黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

37.マファルダスト⑤

 














 元々は丘の上に数軒の家と斜面に果樹が並ぶ普通の田舎の村だった。


 しかし西の貿易を担う街が森にのまれ、人の生存圏は少しずつ後退していく。丘の上にあった村は監視にも防衛にも適していた事から、騎士達の拠点の一つとなった。騎士が常駐する事で整備も進み、今では人口1,000人以上を数える西の要所へと変貌したのだ。そのため周辺にある村々の避難所の役割も担っている。


 森はまだ見える距離にはないが、西側の丘は削られて魔獣の被害を抑えるよう形を変えていた。石垣と木組みで監視塔が立ち、丸太を削った杭を地面に打ち込んで壁としている。


 丘の反対側に馬車が多く並べてあるのは、万が一の撤退用だろう。魔獣が群れを成して攻めて来たら、騎士が時間を稼ぎ住民は逃げる。それはまさに決死の戦いだ。


 こんな危険な前線と言っていい場所から離れ、リンスフィアに閉じこもれば良いと考える者もいる。


 だが、人の営みは巨大な都市が一つあれば成り立つものではない。生きていくために必要な物資は、こうした村々などで生産されている事を知らない者の戯言だろう。そしてその土地を離れたくない人の心は、他人に推し量れるものでもない。


 隊商マファルダストの一行が間も無く到着する町、テルチブラーノはそんなところだ。






 ロザリー達が進む道の両側には馬の繋がれていない馬車が並んでいる。人影が見つからないのは夕方から夜へと変わる時間だからだろう。 


 視線の先には緩やかに丘へ登る道と、中腹に見える小さな門がある。守衛と言うよりは人の出入りを管理する入門管理といった場所だ。門の手前に広場が設けてあり、そこに馬車等を預けてテルチブラーノに入る。


 広場にゆっくりと入って行くロザリー達に大きな声ががかかった。


「ロザリー! 久しぶりだな!」


「ん? うげ、爺さんまだ生きてたのかい!?」


「当たり前よ! お前の乳を思う存分味わうまでは死なんと言っただろう?」


「爺さんに触らせるような安い身体じゃないんだ、死んでからもう一回来るんだね!」


 もう結構な歳のはずだが、腰も曲がらず槍を持つ腕もたくましい。若い頃に魔獣と一戦交えたとの話も案外本当なのかもしれない。ロザリーにとっては会う度に胸を触らせろと煩い爺さんでしかないのだが。


 うんざりしながら馬に止まるよう誘導して御者台から飛び降りる。


「爺さん、いつもの通り馬車を頼むよ。まぁ盗むような物なんて何も積んじゃないけどね」


「おうよ、今回は西で狩りか?」


「まあね、何か情報はあるかい?」


「いーや、特にないな。いつもに比べると狼が多いらしいが、それだけ獲物も多いって事だ。マファルダストなら大丈夫だろう」


 答えながらも御者台から軽やかに飛び降りて来た子供を見て眉を少しだけ顰めた。


「ロザリー、こんな子供を連れ歩くとはお前らしくないな。どうしちまったんだ?」


「爺さん、詮索はなしだよ。 色々と事情があるのさ」


 カズキの頭まで被ったマントを整えながら、ロザリーははっきりと答えた。ロザリーの身体に合わせたマントはカズキを頭からすっぽりと覆い、まだ余る程だ。僅かに黒髪は見えるが、夕闇では誰も気付きはしない。


「ふん、じゃあ一揉み……」


「ブン殴るよ爺さん」 


 両手をワキワキしたがら下らない事を言い出す爺様にロザリーはピシャリと返した。


「仕方ねえ……では、ようこそテルチブラーノへ」


 マファルダストは西の町にようやく到着した。






「フェイ、少しばかり任せるよ。この子の服を揃えて来るから、宿で合流しよう」


「わかりました、こちらも簡単に用事を済ませます」


 ロザリーはカズキを連れて服飾の店を目指し歩き出した。新品などなかなか手に入らないが、下着位はなんとかしたい。そんな事を考えながら歩けば直ぐに馴染みの店に到着する。


 リンスフィアとは比較にならない規模の町だ。 すべてを回るのに1日も要らない。


「あら……ロザリー、久しぶりね」


 真っ白な個人宅に見紛うドアをくぐると、棚中に大量の衣服を収めた部屋が目に入る。棚を整理していたのだろう、恰幅の良い女性が振り返った。厚手のエプロンにはマチ針や鋏などが綺麗に並んでいる。裁縫師でこの店を一人で切り盛りする女性だ。


