ぼくの初恋は、始まらない。第3章

さとみ・はやお

第9話

ぼく窓居まどい圭太けいたとの距離をどんどん縮めてくる榛原はいばらミミコの化身けしん、ウサコ。
ついにぼくにキスまでせがんできたウサコだったが、「まみ」という名の少女(?)の力により、ウサコはまたたく間に姿を消す。

茫然自失状態のぼくの前にかけつけた神使しんしきつこは、ぼくの顔をのぞきこんでこう告げる。

「圭太、きみの目は、すっかり恋する男の目になっちまってる」と。

⌘       ⌘       ⌘

きつこの、そのひとことを聞いて、ぼくはかぶりを振った。

「そんなわけないだろ。あの大人バージョンのミミコちゃんは、あくまでも仮の姿なんだから、彼女に恋するなんて」

「さて、どうだかなぁ」

きつこはニヤニヤと笑うばかりで、それ以上は何も言わなかった。

実にモヤっとするんだよなぁ、そういうの。

「それじゃあ、圭太、ミミコっちとどんな話をしたのか、聞かせてもらおうじゃないか」

きつこの依頼に応えて、ぼくはさきほどのミミコダッシュことウサコとのやりとりを話して聞かせた。

彼女はぼくと出会うとまもなく、前夜、兄榛原にそうしたように「あたしって、きれい?」と尋ねてきたこと。

それに対してぼくは、榛原の指示に従ってツンな態度を取り続け、彼女の魅力を決して認めようとしなかったこと。

彼女はぼくのつれない態度に落胆したものの、それでも話し相手になってくれればいいと割り切って、ぼくに自らの身の上を語ったこと。

いまだ自分の名前を知らず、年齢もわからないという彼女の願いを聞いて、ぼくがウサコという名前をつけてやったこと。

ウサコは記憶喪失のような状態であるにもかかわらず、一般常識や世間知などは元のミミコと同じくらい保有しているとぼくには思われたこと。

元のミミコの記憶としてわずかに残っている「きれいなおとなのひとになりたい」という願望にしたがって、ウサコは夜な夜な男たちに問うて自分の魅力を確認しようとしていること。

また、昼間のミミコが一度だけ、ぼくと榛原宅で顔を合わせた事実も、おぼろげながら覚えているらしいこと。

ウサコと次第に打ち解けてきたことで油断したぼくは、彼女にいきなり膝の上に乗られてしまい、きつこを「念」で呼ぶも、時すでに遅く、すっかり主導権を取られてしまったこと。

その結果、三十回連続失恋というぼくの個人的な弱みまでウサコにさらしてしまったものの、その一方で彼女からも兄妹きょうだい関係で感じている淋しさ、悲しさを聞き出せたこと。

ウサコから恋愛についての大人っぽいアドバイスを受けるうちに、元のミミコも実は見かけ以上に大人な考え方をしているのではないかと気づいたこと。

そして、ついにウサコから、キスから始まる恋もあると迫られてしまうも、未遂に終わったこと。

以上のぼくの報告を黙って聞いていたきつこは、おもむろに口を開いた。

「いろいろヒントになる話があったよ、うん。

昼間のミミコっちは、表面的には初心うぶでおぼこい子に見えたんだろうけど、その内面には兄のマサルっちにもわからないような、複雑な思いが渦巻いていることは間違いないだろうね。

うん、この一件は、極めてデリケートな問題だな。

なにしろ、女性が身近な男性には絶対知られたくない恥ずかしい秘密が、その核心にあるからね。

今後その解決のためには、マサルっちにはいったんこの件への関与をご遠慮いただくほうがいいかもしれないね」

「関与をご遠慮?  ってことは、ぼくから榛原にそれを頼まなきゃダメなのか?」

ぼくは不安になって、そう聞き返した。

「いや、ご心配なく、圭太。

こういう女性ならではの複雑微妙な問題は、女のボクから話したほうが、マサルっちも素直に納得してくれるだろう。

圭太には、荷の重過ぎる話だよな」

そう言って、きつこはウインクをしてみせた。

普段はアレだが、こういう時には意外と頼もしいところがあるのな。

「ありがとう。頼んだぜ、相棒」

ぼくはきつこの厚意に甘えることにした。

きっこの話は続いた。

「あと、ボクが聞いていて、エッと思ったのはウサコ命名のくだりだな。

圭太は知っているかい、『よばう』という古語を?

ん、なに顔を赤くしてんだ。そっちのほうの意味じゃないよ。
その言葉の由来となった、もっと古い時代の『よばう』だよ。

すなわち、相手の名前を呼ぶことなんだけど、いにしえでは心を許した相手以外には、自分の名前を教えてはいけないことになっていたんだ。

たとえ、相手がミカド、つまり天皇でもね。

「君の名は」と女性に尋ねることはイコール求愛や求婚にほかならないし、それに対して自分の名前を教えることは、プロポーズを受けることそのものなんだ。

つまり、「よばう」とは、求愛すること。

だから、圭太がミミコっちにウサコって名前をつけてやったことは、それと同じか、それ以上に重大なことなんだ。

初めてウサコの名前を呼ぶことで、圭太は彼女にとっての『初めての男』になったんだよ。

その時点から、圭太はまんまと相手の術中にはまっちまったんじゃないの?」

そう言ってミミコは、ちょっと意地の悪い微笑みを浮かべた。

いやなことを言うなぁ。

「ま、それはともかく、黒幕さんの名前もわかったし、手がかりは十分過ぎるぐらい手に入った。

ボクはこの後、ウカノミタマの神様にいくつかの問い合わせと戦法の相談をしに行ってくるよ。

具体策が立ったら、また圭太に連絡するね」

そう言って、きつこはそのまま姿を消すかに見えたが、一瞬ハッとした表情になった。

そしてペロッと舌を出して、こう言った。

「おっと、その前に肝心なことを済ませなきゃ。

マサルっちに、話をしに行こう。

結界も張ったままだった」

そこはやはり、いつものウッカリさんなきつこだった。

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本町ほんまち公園に張ってあった結界を解き、きつことぼくは、待ちぼうけを食らっていた榛原のもとへ行き、その労をねぎらったのだった。

