黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

41.闇を歩む者

 
















 森と町は融合しつつあった。


 それはつい最近の事で、森と呼ぶにはまだ早いと誰もが言うだろう。


 石造りの建物は姿を止め、石畳の街路や路地すら見つける事が出来る。店先に掛けられた看板も風に揺れてキーキーと音を立てていた。町を俯瞰して見れば三分の一程が少しずつ緑に塗り替えられているのが判る。


 一見その町は美しく、妖精と人が共に暮らす幻想の世界を生み出したかの様だ。


 だがそれも明るい朝日に照らされながら、町を歩く事が出来たとしたら……残酷な現実を世界を知るだろう。


 蔦に覆われ緑色をした建物には、抉られた様な溝が何本も刻まれている。乱雑に刻まれたそれは、全てが獣の引っ掻き傷に見える。しかし側に立ち見上げれば慄くだろう、熊どころでは無い巨大な傷に。


 あちらこちらに黒く変色した液体の跡がある。


 筆先に付けた黒い塗料を振り撒いた様な壁、桶に汲み置いた液体をぶち撒けた様な道。


 黒と相対する白も見える。


 黒く染まった地面に散らばった白は、棒状だったり、湾曲した弓の様だ。大小様々な白は町を縦横に走る道だけで無く、建物の中にも散見された。


 妖精がもし居るのだとしても、この町には人はいない。いやと言い換えるべきか。






 死だ。






 この町、いや町だった此処には死が蔓延している。


 魔獣に襲われた町は一瞬で色を変えたのだ。町のあちこちに散らばる錆びた剣や鎧は騎士だろう。折れたり曲がったりした剣は主人を失い、砕けた鎧は只の錆びた鉄と革の塊になった。


 草の緑の合間に見え隠れする黒の塗料は、間違いなく血で、大小の白は肉を失った哀れな骨だ。


 過ぎ去った日々は、帰っては来ない。


 悲劇の町。


 今となっては珍しくもない森にのまれた町、その名はマリギと言う。


 数年前に死んだ最北端の町、それでもマリギはまだ緑に染まり切ってはいなかった。




























「そうだ、それでいい」


 子供とは言えない、かといって大人でもない。 真新しい鎧と、訓練用だろう木剣を振り回す様は微笑ましくもあるだろう。年の頃は15歳から20歳程度の新人騎士達はひたすらに訓練を繰り返していた。


 だがそこに、新人らしい甘えを感じたりしない。


 体力作りや装備の管理、それこそ先輩騎士の世話など新人にやる事は多い……筈だった。


 しかし、時代は変わった。


 たとえ新人であろうとも一人の騎士であり、戦力に数えられる。他の騎士などに構っている余裕など、リンディアにも世界にもありはしない。いつとも知れぬ魔獣との戦いは目の前に存在し、消える事など無いのだろう。


 訓練はあくまで実践的で、剣をまともに握るのは3年目などと言われていたのは過去の話だ。騎士を目指す若人は、そうなる前から自身を鍛え上げている。 


 家族や身近な人を殺す魔獣を打ち滅ぼし、美しきリンディアを護る。死の可能性すら飲み込んで、剣を王国に捧げるのだ。


 自らの命を捧げ、国や人に奉仕する姿に誰もがこうべを垂れるだろう。










 ーー南限の町「セン」


 西の町テルチブラーノと同じく、森からの侵攻を監視している。しかし丘に築かれたテルチブラーノとの違いは多い。


 平原の海に浮かぶ巨船の様に、平らな地に開かれた町。店や宿もあるが、目立つのは訓練所だろう。二階建ての宿舎が整然と建ち並び、鎧姿の若者が多く歩いている。基礎こそ石造りだが、木組みの宿舎は色褪せてくすんでいる。また、所々に補修の跡がある事で積み重ねた歴史すら感じられる。


 全体的に低い建物が多く、目立つのは監視塔くらいだろうか。




「剣の握りはそれでもいいが、魔獣相手では短くするんだ。力を抜き、叩きつけるより手前に引き絞る感じを心掛けろ。魔獣の皮膚に力尽くは通じないからな……一撃など不可能と言っていい」




 土が剥き出しの道が宿舎に沿って走り、向かいの建物からは金属を打ち鳴らす音が響いていた。複数の鍛冶師達が腕を振るっているのだろう。


 厩舎も訓練所に併設され、調教師や世話人が多く働いている。馬は水や餌を大量に消費し、鐙や鞍などに慣らす事にも大変な労力が必要となる。命を賭ける騎士達を支えようと、皆が誇りを持ち働いていた。


