ぼくの初恋は、始まらない。第2章

さとみ・はやお

第1話

ぼくは現在高校一年だが、新年に入って三学期ともなると、クラス内にも公認カップルとでも言うべき男女ペアが何組も出来てくる。朝は一緒に登校、昼休みも一緒に食事、下校時も一緒、そんなラブラブぶりをクラスメートに平気で見せつけるような連中が。

正直うらやましいよ、失恋しかしたことのないぼくとしては。早くそういう彼女を見つけて、リア充組に仲間入りしたいもんだ。

でも、その一方でぼくはこうも思うのだ。高校在学中に彼女を見つけないとダメ、卒業後見つけるのは無理というなら急ぐべきだけど、いまや百年とまで言われる長い人生、そんなに急いで相手を決めなくたっていいんじゃないかって。
まだ十代の若さで、一生を共に過ごす伴侶を確定しなくたっていいよな。

「でもそれって酸っぱいブドウ、負け惜しみじゃん」というツッコミが、各方面から来そうだな、当然。
はいはい、その通りですよ、ま・け・お・し・み。

それにカップルたちだって、そのお相手ひと筋ってわけじゃなく、しょせんはお試し期間ぐらいの気軽さで付き合っているんだろうしね。

ぼくだって、せめてこれまで告白した相手のうち、たったひとりでも首を縦に振ってくれていれば、こんなボヤキなんかしないぜ。

ぼくの名前は、窓居圭太。東京都内在住の、とある私立高校に通う一年生男子だ。
ぼくは中学入学以来、三年間で三十人の女子に告白して、全戦玉砕してきたという経歴の持ち主だ。
ぼくの初恋は、いまだ始まっていない。

しかし、先日の稲荷神社の事件以来、ぼくは少しだけ気が楽になった。それまでは、自分のほうに問題があるから女の子に拒否されてしまうのだと思っていたところ、実はぼくの姉が稲荷の神様にお願いして、ぼくの恋愛を妨害していたことがわかったんだから。

傷心の中学時代を終えて高校へ進学してからは、ぼくは告白にはものすごく慎重になって、この十か月ほどは誰にも告白していなかった。

というのは、中学時代までは気になった相手にすぐ告ってしまう悪いくせがあったけど、同じ中学出身で高校でもクラスメートの榛原はいばらマサルに、高校入学したばかりの頃、こうアドバイスされたのだ。

「圭太は、相手のことをよく知らない、あるいは自分をよく知られていない段階で女性に付き合ってくれと迫るから、ドン引きされちまうんだぜ。もっと相手のリサーチや自分のプレゼンに時間をかけなきゃ。現代の恋愛はデータ戦、頭脳戦だからな」

榛原は銀縁眼鏡を光らせ、多くの女性のデータが詰まっているに違いないスマホをちらつかせながら、ご高説をのたまうのだった。

もっとも、榛原が恋愛の実戦で輝かしい戦績を収めたとは聞いたことがない。ただデータ収集にだけ、長けているような感じもするけどね。

それでも、榛原の言うことには一理があるから、ぼくはそれに素直に従って、一年前よりは告白に極めて慎重になった。

ところが、今回の事件以来、姉の愛情の向かう先が、ぼくから他に曲がりなりにも移ることで問題が解決し、ぼくにも恋の勝機が訪れる可能性が出て来た。
よっしゃあ!って感じだ。

だからといって、恋のチャンスはそうすぐにやって来るわけじゃない。稲荷神社の事件後、数週間は何事もなく過ぎた。

三学期の定期試験も終わってのんびりした気分の、二月中旬のある日、その時もぼくと榛原は、同じ部活、吹奏楽部の練習を終えた後にダベっていた。榛原が例によって情報通なところを披露する。

「そう言えば、栗田先生からの情報なんだが、明日俺たちのB組に転入生がやって来るそうだぜ」

栗田先生というのは、数学の先生で、ぼくらのクラス担任でもある、三十代半ばの男性だ。

「へえ、三学期の途中なんて時期に転入生なんて珍しくないか? どういう事情なんだ」
「先生はさすがにそこまでは教えてくれなかったな。だから、俺のネットワークを駆使して、情報収集した」
「おまえはシークレットエージェントだな、まるで」

榛原がかき集めた情報によると、その転入生は女子で、うちの高校とは私鉄で二駅ほど離れたところにある、いかにも良家のお嬢様が通うようなミッションスクールから転入するのだという。
中学時代は公立に通っていたので、その頃の情報はかなり正確に把握できている。容姿、学力ともに、かなりハイスペックだそうだ。
彼女にまつわる最大のエピソードはといえば、中学の三年間で百人を下らない人数の男性に告白されたが、そのすべてをフッたというものだった。

