ぼくの初恋は、始まらない。第3章

さとみ・はやお

第21話

榛原はいばらミミコの化身、妖女ウサコは自らの消滅という道を受け入れるにあたって、ふたつのお願いがあると申し出た。
ふたつめの願い事とは、果たしてぼく窓居まどい圭太けいたとのキスだった。

ぼくがキスを躊躇ちゅうちょするおりしも、高槻たかつきさおり・みつき姉妹の潜入が判明する。
キスをいやがるふたり、キス推進派のきつこの板ばさみとなり、困惑するぼく。
ウサコを変身への執着から解放するにはその一手しかないと、きつこはいうのだが……。

いよいよ最終話を迎えた、圭太の物語。
今度こそ初恋ゲット、なるのか?!

⌘       ⌘       ⌘

「圭太にウサコ、やるべきことはちゃっちゃと済ませておくれ」

きつこの、このリクエストにぼくほタンマをかけた。

「ちょっ、ちょっと待ってくれよ、きつこ。

もう少し、ウサコに聞きたいことがあるんだから」

ぼくの必死の発言に、きつこはこう応じた。

「そりゃなんだい。少しだけなら時間をあげてもいいから、早くウサコに聞いてくれ」

「サンキュ、聞かせてもらうぜ」

それからぼくはウサコのほうを向き、彼女をじっと見つめてこう尋ねた。

「ウサコ、ひとつだけ聞かせてほしい。

おまえはぼくとキスしたいんだろうけど、それっておまえが元のミミコに戻って、今後一切姿を現わさなくなるために、絶対に必要なことなのか?

きつこはそうだと言っていたけど、おまえ自身にもそれを確認したいんだ」

するとウサコは、溜息をひとつきながらこう言った。

「はぁ……、圭太って、ほんとに野暮やぼなことを言い出す男だねぇ。

女のあたしがキスしてって頼んでんだから、素直に受け入れりゃいいのに。

まあいいや、それも潔癖な圭太の持ち味、ひいては良さなのかもしれないから」

ウサコはそこでひと呼吸おいてから、こう宣言した。

まなじりを決して。

「マジレスしてやるよ、圭太。

それは、絶対に必要だ。

あたしは、何かしらひとりの女として認められたという手応えもなしに、元のミミコに戻るのは、まっびらごめんなんだ」

ウサコはそう、きっぱりと言ったのだった。

「仮りに何もしてもらわずに、元に戻ったとしようか。

その『願いが満たされていない』という感情がしこりのように残っている以上、遅かれ早かれ、ミミコはふたたびウサコのような姿になりたいと思うに決まっている。

ほかならぬミミコの分身であるあたしがそう言っているんだから、間違うわけがないってもんだ」

それを聞いて、ぼくは「これでは勝ち目がないな」と心の中で思った。

もうひとりの「本人」が望んでいる願いを満たしてやらずに、この一件が解決するわけもないだろう。

きつこが、口を開いた。

「これでわかったっしょ、圭太。

ウサコ本人が望み、ボクもそれが必要だと認める。

外野がいやの皆さんがああだこうだ騒いだところで、もう『王手』がかかっているのさ。

おっと、そういやもうひとりの意見を聞いてなかったな。

一応、聞いておくとしようか、あとあと文句が出ないように。

おーい、そんなとこにいないで、出てきなよ」

もうひとりって誰?

