黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

19.妄執と暗躍

 
















 燭台に灯された火は、部屋とそこにいる人間を照らしている。






 軍務長室では白く染まった髪を薬料で撫で付けた初老の男が、多くの書類に目を通していた。  痩せた体に不釣り合いな鋭い眼光は、見る者に威圧感を与えるだろう。


 南部地域での被害状況をあらゆる角度から確認し、効率的に回復をしなければならない。  限られた資源を最適なところへ配分する、それが男の職務だった。




 南部での被害は厳しいものだった。だが騎士達の復帰もひと段落した事で、ほかの事に手を付ける事も出来るだろう。


 さらにその南部では森人も一組行方不明らしい。  無い事ではないが珍しくもある。  彼らは森の専門家であり、騎士達とは違う知識と経験を持つ。  しかし森の近くで背負袋も見つかっており、森で魔獣に襲われたのは間違いないだろう。  


 その男は次々と起こる問題に指示を与えるべく、書類に書き込みを入れていく。


 書類のいくつかは再び担当官に返して再考させる必要があるが、概ね予定通りと言っていい。




 目頭を押さえ首を回転させて疲れを少しでも無くす。  


 それを繰り返してきたが 、今は入室してきた部下の話を聞く時なのだろう。 軍務長室に2人の男が向かい合っていた。












 軍務長ユーニード=シャルべは、執務室に来た軍務情報官から報告を受けていた。


 彼は若い頃から鍛えた腹心で、信頼出来る者にある調査を依頼していたからだ。


「どうだ?  何かわかったか?」


「はっ。残念ながら不思議な程に情報は伏せられています。  どうやらアスト殿下自らが、緘口令を敷いている様です」


「殿下自らが……?」


 ユーニードは、顎を指で支えて暫し考えるが答えは出なかった。


「なぜ、1人の少女にそこまでする必要がある?  仮に殿下の想い人だとしても、隠す理由にならない」


 この時代は血統をそこまで重んじない、いやそんな余裕はない。  リンディアの血は勿論大事だが、妃にまでそれを強く求めたりはしない。  現王カーディルの妻アス王妃も、元は町娘だったのだから。


「何かあるのか……?」


 ユーニードも少しだけ興味がある程度で、そこまで深く考えていた訳ではない。   しかし緘口令を敷くとは尋常な状況ではないだろう。  リンディア王家には忠誠を誓っているし、尊敬もしている。  カーディル陛下もアスト殿下も民を想う立派な王族なのだ。  だが何かが引っかかっている。


「軍務長、噂話をお耳に入れるかどうか悩みますが、お聞きになりますか?」


 ユーニードは、思考を止めて耳を傾ける。


「ああ、何でもいい」


「先日、南部の森で起きた被害ですが……」


「死傷者も出たあれか。  命を落とした騎士達には、白神に抱かれる事を祈るしかない」


「はい。   あくまで噂話ですので、そのおつもりで」


「わかっている。 話せ」




 軍務情報官の話はこうだ。




 城下の治癒院に神の使いが現れ、 血を流し運び込まれた騎士を光る手で癒した。
 闇に溶ける様な真っ黒な少女で、その姿はまるで亡霊のようだった。
 致命傷に思われた台車に横たわった騎士は、何も無かったかのように立ち上がった。




