黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

33.マファルダスト②

 


















 ノックの音でロザリーは目を覚ました。


 何か夢を見ていた気がするが、ぼやけた意識にはもうその記憶は残っていないようだ。


「姐さん、そろそろ時間です」


 扉の向こうから落ち着いた声が響く。


「ああ……フェイ、ありがとう。直ぐに降りるよ」


 起き上がったロザリーは机にあるペンダントを見て、その足で椅子に掛けてあるジャケットを手に取った。


 少しだけ汗臭い気がしたロザリーは手にしたジャケットをベッドに投げて、洗面室にある水桶に手拭いを漬ける。厚手のシャツとブラを外して上半身を拭く姿が鏡に映ったが、顔に涙の跡が見えて苦い葉を噛んだ様な顔をする。


 かなり大きいと言っていい胸は、重い上に汗も溜まりやすく好きではない。フィオナに乳を飲ませていた頃は、大きい程沢山飲ませてあげられそうと嬉しかったものだが、今は邪魔と思っている。片胸ずつ持ち上げて簡単に拭くと再び衣服を整え、扉を開けて階段を降りた。






 広間兼食堂では、それぞれが装備を整理したり確認したりしている。水などは今から積み込む様だ。


 ロザリーも棚に整理された自身の装備を引っ張り出して最後の確認を始める。


 殆どが師と言っていいイオアンから教わり揃えている品々だ。


 木を削り出したカップ、アルコールランプ、固く縒り合わせたロープ数本、テント代わりにもなる大判のマント、大小ナイフを纏めたベルト、小剣、手斧、防寒着各種、革手袋、何種類かの布類、後で水を入れる革水筒、その他火付け石等の小物、それらを纏める背負袋に効率良く詰め込んでいく。


 個人の森人の場合は他にも食糧や着替えもいるが、隊商の場合は大型の馬車が追随するため、都度入れ替えたり補充出来る。


 一通り再度の確認を終えると、他の森人達を見回す。


 ロザリーの目に昼に騒いでいたリンドの姿が目に入り声を掛けに行った。


「リンド、用意は大丈夫かい?」


「あ、姐さん、大丈夫です。さっきフェイさんにも確認して貰いましたし、自慢の剣もバッチリです!」


 かなり大振りと言っていい剣は新品で、装飾の美しい鞘に収まっている。思わずフェイを見たロザリーだが、首を振る彼に放って置く事にする。


 森人は騎士と違い、まさに森の深部に入るのだ。大きい剣は重量と相まって邪魔にしかならない。振り回す場所すら殆どなく、魔獣には全く意味がない。近距離で魔獣に遭遇すれば、逃げるか死ぬかだ。まあ、道中に出会う狼などには多少なりとも役に立つだろう。使えなくて森に放り投げる姿さえ思い浮かぶが、これも勉強か……ロザリーは生温かい目ではしゃぐ若者を見る。


 しかし昼に比べると少し大人しく感じるが、まあ悪い事じゃないか、とそれも捨て置く。


 再び見回して全員の用意が終わっているのを確認したロザリーは、元宿屋らしい一段高いステージに立った。森の脅威もなく交易が活発な時代は、このステージも本来の使い方をされていたのだろう。考えても仕方ない事だが、ふと旅人達の姿を幻視する時がある。


「よし、皆準備はいいね!今回は一月程の森巡りだよ。西では狩猟組に思い切り働いて貰うから、楽しみにしてな。この季節なら穴蔵から出た獲物が面白い程いるだろうさ、ただ狼達も狙ってるから気合い入れていきな!」


「おう!!」「おっしゃー!」「新調した弓が唸るぜ!」「俺の尻に間違って射るなよ!」「ああ!? 誰がお前の汚ねえケツなんて狙うかよ!」


「うるせえ! 全く真面目な話も出来ないのかね? 誰だよコイツらのボスは?」


「「いや、あんただから!!」」


 毎度のお約束を終えるとロザリーは、空気を変えて静かに話を始めた。


「いいかい、今回は南にも行く。全員知っての通りイオアンの爺様もやられたかもしれない森だ。ククの葉も霊芝も取り放題だが絶対に油断するんじゃないよ。余裕があれば爺様達の痕跡も探す、これはアスト殿下からも頼まれてるからね」


「「おう!!」」


「さて、いつもの事だが確認だ」


 ロザリーは全員を見渡して、最後に初めてマファルダストの本業に着いてくるリンドを見た。


「魔獣に遭ったら採取した全て、背負袋も装備も全部だよ? 全部捨てて逃げるんだ。戸惑う事は許さない、守れないなら私がこの剣で刺す。そして逃げ切れないと知ったら大声で皆に知らせて、時間を稼ぎな」


 最後だ……そう呟いてロザリーは一度だけ目を瞑りもう一度黄金色の眼を開き続ける。


「誰が魔獣に襲われても助けには入るな、勿論わたしも例外じゃない。振り向かずに走る、それは見捨てるんじゃない。生きた証をリンスフィアに連れ帰るんだよ。帰ったら家族や知り合いに言って聞かせる仕事が待ってるからね」


 今度は声を誰一人出さず、全員が頷きそれを自らに課す。リンドは少し青白い顔をしてはいるが、目を逸らす事なくしっかりと頷いた。
























 マファルダストの面々が出発の途に着いた頃、リンディア城ではカーディルとアスト、クインが顔を合わせていた。カーディル親子の手にはクインが纏めたノートが手渡されている。相変わらずの見事な筆致を褒めたくもなるが、内容は何一つ面白くはない。