ぼくが聞くより先に、3、4メートル離れた暗い場所にひそんでいた人影が、ぼくたちの前におずおずと歩み出た。

セーラー服姿の少女、絹田きぬたまみ子だった。

そういや今の今まで、すっかり彼女の存在を忘れていたぜ。

つくづく、影の薄い子だなぁ。泣けてくるわ。

きつこは、まみ子に尋ねた。

「どうだ、絹田っち。きみはどう思う?」

まみ子は、遠慮ぎみに話し始めた。

「わたしは……本音を言えば、キスをしたらミミちゃんがわたしの手の届かない大人の世界に行ってしまうようで、うれしくありません。

でも、わたしは皆さんに、ミミちゃんを元に戻して今後一切彼女を変身させないことを誓いました。

だから、もはやそんな個人的な不満を言っている場合じゃないと思っています。

きつこさんのご判断に、わたしも従います」

そう言って、ペコリと頭を下げた。

「そうか、わかってくれたんだね。ありがとう、絹田っち。

ということで、関係者は圭太以外、全員オッケーということがわかった。

あとは、圭太次第ということだ。

きみが腹をくくるしかない」

ぼくはそれに対して、イエスともノーとも言えず、ただ固まっているばかりだった。

それまでしばらく沈黙を保っていた高槻さおりが、ふいに口を開いた。

「そ、それでもやっぱり、女の子にとってと同じくらい、窓居くんにとってもキスって大事なものだと思うんです。

それを人助けとはいえ無理やりやらせるのは、彼の意思を無視していませんか?」

きつこがそれに答えた。

「そうかなぁ、ずっとそばで観て来たボクには、ふたりがまんざらでもないように思えたんだがな。

ボクの見当違いかな。

でも問題はむしろ、さおりの意思を無視しているということだけなんじゃないのかなぁ」

そう言って、きつこはニヤリと笑った。

「そ、そ、そんなことありませんって……」

高槻は見るからに混乱していた。

そして彼女の「口撃こうげき」は明らかにトーンダウンしたのだった。

きつこは真剣な表情に戻って、高槻姉妹にこう告げた。

「さおりにみつき、きみたちはちょっと誤解をしているようだから、それを正しておいたほうがいいかな。

ウサコの存在は、きょうを最後に消滅する。

それだけでなく、ウサコの記憶は、ミミコには引き継がれない。

ミミコは圭太にキスされたという記憶を持ちえない。

だからウサコにキスするのは、空気にキスするようなものなのさ。

つまり、キスとしてはノーカウントだ。

圭太も、必要以上にシリアスに考えないほうがいい。

きみには、本物のファーストキスの予行演習だと思ってやってもらおう」

姉妹はそれに対して、何も言うことは出来なかった。

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「じゃあ、シーンファイブは撮り直しということで。

テイクツー、スタート!」

きつこに映画監督のようなキューを出されて、ぼくとウサコはふたたび向き合うかたちになってしまった。

おまけに場所も、きつこ監督の「ベンチじゃふたりが向き合うには不便だな。こちらに移動しなさい」というディレクションのもと、お馬さんの形をした乗り物(スイングというらしい)の上に変更になってしまった。

この乗り物はわりと大型で、ひとふたりが乗れるサイズなのだ。
それにふたりが向き合って騎乗している、そういう格好だ。

すぐそばにはきつこ、少し離れて高槻さおりとみつき、絹田まみ子の三人がぼくたちを取り囲んでいた。

いやはや、まさに公開処刑だな。

もしくは、まな板の上の鯉。

ぼくはそう感じた。

それでも、きつこに見られるのは、まだいい。

ぼくは彼女を異性というより神使しんし仲間としか見ていないから、恥ずかしい、見られたくないという感覚はなかった。

まみ子にしても、過去何か関わりがあったわけでないから、さほど気にはならない。

だが、過去いろいろとあったし、プライベートもしっかり知られてしまった高槻姉妹、これからもさまざまなかたちで関わりあうであろう彼女たちにこの場を見られているというのは、どうにもたまらないものがあった。

わかるだろ、その感じ?

出来る限り彼女たちのことは忘れて、集中しないと。

ぼくはそう思った。

ぼくは向かい合って座ったウサコに、視線を据えた。

「ウサコ、この二日、時間は短かったけどおまえといられてけっこう楽しかったぜ。

おまえというやつのいいところも、よくわかったし」

「あたしも圭太と知り合えたのは、この六日間、おおむね退屈だった中では唯一収穫だったよ。

ありがとう、圭太。

これで、本当にお別れだな。うん」

しみじみとした調子でそういうと、ウサコは前へ身を乗りだして、自分の顔をぼくに近づけて来た。

すっと目を閉じて。

ゴクリ。ぼくはつばを飲みこんだ。

まわりから、声にならない、押し殺した悲鳴が聞こえてくる。

思わず、周囲に目が行ってしまうぼく。

それやめて、高槻にみつき!!

内心の声を抑えるぼく。

そしてふたたび、前を見る。

ウサコとぼくの顔の距離は、わずか2センチ。そこで止まっている。

ちょっと身震いをしただけで、ぶつかりそうな近さだ。

ぼくはそこから前に身を乗り出すことが出来ず、完全にフリーズしてしまった。

1秒、2秒……。

突如、大声を上げるやつがひとり!

