約束の大空

佳川鈴奈

3.真っ白な世界 - 舞 -





深く息を吐き出してゆっくりと目を開くと、
周囲をキョロキョロと見渡す。


畳……?。


布団の上で体を起こすと体に痛みが走った。



「気がついたのか?」




襖が突然開いて、隣の部屋から入ってくる男の人。




「海岸で助けて以来
 眠り続けて……」





えっ?




海岸で助けた?
眠り続けてた?





私の前に腰をおろしてゆっくりと手を伸ばして
髪に触れる……その人。





……貴方は誰ですか?……




目覚めたところは知らない場所。




そして目の前に座ったその人のことも
私は知らない。



気が付いたらこの部屋で寝かされていた。




「名前は?」




その人に尋ねられるものの
何も思い出せない。





靄(もや)がかかったような真っ白な世界が、
私を包み込む。



何かを考えようとすると頭痛が酷くなって
両手で頭を抱え込みながら首を振る。




「おいっ。
 何やってんだ?」



その人の声が遠くで微かに聞こえた気がしながら
私の意識はまだ遠のいていった。




次に目が覚めたときも、
同じ布団の中で寝かされていた。



文机に向かって何かをしてる
背中に気が付いて、
ゆっくりと体を起こした。




「気が付いた?
 
 まだ横になってる方がいいよ」



その人は、分厚い本をゆっくりと閉じて
立ちあがると、私の方へとやってきた。



さっき来てくれた人とは違うみたい……。



「晋作から聞いたよ。
 名前……思い出せないの?」





晋作?



名前?





何……。



「あぁ、晋作って言うのはさっき会ったよね。

 高杉晋作。
 
 近所の海岸に打ち上げられてた
 君を助けて連れて帰った。

 僕は……義助」



その人は、ゆっくりとした口調で
私の身に起きた出来事を教えてくれた。



「義助さん……」

「そう……。
 
 君は記憶を失ってしまったんだね」





記憶……?




私は失ってしまったの?






「久坂、入るぞ。

 女子は気がついたか?」




再び襖が開いて姿を見せたのは
義助さんが晋作と呼んだ人。



「……晋作……さん?」

「あっ、あぁ。
 名前、覚えたのか?」



その人の言葉にゆっくりと頷く。


「晋作。

 少し話してみたけど
 覚えてないよ。 

 この子……」


「そうか……。
 
 久坂、お前の介抱の仕方が
 悪かったんじゃねぇか」

「僕の責任にするの?

 晋作なんて夜中に寝てる僕を
 叩き起こして、この子を強引に
 僕に預けただけじゃなかった?

 助けろって」




晋作さんと義助さんは、
私なんかお構いなしに二人会話を続ける。



「あっ、あの……。

 すいません」



そんな二人に謝るしか出来なくて。


「君は悪くない。

 助けたのは俺だ。

 そこに辿りついて俺が見つけたのも
 何かあったんだろう」



男らしい顔をしたその人は、
真っ直ぐに私を捉える。



「あぁ、晋作。
 これを返しておかないと……」


義助さんがそう言って立ち上がると、
手に何かを持ってゆっくりと近づいてきた。


「そうだな。

 君を助けたときに、
 君が身に着けていたものと
 握りしめていたものだ」



そうやって、目の前に広げられたものは
全て記憶にないもので。



見たこともない形をした布。



今、私が着せてもらっている
衣服とは違ってる。


その隣にある袋の中に入ったものも
全て……身に覚えのないものばかりだった。






「思い出せないか?」





手に取って無言のまま固まる私に
晋作さんが声をかける。



「晋作、
 焦らせてはいけないよ」



義助さんはそうやって言ってくれたけど、

何……。






どうして?






私の物だって教えてくれたそれを
どんなに見つめても、見慣れないものばかりで
触れても何も思い出せない。




考えようとすると、
靄がかかってひどい頭痛が押し寄せるだけ。





でも思い出さなきゃ。





私……誰なの?





何で……ここにいるの?





「おいっ。
 無理するな」

「そうだよ。
 無理しなくていいから」




二人はそう言ってパニックになりそうな
私の背中をさすってくれる。





「高杉、久坂出掛ける時間だ」



いきなり襖が開いて、
もう一人の見慣れない人が顔を見せる。



「栄太郎、
 今、行きます」



義助さんは立ち上がると
ゆっくりと部屋を出て行った。





晋作さんは座ったまま、
力強く抱きしめてくれた。




「君のことは、
 俺がみる。

 今はゆっくり休んだらいい。

 何もかも忘れて、この長州の海を眺めて
 過ごせ。

 名前がないと不便だな。

 何時までも君ばかりじゃ味気ない」





そう言って、
その人は……私の持ち物とされた
何かを手にとってペラペラとめくった。




「……舞……。

 舞でどうだ?。

 君は名前も記憶も忘れて
 突然、俺のもとに舞い込んできた」

「……舞?……」

「あぁ。
 
 舞、今日からの君の名だ」






……舞……。






初めて紡がれる名前のはずなのに、
その名を紡がれるたびに心の中が少し暖かくなった。




「……舞……」

「あぁ。

 舞だ……。
 少し俺は出掛ける。

 この屋敷は自由に使えばいい」



晋作さんはそう告げると、
部屋を出て行ってどこかへ消えて行った。






一人残された部屋。




布団の中から立ち上がって
裸足のまま、畳の上を歩いていく。



義助さんと晋作さんが出て行った
襖とは逆の障子をゆっくりと開け放つ。





潮の香りと共に冷たい風が
頬に触れていく。









知らない場所。



真っ白な世界。










私……この先、
どうしたらいいの?







そればかりが押し寄せる。






海の調べだけが静かに耳を
くすぐっていた。






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