「エレナ、久しぶり。しかし相変わらず服に埋もれた店だねぇ、その内に服で家が崩れるんじゃないかい?」


 着古した服などを組み合わせる、あるいは修繕して再び店先に並べる業態は一般的で、エレナの店の名でテルチブラーノでは知られている。


「もう閉めるところだよ、文句を言うなら明日にしておくれ」


「おっとすまないね、でも明日は勘弁しておくれ。今日はこの娘の服を揃えたいんだ」


 背中を押されてロザリーの後ろから現れたカズキを見ると、エレナも険しい顔を崩し笑顔になった。


「あら、綺麗な子ね。ロザリー、なんて格好をさせてるのよ」


 そんな事を言いながら、体に合っていないマントを取ると案の定エレナは絶句する。


「エレナ、何も聞かずに見繕ってくれる? あと下着も欲しいの」


「あんた……コレ……」


 フルフルと震える指で刻印を指差して、交互にロザリーとカズキを見る。分かってはいた事だが、ロザリーは溜息をついた。




















 マファルダスト一行はリンディアと町が斡旋する宿屋に分散する。買い物を終えたロザリーはフェイやジャービエル、リンド達数人と宿屋併設の食堂に来ていた。


 カズキはブラウンのカーディガンとミントカラーのロングフレアスカート、首回りには大判のふわふわのストールを巻いて完全に女の子の装いだ。ついでに熱の入ったエレナにより髪に櫛も通されて、本来の美を取り戻していた。思い切りロザリーの趣味が入った可愛らしさは周囲の注目を集める。


 道行く皆やリンドどころか、フェイやジャービエルまでがポケッと口を開けているのはおかしかった。








 カズキの食事を合わせて注文したロザリーは、少しだけ離れた席でフェイと向かい合わせに座った。


「明日はいつも通りに野営地で準備だ。聞くと猪や兎はよく獲れているらしいし、罠も用意しないとね」


「はい、罠の材料は先程追加を頼みました。明日の出発前には届く予定です」


「そうかい、ありがとうフェイ。」


 礼を言いながらもロザリーは考えてしまう、リーダーに見合うのはフェイではないかと。実際に今のマファルダストはフェイが支えていると言っても過言ではないのだ。


「……他の連中の体調はどうだい?」


「問題ないですね。寧ろ良過ぎるくらいで、今夜羽目を外さなければいいですが」


 苦笑しながらも少しだけ真面目な顔をしてフェイは続ける。


「これも聖女様のご加護でしょうか? 怖いくらいですよ」


「確かにねぇ、わたしも朝起きた時の違いにはびっくりしたよ……」


 まさか本当に……? 冗談半分で始めた会話だったが、今日の旅路すら疲れが少ない気がしてきた。


 思わず離れた席にいる聖女、カズキを見た二人の眼には隣に座るリンドの姿も映った。そして、その有り得ない光景が目に入ってきて二人の感情が抜け落ちる。


 あの馬鹿、いやリンドがカズキの肩に手を回して酒を飲ませていた。












、ほらお酒おいしいよ?」


 飲みの席で肩に手を回されるのは、男同士ならよくある事だ。ほぼ初対面の男としては馴れ馴れしいとも思うが、気にする程でもない。それよりも手渡されたグラスに入っているのはウイスキーの一種だろうか、ハーフロックと呼ばれるカズキ好みの酒だった。それは大きめの氷を入れたグラスに酒と水を同量入れた、味と香りを柔らかに楽しめる飲み方だ。


 スモーキーな香りは本当にウイスキーなのかもしれない、カズキは思わず小さな唇をグラスにつけようとしていた。


 ちなみにこの世界では、特に飲酒に関する法律などはない。しかし外見年齢が12,3歳の子供、ましてや女の子に飲ませるのは非常識なのは間違いない。しかも癖のあるウイスキーらしきものを飲ませるなど、リンドは馬鹿か間抜けか非常に格好悪い。下心も満載で鼻の下は伸び切っているだろう。


 舐めるように濃い琥珀の液体に口を付けたカズキの目は見開かれた。カズキが言葉を発したなら「うまい!」といったところだろう。


 すぐにふた口目を舌と喉で味わうカズキ。


 肩に組まれた手は身体をサワサワと撫でているが、酒に夢中でカズキは気付かない。おまけにグラスを渡して空いた手はフレアスカートの上に置かれている。服の上からでも柔らかい感触と体温を感じて、リンドは他人に見せられない顔になった。






「おい、リンド……何をしてる……?」






 地の底、いや血の底から響くような声はロザリーの唇から漏れた。


 はい?と振り返った間抜けな顔をロザリーはブン殴った。


 ゴッ……!