「えーい、じれったい! 男なら根性決めんかーい!!」

そしていきなり、どーんと背中を押された。

ぼくは前にガクッと倒れ込んだ。

一瞬、意識がふっ飛んだ。

そして、ふたたび気がつくと、ぼくの顔はウサコの顔とはすに重なり合っていた。

唇と唇が、ぴったりと重なり合うかたちで。

その状態が確実に3秒間続いたのち、ぼくはあわてて身を起こし、ウサコから離れた。

「「あーーーっ!!!」」

周囲から、黄色い悲鳴が湧き起こった。

そして、ふたたびあのゝゝ声がこう言った。

「ほら、うまくいったじゃん。

背中を押したボクに感謝しなよ、圭太」

そう、ドヤ顔で勝ち誇っていたのはもちろん、わが相棒きつこだった。

後ろ倒しになっていたウサコは、ぼくが手を引いて身体からだを起こしてあげた。

ウサコの顔は、少しだけ上気していた。

「ありがとう、圭太。

ちょっと乱暴なキスだったけど、最後にいい思い出が出来た。

これで、ほんとにほんとのお別れが出来るよ」

ウサコはそう言いながら、スイングからひょいと降りて地面に立った。

そしてまみ子に近づき、彼女に一礼をした。

「まみちゃん、いろいろあったけど、あたしはミミコに戻ってもあんたとずっと仲良くしたいと思ってる。

いいよね?」

そう言われたまみ子は、急に涙目になりながらこう答えた。

「もちろんだよ、ミミちゃん。

これからもよろしくね」

ウサコはそれに無言でうなずき、まみ子と握手を交わした。

そしてふたたびまみ子から離れてこう言った。

「それじゃあ、あたしをミミコに戻してください。

圭太、きつこ、皆さん、さようなら。

あたしは、永遠に消えます」

ウサコは、全員に向かって深くお辞儀をした。

それを聞いたまみ子は、目を閉じて小声で呪文を唱え始めた。

約一分後、長めの呪文の詠唱が終わると、にわかにウサコの全身は白い光に包まれた。

最初はぼぉっとしていたその光は、次第に強く、明るくなり、ついにはウサコ本人がまったく見えなくなるくらいまでになった。

そして一転、光は消えた。

あとに残されたのは、気絶して地面に横たわっているひとりの女性だった。

ぼくは近づいて、彼女の顔立ちや身体つきを確認した。

それは、昼間の姿と完全に同じ、榛原ミミコだった。

ぼくは、ほっと胸をなでおろした。

絹田まみ子がミミコのかたわらに立って、こう口を開いた。

「これで変身の解除は完全に終わりました。

あとは、彼女を家まで送り届けます。

皆さん、お世話になりました。

ありがとうございます」

一礼して、まみ子は軽く呪文を唱えた。

息をつくひまもなく、まみ子とミミコの姿はかき消えていた。

何ひとつ、残さずに。

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ぼくはしばらく、呆然としてその場に立ち尽くしていた。

きつこがポンとぼくの肩を叩いて、こう言った。

「おつかれ、圭太。これですべて終わったな。

ボクたちも撤収しようじゃないか。

さすがにきょうはいろいろあって疲れたしな」

ぼくはきつこにこう答えた。

「ああ、そうしよう。

でも、最後のほうですべてバタバタと片付いてしまったけど、何かひとつ忘れてしまったことがあるような気がしてならないんだ。

いったい、なんだろ?」

ぼくはしばらく考えていたが、ふと自分の身なりを見て気がついた。

「そういや元に戻ったミミコに、ジャージの上着を着せたままだった。

あいつ、ぼくのを着たまま、榛原の家に戻っちまった!」

思わず、きつこたちから失笑がわき起こった。

ぼくはTシャツ一枚のまま、家に帰らないといけない。

まったく、やれやれである。

きつこがぼくをなだめてこう言った。

「まあ、いいじゃないか。キスの対価と思えば。

そういえば、圭太がもうひとつ忘れているものがあったよ。

さっき、みつきが発見して、ボクに渡してくれたこれだ」

きつこが手にとって見せてくれたのは、ウサコのつけていた茶色の髪留めだった。

狗神いぬがみ様のおふだを包んでいた、あれだ。

ぼくがお札を取りはずしたあとは、その存在をすっかり忘れていたのだった。

「これを機会があれば、ミミコっちに返してやってくれ、圭太から」

そう言って、ぼくに髪留めを手渡ししてくれたのだった。

きつこは、自分ひとりならあっという間に高槻家に帰ることが出来るのだが、さすがに人間ふたりを連れてでは無理ということで、高槻姉妹と一緒に歩いて家に帰ることにしたと言う。

