約束の大空

佳川鈴奈

30.久しぶりの再会 - 舞 -


新選組の屯所で暮らす生活。


その生活が今の私にとって当たり前のように
なりかけていたある日、その日は突然訪れた。



「加賀さん、小さな子供が表に」


そう言って屯所前を守る隊士の一人が
庭掃除をしていた私に声をかけた。


今までならあり得ない。


なのにここの生活に馴染みすぎた私には、
こうやって隊士たちも部外者扱いではなくて、
ここに生活する仲間として受け入れてくれている気がした。



そう……仲間……。



だけど私には忘れてはいけない二人が居る。




晋兄と義兄……二人は何処にいるの?


心に思い続けるのは、
私の大切な二人の無事……。






*


……そう……



彼らを……守りたいから、
大切な人を守りたいから……
私は……この場所に居るのだから。


*



心の中、まるでもう一人の私が
そこに居るように湧き上がってくる言葉。


意識の奥に引きずられそうな感覚に、
頭を振って気を紛らわせると
そのまま箒を壁に立てかける。



「すいません。
 今行きます」



そう言って屯所の入り口の方へと向かった。

屯所前に居たのはまだ小さな子供。


その子供は当然ながら、
私が知る由もない存在だった。



「お姉ちゃんが舞姉ちゃん?」


訪ねてきたのは
兄妹の関係らしい子供が二人。


大切そうにお団子を抱えて嬉しそうに
笑う妹っぽい女の子。


お兄ちゃんらしい男の子が
そう切り出す。


「えぇ。
 私が舞よ」


屯所内に居る隊士たちに会話が聞かれてもいいように、
当たり障りのない言葉を切り返す。



「今日、お使いに来たんだ」
「来たんだ」


兄の言葉を真似るのが楽しい妹。



「これ、兄ちゃんから預かってきた。
 舞姉ちゃんは読んだらわかるって」


そう言って手渡されたのは小さく折られた文。


差し出されたそれをゆっくりと受け取ると、
にっこり微笑み返す。



「じゃ、渡したからな。
 ほら、行くぞ。タキ」



そう言うと、男の子はタキと呼ばれた
女の子の手をひいて屯所を後にする。


「有難う」


手渡された手紙を帯の間に挟んで、
そのまま隊士たちに声をかけて中に入る。


早々に庭掃除を終わらせて、
自分の部屋に引きこもると、
ゆっくりとその小さく折られた手紙を開けた。




*


今宵、
最初の宿で待つ


*



短く、それだけ記された手紙の筆跡は
見覚えがある、義兄のものだった。


晋兄と義兄に会える。


それは私にとっては嬉しいことで、
だけどこの場所で、その喜びに浸ることは出来ない。




ここの人たちは、晋兄や義助さんたちと
敵対している幕府の人たちなのだから。


この手紙も落として見られたら大変だよ。


最後にもう一度手紙を開くと、
文に綴られた義兄の筆跡を
上からなぞるように指先で触れる。




大丈夫。




もうすぐ会える。




ずっと思い続けた二人に再会できる。



だからこの手紙も手元になくてもいい。


何度も暗示をかけるように自分に言い聞かせると、
庭掃除をした草と一緒に文を燃やしてしまおうと部屋を出た。


先日草むしりをした、青々とした草が枯草へと姿をかえた今なら、
この手紙も一緒に燃やしてしまえる。

その草を両手で掴むと庭の隅で火をつける。

そこにゆっくりとくべる義兄からの手紙。


手紙は火の赤に包まれて
すぐに焼き尽くされてしまう。


誰にも見られてないと思ったのに、そうは上手くいかない。




「おいっ、何を隠した?」



私の座り込んだ背後に迫って、トーンの低い声を突き付けるのは
鬼の副長と呼ばれる土方さん。


この人だけは私がここに連れてこられたその日から
今日まで一度として態度を変えることがなかった。


だからって、私は何も言えない。



「何も隠してません。
 ただ紙を燃やしただけ。

 土方さんもご存じのとおり、
 私も瑠花も花桜も、他の時代からここに来たの。

 向こうに帰って勉強が追いつけなかったら
 どうしてくれるの?

