ぼくの初恋は、始まらない。第2章

さとみ・はやお

第4話

夢を見た。見たのはもちろんぼく、窓居まどい圭太けいただ。

気がつくと、ある場所に立っていた。夜とも昼ともつかない曖昧な明るさだ。
周囲は白いもやのようなものでつつまれていて、ほとんど視界がなく、自分の足元の地面しか見えない、そんな状態だった。

ある方向から、声が聞こえた。女性のものと思われるのだが、かなり低く抑揚のない声だった。

「圭太よ、窓居圭太」

その一言に、ぼくはハッとなった。そして、声のした方向を向いて、誰かいるのか目をこらした。視界は相変わらず朦朧としていて、何も見えない。

声が再び発せられた。

なんじに問う。ここにひとつの神籤みくじがある。それは、他の者の心を見抜く力を汝に与うる籤である。これを汝は欲するか、いなか」

どこか聞いたことのある口調、そう、先日の稲荷神社の神様によく似ている。ほんの二週間ほど前、ぼくはその神様とチャネリングする姉を介して言葉を交わしたのだったが、その神様らしき方が、いまぼくにどんな用なのだろうか。

「汝のことは、汝の姉より常々聞かされておる。いま汝の姉はかつての汝への執心しゅうしんを解いておるが、汝の行く末を案じておることに変わりはない。
それもあり、われは汝のことも常に見守っておるのじゃ」

そうか、生きながら神の使いとなったわが姉しのぶは、いまやぼくへの偏執的なブラコン感情は消えたものの、ぼくがどんな恋愛をすることになるのか、常に気にかけていてくれてるし、彼女が仕える神様も、また同様だというのだ。

神様の声は、続く。
「汝はその血筋ゆえに、われの使いとなりうる気根きこんを有しておる。もし汝が望むならば汝を神使とし、汝の望む力があるならば、われはそれをしんぜよう。いかがなりや」

ぼくは、その突然の提案にとまどわざるを得なかった。
神使としての能力、それは常に神とのホットラインを持ち、人間の力では到底かなわないことを神の力により実現できる、そういうことだ。

たしかに、それは素晴らしい、凄いことのような気がする。
しかし、身近にお姉ちゃんの例を知っているぼくとしては、それが必ずしも自分に幸せをもたらすものではないということも知っている。
稲荷の神様は、先日こう言った。はっきりと。

「われとてひとの心を変えることは出来ぬのじゃ。汝の心を変えられぬように、汝の姉の心を変えることも出来ぬ」

結局、神様がどんなに後押ししてくれても、人がどの相手を好きになるのかは、変えようがないというのだ。
だから、たとえ神使の能力を授けられたところで、こと恋愛においては、それは勝利の決め手にはならない。

先ほど神様が語った「神籤」というものがもたらすテレパス的能力も、相手が自分をどう思っているかを知ることが出来ても、相手が自分を好きになるよう誘導する、みたいな使い方は出来ないのだ。

が、その一方で、もしかしたら、そのテレパス的能力を身につけることで、今回高槻たかつきさおりが陥っている苦境を救うヒントを得られるかもしれない、そうも考えた。

だが、それが自分にとって果たしていいことなのかどうかというと、かなり疑問が残る。現に高槻は、その能力ゆえに、たいそう辛い思いをしているではないか。

しばらく黙って考えた末に、ぼくはもやの向こうの声に、こう答えた。

「せっかくのありがたいお話ですが、いまのぼくには、その力をうまく使う自信がありません。遠慮させてください」

またしばらくして、神様の返答が聞こえた。

「そうか、いたしかたない。この力は、その持ち主にとっては過ぎたる重荷となることが、ままあるからの。
必要となったならば、また申せ。さらばじゃ」

そう言ったあと、いきなり目の前が真っ暗になった。

⌘       ⌘      ⌘

気がつくと、目覚まし時計のアラームがせわしげに鳴っていた。7時をとうに回っている。ヤバっ、起きなきゃ!