お三方とも、まことにご苦労なことだ。

ぼくたちは、本町ほんまち駅近くの大通りで、互いにねぎらいあい、別れを告げたのだった。

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ぼくがわが家にたどり着いた頃には、午前3時をとうに回って、3時半近くになっていた。

さすがにぼくも、おもに精神的な理由でへとへとに疲れていた。すぐ休みたい。

とりあえず、今も心配しているに違いない榛原に、メール一本だけ入れておこう。

文面はごくシンプルに「ワレ任務ニ成功セリ」。

それ以上の報告は、翌朝学校でさせてもらうことにして、ぼくはそのまま寝床に就いた。

翌朝も、当然のことだが、きつこの手荒い目覚ましの儀式はお休みだった。

学校に始業より三十分ほど早めに着くと、既に教室には榛原がひとり席にいた。

ぼくのことを待っていたのだろう。

榛原はぼくに気がつくと、軽く微笑んだ。

ふだんのクールな榛原には滅多に見られない、やわらかな表情だった。

そして手を上げ、こう声をかけてきた。

「よう、圭太。昨晩、というか先ほどはおつかれ様。

すべて、問題を解決してくれたようだな。

本当にありがとう、圭太」

そう言って、頭を深く下げてきたのだった。

ぼくは、軽いノリでこう答えた。

「ああ、いろいろあったけど、なんとか終わったよ。

詳しくはあとでゆっくりと話すけど、とりあえず、ミミコちゃんはどんな感じなんだ?」

「ミミコは3時過ぎぐらいだろうか、自分の部屋に戻っていたようだ。
いつものミミコの姿かたちで。

4時ごろそっとドアを開けてのぞいてみたら、いつも通り布団の中でぐっすり寝ていたよ」

「そうか。ミミコちゃんは朝起きてきて、特に変わったことはなかったか?」

「見た目も、話しかたもいつもどおりだった。

話題も、昨晩のことは何ひとつ出てこなかった。

けどな、ひとつだけ俺に聞かれたことがあった。

ミミコは、男物の黒いジャージの上着を持ってきたんだ」

それを聞いた瞬間、ぼくの体温はすうっと5度ほど下がった。

忘れてた。ヤベェ!

「ミミコはこう言うんだ。

『あれー、なんでわたしこんなジャージを着て眠ってたんだろう。まったく記憶がないの』

誰のものだろうって聞くんで、もしかしたら名前のタグでも付いていないかって言って、ミミコに調べさせたんだ。

そしたら、発見した。『けいた♡』ってタグを。

『これはたぶん、マーにいのお友だちの、窓居さんのよねぇ。

ほんと、おかしいなぁ。なんでわたしが着てたんだろ』

そう聞かれて俺も正直返答に困り果てたが、こう言ってごまかしておいた。

『ミミコ、どこかで圭太とばったり会って、ヤツから借りたのを忘れてたんじゃないのか?

で、それを夜中に寝ぼけて羽織ったんだろ。

おまえのことなら、ありそうな話だ。

それぐらいしか、考えつかんわ』

そうとう苦しいこじつけだが、ミミコはご存知のように天然なところがあるからな、『そうかなー、そんなことありえるのかなー』って首をひねりながらも、『まっいいか。じゃあ、マー兄、学校で窓居さんに返しておいてね』って俺に預けたのさ。
これだ」