「陛下、恐らく間違いないと」


「……ああ、そうだな」


 カーディルは何かを悟り、そして落胆した。


「ユーニードがカズキを利用する、か」


「間違いないのか……? ユーニードは長年に渡ってリンディアを支えてくれた忠臣なんだぞ……?」


 アストは信じたくないのだろう。幼少の頃は、勉学の世話をしてくれた教師でもあったのだ。 アストにとっては小さな頃から知る忠臣の中の忠臣、それがユーニードなのだから。


「殿下、まだ証拠がある訳ではありません。状況だけはそれを指し示していますが、直接関与した何かを見つけたとは言えないのです」


「……ユーニードが変わったのは気付いていた。息子のアランが魔獣にやられたのが2年前か……それでもユーニードなら立ち直ってくれると信じていたが、マリギ奪還のアレは……」


「カズキが拐われた日の足取り、その前後を調べるよう情報部へ指示頂けますか?」


「ああ、わかっている。アスト、カズキはまだ見つかっていないのだな?」


「はい、未だに報告は受けていません。何より大々的に探す訳にはいきません、主戦派にカズキの足取りを追わせる事になりかねませんから」


 ふむ、そう呟いて顎髭を触るカーディルは暫し黙考した。


「城下の噂を打ち消す事が出来れば良かったが、もはや遅きに失したか……ましてや今日の出来事はそれを決定づけてしまったな」


「陛下、一つ提案があります」


 クインは相談役として、またカズキを愛する一人としてカーディルに考えを伝える。


「言ってくれ」


 クインは少しだけ頷いて、アストを見た後言葉を紡ぐ。


「噂を上書きしましょう。今流れて……意図的に流されている噂は、魔獣との決戦を促すものです。カズキは戦う力を持つのではなく、あくまで怪我や傷付いた心を癒す聖女。戦いを憂いている彼女は日々人々を想っていると。何より……それが真実なのですから」


「隠さずに広く知らせるか……」


「今日のカズキの行動はそれを裏付けてくれます。偶然だと思いますが、それは主戦派にとっても予想外だったのは間違いありません」


「確かに……彼等はカズキをいかに引っ張り出すかに苦心していただろうからな。カズキの意思が分からないのに決めたくはないが……」


 アストはカズキの存在を勝手に決めてしまう事に、今でも抵抗があった。だが、結局はカズキを守る事も出来ずに傷付けてしまった。あの地下室で見た惨状はアストに暗い影を落としている。


「……カズキは一人の少女ではいられなくなります。アスティア様の妹ではなく、聖女として歩き始めるでしょう。しかし主戦派の動きを牽制し、時間を稼ぐ必要があります」


 稼いだ時間で主戦派と決着をつけろとクインは言っているのだ。 


「それしかないか……ユーニードが関わっているかは別として、明らかな作為を感じる以上止めるしかない。神々の加護を受けた聖女の行動を、只人ただびとの悪意で曲げるわけにはいかないからな。そして我らが正しいかは神々が決めて下さるだろう」






 カーディルの決断により、主戦派との戦いは明確になった。リンディアの長年燻っていた暗闇の火を、カズキと言う存在が表へとあぶり出す事になる。




 全ては後の世が証明するだろう、カーディル達の想いが正しかったかを。




























 ロザリーはフェイと道中に回る村々を確認していた。暗闇の中ランプに照らされた地図は絶えず更新され、少しずつ人の生きる場所が減少しているのを如実に表している。このままなら遠くない未来、人は姿を消すだろう。 


 森の周辺には街も村も存在しない。まだ森にのまれてはいなくても、いつ魔獣が現れるともしれない場所には住めないのは当たり前だ。


 中継地となる村々は行程の半分程度でなくなり、後は野営を繰り返すしかない。


「姐さん、西部はまだ良いですが南部は苦労するでしょう」


「ああ、南部と一言で言っても広いからね。イオアンの爺様は何処を廻ってたかね?」


「ご存知の通りココとココ、それとこちらもです」


 地図を指し示すフェイの指を見ながらロザリーは決める。


「爺様なら……多分ココだね、間違いないよ」


「何故わかるんです?」


「何処に何を取りに行くかは森人にとって生命線だけど、爺様は哲学を持っていたんだ。今の時期は樹液が不足するだろう?それは勿論より深部に行かなければならない季節だからだけど、それを座して待つのは良しとしない頑固者だがらね……」


 ロザリーの目には悲しみと、イオアンへの誇りが見えてフェイは一瞬言葉に詰まった。


「……姐さんがそう言うなら間違いないでしょう。では行程に加えます」


「ああ、頼むよ」


 馬車の周りでは、マファルダストの皆が最後の荷造りをしていた。大筋の行程は決めてあったが、細かな場所の指定はギリギリになる。天候や魔獣の動向、それこそ小さな噂話すら重要なのだ。数日前に決めても変更はザラで、マファルダストは出発日にロザリーが決める事にしていた。


「よし! 準備はいいね!」


 宿営地には森人達の家族も集まりまるで祭りの様だが、もしかしたら生きた姿を見るのは最期かもしれない……それを知る皆に浮ついた空気などはない。


 心配な気持ちと、誇りを持って見送りに来ている。いつも見る風景だが、その荘厳な美が陰る事などあるはずが無い。


 人々はただ懸命に生きている、その美しさに神々は加護を与えるのだから。










 マファルダストは今、リンスフィアを旅立つ。


 その懐に小さな黒髪の少女が抱かれていたが、それが何を生むのかまだ誰もわからない。


 馬の嗎と車輪が地面を蹴る音は、リンスフィアからゆっくりと離れていった。



















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