 一日一日、勉強しなかったら単語も漢字も忘れてしまうの。

 競争社会生き残れないの。
 その為に勉強して何処が悪いの?

 だけど未来のものなのよ。
 この時代には本来使われてない知識の勉強。

 証拠隠滅に燃やすしかないでしょ?
 この時代には残しちゃいけない情報なんだから」




ムキになって言い返す私。
嘘だけど嘘じゃない。



だけど義兄からの手紙と待ち合わせ場所を
知られるわけには行かないから。



そして私にはやりたいことがある。
 



*


『……そう……。



 何処かで歴史を変えたいの。
 もう悲しまなくていいように。

 泣かなくていいように。


 ただ……歴史を変えたいだけ』




まただ……。

心の奥底から湧き上がるもう一つの声が
私の心とシンクロしていく。







- 回想 -




瞼の裏側に焼きついたように流れるのは……
いつかの見た夢。


殺される義兄。



『いやぁ~』


真っ暗な暗闇に包まれたその場所に響く叫び声。


その隣には斎藤さんがいて足元には血を流して倒れている浪人。

その人の傍で、ゆっくりとお腹に手を当てて
微笑む……存在(ひと)。


……あれは、私……。




でも次の瞬間……晋兄も義兄も、
この場所にいる人たちも……真っ赤な血に染まって倒れてしまう。


……いやっ……。


こんな最後は、もういらないから。



逃げたくても逃げ出せない映像の恐怖。


気を紛らわすために頭をどれだけ振っても
逃げ切ることなんて出来なくて私の意思を無視して
次から次へと瞼の裏側に浮かび上がっては消えていく。




「いやっ、もうやめてっ!!
 私をかき乱さないで」



そんなな言葉をその場で罵りながら
私の意識はまた沈んでいった。



目が覚めたら……自分の部屋の布団の中に
居るみたいだった。




誰が連れて来てくれたんだろう……。




確か土方さんに疑われて。 




まさか、土方さんが?




