君がいないと

夏目流羽

5:唯一の光

翌日ーーー

昨日教えられたビルの前
確認すればそれはオフィスがいくつも入っているわけではなく、俺でも名前は知っている大手出版社の自社ビルだった。

学生時代、本屋でアルバイトをしていた晶
付き合う前……一方的に俺がアプローチしていた頃、よく本屋の隣のカフェで待ち合わせをした。ちょっと強引に約束を取り付けて。
そんな時、戸惑いながらもちゃんとカフェで待っていた晶はいつも本を読んでいた。
お堅い啓発本や小説が好きなのかなと思っていたけれど、実際8割は漫画だと知った時はどれだけ笑ったか
ーーーどれだけ、愛しいと思ったか

そっか……本に関わる仕事に就けたんだね
すごいな、晶は。

訪問に適しているという10時過ぎになるのを見計らって、俺は中へと踏み込んだ。

頼むから、居てくれよ

「すみません」

受付に声を掛けると、俺より少し年上かなというくらいの若い女が目を丸くしてぽかんと見返してきた。
一応いつもよりちゃんとした服装をしたつもりなんだけど……スーツじゃないと駄目だったか?
なんて少し不安になって見返したら、慌てたように姿勢を正して頭を下げられる

「あ、し、失礼致しました。ご用件は?」
「……あの、瀬野晶さんはいますか?」
「少々お待ちくだーーーあっ」

パソコンを操作しかけた手を止めて、彼女は俺を見上げ少し眉を寄せた。

「編集部の瀬野でお間違いないでしょうか」
「え?あ、えっと……はい」
「申し訳ございません。瀬野は先日退職致しました」


ーーー目の前が、真っ暗になった。


……退職?
なんで
じゃあ
つまり
もうここには居なくて
逢えないって、こと?

唯一の希望が崩れ落ちて、足が微かに震える
何も言えないまま額に手を添えて俯くと

「あの……瀬野君のルームメイトさん、ですよね?」

思わぬ言葉に驚いて顔を上げると、見つめてくる彼女は周りに聞こえないよう小声で言葉を続けた。

「私、瀬野君と同じ大学だったんです。ここにも同期入社だし、よく話したりしてました」
「…………」
「一人暮らしをやめてルームシェアしてるって聞いたことがあって。写真もその時見せてもらったんです」

とっても仲良さそうなツーショットで!と笑う彼女に苦笑しか返せない

「ほんと急に退職するって聞いた時はビックリしました!」

聞けばそれは1ヶ月前ーーー俺の前から居なくなったのとほぼ同時期だった。
引き継ぎなど色々済ませて、ついこの間退職したらしい

「あの……辞める時次どこで働くとか言ってなかったですか?」
「全然。落ち着いたら連絡するとか言ってまったくこないから心配してたんです」
「連絡先、とか」
「携帯も変えるからって言ってて、確かにメッセージアプリのアカウントも無くなっちゃって……」

最後の望みも簡単に打ち消されてーーー
もう言葉も出ないままに立ち去ろうとした時

「昨日やっとメッセージ来てかなり安心しましたよ!転職先も決まったみたいだし良かった」
「…………え?」

かろうじて、聞き逃さなかった言葉
笑顔で見上げてくる彼女を見つめ返し、震える唇でなんとか言葉を紡ぐ

「どこ……」
「え?」
「どこに転職?晶は今どこにいるの?なんて言ってましたか?元気そうだった?」

浮かんだ疑問をすべて口に出して、ポカンとしている彼女の肩を掴みさらに詰め寄った。

「どこに行けば、晶に逢える?」

俺の言葉で、ようやく状況を理解したんだろう
困惑したまま彼女は口を開いた。

「えっと、あの、多分あなたにもすぐ連絡くると思いますよ……?」
「きません。だから、教えてください」
「け、喧嘩でもしたんですか?」

答えられずに唇を噛み締めると、申し訳なさそうに眉を下げて俯かれる
“喧嘩して絶縁状態の元ルームメイト”に、勝手に居場所を教えていいものか迷っているんだろう
それは当たり前なこと
でも、無理
どうしても教えてもらわないと
晶に逢える最後のチャンスなんだ

「頼むから……教えて……っ」

俺は受付カウンターに両手をついて深く頭を下げた。
息を呑む気配がする
そりゃ驚くよね……元ルームメイトの居場所聞くために頭下げるなんてさ
でも、もうどうでもいいんだ
誰にどう思われたって、笑われたって。
晶に繋がるなら、なんでもいい

