ろ強い感情すら覚えた。


「殿下……御命令に背いた事お詫び致します」


 側に控えていたノルデの声に、アストは漸く現実へと帰る。


「ノルデ……」


「此処までカズキ様を案内したのは私の意思、誰に強制されたものでもありません。 殿下の御命令は重々承知しております。 ですが……正しい事をしていると信じています」


 あの若かったノルデはまるで幾千もの戦いをくぐり抜けて来たかの様だった。 それ程までに強い力をノルデから感じるのだ。


「説明してくれるか? それにアスティアやクインは……?」


「アスティア様が仰っていました。 聖女として歩むなら、それを止める事など出来ないと。 そしてカズキ様自ら此方へと歩みを……城から真っ直ぐに道を進んで来られました」


「聖女として……」


「では、アスティア様もご存知の事か?」


「副団長、その通りです」


 そして、ノルデは聖女へ忠誠を誓った騎士だ。 自らの命すら賭ける事を厭わないだろう。


「カズキの髪はどうしたんだ?」


 アストは思わず黒髪を優しく撫でた。 カズキも特に嫌がったりしない。


「殿下、先程参戦した者達を癒したのです。 カズキ様は広場に訪れると腰のナイフで髪を切りました。 全ては一瞬の事でしたが……髪は光へと変わり、次の瞬間には火傷や怪我は無かったかの様に消え去ったのです。 既に命を失った者は駄目でしたが……それでも、カズキ様の癒しは我等を救いました」


「血肉でなく、髪を捧げて聖女の力を」


「はい」


 事実、カズキにいつもの様な出血は見当たらない。 ノルデの言う通りなのだろう。


「聖女の力に目覚めたのか……? もう血肉を捧げる必要も無くなったなら……」


 此処に居てもいい?


「いや……また戦いは続く、何時か血を求めるかもしれないじゃないか……そんな事……」


 呟くアストはドキリと胸が波打つのを感じた。 カズキはアストの汚れた手を握り、背の高い自分を見上げてきたからだ。 ジッと探る様にアストの碧眼を眺めると、カズキは何かを納得したのか僅かに頷いた。 まるでアストの気持ちを確かめているようで、少しだけ擽ったい。


「カズキ、どうしたんだ?」


 問われたカズキは意味など分からない筈なのに、アストに微笑み手を離した。 そう、間違いなく微笑んでくれたのだ。 いつか自分に笑顔を向けてくれたならと夢見ていたが、それは想像を超えて美しく優しかった。


「カズキ、一体……」


 別人とは言わないが、此処まで感情を露わにするカズキを初めて見たアストに戸惑いは隠せない。 それは堪らない喜びであり、戦場にいる事を忘れさせた。


 周りで様子を伺っていた騎士達も同様で、勝利への確信を強固にする。 アスティアの様に大輪に咲く訳では無いが、カズキの微笑は夜風に揺れる小さな一輪の花だ。 その花は世界にたった一本しかないだろう。


 城壁付近で燃え盛る炎は衰えていったが、その事に恐怖を覚える者はもう誰一人いなかった。




























 行き過ぎた妄執は人の判断を狂わせる。 それだけでは無い……どんなに優れた頭脳を持とうとも、人は時に間違いを犯すのだ。 復讐心に追い立てられ、いつしか振り返る事も出来なくなった。


 魔獣を根絶やしにする……その為に、その為だけに考え出したソレは、いつしか変容していく。 希少で優れた力を利用して、魔獣を血祭りに上げる筈だったのだ。


 聖女の存在は、復讐を遂げる為に在った。


 いつしか手段が目的に変わり、それを達するなら何にも構わない。 人が勝つ為なのに、人を愛するからこそだったのに……


 そう、全ては狂っていく。








「おい、本当にいいのか?」


「当たり前だ。 全ては魔獣を一匹残らず殺し尽くす為だ。 お前も知っているだろう? 聖女はこの世界に遣わされたで、魔獣を導く必要がある。 完結させなければ……リンスフィアまで導いて来た仲間に申し訳がたたない」


「だが……」


「貴様……今更怖気付いたのか? 全てはあの方の予想通り……ならば我等も従うだけの事だ。 城から離れたのは流石に驚いたが、居場所が城から南へと変更になっただけだ」


「城門を解放すれば南だけじゃなく、街中へ魔獣が入る事になるぞ。 当初は城壁の外で戦う予定で……」


 話している途中だったが、続く言葉を紡ぐ事など最早出来ないだろう。 その騎士の胸には深くナイフが刺さり、呼吸すら瞬時に止まった。 それを行なったもう一人の騎士は侮蔑の視線を地面に送る。 絶命した男は無言のまま地面に横たわり、周囲に居た数人の騎士達は気にもしていない。


「ふん、愚か者が。 この聖戦を邪魔する者は反逆者と同じ、それが判らないとは呆れる……」


「そろそろ時間だ……間も無く到着するぞ。 あの方の言葉通り、他の連中は南へ集結済み。 奴等が何処に向かうのか判らないが、直ぐに気付くだろう。 南の隊も慌てて駆け付けるさ。 そして聖戦を理解出来ない奴等は蹂躙され、聖女の力に頼るしか無くなる。 尊い犠牲だな」