 ガチャーン!!


 床に倒れたリンドを冷たい目で見下ろすと、フェイに怒りの命令を出す。


「フェイ、この馬鹿をなんとかしろ。 出来ないならココに置いていく」


「はい」


 ズルズルと襟を持ちながら外に引っ張っていくフェイを見ながら、ロザリーは怒りの熱を口から排出する。熱い溜息がこぼれたがイライラは落ち着いたりしない。


 今のロザリーの心情は、可愛い娘に手を出された父親といったところだろう。


 大丈夫かと振り返ってカズキを見たロザリーに更なる衝撃が襲う。一滴も逃さないと、両手で持ったグラスを思い切り傾けた聖女の姿を見れば誰でもそうなるだろう。グラスには既に液体はなく、氷に纏わり付いた最後の酒精を味わっている。ちなみに殴られたリンドには全く興味がないようだ。


「こ、こらー! カズキ駄目でしょ!!」


 母親、今度は間違いなく母親の叫びを発したロザリーの声に、カズキはビクッと身体を揺らしてトロンとした目を向けた。


 グラスを毟り取ったロザリーは情けない顔をして、空になったグラスを見つめるしかない。


 溶けて丸みを帯びた氷がカランと転がって鳴った。












 怪我をしていた手や破れた服からも酷い目にあったのではと気を揉んでいたが、気の所為な気がしてくる。もしかしなくても、とんでもないお転婆聖女なのだろう。いや、そもそも本当に聖女なのだろうか? 今わかっているのは噂とそれに見合う容姿だけで、それ以外聖女らしき姿を見たわけではない。


 今も真っ赤な顔をして、テーブルにあった野菜を指で摘んで食べている。一般的なイメージである上品で慎ましやかな聖女とはかけ離れた所作だ。 


 それが益々ロザリーの母性をくすぐっているが、本人は気付いていなかった。


「はあ……」


 カズキから奪ったグラスには勿論酒は残っていないが、溶けた氷水を煽ってテーブルに置いた。


 カズキの真似をして野菜を指で摘んで食べると、カズキがジッとロザリーを見ている。


「なんだい? お行儀が悪いのはお互い様じゃないか……」


 言葉が通じないのは不便だねぇ……酒癖の悪さも注意出来やしないよとカズキの頭を撫でた。




















 食事を終えたロザリーとカズキが果実酒片手に焼き菓子を味わっていた時、食堂の外が騒がしくなった。


「なんだい、こんな時間に……」


 二人の時間を邪魔された気がして、ロザリーはイラつきながら外に出た。


 外の喧騒を見たロザリーは、ほんの僅かだけ酔っていた頭が嫌でも覚醒する。


 肩に担がれた男が3人程引き摺られるようにこちらに向かって来るのが見える。腕や足、首から出血している、あれは大きさから言って狼の咬み傷だろう。 


 丁度三軒程先に治療を行う場所がある事から、仲間らしき男達が必死に声を掛けていた。 


「……! アイトール、アイトールじゃないか!?」


 ロザリーは見知った顔を見て思わず駆け寄る。よりにもよって首を噛み切られ、口元からも血が垂れている。意識は僅かながらにあるようだが、血の気を失った顔と紫色の唇は深刻さを嫌でも感じさせる。別の隊商とはいえ、同じ森人として切磋琢磨してきた同期と言っていい仲間だった。


「なんてこった……」


「若いのを庇ったんです……ヘマしたのは若いのだってのに……」


「くそっ!! 代われ!」


 ロザリーは必死の形相で担ぎ手を無理やり代わり、アイトールの肩を支えた。


 もう少し先だと前を向いたロザリーの目の前に小さな影が映った。


 左手の包帯は無く、僅かに赤い液体が垂れている?


「カズキ! 中で待ってな!」


 酔いの回った赤ら顔でジッとロザリーの黄金色の瞳を見ていたが、何かを納得したのか頷きアイトールとロザリーに向かい歩いて来る。


「カズキ! 邪魔だ!」


 思わず怒鳴ってしまうロザリーを僅かに見たあと、赤い液体に濡れた左手をアイトールの首に添えた。






 闇に包まれていた路地に、淡く輝く白い光が滲んでいく。






 そうしてリンスフィアで起きた奇跡が再び、テルチブラーノに顕現した。













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