 また、南に向かう森人の宿場として重要な場所でもある事でテルチブラーノよりも賑やかな町と言えるだろう。


「腕の力に頼るな、重要なのは足だ。強い踏み込みと柔軟な膝が無いと魔獣に傷は負わせられないぞ。膝は絶えず柔らく、反撃に備えるんだ」


 若い騎士達は教導官の指導を熱心に聞いていた。


 教導官も数多く居るが、最近センに来た教導官は瞬く間に騎士達の心を掴んだ。


 怒鳴り声を上げ、訓練と称する拷問染みた鍛錬を課す者が多い。もちろんそれも無駄では無い。死と隣り合わせの戦場では、生温い感情や個性など害ですらある。何人もの戦死者を見た教導官達は、心を奮い立たせて新人に相対するのだ。


 この教導官は違った。


 まず、一人一人と剣を切り結んだ。中には反抗心を持った新人騎士も居たし、腕に覚えのある者も多かった。何より血気盛んな若人達なのだ、一対一とはいえ何十人も相手にするなど不可能と誰もが思った。


 彼は大して動きはしない。右手に握られた剣も下に垂れ、構えらしい構えも無かった。


 浅黒い肌や垣間見える腕の筋肉は只者では無いと知れる。しかし強者特有の覇気は感じられず、圧迫感は無いに等しい。


 だが、半日も掛かりはしなかった。全員を相手取るのにだ。


 まず、速い。


 緩やかに動き出した手足の筈なのに、気付いたら咽喉元に剣が添えられていた者が多数。ならば力でと近接戦を仕掛けた者達の手から、何本も宙を舞う剣。 


 それでいて良かった点を伝えた上で、改良点すら指摘してくれた。


 笑顔こそ多くは無い。


 だが低い嗄れた声ながら優しい響きすら感じて、瞬く間に新人達は尊敬の眼差しを送る様になった。


「騎士の真骨頂は集団戦だが、間違ってはダメだ。一人の剣が戦局に変化を齎す事もある。過信は罪だが、個人戦の腕を磨くのは思わぬところで役に立つ」


 木剣を振るう新人達に次々と歩み寄り、それぞれに見本を見せる。


 一度剣を置き、じっくりと魔獣との戦闘経験を伝えた。そこには自身の自慢話など無く、客観的な事実のみを口にする。


 疲れの残る訓練後も、この教導官は時間を割く事を厭わなかった。まるで追加の講習でも開くが如く、一人、また一人と参加者は増えていった。




「ディー教導官殿! 今日の剣技を私にもご教授頂けますか?」
「教導官殿は実戦時はどの様な装備を用意されますか?」
「今までで最も大きな魔獣は、どの程度のものでしょうか?」
「日常の訓練以外に行うべき事はありますか?」




 ディーは数々の質問にも嫌な顔すらせず、全て丁寧に答えていく。


 任官から3日目には、ディー自らが選抜した十数人達に特別講義すら始まった。不思議な事に剣の腕は余り考慮されていない様だった。明らかに腕の優れた者を差し置いて指名される騎士もいる。そこにも深い意味が隠れているのかと、やっかみも少なかった。


 選抜から漏れた者達も、更に腕を磨き認められるべく日々を過ごす。南限の町センに新たな風が吹き、騎士が育ち始めていた。


















 センに新たな教導官が着任する前ーー




「どうだ?」


「はい、概ね順調に推移しています。マリギ出身者は簡単に賛同に転じました。目標数に届き次第、皆を集めます」


 数年前に魔獣の襲撃を受けた街マリギは、まだ記憶に新しい。出身者もいるし、親族の遺体すら回収出来ていない者も多い。 


 子飼いの情報官から手渡された紙には、賛同者の氏名、所属、階位、更には人格や過去等が網羅されている。家族構成や魔獣からの被害は丁寧に調べてあり、動機の信憑性や裏切りの可能性すら明記していた。


「聖女の存在をどの様に捉えているか……ふむ、難しい定義だが良く調べてくれた」


「恐れ入ります」


「明日までに選抜しておく。マリギ周辺への配置を加速しなければならない。時間は有限だ……分かっているな?」


「勿論です……しかし、ユーニード様自らが表に出るなど……わたくしでも、誰でも当て込む事は?」


 ユーニードはあっさりと頭を振った。


「駄目だ。皆が言う所の主戦派の代表が捕まる……それが重要なのだ。ましてや、既に疑われているよ。聖女を試した日の足取りも探られているのは間違いない」


 カーディル陛下もアスト殿下も聡い方々だ、ましてやクイン=アーシケルもいるのだ……呟くユーニードには王家に背を向けた後でも忠誠は残っていた。


「油断と時間がいる。聖女をもう一度使い、マリギ奪還を成すのだ。マリギが奪還出来るなら我が故郷もとなるのは必然だろう。魔獣を恨み、故郷を追われた者は余りに多い。王都に流れる浮ついた噂もそれで消し飛ぶ」