そう言って、榛原は持参してきた紙袋をぼくに手渡した。

中にはもちろん、ぼくの黒いジャージが入っていた。

失せ物との、思いもかけぬ再会とは、このことだ。

それにしても、わがお姉ちゃんが付けた名前タグのせいでこんなことになろうとはな。

彼女は、洗濯後に仕分け間違いのないように、家族全員の衣料に名前を書く癖がある。

フツー、そんなの間違えないと思うけどな。

ちなみに♡マークは、お姉ちゃんがまだブラコンでぼくにご執心だった時代の痕跡だ。

いっそのこと、持ち主不明で処分されてしまったほうがよかった気がする。

こうやって戻ってくるよりも。

が、いまさらどうしようもない。

榛原は言った。

「なあ、圭太。おまえのことだから、ミミコに変なことはしていないと信用している。

でも、一応、なんでこんなことになったのか説明してくれないか」

そう言って、いつものクールな目つきでぼくをじっと見た。

別に凄まれたわけではなかったが、この時の榛原はそうとう怖く感じた。

まあ、ぼく自身の後ろ暗さゆえなんだが。

「あ、ああ、もちろん、変なことなんてしていないよ、榛原。もちろんだとも。

ミミコちゃんと公園で会った時、夜中で彼女が寒そうにしているのを見て、ぼくの上着を貸してあげたのさ。

で、うっかり返してもらうのを忘れたまま、ミミコちゃんは狸の妖怪の力で、一瞬でおまえの家に送られてしまった。

そういうことなんだ」

ミミコではなくウサコとのことだからと言い訳できなくはないだろうが、ウサコの裸の胸を見てしまったとか、キスをしたとか、さすがに事実のまま伝えるといろいろまずそうなので、そういう言いかたにならざるをえなかった。

ぼくの説明を聞いて、榛原の表情はやわらいだ。

「そうか。おおかたそんなところじゃないかと思っていたよ。

ミミコのために気遣ってくれてありがとう」

そう、榛原に礼を言われた。

よかった、納得してくれて。

ぼくは内心ホッとした。

夏場だったら、絶対通らない言い訳だったぜ。ラッキー!

榛原は続けてこう言った。

「今回のことで、俺も反省しているんだ。

ここのところ、ミミコとあまり会話をしていなかったこと、かまってやれなかったこと。

あいつにしてみれば、俺は数少ない相談相手のひとりなのにな。

もしかしたら、それがミミコ変身の遠因になったかもしれない。

今後はもう少し、あいつの相手をする時間を増やさないとって思っている」

「いや、榛原が悪いわけじゃないけどな。

でも、そうやってミミコちゃんとの時間を持つことは、大切だと思うよ」

ぼくの言葉に、榛原は強くうなずいてくれた。

そうこうしているうちに、高槻が教室に入ってきた。

彼女も、ぼくたちと例の件について話すために早く登校したのだろうか。

「おはよう、高槻さん」

ぼくたちが挨拶をすると、高槻もこう答えた。

「おはよう。榛原くん、昨日は窓居くん、本当に頑張ってくれていたわよ。

わたしと妹も見守っていたの。

解決して、妹さん、ほんとによかったわね」

「ありがとう。そうか、高槻さんたちも現場にいてくれてたんだね」

おっと、その事実を期せずして榛原に知られてしまったか。

高槻、それ以上の詳しいことは榛原には言わずにいて欲しいんだが……。

不安になったぼくがそう祈りを捧げると、それが通じたのか、高槻はぼくのほうを見て、声に出さずに口だけを動かしてみせた。

「だ・い・じょう・ぶ」

はっきり、そう読み取れた。高槻グッジョブ。ありがてぇ!

その後、ぼくたちは例の事件について少し話したが、すぐに教室に他の生徒が入って来るようになったので、その件についての話は終わりになった。

⌘       ⌘       ⌘

その日の昼休みも、例によって「中庭ファイブ」の集いが開かれたわけだが、それに先立ってぼくは休み時間にきつこを誘い、校舎裏の人気ひとけのないところでこう釘をさしておいた。

「お願いがある、きつこ。

当然のことだが、昼休みは美樹みき先輩が来るから今回の一件の話はしないで欲しいし、何よりも榛原にはウサコとの一部始終について言わずにおいてほしい。

特にアレとか、アレとか。

でないと、榛原との仲にヒビが入りかねない」

きつこは、ぼくの言っていることがよくわからないと言いたげな表情でこう言った。

「そうなの? 別にマサルっちにぶっちゃけても何の問題もないと思うんだがなぁ。

いいじゃん、こうこう言った経緯があるんでミミコっちをください、お義兄にいさんって言っちゃえば?」

「おい、ひと事だと思って! 冗談もたいがいにしてくれ」

まったく、無責任発言にもほどがあるよな。

「わかったよ、そこまで必死に言うんなら守ってやるよ、秘密は。

ただし……報酬は、高くつくよー」

そう言ってニヤリ、黒きつこになった。おおコワ。

今後に新たな不安を抱えつつぼくは、念のためきつこと指切りげんまんをしたのだった。

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そんなこともあって、その日の中庭ファイブ集会はつつがなく終了した。

