ぼくの初恋は、始まらない。第3章

さとみ・はやお

第16話

本町ほんまち公園でふたたびまみえたぼく窓居まどい圭太けいたと妖女ウサコ。
ぼくはウサコに、彼女の生誕の秘密を伝えるべき時が来たと判断し、真実を話し始める。

だが怪異現象の仕掛人、まみの正体をあばこうとする賭けは完全に裏目に出て、突如豹変したウサコはぼくを激しく攻撃して来た。
この危機を乗り越え、ウサコの問題を解決する手は果たしてあるのか?

⌘       ⌘       ⌘

ついさっきまでぼくと和やかに語らっていたウサコが、ぼくに馬乗りになって強く首を締めている。

見た目ではかなり軽いはずのウサコの体重が、いまは百キロぐらいに感じられ、その身体からだをはねけることも出来ない。

一瞬のうちに、何がミミコの身に起こった?

その急変ぶりにただただ動転していたぼくだったが、やがて我に返った。

ぼくは力を振り絞ってウサコの手をかろうじて振り払い、こう問いただした。

「ウサコ、どうした、なんでぼくを攻撃する?

さっきまでの穏やかなおまえはどこへいった?」

ウサコはぼくを見下ろしながら、こう答えた。

「それがあたしにも、まったくわからないんだ!

あたし自身はあんたを襲おうとはまるで思っていないのに、勝手にこの身体が、この手が動いてあんたの首を締めちまうんだ。

どうか信じてくれ!」

その悲痛な叫びを聞くと、ウサコがぼくに嘘をついているようには思えなかった。

ということは、もしかすると……。

考え込んだとたん、またも形勢逆転、ぼくはふたたび首を締められるかたちとなった。

こいつはマジでヤバい。
下手すると、息の根まで止められちまう!

焦りに焦ったぼくだったが、大切なことをすっかり忘れていたことに、ふと気づいた。

こんな時のためにいる〈相棒〉じゃないかよ!

ぼくは身体をよじらせて、先ほどきつこがいた方向、十メートルほど先を見た。

きつこは、呆然とした表情でその場に立ちつくし、手をアワアワとさせていた。

いったい、どうした?

首を締められ、息も絶え絶えのぼくは、出ない声のかわりに〈念〉を飛ばした。

“どうしたきつこ、助けに来れないのか?!”

きつこは当惑の表情もあらわに、こう返してきた。

“それが、参ったことに身体が前に進まないんだ。
結界なんだろうか、強い力に阻まれて。

圭太がミミコっちに襲われる直前に、はっきりとした叫びが聞こえたんだ。“この人間め、わたしの邪魔をするでない!“って。

まみのヤツ、しばらくボクらを泳がし、周到な準備をしておいて、一気に攻撃に出てきたんだ”

そうか、まみの仕業か。となると、このウサコの攻撃もやっぱり……。

ぼくはもう一回、〈念〉を飛ばした。

“きつこ、さっきおまえが取り出したおふだがあるだろう。

手が使えるんなら、ぼくが投げ渡した髪留めをそいつでくるんで紙つぶてにして、ぼくにほうり投げてくれ。

お札だけじゃ、投げても届きそうにない。
でもそれなら、なんとかこちらに届くんじゃないかって思うんだ。

結界があるみたいだから、それを超えられるか一かばちかの賭けだが、試してくれ。頼む!”

その言葉の意味するところを即座に理解したのか、きつこは無言でうなずき、さっそくお札と髪留めで紙つぶてを作った。

きつこは大きく振りかぶり、そしてぼくのいる方に向かって紙つぶてを力強く投げた。

見事な直球だった。

⌘       ⌘       ⌘

どうかここまで届いてくれ、紙つぶて!

ぼくは強くそう祈った。

果たしてそれは何回かバウンドしてぼくのすぐ手元、十五センチくらいの場所に着地した。

これぞ狗神さまの威力だろうか、結界に弾かれることもなく。

“やった!”

ぼくは心の中で快哉を叫んだ。

が、運悪くそのシーンをウサコに、否、まみに気づかれてしまった。

その視線は、近くに落ちた紙つぶてをしっかりと捉えていたのだ。

“ん、人間、何をたくらんでる。そうはさせんぞ“

まみの〈念〉が、今回はぼくの脳内にもはっきりと聞こえた。

ぼくは、自分に残された最後の力を振り絞って、紙つぶてに手を伸ばそうとした。

そうはさせるかとウサコも手を伸ばし、結果、これまでのマウンティングの体勢が崩れた。

ぼくとウサコは、もみ合うかたちとなった。

ぼくたちはゴール直前でギリギリの攻防をするラグビー選手たちのごとく、激しく競り合い、もがき合った。

あと2センチ、あと1センチ……。

二つの手が少しずつ、目標ににじり寄っていった。

⌘       ⌘       ⌘

ついにウサコに先んじ、ぼくの震える手が紙つぶてを探り当て、握りしめた。

よっしゃあ!!!

