ぼくの初恋は、始まらない。第3章

さとみ・はやお

第2話

高校も新しい学期に入った四月のある日、ぼく窓居まどい圭太けいたは友人榛原はいばらマサルの様子がいつもとは違うことに気づく。

榛原はどうやら、ひとつ悩ましい問題を抱えているらしく、浮かない顔をしている。いつもの榛原らしからぬ言動が気になったぼくは、彼に誘われるまま、その自宅に初めて行くことにする。

家に帰って来た、榛原の悩みの元凶らしい彼の妹ミミコに会って、ぼくは衝撃を受ける。
どう見ても小学生の幼い容姿をしたミミコは、実はぼくや榛原の卒業した中学校の三年生だったのだ。

⌘       ⌘       ⌘

「ミミコ、こちらは俺の古い友人、窓居圭太さんだ。

時々話題にしたこともあるから、覚えているだろ」

「うん、中学と高校が同じで、吹奏楽部でも一緒なんだよね。

初めまして、ミミコです。兄がいつもお世話になってます」

「あ、あぁ、こちらこそ。お兄さんには、ぼくこそお世話になっているよ。よろしくね」

そんな感じで、ぼくとミミコは初対面の挨拶を交わしたのだが、ふと彼女の最初の一言を思い出して、ぼくは榛原を小突いてこう言った。

「榛原ぁ〜、なんだってぇ、お前妹さんにそんな風に呼ばれてんのか。
マーにいって。プププッ」

失礼ながら、笑いをこらえきれないぼくだった。
だって、マー兄なんて甘っちょろい呼び名、「無敗の男」榛原のイメージに合わないこと、この上ないだろ。

それを聞いて、榛原はいかにも迷惑そうに眉をひそめてこう答えた。

「そこはツッコまないで欲しいなぁ、圭太。
俺としても、望んでそう呼ばせているんじゃないんだから。
ミミコは、 こうと決めたらテコでも動かない子なんだよ、まったく」

それでよくわかった。天下無敵の榛原マサルにも、アキレス腱はあった。

それは、彼の妹にほかならないってことだ。

兄に勧められてミミコはぼくたち同様、リビングのソファに腰掛けた。

「ふーん、そういうことなら、ミミコちゃんはぼくたちの後輩ってことだね。
来年卒業だそうだけど、進路はもう考えているの?」

せっかく一緒になったのだから何か話をしたほうがいいかなと思ったぼくは、一番あたりさわりのない話のつもりで、そうネタを振ってみた。

問われてちょっと眉間に皺を寄せたミミコからは、いささか予想外の答えが返ってきた。

「うーん、ミミコはまだそういうこと、ちゃんと考えていないんですよぉ、ごめんなさい。

最近、学校の進路指導担当の先生からもそういう話をされたんですけど、『おとなになった時にミミコに出来るようなこと、何かあるのかなぁ。よくわからないです』って答えたら、あきれたような表情されちゃいました。えへへっ」

そう、のんびりと甘ったるいミルキィボイスで返事をされてしまったのだ。
わぁ、調子狂う。

見るに見かねてだろう、兄がこう付け加える。

「前にも圭太に少し話したことがあると思うけど、うちの妹は超がつくくらいマイペースな子でね、周りの子を見てそのペースについていこうとは思っていないようなんだ。

でも、学校の授業についていけないってことはないんだよな、ミミコ?」

そう尋ねられて、ミミコは笑顔ではっきり答えた。

「うん、大丈夫だよ。その先生も『榛原さんの成績なら、一般的な都立校か私立の中位校なら問題なく受かるでしょう』って言ってくれたもん。

ミミコ、マー兄の考えるほど、出来ない子じゃないよ」

「いや、出来ないって言ったわけじゃないんだが……。

わかった、お前の場合は将来の具体的なビジョンはまだないけど、わりと漠然とした目標、つまり『正義の味方になりたい』みたいな抽象的なターゲットはあるってことなんだよな?」

そう榛原がフォローすると、ミミコは「ビンゴ!」と叫ばんばかりにこう言った。

「そうそう、その通りだよ、マー兄。さすがミミコのことならなんでもわかっているね。

ミミコの目指しているのは、兎川とがわうさぎちゃんみたいな正義の味方なんだよ!」

兎川うさぎ、誰のこっちゃ?

ぼくがそう脳内で?マークを出しかけていると、いまの自分のセリフに何かを呼び覚まされたのか、ミミコは自分の腕時計を見ながら、こう言った。

「うさぎちゃんで思い出したよ。たしか四時から、無印むじるしキュープリの放送があるんだったよ。

窓居さん、マー兄、ごめんなさい。あと数分したら、ミミコの一番好きなアニメの再放送が始まるんで、自分の部屋に観に行ってもいいですか?」

甘々のミルキィボイスで、しかも上目遣いでそうお願いされて「ダメ」と言える男は、この世界にそうはいないだろう。

ぼくはもちろん「どうぞどうぞ」と答え、さすがに榛原は苦い表情を隠せなかったものの、一言「わかった」とオーケーを出したのだった。

ミミコがいなくなってから、ぼくは榛原に尋ねてみた。

「ミミコちゃんの一番好きなアニメって、なんだい?
もしかして、『変身少女キュート・プリンセス』?」

榛原は答えた。

「そう、それだ。さっきミミコが『キュープリ』って言ってたアレだ」

ぼくは取りたててアニメファンというわけではないし、ましてや小さな女の子向けアニメを好んで視聴する特殊な趣味のオニーサンではないが、人気番組キュープリの存在くらいは知っていた。
十数年前に始まってタイトルを少しずつ変えながらいまだに続いている、少女の変身物のアニメシリーズだ。