そう、きょう木曜日からぼくは、友人榛原はいばらマサルと共に、高槻さおりの登校に同行しなければならないのだ。

慌てて制服を着込み、朝食もそこそこに、家を飛び出した。
お姉ちゃんが、
「あらあら、昨日までは始業ぎりぎりまで寝ていたお寝坊さんが、きょうから急に早起きになったのね。変われば変わるものだわ」
と驚いているのをしり目に。

本町ほんまち駅まで全速力で走って、私鉄の車両に駆け込んだら、ちょうど目の前に榛原がいた。
ヤツは笑みを浮かべながら、野球の審判の「セーフ」のポーズをした。

上町かみまち駅までの車中で、いまだ記憶に生々しい、先ほどの夢の意味を考えた。
あれが単なる夢であって神のお告げなどではないと考えることも出来る。
だが、夢にしてはあまりに理にかなった流れから察するに、本物のお告げであるようにも思えた。

いざというときには、稲荷の神様の力を借りるのもありだろう。だが、まだ早いような気がする。
今はこの話を自分ひとりの胸の中にとどめておこう、ぼくはそう考えた。

⌘       ⌘      ⌘

高槻の自宅前、彼女は7時50分の約束時間きっかりに門前に現れ、第一回の集団登校となった。
高槻はきょうから学生鞄のほかに、フルートのケースも携えていた。

8時10分ごろ学校に着くと、ぼくと榛原はさっそく一階上の二年生の教室まで行き、吹奏楽部の部長、長峰ながみねはるかに高槻の入部の件を伝えた。

「ほんとうに転入生が入部してくれるの? あんたたち、やるじゃん。よしよし」
と、ふだんは厳しい後輩指導で知られる部長も、思わぬ朗報に顔をニンマリさせた。

日頃ぼくたちは、あまり部活に熱心でないテキトーなヤツら扱いされているけど、これでだいぶんポイントが稼げた感じだ。

「高槻さおり、吹奏楽部入部!」のホットニュースは、昼休みまでに学校中を駆け巡ったようだ。
昨日すでに「超弩級の美少女、一年B組に転入!」というビッグニュースが全学に報道されていたのだが、その続報ということになる。

その証拠に、ぼくと榛原、そして高槻の三人が昼休みに中庭で過ごしていると、十人あまりもの男子生徒が入れ替わり立ち替わり、それも同級・上級関係なく、
「高槻さんがお前たちふたりの勧誘で吹奏楽部に入ったってマジ!?」
と、確かめに来たぐらいだ。

事実とはちょっと違うんだがね〜と思いながらも、高槻本人の代わりにぼくと榛原が「まあ、そんなとこだね」とお茶を濁しておいた。
それを聞いて、
「くっそー、高槻さんをうちの部に勧誘しようと思ってたのに。先を越された!」
と、歯噛みして悔しがった生徒が何人もいたのは、言うまでもない。

⌘       ⌘      ⌘

さて、いよいよ放課後となった。ぼくたちは高槻を伴って、音楽教室に入って行った。ここは、弦楽部と日替わりで交互に、吹奏楽部の練習場所として使わせてもらっているのだ。

正面の大きなホワイトボードには、
「高槻さおり君、吹奏楽部へようこそ!」という文字がデカデカと書かれていた。

そして、その前に仁王立ちした部長が、赤い細縁眼鏡を直しながら、こう言った。

「わたしが部長の長峰だ。よくぞ、吹奏楽部に入部してくれた。われわれは全員、全力できみをウェルカムするよ!」
そうして、高槻に握手を求めて来た。

予想以上に熱い部長の歓迎ぶりにいささかとまどいながらも、高槻は部長と固い握手を交わしたのだった。

「さて、高槻君にはきょうからさっそく練習に加わってもらうわけだが、高槻君はフルートパートとのことなので、君のためのトレーナーを既に決めてある。
わが部のトップフルーティスト、私と同じく二年の美樹みきみちる君だ」