「失恋王の圭太とは、およそ対極の存在だな。しかも、三倍以上のスケールときたもんだ」
「やかましいわい」

どんなスーパーお嬢様なんだか。あるいは、難攻不落の高飛車女か。

「どのみち、そんな転入生がやって来たところで、ぼくらが太刀打ち出来るわけないな」
「そうかな、わからんぜ、俺たちの予想する通りのタイプとは限らないぜ、会ってみないことには。俺としては、彼女がなぜそこまでの行動をとるのか、人間学的な興味があるけどな」
「そんなものかねぇ。ぼくとしちゃあ、そんな攻略難度マックスな子なんて、失恋31人目の記録更新は必至だから、はなっからパスだな」

そんな取りとめのない会話を交わした後、ぼくたちは学校を出た。

ぼくの家は高校のすぐそばにあって、三、四分で着いてしまうのだが、その日は榛原に誘われたので、学校に近い私鉄T線の本町駅付近まで足を伸ばして、界隈をぶらぶらと流してみた。

われわれ高校生でも問題なく出入りできる遊び場、ゲーセンの前を通りかかったところ、ふと気になる光景に遭遇した。
ぼくの通う高校のとは明らかに違う制服を着たひと組の男女が入口近くにいるのだが、ふたりはどうやらもめているようなのだ。

「なあ、あのふたり……」
そう榛原に声をかけようとしたら、榛原も先刻承知と言わんばかりに、
「ああ、俺も気になってたんだ。行くか」
と、さっそく彼らに近づこうと、一歩踏み出した。
一方、男女高校生のほうは、はっきりと揉め事を感じさせる様相になってきた。男子が女子の腕をつかみだし、女子は露骨にいやだというリアクションをしている。

男子の方は、見かけは不良っぽい雰囲気はなく、わりと普通のルックスだ。前髪を少し長めに伸ばしたストレートヘアで、黒縁眼鏡をかけている。
対して女子は、近づいてみるととんでもない美少女であることに、ぼくは気づいた。中背よりやや高いぐらいの身長ですらっと細身、黒髪ストレートロング、肌は透き通るように白く、目鼻立ちといったら、そこいらへんのアイドル歌手が真っ青になるレベルの完璧さだった。
とりわけ長いまつ毛と澄んだ大きな瞳、細くすっとした鼻すじ、小さくまとまった唇、どれひとつをとっても、ぼくが16年あまり生きてきた間に会った女性で、ぶっちぎりで一位の美少女だった。もちろん、ぼくが告白してフラれた女の子たちの誰よりも。

「すみません、お取り込み中のところ。何かありましたか」
あくまでも丁寧な言葉遣いで、まず榛原が声をかけた。
ぼくもそれに続けて、こう言った。主に女子に向けて。
「お困りのことでもあれば、相談に乗りましょうか」

相手男性がいかにもな不良っぽいヤツであろうが、一般人ふうであろうが、最初は下手に出て、相手の出方を見る。これがトラブルのベストな対処法だと榛原はいつも言っている。
そのセオリー通りに榛原は行動し、ぼくもそれにならった。自分はあくまでも冷静さを保って、相手のスキを見極めるのがポイントなんだとか。

それにしても榛原のふだんの言動を見聞きしていると、こいつは本気でCIAにでも就職しようとしているんじゃないかって思うよ。

榛原がさらに続けた。
「お見かけしたところ、おふたりとも、ここ地元のかたではないですよね」
男子は、一瞬たじろぎの表情をあらわにした。

「うーん、男性のかたはわたくしのあいまいな記憶によれば、となりの区の私立R学院高校の生徒さんのようですね」

おやおや、言葉遣いまでふだんの「俺」から、「わたくし」に変わってやがる。それにしても、歩くデータベース榛原、となりの区の高校の制服まで知っているのな。情報通にもほどがある。

男子は、どうも榛原が推測した高校名が正解だったようで、なんの返事もない。

「わたくしの数少ない知人のひとりですが、R学院理事長の子息、井狩武史君とは懇意にしておりましてね、あの学校は礼儀正しい生徒ばかりだとうかがっておりますよ」
そう言って、意味ありげな微笑を浮かべる榛原。

男子はといえば、青ざめて、どう返していいのかよくわからないといった当惑の表情しかなかった。厄介なヤツらに絡まれた、そう思っているに違いない。
第三者から見たら、ぼくらのほうがタチの悪い不良みたいに見えていたかもな。
まあこの際、問題解決のためにはそのくらいの汚名は覚悟しないといけない。