思い浮かんだビションを払拭するように
全否定する私の心。



枕元には、何時でも食べれるようにと花桜と瑠花が、
準備してくれたらしいおにぎりが用意されていた。


ちょうど正直なお腹は、
グーと音を鳴らしそのおにぎりに手を伸ばして、
ゆっくりと頬ばった。



具も何も入っていない、
ただの塩おむすび。




だけど……とても優しい味がした。



ご飯を食べ終えると、
自分の部屋からゆっくりと抜け出す。


周囲は随分と日が落ちて、
真っ暗だった。


息を潜めながら、屯所内の抜け出して
駆けていくのは京に来て最初の夜に泊まった宿。


流行る気持ちは、私の足をその場所へと少しでも早く着くように
前へ前へと踏み出させていく。




「あぁ、アンタ……」




宿に着いた途端、私を覚えてくれていた女将さんが
中へと迎え入れてくれた。




「ご無沙汰しています。
 晋兄と義兄は?」



口早に伝えると、女将さんは一つの部屋に
私を案内してくれる。

女将さんの後、ついて上がったその先の部屋に
逢いたかった一人、義兄の長身の姿が見えた。



「義兄!!」



溜まらなくなって抱きついた私を義兄は抱きとめると、
ゆっくりと髪を撫でて肩をさする。


「逢いたかったの」


何度も何度も繰り返しつぶやいた。



嬉し涙を落ち着かせて、ゴシゴシと手のひらで涙をふき取る私に、
自分の手ぬぐいを差し出す義兄。


それを受け取って、
その手ぬぐいに涙を吸収させていく。




「今まで何処に行ってたの?」



問いかけた言葉。
私の知らない義兄と晋兄の時間。




「舞、落ち着いて」



義兄の言葉が聞こえた後、私の座る前にも机が置かれて
そこに食事が並べられる。



「食べながら少しずつ」



促されるままに、お皿の中のご飯に箸を進めながら
ゆっくりと空白の時間を話した。



「下関でアメリカ商船を砲撃してきた。
 京に戻ったのは少し前だよ」

「ならっ、晋兄は?」

「晋作?知らないね。

 彼と僕の道は、違えてしまったみたいだ。
 あんな臆病者は気にするに値しない」
 


義兄はそう言うと唇を噛みしめたまま黙り込んでしまった。



無言の時間は、私にとって苦痛の時間で、
そんな時間をやり過ごすために、意識を集中させて
箸を進めながらゆっくりとやり過ごす。



「久坂さん、失礼します」




二人だけの部屋に、ズカズカと入ってきたのは
私の知らない数人の男たち。



「貴様、新選組にいるらしいな。
 奴らの弱点を聞かろ」



長州の人たちだと思わせるその人は、
私を脅迫するように次々と質問を浴びせてくる。


近づいてくる顔と体。


座っていた場所から立ち上がり、
逃げるように後ずさりをする私の背後は、
もう逃げ場所がない障子。
 


ここは隣の部屋の障子。
もう逃げれない。 


そう思った時、突然の隣の障子が開け放たれて
姿を見せたのは斎藤さん。


思わぬ登場に言葉すら出てこない。


斎藤さんの隣には、確か……
花桜にちょっかい出してらしい監察方の山崎さん?


すぐに私は斎藤さんに守られるような形で彼の背後にまわされ、
彼の登場に緊張が走った長州の義兄以外の奴らは剣を抜いて、
斎藤さん目がけて向かってくる。


そんな彼らの太刀筋を見極めて切り返していく斎藤さんと、
クナイで切りつけて援護する山崎さん。



次々と倒れていく長州の人たち。
その切っ先は義兄へと向けられる。




ダメっ。




「いやっ、二人ともやめてっ!!」



二人の間に強引に割り込む私。



もう恐怖も何もなかった。

どちらも……失いたくないから。




「やめてっ!!
 義兄も斎藤さんもやめてください。

 私が……何も言わずに一人でここに来たから」



私がここに来たから、
二人が戦うことになってしまってる現状。

こんなことを望んだわけじゃないのに。
もう誰も犠牲になんてなって欲しくない。



「今日、義兄に聞きたかったことがあるの。
 私はこの場所に未来からやって来てる。
 
 この世界のこと……どうなるか知ってるの。
 池田屋事件、そこで長州は負ける。

 義兄も塾仲間の一人を失う。

 そして……あなたも……。

 そこまでして……そこまでして、
 義兄さんは……それをしなきゃいけないの?」


勢いに任せて吐き出した言葉。
嗚咽と一緒に絞り出した言葉。


未来も歴史もどうだっていい。


ただ大切な人を守りたいだけだから。
  

泣き崩れた私に、義兄は刀をおろして
ゆっくりと肩に触れた。





「舞、君が何を言おうと僕は僕の意思を変えることはないよ。

 例え、それがどんな結果であっても。
 僕の誇りは、そこに刻まれているから。

 舞……覚悟は出来てる。

 京に来る前に、一生分の雑煮は食べてきたから」




京に来る前に一生分の雑煮を食べてきた。


そう言った義兄の言葉は裏を返せば、
もう死ぬ覚悟はとっくに出来ていると宣言されたことと同じで。
 

その言葉に何も言い返せなかった。




「舞……倖せにおなり……」  



義兄は、そう言って私の前から姿を消した。


私が義兄と言葉を交わした最後の夜。


どれだけ強く望んでも、未来も歴史も
簡単に変わってくれない。




この時代を生きる強い力が、未来からきた小さな力の言葉なんて
全て飲みこんでしまうようで。










「帰るか」






そう言うと、
斎藤さんは私をゆっくりと抱え起こした。





「あっ……の……。
  ここの人たちは?」


「後は土方さんに任せる。
 山崎君が伝達に行ったはずだ」




私は斎藤さんに支えられるようにして、
その宿を後にした。





真っ暗な夜に、時折ふく生暖かい風が
不気味な夜だった。




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