ぼくは即座に両手で紙つぶてをおし開き、お札だけを右手に取ると、ふたたびぼくの上にのしかかっていたウサコのパジャマ、それもその偉大なる胸部バストのど真ん中に押し当てた。

「「「「ギャアアアッ!!」」」」

ウサコとまみが同時に、鼓膜が割れんばかりの叫び声を上げた。

いや、それだけじゃない、二人とは少しトーンの違う別の悲鳴も混じっていたような気がする。

でも、いまはそれどころじゃない。ぼくの五感は、眼前で起きている怪異現象に釘付けだった。

ウサコの身体は一瞬、真っ白な閃光を強く放ち、大きく痙攣し、そして光が消えるとともに崩れ落ちた。

うつぶせに地面に倒れているウサコには、パジャマの上着があとかたもなく消え、まる裸の背中が剥き出しになっていた。

かたわらにはもうひとり、いや一匹というべきか、ほとんど人間と同サイズの巨大な狸が、気を失ってあお向けに横たわっていた。

いましがたの、ぼくの推理が的中した。

絹田きぬたまみ子ことまみは髪留めではなく、なんとウサコのパジャマの上着に化けていたのだ。

つまり、ウサコとほぼ一体化していた。
まるで二人羽織のようなかたちで。

そうして、ウサコ本人の意思などお構いなしに彼女の動きをコントロールし、身体の質量さえも変化させてぼくのことを攻撃させたのだった。

ふとぼくは、相棒きつこがぼくやウサコらの近くまでやって来たことに気づいた。

まみの失神により、彼女が仕掛けた結界も解けたということだろうか。

きつこは穏やかな調子で、こう言った。

「ようやく、決着がついたようだね。

おつかれさま、圭太」

ぼくは、こう答えた。

「ありがとう、きつこ。助かったよ。

でもな、まだ終わっちゃいない。本当の勝負はこれからだぜ」

きつこはその言葉を聞いて、うなずいた。

「ああ、たしかにそうだね。
圭太には、もうひと仕事してもらおう。

とりあえず、こいつは息を吹き返す前に、ふんじばっとこう」

きつこは浴衣のふところから、長い荒縄の束を取り出した。

「なんでそんな物、懐に?」と思ったが、まずきつこがやるべきことを優先すべきだろう、ぼくはあえてツッコまないことにした。

たぶん、ヤツの懐は四次元ポケットみたいな構造になっているんだろうな。

きつこは、その荒縄で気絶した狸の身体を、亀甲縛りよろしく縛り上げた。

「そのうち正気に戻るだろうね。人間の身体で」

依然として、ウサコも失神した状態だった。

が、いつまでもそのままというわけにもいくまい。

ぼくはウサコのむき出しの肩に手をかけ、こう声をかけて軽くゆさぶった。

「ウサコ、目をさましてくれ。まだ、おまえと話したいことがあるんだ」

するとウサコは、軽く目を開け、次の瞬間には大きく見開いて我に返った。

すぐに起き上がり、そして、現在の自分の身体を確かめた。

上半身は、一糸もまとっていないみずからの姿を。

それはあっという間の出来事だったので、ウサコの裸身、というかその見事なまでの胸部の全貌が、いやでもぼくの視界に入ってしまった。

たゆん、という揺れの音まで聞こえた気がした。
いや、もちろん幻聴なのだが。

とたんに、彼女の顔は真っ赤に染まった。

「あたし、裸? なんで???!!!』

舌がまったく回っていない。
ビッチキャラらしからぬ動転ぶりだった。

ウサコは、バストを両手で抱え込むようにして隠した。

あわててぼくは目をウサコからそらし、かたわらの狸を指差しながらこう言った。

「ごめん、ウサコ。でも、あれを見てほしい。

あれがおまえを操っていた張本人、まみだ。

おまえのパジャマの上着は、あの狸が化けていたんだよ」

続けてきつこが、こう言いそえた。

「そうだよ。圭太が脱がしたわけじゃない。

ずっと見ていたボクが保証するよ」

それを聞いて、ウサコはようやく落ち着きを取り戻してきたようだった。
もっとも、目で見たわけじゃないけどな。

サンキュ、きつこ。目を伏せながらぼくは話を続けた。

「と、とりあえず、その格好じゃなんだから、こ、こいつを着てくれないか?」