放課後は吹奏楽部の活動もなく、久しぶりに予定のないのんびりした時間となった。

ぼくは、今回の件がひとまず解決したものの、実はもやーっとした思いを朝から抱えていた。

そこで、帰宅すると自室にこもり、精神を集中させて〈念〉を飛ばした。

言うまでもなく、わが相棒と交信するために。

“わざわざボクに話とか、なんだい? 問題は解決したと思うけど”

“悪いな、きつこ。ちょっと教えてほしいことがあるんだ。

ぼくはウカノミタマの神様と、直接話をしたい件があるんだ。

これまで神様とのコンタクトは、ぼくの夢の中、あるいは寝ている枕元に神様が登場するというかたち、いわば受け身でしか成立しなかった。

けれど、もしこちらから話をしに行くとしたら、どうすればいいのか教えてほしい”

“ふうん、神様に直接話をしたいとねぇ…”

きつこはどこか含みのある、反応をした。

“いいよ。教えてあげよう。その代わり、今度一対一のデートでごちそうしてくれない?”

かわいらしいお願いだった。そのくらいなら、まあ許容範囲内だ。

“はいはい、そのくらいなら覚悟しております、きつこ様”

“ありがと。じゃあ言うね。

神様は、常に同じ場所に常駐しているわけではないから、お呼びするためそれなりのアピールをして、ご降臨を待つ必要がある。

待つ場所も、どこでもいいわけではなく、少なくとも結界を張れるような、きっちりと区分けをされ、かつ清浄な環境でないといけない。

となると、やはり一番ふさわしいのは神社だ。

時刻も、余人の立ち入ることのない夜中、うしの刻がベストだ。

まずは、圭太んの近所の稲荷神社に、午前2時に行き、自ら強い念を発して神様を待つ。

そうすると、いわゆる『チャネリング』の状態になる。

圭太も、過去に見た経験があるだろ?

圭太の身に神様が降りると、自分と対話するかのごとく、神様と対話が出来るって寸法だよ”

“神様を呼ぶにあたり、祝詞のりとの類いとかは必要ないのか?”

“あるよ。形式上はね。でも省略してる。

めんどくさくて一度省いてやってみたら問題なく呼べたんで、以降はずっと省略さ”

“なんとフリーダムな”

“ここで大切なのは、形式ばることじゃなくて〈念〉の強さなのさ。

さいわい、圭太はここ数日でめきめきと〈念〉を強めてきているから、問題なく神様と交信出来るはずだ”

“そう言ってもらえると、心強いぜ“

その後ぼくは、結界を張るための手順をきつこに教わった。

こちらはどちらかといえば、台詞せりふを唱える儀式としての性格が強いことも学んだ。

「ありがとう、きつこ。

これでようやく、いくつかの疑問を解消出来そうだよ」

「どういたしまして。上々の首尾を祈るよ」

そこできつことの交信は終わった。

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その夜遅く、ぼくは自宅を抜け出て、近所の稲荷神社に向かった。

ウカノミタマの神様に会うために。

例によって、身に着けているのはけさ上着が戻ってきた黒いジャージ。

ここ数日、神使的な仕事をするときのユニフォームと化しつつあるな。

ぼくは神社に着くと、まずはきつこに教わった通りのやり方で結界を張り、本殿に向き合うかたちで石畳の上に立った。

そして、目を閉じて精神を集中し、フルパワーでこう念じた。

“ウカノミタマの神様、ここにいらしてください。

ぼく、窓居圭太のもとに。

どうか、お願いいたします!!”

