ぼくの初恋は、始まらない。第2章

さとみ・はやお

第17話

水曜日の朝、通学路の途中で、高槻たかつきさおりは昨夜の妹みつきとの話し合いの結果を、ぼく窓居まどい圭太けいた榛原はいばらマサルに話してくれた。

みつきが神様に願って付与した、これまで約四年にわたって高槻を悩ましてきたテレパス能力について、高槻は神様に返還してほしいという言いかたはあえてせずに、すべてみつきの判断に任せると告げたのだ。

相手の心を読み取る努力を、みつきに求めて。

自分の本心をダイレクトに伝えるかわりに、相手が本当はどう考えているか、相手の立場になって感じとることを高槻は妹に望んだのである。

妹は、その意味をちゃんと理解してくれたと高槻は言う。

中町なかまち駅に着いたぼくたちは、やってきた私鉄電車に乗り込んだ。

車中で。高槻が話の続きをした。

「しばらくはそんな感じのシリアスな話が続いて、場の空気が重くなっちゃったわ。

なので、その後は話題を変えて、榛原くんや窓居くんのことを話したりしたの。

その話題はわたしのほうからふったんだけど、そうしたらね、みつきちゃんがとっても積極的にのってきちゃって……」

そう言いながら、クスッと笑う高槻。

うっ、ちょっとイヤな予感を感じる。もしかして……。

「みつきちゃんが、日曜日、窓居くんとふたりきりになったときの話をしてくれたのね。

窓居くんのスマホの壁紙のこととか……」

やっぱり、あの⚫︎  ⚫︎ことでビンゴじゃないかよ!

こりゃ参ったなぁと思って、榛原のほうを見ると、ニヤニヤ笑いをしてやがる。

まったく! きみのことも言われているのに。

高槻が続ける。

「前にもわたし、榛原くんと窓居くんって、ホームズ=ワトソンばりの名コンビって言ったこと、ありますよね。

あのふたりって、よくやおい系の同人誌ではカップルみたいに書かれているんですけど、みつきちゃんの話を聞いて、そうかそうか、連想したのも当然なんだわと納得しちゃいました」

それを聞いてぼくは絶句してしまった。
一方、榛原はずっとニヤニヤしていた。

【そうかぁ、あの時に高槻さんに感じた腐女子臭は、気のせいじゃなかったんだな】と、今さらのように気づいたぼくだった。

「ああ、安心して。もちろん、この秘密は他の誰にも絶対話したりしないから。約束するわ」

いやいや、そもそも事実じゃないんで!(心の叫び)

さらに高槻は話を続けた。

「実は昨日初めて知ったのだけれど、みつきちゃんって、わたしと似たような趣味があったんです。

ふだんお互いの部屋とかのぞくこともなかったから知らなかったけれど、みつきちゃんはわたし同様、BLのコミックを相当数集めていたのね。

しかも彼女、同人誌情報とかはわたしよりずっとくわしいみたいで、具体的な作家さんの名前とか教えてくれるんです。

それによると、榛原くんたちは森亞亭もりあてい先生描くところのBLコミック『ホームズ責め✖️ワトソン受け 禁断のタッグ』に出てくるホームズ=ワトソンによく似ているんですって。

その作品のホームズって、珍しく榛原くんみたいなメガネ男子なの。これも萌えポイントだって、みつきちゃんが言っていたわ。

彼女、冬のコミケットまでわざわざ買いに行ったというその本を、さっそくわたしに貸してくれたので、読み始めたところよ」

そんな作家とか作品名とか、知りませんがな。

というか、姉妹そろって妄想好きな腐女子、いやもう貴腐人レベルまで行っちゃってなくね?

