ぼくの初恋は、始まらない。第3章

さとみ・はやお

第8話

榛原はいばらミミコの化身けしん、ウサコに超密着の姿勢で相手せざるを得なくなったぼく、窓居まどい圭太けいた
神使しんしきつこの奮闘もむなしく、黒幕とおぼしきミミコの友人もシッポを出す気配がない。

いたずらに時間が経過する中、ウサコの妖艶な魅力に負けることなく、ミミコ変身の謎、そして彼女を救う方法を見つけることは果たして可能なのか?

⌘       ⌘       ⌘

「以前とはまったく別の意味で、恋が始まらなくなってしまったんだ」

ぼくはウサコに、そんなごくごくプライベートなことまで話してしまった。

それだけウサコには、相手の本音を引き出す「対話力」があったというべきだろうか。

ウサコはぼくの発言を聞いて、首をかしげながら、こう答えた。

「それはね、あんた、考え過ぎなんだよ。

好きになるための理由を見つけるために、相手の情報を集めるなんて、おかしい気がするね。

相手を好きになるってことは、理屈じゃない。情報の分析の結果でもない。

よくいうだろ、『恋におちる』って。

気がついたときにはおちていた、それが恋。

好きになっていいかどうか、いろんな材料で判断する、そういうもんじゃないのさ」

ぼくはそれを聞いて、ぐうの音も出なかった。

「そうだな、確かに。ウサコのいう通りだ。

相手にいろんな角度から点をつけていって、総合得点が一番高い、だからその相手を好きになる、そういうものじゃないと思う、恋って。

じゃあ、なにが一番の決め手になるんだと思う?」

ぼくの問いに対してウサコは、十五センチくらいの至近距離から、その大きな瞳でまっすぐぼくを見つめながら、こう答えた。

「そうねぇ、ひとことで言うのは難しいけれど、こういうことだと思う。

たとえば、あたしたちみたいに男と女がふたりきりで向き合うことになったとして、どちらか一方の人間が『早くこの場から立ち去りたい、相手との対話から逃げ出したい』と思うようならば、ふたりは本物の恋仲にはならないだろうね。

でも、ふたりともそういうストレスを感じることなく、いつまでも一緒にいても構わない、そう思うのならば、ふたりの仲は自然と恋にまで発展するんじゃないかな。

つまるところ、相手との距離を縮めることをイヤと感じない、むしろ進んで縮めたいと思うようなら、その恋は正解なんだよ」

そこまで語るとウサコは、ひと息ついて次の台詞せりふにつなげた。

「で、ここで大切なことは、自分と同様に、相手もそう思っているってことなんだ。

恋って、アイドルとファンの関係みたいに一方通行じゃダメなんだよ。

たとえば、いま一番人気のアイドルグループ、道玄坂どうげんざか69ってあんたも知ってるよね。

あの中の一番人気はシルキィこと白井しらい絹衣きぬえって子だけど、どれだけシルキィが好きで、沢山のお金をチケット代やCD代につぎ込んで彼女を観に行ったり握手したりしたところで、つまるところは、求愛行動ではなくただの応援行為でしかない。

同じレベルのことをしているファンが、他にも何千人っているんだから。

また、熱い思いのたけを長文のレターに綴ってシルキィに送ったところで、マネージャーの検閲にあって「キモい」のひとことでゴミ箱行きだろうね。

つまり、恋とは言っても片恋かたこい、片想いに過ぎない。

もしシルキィがアイドルの仕事を離れたときに、その男子が彼女とふたりきりで会ってじっくりと話が出来る機会があるのなら別だけど、そんなことは普通ありえないだろ。

だから、アイドルを好きになるのは個人の自由だけど、その好意はあくまでも一方通行で、決して思いが実ることはないと、あらかじめ覚悟しないといけない。

それを忘れて、自分につれない、というより特別扱いをしないだけでなんの落ち度もない『しアイドル』を逆恨みして、あろうことか暴力までふるうような愚か者がときどき現れて世間を騒がせるけどな。

似たようなことは『職業:アイドル』ではない一般人の場合だって言える。

あんたが過去、好きになった女の子は、たぶんとても可愛いか、うんときれいな子だったんだろ?

つまり、あんた以外の男も相当数、好意をいだくようなオトコ受けするタイプの子たち。

そういう子は実は、毎日のように求愛されている」

ぼくはその言葉で一瞬、高槻さおりのことを連想してしまった。高槻には申し訳ないけどね。

「一般人の場合は、交際するかどうか、すぐに返事しないといけない、保留の態度を続けるのは相手に対して失礼だという考え方が大半の人にはあるから、たいていの場合、イエスノーの合否判定がはっきりと出てくる。

付き合うか、付き合わないかの二択、普通はそれしかない。

でも、中にはちょっとズルい子もいて『お友達からなら』という条件付きのイエスを返すのがいる。

『お友達からならって、それまでは友達ですらなかったのかよ!』ってツッコミを入れたくなるけど、とにかく断らずに、つまり相手に嫌われずに恋人候補としてキープしておこうという、ずる賢い戦略だよな。

もちろん、『お友達からなら』を言い出す子が全員、計算高い策略家とは限らないし、中にはシャイだからそういうことを言う子もいるかもしれないけれど、それでもなんとなく『女のズルさ』を感じてしまうね。男ならそんなこと言わないもの。

この提案に対して大半の男は『ただの友達扱いなら、自分、降ります』とは言えず、恋人未満のキープ君をズルズルと続けるほうを選ぶ。悲しいさがだね。

これって、アイドルとファンの一方通行の関係と変わらないよね?