「……私はどうすれば……」


「気にする必要など無い。私はすべき事を行い、魔獣の断末魔を牢獄で夢見るだけだ。直接魔獣どもを殺せない事だけが心残りだがな」


 俯く情報官にユーニードは答え、感情を見せない声で次の指示を出し始めた。


 物資や武器の配分、最も重要な[燃える水]を疑われる事無く配置する指令書、邪魔になる可能性がある人員を遠ざける作戦、全てを完結させてカーディルに会いに行かなけばならない。そして最期の具申を行う。カーディルは受け入れないだろうが、ユーニードの意地でもあった。


「よし、頼んだぞ。ディオゲネスは何処に?」


「外円部です。夕刻には来るように伝えています」


「そうか」


 頭を下げる情報官に背を向け、部屋からユーニードは出て行った。




















 廃屋の崩れた天井から月が見える。


「ユーニード」


 それでも僅かだけ月を見続けたユーニードは、ゆっくりと振り返った。


「こっちだ」


 ディオゲネスに先導され、奥まった柱の影にある部屋に入って行く。其処だけはしっかりとした壁も扉も残り、蝋燭の灯りも外には漏れ出ていない。


 扉の奥には、思いの外片付いた部屋があった。


 低めのテーブルには酒と干し肉や乾燥した果物が用意されていて、簡単な宴会でも始まりそうだ。


「待たせたか?」


「いや、元々此処は俺が使う隠れ家の一つだ。いくつかの装備や金を集めていたら貴様が来た。それだけだ」


 見渡せば床の板が何枚か剥がれている。定番だが、其処に隠してあったのだろう。


「では準備は出来ているな?」


「ああ、命令書は受け取った。今更餓鬼の相手など笑えるが、まあ面白い考えだな」


「リンスフィアでは……王都周辺ではお前の素性が明るみに出る可能性がある。ケーヒルあたりに見つかる訳にもいくまい。かと言ってマリギにいきなり配置は出来ない。あそこなら先ずは大丈夫だろう。それに、新たな仲間を募る事も出来る」


「ふん、聖女の居場所は分かったか?」


「いや、不明だ」


 言いながらもユーニードは懐から折り畳まれた書類を取り出した。


 無言で受け取ったディオゲネスは、酒とツマミを片手に読み進めていく。そこにはマリギ奪還に到るまでのあらゆる準備と、行うべき事が簡素に纏められていた。ユーニードも部屋に入って初めてグラスに手を添え、酒を口内で転がし始める。


「……貴様がその身を犠牲にするとは意外だな。魔獣の悲鳴を聞きたいとは思わないのか?」


「私が表に出れば警戒は薄れるし、聖女も姿を現わすだろう。その時、再びリンスフィアに戻り決行しろ。見つからなくともマリギ奪還は進める。大勢の尊い犠牲に世論は動き出し、再び機会が巡ってくる。その為の下地はもう作った」


 リンスフィアで起きた聖女降臨は、ユーニードに思った以上の衝撃を与えた。放っておいても噂が独り歩きを始め、王家に迫るのも時間の問題だった。聖女を隠せば隠す程良かったのだ。だが、聖女が子供の命を救い慈愛を示した事で流れに変化が起きたのだ。


 優しい光、治癒の力、自己を省みない献身、それに加えて可憐で儚い容姿は、聖女の偶像を決定付けてしまった。正攻法で魔獣との戦闘に連れ出すなど今は困難と言っていい。


 まさに聖女にしてやられたのだ。


「神々の使徒である聖女の全てを知る事など不遜なのだろう。だが、時間を余り掛けては不利になる。お前は好きにやればいい」


「ふん、俺は大義など気にはしない。時が巡れば魔獣を殺す、それだけだ。だが、少しは貴様の手に乗ってやるさ。もう一度会う事があれば、魔獣の断末魔くらいは詳しく教えてやる」


 恐らく、生きて会う事はない……二人は確信を持っていたが、それを言葉にしなかった。


 ディオゲネスが騎士団を追放され、再び顔を付き合わせた二人だが相容れない壁があった。だが今宵、初めてグラスを合わせ無言の乾杯をする。友情でもなく、敵でもない。ユーニードとディオゲネスを結び付けた魔獣への復讐心はカタチとなろうとしていた。


 前もって受け取っていた命令書を見るディオゲネスに、簡易な文章と押印された紋章が目に入ってきた。




 そこにはこう綴られている。




 ーーセン訓練所にて特別教導官を命ずる


 ーー直ちに任官し、騎士育成に尽せ


 ーー教導官としてあらゆる権利を付託する


 ーー教導官名  =ラズエル


 ーー承認者 ユーニード=シャルべ




 二人はこの時まだ、カズキがマファルダストと共に居る事を知らない。リンスフィアから逃げてテルチブラーノから南の森へ向かう事も、マリギから遠く離れて行く事も。


 アストの指示で、ケーヒル率いる部隊がセン付近に配置される事も知らなかった。


 テルチブラーノに聖女が現れたという噂がリンスフィアに届いたのは、ディオゲネスが発ってから直ぐの事だった。

















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