まあ、ふたりともリアルな恋愛とずっと無縁のまま育ってしまったようだから、妄想世界の住人になってしまったのも無理ないとは思うけど。

要するに、ぼくと榛原は、高槻姉妹の妄想趣味の
ネタというかオカズなのだった。

「わたしたち、その話題でしばらく盛り上がって、時間が経つのも忘れてしまったわ。

そして、夏のコミケには、ふたりで行こうってことにもなったし。

姉妹なのにこういう言い方はちょっと変だけど、趣味がばっちり合って意気投合してしまったの。

考えてみればそれも、いい話題を提供してくれたおふたりのおかげね。
どうもありがとう」

いやいや、こちとら話題を提供したつもりはないんですけど。感謝されたら当惑するばかりだって。

「みつきちゃんに言われたの。

『榛原さんたちとは、これからもずっと仲良くしてね。
そして【榛窓コンビを観察する会】を結成しましょう』って。

結局、わたしとみつきちゃんってこれまで、本当に熱中できる対象がなかったんたと思うんです。

でもこれからは、ひとつの観察研究テーマが出来て、姉妹の結束が固まったの。

とっても有意義な話し合いだったわ」

そう言って、高槻は満足気に笑った。

ぼくたちは返す言葉もなかった。

とはいえ、榛原はもともと気にしてさえいなかったというべきか。

ぼくひとりだけ、モヤーッとする感情をかかえたまま、ふたりと一緒に電車を降りて学校への道のりをたどった。

ああ、昨日同様、ぼくの生存パワーが確実に削られていく……。

こうなれば、あとはこのネタが新聞部の香坂こうさか睦美むつみあたりにまで流出しないことを願うばかりだ。

⌘       ⌘       ⌘

昼休みの時間になった。例によって、ぼく、榛原、高槻、そして美樹みき先輩は中庭で昼の憩いを楽しんでいた。

高槻が美樹先輩に声をかける。

「おとといはわたしの相談にのっていただき、ありがとうございました。

おかげさまでその後、妹とじかに話し合いをもつことができました。

わたしたち、共通の趣味があることもわかって、一気に距離を縮められました。

何事も、口に出して話をするのにまさることはないですね。

貴重なアドバイス、本当に感謝しています」

高槻がそう言って頭を下げると、美樹先輩もうれしそうな表情になった。

「そうか。それはよかった。妹くんが自分から話し合いたいと言ってきたってことだね」

「はい、そうなんです。あれだけ妹が素直に自分のことを話してくれたのは、初めてでした」

「これで、妹くんは孤立した状態から、ようやく脱出したということだ」

「そうです。それに妹は、これまで敵意を持ってしか見ていなかった榛原くんや窓居くんのことも、認めるようになってきました。

いえ、むしろ彼らともっと仲良くなったほうがいいとまで言ってくれたのです」

「そうか。そこまで妹くんの気持ちは変わってきたんだ。その理由は、何なんだろうね」

その問いに、高槻は一瞬、返答に詰まったが、やがてこう答えた。

「ええっと、そうですね……。

そう、妹はこれまで、男性を自分にとって忌まわしいもの、好ましくないものとしかとらえていなかった。

それはもちろん、彼女が抱いている、男女交際、恋愛に対する嫌悪感、恐怖心からだったと思います。

けれど、わたしと話し合っているうちに、榛原くんたちが恋愛感情のようなものというよりは、純粋な友情からわたしと向き合っていることを知って、自分もその輪の中に入れるんじゃないか、むしろ入りたいと思うようになったのではないでしょうか」

「うむ、そういうことなんだろうな。男と女としてむこう岸にいる状態ではなく、まず同世代の友達として理解し合うことから、ほんとのコミュニケーションが始まるんだと思うよ」

高槻はさすがに頭のいい女子だけあって、かなりきわどい、ぼくたち男子の内側の事情(もちろんそれは、彼女の誤解によるものなんだが)をたくみに伏せて、うまく一般化した話にまとめてくれた。