ぼくとしても、過去最大級の〈念〉を飛ばすことが出来たと思う。

待つこと十秒、二十秒、三十秒……。

一瞬、天空より閃光が走った。

かと思うと、それがそのまま地上にとどまった。

そして、ぼくの身体を包み込んだ。

そう、いつかのときのように、チャネリングが始まったのだった。

ぼくの視界には、神社の風景ではなく、まるで万華鏡のような、極彩色の光のページェントが広がった。

そして、聞き覚えのある、中性的な声が聞こえてきた。

「われはこの地をおさむる、ウカノミタマなり。

われを呼びいだしたるなんじ窓居圭太、何用なにようじゃ」

「神様、お越しいただき、まことにありがたく存じます。

きょうは、神様にお伝えしたいこと、そしてお尋ねしたいことがございます。

このたび元神使の狸、まみが関与して起きた、人間の少女の変身事件についてなのですが」

「圭太よ、そはけだし榛原ミミコの件にて相違ないか」

「そうですが……神様、もしかしてすでにその件をご存じでいらっしゃったのですか」

「さよう。わずか半時はんときばかり前、きつこ惑いふためきここに来たりて、その顛末てんまつを伝えたり」

「そうですか。きつこがすでに来て、その話を神様にしたばかりだったんですね」

神様からはひとこと、「しかり」という返事があった。

それにしても、いつもはマイペースなきつこにしちゃやけに手回しがいいじゃないか、ぼくはそう思った。

「そうですか、では長々しいご報告をする必要はなさそうですね。

その事件は、ぼくときつこのふたりで、無事解決いたしました。

では、このたびの出来事に関しまして、ふたつお尋ねしたいことがあります」

「何かの。申してみよ」

「はい。まずはひとつめです。

成人した状態の榛原ミミコは絶世の美女へと変身したわけですが、現実のミミコは、あと五、六年経って成人となったとき、そのような容姿の女性へと成長しているのでしょうか。

それとも、そうはならないのでしょうか。お教えください」

その問いを発して、しばらく神様からは返答がなかった。

三十秒ほど経ったろうか、ようやく答えがあった。

「汝の問いは、神たるわれは答うべからざることなり。

その答えはわれの知るところなれど、ひとたる汝に伝うまじきものなり」

なんと、その答えは、人間であるぼくには教えてはいけないことになっているという。

「それはまた、なぜなのでしょうか」

「神はひとの行く末をさながら知る者なれど、そをひとに知らしむるは禁忌きんきなるが故なり」

つまり、神様が人間に未来を教えるということは、明らかにタブーなのだった。

そうかー。よく考えれば、当然のことなのだろうな。

ぼくやきつこのように、一般的な人間より神様に近しいものでも、本来、神様になれなれしくそういうことを聞くわけにはいかないのだ。

神様の全知全能の力を、卑小な人間である自分の利益のために借りようだなんて不心得は、許されない。

ぼくはおのれの考え方の甘さを、思い知る結果となった。

それではもうひとつの質問のほうは大丈夫なんだろうか。

一かばちか、聞いてみることにした。

「神様、ふたつめのお尋ねをします。

きつこは、ぼくにこう力説したのです。

ミミコは大人の姿への変身願望にとらわれているが、それを解くには、ぼくがミミコに口づけをしなくてはならないと。

ぼくは結局、それに従わざるを得ませんでした。

でも、これって、本当にそうだったんでしょうか。

きつこは神様から聞いた、みたいなこと言ってましたが……」

この問いにも、先ほどではないにせよ少し間があって、答えがあった。

「われはそを初めて知るものなり。われはきつこにミミコの執われを解くすべを教えたれど、ゆめゆめ口吸いにはあらず。

きつこはそのまじないの言葉ことのはをまみに伝え、まみはそを唱えしと聞けり。

口吸いは、きつこのみだりなる考えなるべし」

なんということだろう。神様の教えというのはまったくのデタラメだったのだ。

要するに執われを解くためのおまじないはまみのほうで唱えていたから、キスは必須でもなんでもなく、単に奔放なウサコの尻馬に、きつこが乗っかっただけだったのだ。

あわててぼくより先に神様に報告にやって来たのも、このキスの件で神様に叱られたくなかったからとしか思えない。

くっそーっ、きつこのやつー!!

まったく、悪戯いたずら好きな相棒にしてやられたぼくなのだった。

まるで収穫ゼロの会見だったとはいえ、神様に全然落ち度はない。

ぼくやきつこがテキトー過ぎただけだ。

神様には、わざわざお越しいただいたことに深く感謝して、「今後ともよろしくお願いします」と頭を下げてお別れをしたのだった。

⌘       ⌘       ⌘

まあそれでも今回のぼくは、きつこにだいぶん助けられたのは事実だ。

彼女なしでは、事件はこのようにすんなりとは解決出来なかったに違いない。

大いに感謝しないとな。
多少の悪ふざけには目をつむって。

実際それ以降、ぼくときつこの関係は、より良好なものになった。

いやもちろん、神使同士の連携って意味だけだからな。

男女の仲とかそういうニュアンスは、かけらもないから、念のため。



こういうわけで問題がすべて解決した翌日から、またいつもの平々凡々な日常が続いた、と締めくくりたいところだが、しばらくしてひとつだけ変化があったので、最後に記しておこう。