さっそうと、という言葉がふさわしいだろう、部長の後ろに控えていた美樹先輩が、セミショートカットをかきあげるようにして高槻の前に登場した。

美樹先輩は、目鼻だちがやたらくっきりしていて、可愛いとか綺麗とかいう形容を通り越して、カッコいいというのが最適な形容の、マニッシュな女性ひとだった。人呼んで「池高いけこうのオスカル」。
女子生徒の人気は図抜けていて、去年のバレンタインでは、男子を抜いて一番チョコをもらったというレジェンドがある。
もう、彼女の背景には、一面の薔薇が咲き乱れているように錯覚してしまうよ。
あ、あと池高というのはぼくたちの通う私立池上いけがみ高等学校の略称だからね。

美樹先輩はさっそく高槻を、まるで社交ダンスで紳士が淑女をリードするように、優しく肩に手を回して、こうささやくように言った。

「大丈夫だよ。学校にはまだ慣れてないと思うけど、この美樹が完全サポートしてあげるから」

高槻もなんだか頬を染めて、上気している。

それを見て、榛原が溜息をつきながら言った。
「やれやれ、伏兵は意外なところにいたな。
われわれのモリアーティは、どうやら美樹先輩だったようだな」
ぼくもそれにうなずいて、続けた。
「ああ、とりあえずオトコのトラブルは回避出来そうだが、今度は別の問題が発生しそうだな」
「ま、それでもつまるところ、高槻さん自身の望むことであれば、俺たちがとやかく言うことでもないけどな」
「まったくだ」

その後、その日の部活は、約一か月後に近づいた三年生の卒業式で演奏する予定の「仰げば尊し」などの定番曲を、二時間近く練習して終わりになった。

帰りはもちろん事前の打ち合わせ通り、ぼくと榛原が高槻にささっと歩み寄り、まるで刑事たちが容疑者を連行するように左右をがっちりガードして、三人でその場を離れた。

部活後の「お世話」役もしっかり期待していた美樹先輩はあとに取り残され、あっけにとられて「あら〜」という彼女らしからぬ情けない声を上げていた。してやったぜ。

帰り道、 高槻にきょうの部活について聞いてみる。

「高槻さん、吹奏楽部の人たちの印象はどうだった?」と、ぼく。
「とても親切でいい人ばかりだなと思いました。心底歓迎されているのがわかって、本当に嬉しかったです。
あと、共学校のわりに女子が多いんですね。三分の二くらいでしょうか」と高槻。
榛原が答える。
「そう、そんな感じだね。男子はあまり根気強くないやつが多いんで、入って来ても数か月でやめていくことが多い。結果、今のような男女比になった。
チューバみたいな大型の楽器はさすがに男子がほとんどだけど、フルート、トランペットあたりは明らかに女子が大半だな。
ところで、美樹先輩みたいな人は大丈夫かな、高槻さん」
「え? ああ、あのオスカルっぽい先輩ですね。わたしは全然大丈夫ですよ。一年近く女子校にいましたから、ああいうタイプのかたは何人も見たり、関わったりしていますし。免疫は出来ています」
「それを聞いて、少し安心したよ。高槻さんが禁断の世界に目覚めちまうんじゃないかと心配してたぜ」と、榛原。
「それは、断じてありませんって」と、高槻がきっぱりと言い返す。

そう、実際に目覚めちゃったのはうちのお姉ちゃんなんだよなな。免疫がないってのはこわいな。

高槻は微笑みながら、こう付け加えた。
「それに、これまで特に言ってなかったかもしれませんが、わたしのテレパスとしての力は、男性にしか効かないんです。
女性の心の声は、まったく聞こえません。だから安心して、同性とはかかわることが出来るんです」

その言葉は、とても重要かつ不可欠な情報だった。
なぜそこに気が付かなかったんだろう。ぼくたちは、しばし言葉を失った。(続く)

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