「ああ、門を開け放とう。 聞こえる……予定通りだ」


 ギギギ……


 はゆっくりと開き、城壁の外が露わになった。 未だ遠いが、数人の騎馬と追いかけて来る赤い波が見える。 地響きすら耳に届き、奴等が幻影でない事を教えてくれた。


 幾人か波を止めようと戦いを挑むが、数瞬の内にはその波に消えて行く。


「主戦派だと……好きに呼べばいい。 我等の志しは語り継がれ、英雄となるのだ」


「そして、導く者……様は、神へと召されるだろう」


 最後の騎馬が波に消えると、魔獣達は次の獲物へと方向を変えた。 その先には開け放たれた東門と数人の騎士だけ。


 南の希望と東の絶望、二つが相見えるまで時間は掛からないだろう。


 全ては狂った妄執が呼び寄せた、間違いない現実だった。
























「ジョシュ様! 大変です!」


 カズキがアストの元へ辿り着くより前、ジョシュは隊の編成を終えて南へと馬を向けていた。 此処からは何度が上がる炎も見え、その戦い方も予想がつく。 時間は少ないがケーヒルもいるのだ、ジョシュは間に合うと確信していた。 そこへ慌てて駆け込んで来た騎士が叫び声を上げたのだ。


「どうした?」


「東門が解放されています! 数は不明ですが魔獣が……!」


「なんだと!?」


 隊は町の東側を回る予定で、数騎先行させて道筋を確定させる筈だった。 その先行した騎士の一人が報告に戻ったのだろう。


「どうやら内側から誰かが開けた模様で……閉めようとした皆は何者かに足留めされました。 恐らく主戦派かと……!」


「馬鹿な! 自らがリンスフィアの中に導くなど……気でも狂ったか!」


 ジョシュは即座に判断する。 東側に防衛網は殆どほぼ敷かれて無い。 そもそもそんな余裕などないし、報告にも東の脅威など存在しなかったのだ。 それは周到に組まれた作戦に違い無かった。


「我等は東へ向かう! 何としても魔獣を止めなければ!」


「「「おう!」」」


「君は伝令に! 陛下とアスト殿下に急ぎ知らせてくれ!」


「はっ! 必ず!」


 ジョシュ達は素早く準備を終えると、蹄の音を立てながら走り去って行った。 残された騎士はそれを確認すると、自分も目的を果たそうと馬へ近寄る。 その時リンディア城の方からもう一騎、別の騎士が向かってきていた。


「伝令!」


 その騎士はケーヒルに指示された伝令の役目を果たすべく、大急ぎでジョシュの元へと駆け込んで来たのだ。


「ご苦労、伝令は?」


「副団長からです! ジョシュ様に至急の救援を! 南は魔獣の群れにより城壁が決壊。 今は持久戦に入りました。 ジョシュ様は? 応援が必要です!」


 周囲にジョシュの姿は無く、騎士達の存在も感じない。 少しだけ怪訝な表情を残る騎士に向ける。


「そうか……若いな、君の名は?」


 問いながらも近づく。 伝令に来た騎士は若く、入隊したての新人に間違いなかった。


「は! 自分の名はジ……えっ?」


 若い騎士は腹に生えた小剣を見た。 背中まで突き抜けた小剣には赤い血が付着し、それが自分から流れ出たものだと理解した頃には暗闇が訪れる。 彼は最後まで自分が死んだと理解出来なかったのかもしれない。


「残念だ……だが、今は邪魔なだけだよ」


 ジョシュの言葉はアストへ届く事は無く、最後に若い騎士の死体だけが取り残された。






















「いたぞ! あそこだ!」


 ジョシュの隊は急ぎ東門に向かっていた。 魔獣は何故か中央には向かわず、南側へ進路を取っていた。 不慣れな街中が幸いしたのか、速度は出ていない様だった。 だが、そこには統率された意思を感じて、ジョシュは怖気が走る。


「南を急襲するつもりか……!? 挟撃になるのを理解しているのか……? 何としても止めなければ!」


 やはり魔獣は知恵のある化け物なのだ。 人の気配は城からもする筈なのに、奴等は目もくれない。


 せめて先程の伝令が辿り着く時間を稼ぐ必要がある。 魔獣の数はジョシュの隊に匹敵する。 つまり……勝てない。 ましてや身を守る城壁も無く、精密に隊列を組む事もままならない。 だが、少しでも数を減らし時を稼がなければ!


 ジョシュは死ぬ覚悟を決め、皆に声をかけていく。


「このままではアスト様の隊へ挟撃がかけられてしまう! 何としても止めなければならない!」


 並走する皆は同様に覚悟を持った表情へと変わった。 自分達の役目が何なのか理解したのだ。


「奴等を少しでも減らし、伝令が着くまでの時間を稼ぐ! 側面から攻撃を掛ける、いいな!」


 皆に戸惑いなどカケラも無かった。 元より死ぬ覚悟など当たり前にあったし、愛するリンスフィアに魔獣が存在するなど許せなかったのだ。


「行くぞ!!」


 魔獣も迫りくるジョシュ達に気付き、何匹かは方向を転進した。 だが全部では無い。 やはり意思を持って挟み撃ちをするつもりなのだ。


「「おお!!」」


 だが……命を賭けたその願いは決してアストの元へ辿り着く事は無い。




 数匹の魔獣を倒し、ジョシュが力尽き命果てるその時も……それを知る事は無かった。

















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