翌週の週末のことだ。

日曜日の夕方、ぼくはお姉ちゃんや従妹いとこ明里あかりと一緒に、本町駅界隈をショッピングがてら、ぶらぶらと歩いていた。

向こうから、見知った顔のふたり連れが歩いてきた。

榛原マサルとミミコだった。

なんとふたりはまるでカップルのように、手をつないでいた。

ミミコは、とても嬉しそうな笑顔を見せている。

ふたりは、ぼくたち三人に気がついて立ち止まった。

「やあ、圭太、しのぶさん、明里さん」

榛原のほうから、声をかけてきた。

榛原は、すでにぼくの家で明里と知り合っている。

「やあ、榛原、ミミコちゃん、こんばんは。

榛原、きょうはミミコちゃんと一緒なんだな」

榛原は、指で鼻をこすりながらこう答えた。

「ああ……たまにはきょうだいで、近所に食事にでも行こうかってことになってな……」

照れてる、榛原。なかなかかわいいじゃないか。

榛原とミミコの仲が元どおりになって、本当によかった。

ぼくは、心の底からそう思った。

一方、ミミコは最初、兄の陰に隠れるようにしてぼくたちの方をうかがっていたが、兄に「窓居さんたちだよ。さあ、ご挨拶しなさい、ミミコ」と促されて前に出てきた。

顔がほんのり上気しているような。

明里がさっそく、このロリ美少女に反応した。

「えー、この子がマサルさんの妹さん? めっちゃ可愛いやん。タイプ!」

明里がさっそく、隣りのわがお姉ちゃんから「メッ!」のサインを出されたのは言うまでもない。

ミミコは、おずおずと挨拶をした。

「ま、窓居さん、兄がいつもお世話になっています。

皆さんもはじめまして。ミミコといいます」

「「ミミコちゃん、よろしくね」」

お姉ちゃんも明里同様、ミミコを愛玩動物を見るような目でみつめている。

いっぺんで気に入ったようだ。

それからしばらくは明里のミミコへの質問(攻め)コーナーとなったわけだが、どうでもいい内容なので割愛させていただく。

明里が「今度うちに(と言っても明里自身は居候なのだが)遊びに来てよ」とミミコを誘う話にまで発展したあと、これから兄妹は食事に行くというので別れることになった。

最後にミミコがぼくに近づいて来て、もじもじとしながらこう言った。

「窓居さん、ミミコ、これから窓居さんのこと……圭兄けいにいって呼んでいいですか?」

思いがけない、ひとことだった。

(そうか、ミミコはもしかしたら、ぼくのジャージの名前タグを見て、何らかの記憶を呼びさまされたのかもしれない)

そう考えると、ぼくの手は思わずサイフの中を探っていた。

そこには、ウサコがしていた茶色の髪留めがあった。

「ミミちゃん」

なぜか、ぼくほそう呼んでしまった。

とたんにミミコの顔は真っ赤に染まった。

「はいっ?!」

「もちろん、構わないよ。そう呼んでくれて。

この髪留め、きみが落としたんだよね?」

そう言って、ぼくほ髪留めをミミコに手渡した。

「あ、はい、そうなんです。わたしのです。

ありがとう、圭兄……」

それ以上は、なにも言えずにいたふたりだった。

「じゃ、そのうちふたりでお宅にお邪魔します」

榛原はそう言って、ミミコとともに去って行った。

彼らが遠方に消えたとたん、大変なことになった。

従妹にいきなりネックブリーカーをかけられたのである。

「このこのー、JCを手なずけちゃって! いつ手を出したん?」

だいたい、お前だってついひと月前までモノホンのJCだったろーが。

「く、く、くるしー、あかり。これにはわけがあってだなー……」

断末魔の叫びを上げるぼく。

そのふたりを「おやおや」と笑いながら、お姉ちゃんが見守っている。

明里とお姉ちゃんには当分の間、このネタで冷やかされそうだな。

覚悟しとかないと。

⌘       ⌘       ⌘

窓居圭太、十六歳、高校二年。

ぼくの初恋は、いまだ始まっていない。

でも、ここ数か月で、ほんのわずかだけど本当の恋に近づいた気がする。

そう、本章はこれから始まるのだ。(第3章・了)

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