まずはぼくが、さっききつこにした報告から、兄にとってはかなり刺激的な部分、つまりウサコがぼくの膝の上に乗っかってきた件やキス未遂の件だけは省いて伝えた。

これには、けっこう細心の注意を必要とするんだぜ。
はぁ〜、疲れた。

その報告を聞いて、榛原はこう低くつぶやいた。

「そうか、ミミコは俺がここ数年、あいつと距離をとっていることに気づいて、そのことを悲しんでいたということか……。

それに、俺は『ミミコはこどもこども』と決めつけていたが、あいつの心の中ではもっと大人っぽい意識が育っていたとはな。

つまるところ、ミミコは自分の子供っぽい外見にそぐわない言動を控えて、子供のままのふりをしていたということか。

こいつは、参った。

あの大人っぽいミミコに変身したのも、現実の自分と理想の自分のギャップを埋めたいという願望が根底にあったのか」

きつこが、それに対して答えた。

「そういうことさ、マサルっち。

で、ミミコっちの変身には、『まみ』という名の第三者が関与しているのは、間違いない。

おそらくミミコっちの親友、絹田きぬたって子と同一人物だろう。それはこれから、ぼくが確認するつもりだ。

それでだね、マサルっちに折り入ってお願いがあるんだ。

今回の件は、ミミコっちにとってはひとに触れられたくない、とりわけ男のきょうだいであるマサルっちには絶対に知られたくない、とてもデリケートな女性心理がその中心部にあることは、わかってくれただろう。

だから、ことの解決については、すべて圭太、そしてこのボクに一任してはもらえないだろうか。

圭太やボクはミミコっちにとって、しょせんは他人だ。

問題解決の結果、もしおたがいに気まずい思いをするような事態になったとしても、今後一切、顔を合わさないという手をとることができる。

でも、きょうだいであるきみたちは、絶対そういうわけにはいかないじゃないか。

一生向き合って生きていかないといけないきみたちに、気まずい仲になって欲しくないんだ。

女性であるボクの『カン』を信じて、ここはボクの提案にしたがってはくれないか」

きつこの訴えを聞いていた榛原は、しばらくうつむいて考えをめぐらせていたが、おもてを起こしてこう言った。

「わかったよ、きつこさん。

俺たちきょうだいのために心をくだいてくれて、感謝するよ。

たしかに、何もかもが知ってしまったがために相手との関係が壊れてしまったという話はよく聞く。

知らぬが仏って言うしな、知らないでいた方がおたがいのためになるかもしれない。

今回の件は、きみと圭太に任せるよ」

榛原は、意外とあっさりときつこの提案を受け入れてくれたのだった。

助かった。これで、ぼくと彼との友好関係も保てそうだ。

「こちらこそ、ありがとう、マサルっち」

いつもだったらさっそくハグして相手に謝意を伝えるきつこも、今回ばかりはつっ立ったまま神妙な面持ちでそう言った。

「じゃあ、ボクはこれから神様に相談しに行ってくるね。

ふたりとも、どうもおつかれさま!」

そう言うやいなや、きつこはその場から煙のようにかき消えたのだった。

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残されたぼくと榛原は、おのずと徒歩で家路をたどることになった。

本町通りまではふたりとも同じ道のりだったので、一緒に歩きながら、まずはぼくが口を開いた。

「榛原、ミミコちゃんのこと、心配だろうけど、きつこには解決の糸口が見えたようだ。だから……」

「ああ。異能者でない俺には解決できないのは、もとよりわかってるさ。

今回は異能力を持つきつこ嬢の存在が、ほんとうに心強い。

それにもちろん、圭太のことも」

そう言われると、なんだかこそばゆいが、なんとか榛原兄妹のために頑張らないといけないな。

榛原は、こう続けた。

「圭太、ミミコのこと、くれぐれもよろしく頼む。

今後、ミミコと圭太の間になにが起きたとしても、圭太ならまったく問題ない。

なんなら、俺が圭太の義兄あにになっても構わんから!」

そう言って、ぼくの両手を固く握り締めてきた。

なんだか、婿に娘のことを託すお義父とうさん、みたいな図になってないか?

少し焦って、ぼくは榛原にツッコミを入れた。

「いやいや、榛原。気が早すぎだろ。

ぼくはミミコちゃんにやましい気持ちはかけらも抱いていないから、安心してくれ。

今回のことで、ミミコちゃんを傷つけるようなことは一切しないと誓う。本当だ」

ぼくがそう力説すると、榛原はいたく感銘を受けたようでこう答えた。

「ありがとう、圭太。持つべきものは、友だな。

いまの俺はミミコのために何もしてやれないが、圭太のその言葉で勇気百倍だ。

また明日の夜も世話をかけることになるが、次はうまくいくことを祈っている」

「ああ。じゃあな」

そう言って、ぼくらはいつものように拳と拳をぶつけあう挨拶で別れて、家路を急いだのだった。(続く)

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