その間、女子の方はずっと言葉を発することなく、不安げに男性三人の様子をうかがっていた。大きな瞳を曇らせるようにして。口元も心なしか震えている。

ようやく、男子がこう口を開いた。
「ぼく、彼女にどうしても聞いて確かめたいことがあったんです。でも、彼女を怯えさせてしまったようなんで、きょうのところはあきらめます」

「そうそう、それがいいですね。紳士的な態度が一番ですよ、男性は。彼女も感謝すると思いますよ」
榛原はそう言って、まだ未練があるのか女子のほうを振り返りながらゲーセンを出て行く男子に、手を振っていた。
しばらくすると、彼の姿も見えなくなった。

「さてと」
手をはたきながら、榛原は女子に向き直った。
「おつかれさまでした、お嬢さん。」
「腕、つかまれていたようだったけど、大丈夫ですか」
ぼくも、女子に尋ねた。
「あ、ありがとうございます。腕は大丈夫です。なんとお礼を申し上げたらいいのやら」
清らかに澄んだ、少し高めの声だった。

「いやいや、礼にはおよびませんって。まあ、相手が紳士的なほうだったからよかった。もし、腕力で来るタイプだったら、俺も拳で応ずるつもりでしたが」

いつのまにか「俺」に戻っている榛原。しかも、実は武闘派だったの、お前!?

「わたし、この町に初めて来たんですけど、あの人がずっとつけて来たんでしょうね。これからは気をつけないと、わたし、名前は……」
そう言いかけた彼女を、榛原は素早く制した。
「ダメダメ、相手が名乗りもしないうちに、自分の名前を告げるなんて。もし、俺たちがタチの悪いストーカーだったら、どうします?」
そう言われて、女子はハッとした表情になった。
「そういうこと。初対面の相手には、決して気を許さないことです」
榛原はニヤッと笑った。
美少女だけど意外と無防備なところがある彼女は、いろんなタチの悪い男に目を付けられやすい、そういうことなんだろうなと、ぼくも感じた。

その後、ぼくらは彼女を近くの本町駅まで送り届け、手を振って別れた。

ぼくは榛原に声をかけた。
「ホントに綺麗な子だったな。あのまま彼女の名前も聞かないで別れたけど、よかったのかよ」
「ああ、いいんじゃないかな。以前の圭太なら、会ったその日にでも告白していてもおかしくないレベルの子だったけど。
だからって性急なアプローチは、なにもいい結果を生み出さない。男女のいい関係は、一日にして出来上がるもんじゃない。
きょうのあの男も、そういうことがわかっていないから、彼女に嫌われちまったんだろ。
それに、もし本当にご縁があるのなら、俺らもまた彼女と出会うことだってあるさ」
「そういうもんだろうか」
「そういうもんさ」
「ふーん」
榛原は「ご縁理論」と自ら言っているのだが、われわれが偶然だと思っている人生の諸々の事象も、大半はなんらかの宿縁で導かれるものなんだそうだ。本当かいね。

もう一点、ぼくは気になったことを尋ねてみた。
「さっきお前、R学院理事長の息子とダチとか言ってたけど、本当なのか。あの男、相当ビビっていたぜ」
榛原は、胸を張って答えた。
「むろん、ハッタリだ、井狩君とは面識もない」
「ハッタリかよ!」
「だが、あの流れでハッタリと見破れるのは、男が井狩君本人であった場合ぐらいのものだ。確率論的に何の問題もない」
「すげー心臓だ!」
やはり、榛原はCIAに入るべきかもしれない。

その後、ぼくらは夕食の時間も近づいてきたので、別れを告げた。きょうは、超弩級の美少女との遭遇、そして榛原の武勇伝という二大事件が勃発したおかげで、ぼくは明日転入生がやって来るというトピックスをすっかり忘れてしまった。
翌日のホームルームの時間までは。

翌朝、ぼくが教室に入ると、いつもより教室内がざわついている。
ぼくの斜め前、すでに席についている榛原が、目配せしてくる。
「さあさあ、転入生さまのおなーり、だぜ」
そう言われて、昨日ヤツから聞いた情報がふいによみがえってきた。
そうか、転入生紹介の時間だな。いったい、どんな子なんだろ。予想通りのタカビー姫か。

まず、担任の栗田先生が教室に入り、出入口のところで控えている生徒を招き入れた。
以前いた高校のものであろう制服を着た、長い髪で横顔もはっきり見えない、やや長身の女子生徒が、おずおずと入って来て、こう頭を下げた。
高槻たかつきさおりと申します。皆さん、きょうからよろしくお願いいたします」
そう言って顔を上げたのを見ると、昨日榛原とぼくが助けた女子、その人だった。(続く)

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