そう言いながら、ぼくは着ていた黒いジャージの上着だけを脱いできつこに渡し、それをウサコに渡すよう頼んだ。

ぼくはTシャツ一枚になった。
四月半ばで夜間にそのスタイルはいささか肌寒いが、しばらく我慢するしかない。

ウサコがジャージを着たのをきつこが知らせてくれたので、ぼくはようやく視線をウサコに向けることが出来た。

彼女はジャージをまとい、地面に座り込んでいる。

ぼくは気持ちを整えて、静かにウサコに語りかけた。

「ウサコ、いま言ったように、おまえはこのまみという狸によって、本来のおまえとはまったく異なる人間に変身させられていた。

もともとのおまえは、榛原はいばらミミコという名の、中学三年生の女の子なんだ。
そのことは、これまでに確認が済んでいる。

ミミコはおまえとは違って、年齢に比べるととても幼い容姿で、いつもそのことをひけめに感じていたようだった。

そのことをミミコは、たったひとりの親しい友人である同級生に打ち明けたのだ。

それが、そこで気を失っているまみ、いや、絹田まみ子さんだ」

ふたたび、ぼくはまみの横たわる場所を指差した。

すると、おりしもそこでは新たな異変が起きようとしていた。

まみの身体の周囲が、白い光に包まれた。

今度は激しい閃光ではなく、おだやかな発光ではあったけれど。

その光が消えた後には、人間の姿をとったまみ、すなわち絹田まみ子が、気絶したまま横たわっていた。

やや色黒で、ふっくらした顔立ちの少女だった。

彼女はウサコとは違って、全身に服を着ていた。
それも昼間着ている本町ほんまち中学のセーラー服だった。

なぜにセーラー服?!

あれこれ考えをめぐらせてみるに、生身の人間であるウサコと違ってあやかしであるまみ子の衣服は、その容姿と同様に、われわれ人間にそれが存在しているように思わせる一種の〈幻術〉であり、だから常時装着されているのだろうとぼくは理解した。

その変化のありさまを、ウサコは大きい目をさらに見開き、驚きの感情ダダ漏れで眺めていた。

その一方きつこは、会心の笑みを浮かべていた。

万が一まみ子の力が回復してふたたび襲ってきた場合に備えてのことだろう、いきなりきつこはその身体の上に馬乗りになった。

荒縄で緊縛されたセーラー服の少女に馬乗りになった、浴衣姿の少女。

なんか色々アレな絵柄ではあった。

きつこの体重に圧迫されたためか、まみ子は軽いうめき声を上げ、そうして目覚めた。

まみ子は寝たまま周囲をきょろきょろと眺めて、そして深く溜息をついた。

彼女は、すぐにいま自分が置かれた状況を悟ったようだった。

きつこがまみ子を見おろして話しかけた。

「絹田っち、はじめまして、だったっけな?

ボクはきつこという者で、隣町のお稲荷様で神使しんしをつとめている。よろしくな」

馬乗りになりながら初対面のご挨拶をするのも大概な気がするが、とにかくきつこはそう仁義を切った。

まみ子はそれに返す言葉もなく、ただただおびえ困惑した表情できつこ、そしてぼくを交互に見ていた。

そこでぼくは、まみ子にではなく、ウサコに向かってこう尋ねた。

「ウサコ、この絹田さんに見覚えはないだろうか。

もうひとりのウサコと、とても関わりの深いひとなんだがな」

ウサコはしばらく記憶の糸をたぐっていたようだったが、やがてどこか思い当たるふしがあったのか、大きくうなずいた。

「そうだ、そうだよ、まみちゃんだよ。

あたしのたったひとりの味方、たったひとりの親友まみちゃん。

そうだよね、まみちゃん?」

ウサコは寝たままのまみ子に、そう尋ねた。

まみ子は、今にも泣き出しそうな顔をして答えた。

「うん。その通りだよ、ミミちゃん」

ウサコはまみ子のもとにかけ寄り、その両頬をさすった。

「まみちゃん……」

「ミミちゃん……」

ふたりの少女は堰を切った川のように、大きく泣き崩れたのだった。(続く)

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