「ふん……。  よくある怪異の話か?  だがそれだけではあるまい?」


 ユーニードは、目の前の情報官が有能であると知っている。自らが育てたのだから。


「はい。  暫くすると、治癒院に人が訪れた……と。    アスト、アスティア両殿下、クイン様、侍女エリの方々です」


「……ほう。  噂話としてはいまいち出来が悪いな」


 その様な目立つ登場人物がいれば、直ぐに裏が取れてしまうだろう。


「その治癒院にいらっしゃったのか、事実はわかりません。ただ、お二人を含む4人が城を出たのは間違いないと」


「……その目撃された少女に、何か特徴があるのか?」


「いえ、なにぶん暗かったので、髪の色も顔も分からなかったようです。ただ濃い色の、星空をあしらったワンピースを着ていたと」


 殿下が連れ帰った少女は、珍しい黒色の髪だった……らしい。


「いや、だからこその噂話とも考えられるか……。  殿下が連れ帰った少女など、格好の噂話の材料になろう」


 やはり、ただの噂話か……。   そう考えをまとめかけたユーニードに情報官が重要な話をもたらした。


「治癒院にいた者は、わかっています。   典薬医見習いのクレオンだそうです」


「クレオン……。 確か会った事があるな。  典薬医長と一緒にいた……」


 ユーニードの記憶には、ブラウンの癖毛の気弱そうな青年の顔がはっきりと思い出せた。


「少しだけ話を聞いてみるか。  大した手間でもない」


「はっ」


 独り言ではあっただろうが、情報官は律儀に返事をした。












 最近、クレオンは同僚から心配の声を掛けられる。


 ボーっとしていたり、王城を飽きずに眺めたりしている。


 だがクレオンは申し訳ないと思いながらも、治せるとは思わなかった。   病名は明らかで、ククの葉のように効く特効薬などないのだから。


 その病の名は、"恋の病"   と言った。




 クレオンにとってあの夜の事は、忘れられない出来事だった。


 運び込まれた騎士、吹き出した血、何も出来ない自分。


 夜の闇に溶ける様な髪をなびかせ、現れた少女。


 僅かな香油の香り、淡い光、その美しい相貌。


 自らを顧みないその誇り高き精神。


 全てが今もそこにある様に感じる事が出来る。  一度だけこの胸に搔き抱いた小さな体を、今も思い出し心が震えている。
 ……群青のワンピースから僅かに見えた、その中も。


 時間が解決してくれるのだろうか?  誰にも話せないからこそ、気持ちは募るばかりなのだろう。


 だからクレオンは、今日も城を眺めている。














「クレオン! お客様だぞ!   大変な方だ。急いで行って来い!」


 薬草を種類毎に並べて数量を確認していたところ、いつも嫌味な典薬医長の声にクレオンは振り返った。


「大変な方ですか?」


 まさか、あの娘だろうか? そんな事を思っていたら、典薬医長からその解説があった。


「軍務長のユーニード様だ!そこは後でいいから急げ!」


「ユーニード様……? 」






 早足で応接室に向かう。ただユーニードと話す事など自分にあるとは思えないクレオンは、疑問符が頭に浮かんだままだった。




「失礼します。  クレオンです」


 軍の長たるユーニードにどう話しかければ良いかわからないクレオンは、とりあえず無難なセリフを言って応接室に入った。


「ああ……クレオン君。職務中に済まないね。近くに来たから用事を終わらせたいと思ってね」


 噂では血も涙もないユーニードと聞いていたクレオンは、その柔らかい物腰に少しだけ肩の力が抜け席に着いた。


「いえ、大丈夫です。   あの……僕に何か……?」


「いやいや、そんなに緊張しなくていいよ。   先日の南部での被害の確認をしててね。  人手も足りないものだから、私まで引っ張り出されてしまったよ」


 ははは……と頭を掻きながら笑うユーニードに、クレオンはホッとしていた。










「騎士2人は回復と。 いや助かったよクレオン君。   殿聞いてはいたけど素晴らしいね」


 ユーニードはここで仕掛けた。  クレオンに反応が無ければそれでいい……、 重要な事はユーニードが関係者と思わせる事だ。ユーニードは一言もアストの許可があるとは言ってはいない。


 そしてクレオンはユーニードの思った以上に反応を示した。


「素晴らしいなんてものじゃないですよ!   正に聖女です!2人の騎士様は助かる筈のない怪我だったのに、まるで御伽噺のような白く光る手で癒したのですから!」


「……ほう、そんなに凄かったのかい?  確か……黒髪の?」


「そうです!   黒髪の聖女です。  美しく若葉色の瞳、なにより刻まれた刻印!   その慈愛の精神は心を掴んで離しません」


 刻印だと……?  そうか、だからクインを……ユーニードの中で全てが繋がっていく。体から湧き上がる強い気持ちを何とか抑えながら、クレオンを更に煽る。


「……やはりそうか。  本当は国を挙げてお礼を言いたいけどね……何処にいるのかな?」


「アスト様とアスティア様が来られて、連れて帰られましたよ?  きっとアスト様が側におかれているのでしょう……」


 ユーニードはクレオンの嫉妬を感じたが、そんな事はどうでもよかった。


「そうだったね。 私も近くでは見た事もなく、会ってなくてね……いいなあ……クレオン君は城に入るのを見たのかい?」


「勿論ですよ。 最後までお見送りしましたから」


 ユーニードは自分の悲願を、息子の仇を嬲り殺す手段がすぐ近くにある事を知り、全身が震えるのを抑える事は出来なくなった。


「……ユーニード様?  大丈夫ですか?」


「ああ、勿論大丈夫だとも。  クレオン君


 急に怜悧な空気を見せ始めたユーニードに、クレオンは一瞬見間違いかと思った。


「それでは」


 そのまま振り返ることもせずに立ち去ったユーニードを、クレオンは呆然と見送った。




















 自室に帰ったユーニードは、僅かに灯る蝋燭の炎で最愛の息子からの手紙を読み直していた。




「アラン……。  いよいよだ。  お前を殺した魔獣共に裁きの鉄槌を下す時が来た。  奴等を一匹残らず消し去ってやる」






 妄執に駆られたその目は、炎の光を浴びて爛々と輝いていた。





























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