あたしは思うんだ。そういう、相手に距離をとられコントロールされてしまう恋、一方的にイニシアティブを取られてしまうような恋なら、しないほうがましだって」

ここまで一気に喋ると、ウサコは口をつぐみ、視線をぼくからそらして夜の闇へと向かわせた。

ウサコの、想像した以上に大人の視点を持った意見を聞きながら、ぼくは思っていた。

この人生観が、ミミコの人格とはまったく別の人間から由来していると考えるのは可能だろうが、果たしてそう決めつけていいものか?

いかにも子供っぽく見える彼女も、頭の中は世間の十四、五歳の女性以上に、大人な視点を持って生きてきた可能性があるのではないか?

そして、自分のなかなか成長しない身体と、そういう考え方のギャップに、常に悩んでいたのではないか?

そこまで考えると、ミミコの変身の原因がなんとなくわかってきたような気がした。

もちろん、ミミコひとりの力ではそれは起こるとは思えない。

「第三者」の関与が、大前提だろうな。

しばしの沈黙の後、今度はぼくのほうから口を開いた。

「ウサコ、きみの考えかたは見事に本質を突いている。

いろいろ気づかされたよ。

ぼくの場合、『恋が始まらない』じゃなくて、『恋を始めていない』ってことになるのかな」

再びウサコは、ぼくのことを見つめて言葉を返してきた。

「そういうことさ。始めようと思えば始まる。とりあえずは片恋で。

その中途半端な恋を、相手に想いを伝えて自分への想いを引き出すことで本物の恋にしていく行動、それこそが恋なんだ。

さらに言えば、相手に対する思いが本物であるかどうかを確認する行為もまた、恋だと思う。

あんたは、自分で必要以上に恋のハードルを高くしているんだよ。

嫌いじゃないと思っている子なら、まずは恋の相手候補リストに入れて、その中で縁のあった子と恋を始めることから始めてみようよ。

馬には乗ってみよ、人には添うてみよ、さ」

「なるほど」

思わず、ぼくの口からその言葉がもれて出た。

ウサコは、ぼくを見すえたまま、続ける。

「好きになったから、相手に口づけするというのは普通のパターンだけど、逆もまた真なりだと思う。

『キスから始まる恋』も、あるんじゃないかな。

だ・か・ら」

そういいながら、ウサコは少し腰を上げて、ただでさえ近いほくとの距離をさらに五センチ、縮めてきた。

そして、両目を閉じて、その小ぶりな唇をぼくに向かって突き出してきた。

その意図しているところは、誰の目にも明らかだった。

「ちょっ、ウサコ……」

ぼくは言葉を失った。

ウサコは目を閉じたまま、こう言った。

「キスなんて、特別のことじゃないよ。ただの親愛感情の表現さ。

ご大層に考えることはない。さあ……」

少しずつ、ウサコの顔が近づいて来る。

男・窓居圭太、さあ、このとてつもなく強力な誘惑に、応えるべきか、応えざるべきか?

本能に身をゆだねるのが吉か、凶か?

ぼくの脳内が過去最大級のパニックに陥ったそのとき、はっきりとした悲鳴が聞こえた。

正確には〈念〉として、ぼくの頭の中に響いた。

“だめぇ〜っ!!  まみをおいてミミちゃんだけ、大人になっちゃイヤ!

きょうはもう、これ以上はだめ!!”

はっきりと、そう聞こえた。

そして次の瞬間、白く鋭い閃光が走り、ぼくの視界は真っ白になった。

⌘       ⌘       ⌘

気がつくと、ぼくの太腿の上のウサコは消えていた。

さっきの叫び声のことを考えれば、ウサコの暴走を阻止するため、何者かが彼女を元のミミコに戻したのは明らかだった。

ぼくが茫然としていると、ひとりの人影が足早に歩み寄って来た。

柄物の浴衣姿の、きつこだった。

心配げに、きつこはぼくに尋ねた。

「圭太、すさまじい光が走ったけれど、身体からだは大丈夫だったかい?」

「ああ、問題ない。ミミコの化身は消えちまったけどな。

今ごろはたぶん、榛原んちで何事もなかったかのように寝ているだろ」

「ああ、たぶんね。

ところで、“だめぇ〜っ”て悲鳴、圭太にも聞こえたかい?」

「聞こえたよ。ついに黒幕さんが登場なすったってことだよな」

「ああ。『まみ』って自分の名前まで口走ってた。

これは、けっこうな手ががりになると思うよ。

ところで、圭太」

きつこはぼくの顔をのぞきこみながら言った。

「なんだ?」

「圭太は大丈夫って言ったけど、実は全然大丈夫じゃないよね。

まる見えなんだよな、ちょっと言いにくいけど」

いつもはストレートに発言するきつこらしくない、妙に含みのある言い方だった。

「おかしなヤツだなぁ、きつこ。

遠慮せずに言ってごらんよ」

「じゃあ、言わせてもらうね。

圭太、きみの目は、すっかり恋する男の目になっちまってる」(続く)

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