これがもし高槻でなければ、とんだ暴露話になりかねないところだった。深く感謝しないと、である。

と、ぼくが思っていたところ、

「だから、今度ぜひ、先輩にもこの輪の中に入っていただきたいと思っています。
いかがでしょうか、先輩」

という、メガトン級の爆弾発言が高槻の口から飛び出た。ぼくはあやうく飲んでいた缶コーヒーを吹き出すところだった。

「おお、それはまことに素晴らしい提案だな。
先輩もその仲間に入れてくれるのか。うんうん、異存などあるはずもないぞ」

見ると先輩はただでさえ大きい瞳を極限まで見開いて、うるうるさせている。

うひゃー、高槻姉妹プラス榛原ぼくという四人組ならとりあえず問題はないなと思っていたところに、美樹先輩が加わることでどのような化学反応が起きるのか、見当もつかなかった。

このような言動をとるところを見ると、高槻、意外とド天然なところがあるのかも。

不安顔でぼくは榛原のほうを見た。
榛原の顔には、こう書いてあった。
「大丈夫だ。問題ない」
いやいや、問題大ありだと思うが?

とはいえ、現実的にはしかたないだろう、とも思う。
高槻のひと付き合いに壁やら垣根やらを作らないという考え方、それ自体はごくまっとうと言えるので、あとは問題が起きたときにいかに対処するかなんだろうな。

「では、近いうちに先輩を高槻くんの自宅にでも呼んでくれたまえ。
もちろん、榛原くんや窓居くんも一緒に」

「はい、喜んで」

高槻と先輩の間でそう話がまとまったところで、ちょうど午後の授業の予鈴が鳴った。

「じゃあ、きょうは吹奏楽部の日だから、放課後もよろしくな」

先輩のその言葉で、ぼくたちの昼の集いは終了となったのだった。

⌘       ⌘       ⌘

吹奏楽部の練習を終えて、長峰ながみね部長はその日参加した全部員の前で、トレードマークの赤縁メガネを直しながらこう言った。

「いよいよ、卒業式まで2週間あまりとなった。残る練習日は今週金曜日、来週の2回、再来週の2回、計5回だ。5回目は、吹奏楽部と管弦楽部合同のリハになる。

各パートともかなり仕上がって来ているようだが、より完全な仕上げのため、今後は全体練習をいったんおやすみにして、パートごとにトップの人が他の部員の指導にあたっていただきたい。
いわゆる、ブラッシュアップってやつだ。

ひとりのみのパートについては、わたしが直接指導にあたらせていただく。よろしいかな」

これに対して全員が低い声で「異議なし」と呼応した。

わが部はこういうとき(だけ)は、妙に規律正しいんだな。感心してしまうぜ。
これもやはり、部長の几帳面なキャラクターのたまものなんだろうか。

さて、次回からはしばらくパート内での指導ということになったわけだ。
ということは、ぼくと榛原のふたりだけでチューバのパートをやっているのだが、この実力の似たりよったりのふたりでテキトーにチェックし合えばいいってことか。やったぜ、楽勝じゃないか。

と喜んでいたら、部長がいきなりぼくと榛原のほうを向いて、キリッとした口調でこう言った。

「チューバのふたりは、まだまだ改善の余地があるな。
よし、わたしがきみたちを直接指導するからな」

あいやー、そんなー。先日、転入生である高槻を入部させて高得点を稼いだつもりだったのに、それとこれとは別問題だと言わんばかりだった。やれやれ。

一方、高槻は当然ながらフルートパートのトップ、美樹先輩に指導を受けることになった。先輩のテンションの上がること、上がること。

「こうなったら、部活日だけでなく、毎日個人授業でもいいぞ、高槻くん」

と鼻息を荒くしているが、高槻以外のフルート奏者から、

「そんなの不公平ですよー、美樹先輩。高槻さんばかりひいきしちゃー」

とブーイングを受けて、当然だが先輩のもくろみはご破算となる。

それを見て苦笑しながらも、あと2週間でわれら吹奏楽部の花の舞台、卒業式なんだな、気合いを入れねばと、ぼくは実感したのだった。(続く)

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