榛原が、解説してくれた。

「ファンの中では、一番最初に作られた『変身少女キュート・プリンセス』は無印と呼ばれて、最も人気があるらしい。

俺も元はこのアニメについて詳しいことをなにも知らなかったんだが、あまりにミミコの話の中に頻繁に登場するんで、自然と細かいことまで知る羽目になっちまった。

で、さっきのミミコの話にも出てきた兎川うさぎとは、無印キュープリの主人公、キュープリラビットの本名で、小さくてドジっ子なんだが、人一倍正義感が強くて向上心のあるキャラクターだ。

ミミコは自分をそのうさぎに重ね合わせて感情移入し、応援しているってことなんだ」

「なるほどね。さっきのミミコちゃんの発言がようやくよくわかって来たよ。

つまり、ミミコちゃんは、十年以上前からキュープリの主人公のことが大好きで、いまだに自分の理想像として崇拝しているんだね」

「ああ、そうだ。あの手のアニメは、女の子なら誰でも一度は好きになってハマる、そういう通過儀礼みたいなもので、それ自体に何の罪もない。

女の子たちは何年間か夢中になって観ているが、小学校の高学年ともなると現実の異性との付き合い、つまり恋愛に興味が出てきて、自然とキュープリ的なものから卒業して行く。

だから、あの手のアニメは就学前から小学校の、せいぜい中学年くらいまでが対象だ。

それを中三のわが妹がいまだにハマって観ているというのは、兄の心を寒からしめている、それはわかるだろ?」

たしかに。兄としては、いつまでも精神的にコドモのままでいる妹の様子を見ているのは、かなり不安があるはずだ。

でも、榛原がその程度の悩みで、いつものクールさを失ってしまうとは、ぼくには思えなかった。

思い切って、駒を前に進めることにした。

つまり、ぼくはこう榛原に尋ねた。

「でも、今回のトラブルの大元は、そんなところにはないんだろ、榛原?」

榛原は、黙ったまま、首を縦に振った。

⌘       ⌘       ⌘

「妹に盗み聴きされちゃ、困るからな」と前置きしてから、榛原はいつも以上に小声で話し出した。

榛原にとってミミコは、2才しか年が離れていないものの、距離感の取り方がなかなか難しいきょうだいだった。

ご存知のように、榛原は180センチほどの長身、対するにミミコは145センチ前後の超ミニサイズであり、顔立ちも大人びた榛原とロリなミミコ、さらにはそのキャラクターも、策士の兄にド天然な妹とまさに正反対だった。

休日に連れ立って歩けば、仲のいい兄妹というより、大のオトナがいたいけな幼女をかどわかそうとするような犯罪臭を心ならずも帯びてしまい、榛原いわく「何度おまわりさんの職務質問に引っかかったか知れない」とのことだ。

そんなこんなで、基本的に兄妹仲は悪くないものの、兄マサルが世間の目を意識した結果、妹とは一定の距離を置くようになったそうだ。

究極のロリ妹を持ってしまったがゆえの悲劇。
同情を禁じ得ないな。

ところが、そんなふたりの微妙なバランスを大きく揺るがすような事件が起きたというのだ。

「けさ、というかきょうの午前二時ごろ、初めてそのことを知った。偶然に」

夜中、ふと目を覚まして用を足すために自室から廊下に出ようとした榛原は、ひとりの女性がパジャマ姿のまま、玄関から表に出かけようとしているのを見かけてしまった。

背格好から言えば、榛原の長身の母親のように見えたが、髪が長いのが、日頃ショートカットの母親にしては変だ。
不審に思った榛原は、その後をけることにした。

と、ここまでの流れで「なんだか、第1章で窓居圭太(とその従妹いとこ)が圭太の姉しのぶを尾行した展開によく似ているなぁ」と思われた方がおられるかも知れないが、それは偶然の一致なので気にしないように(苦笑)。

ともかく、その女性を尾けていった結果、榛原はおぞましい経験をすることになる。

女性はしばらく本町ほんまち人気ひとけのない界隈を徘徊していたのだが、街の片隅にある本町公園に来るといきなり立ち止まって、まるで自分が今まで尾行されていたことを知っていたかのように、榛原のほうを振り向いたのだという。

ここからは、榛原の言葉を直接伝えることにしよう。

「感づかれたときは、心臓が止まるかと思ったよ。

でも勇気を出してその女の顔をよく見ると、母でもなければミミコでもない、全然見たことのない顔をしている。
年の頃は、はたち過ぎだろうか。
化粧こそしていなかったが、いや化粧など必要ないぐらいと言うべきか、これまで見たことがないくらい、整った顔立ちの女だった。

しばらく離れたところにいた彼女が、ゆっくり俺のほうに近づいて来て、着ている服がはっきり見えるようになった。

見覚えのある、キュープリラビットのキャラをあしらった女子小学生向けのパジャマを着ていて、サイズが合わないので、パッツンパッツンになっている。
ズボンに至っては、七分丈だ。

そこで、俺ははっきりと確信した。

この女は、ミミコなんだと」 (続く)

          

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