「あの、顔上げてください……!」

慌てる声も無視してそのまま頭を下げ続けていたら、不意に後ろから肩を強く引っ張られた。
驚いて振り返ると、目の前には帽子とマスクで顔がほぼ隠れた黒ずくめの男が立っていて

「ちょっと来い」
「え、なに……」

そのまま腕を引かれ問答無用で引っ張られていく
あまりに突然のことで抵抗もできずに、そのままエントランス奥にある待合スペースまで連れて行かれると

「座れ」

小さな丸テーブルを挟んだ対面に座るよう促された。
訳も分からぬままとりあえず座ると、マスクをずらした男が薄い唇から嘆息を吐き出した。

「お前が蓮か」
「……あんた、ダレ」
「俺は佐倉瑛人。一応、作家」

まぁお前みたいなタイプは読まない分野のな、と付け足され思わず顔をしかめると、男ーーー“瑛人”がほんの少し笑ってから言葉を続ける

「瀬野晶は入社当初から1年以上俺の担当だったんだ」
「……担当」
「まぁ俺だけじゃなくて何人も掛け持ってたみたいだけど。こんな大手でも人手不足なんだからどうしようもねぇよな」
「……」
「あいつ仕事熱心だし真面目だから体良くこき使われて。俺みたいに締め切り守る優良作家は珍しいから、残業続きだっただろうよ」
「……ん、いつも遅くて……」
「まぁ1年以上定期的に顔合わせると、なんだかんだ話もするようになる。たとえば、同居してる年下の男のこととか」
「……っ」

思わず息を呑んで見つめると、瑛人は片手で頬杖をつきながらうっすらと笑った。

「遅くなったら拗ねてふて寝するだとか、朝は起こしてやらないと多分永遠に起きてこないとか、自己管理が適当だから食生活に気を付けてあげないといけないとか」
「え、晶は、俺とのことーーー」
「年下のルームメイトって言ってたけど、どう聞いてもあれはただの惚気だったよ」

晶……そんなに俺のこと話してたんだ
なんとなく
晶は俺との関係を隠したがってると思っていたから、すごく意外だ
なんだよ
それなら俺だって、もっと周りに話したし
ツレにも紹介して一緒に飯行ったりとか
付き合う前みたいにカフェでのんびりしたりとか
もっともっと、色々できたのに。

「それより本題だけど、瀬野の転職は俺が勧めたんだ」
「え……」
「日に日にやつれていく姿、見てられなくてな。純粋に本が好きだって目輝かせてたあいつに戻って欲しかったし」
「……晶は、どこにいるんですか」
「俺が掛け持ってる別の出版社に紹介した。ここほど大手じゃないけど、作家との繋がりを大切にする良い会社だと思う。勤務形態もここよりはマシなはずだ」
「……ありがとうございます」
「お前に礼を言われる筋合いはねぇよ。だってもう過去のことだろ?」

ドクンーーーと心臓が大きな音を立てて、それからツキンと痛んだ。
なにも答えられない俺をじっと見つめる瑛人
その瞳をただ見つめ返していたら、不意に視線を外した彼が小さく口を開いた。

「大切なのは、“今”と“未来”だと思う」
「……え?」
「まぁ思ってたよりはマシな目をしてるし、さっき必死に頭下げてるダセェ姿も見たしな」

思い出したのかクスクスと笑いだす瑛人
その笑顔は思いのほか親しみやすくて、晶が色々話すくらい心を許していた理由がわかった気がした。
思わずそのまま見つめていたら、はぁと小さく息をついた瑛人がズラしていたマスクを付け直して立ち上がる

「転職先も連絡先も教えない。そもそも転職は来月からだしな」
「……っ」
「ただ、今日は学生時代のバイト先に顔を出すって言ってた。転職先の大手取引先だから先に挨拶しておくって」
「!!」
「午前中って言ってたっけな」

腕時計を見やれば10時30分を少し回ったところで
“あの”本屋まではここから15分くらい
本屋の開店は早いから、午前中といってももう遅いくらいかもしれない。急がないとーーー

ガタンと立ち上がった俺を満足気に見やって、瑛人は受付の方へと歩いて行った。
そこにはスーツ姿の社員らしき男が待っていて、これからなにか打ち合わせでもあるんだろう
俺はその背中に向けて深く頭を下げてから、ビルを飛び出した。

1ヶ月前
晶を探し始めた時にまず駆け込んだそこは、店員の顔ぶれもすっかり変わっていて当時の店長も異動していた。
晶のことを知っている人が居なくて、本当に世界が真っ暗になった気がしたっけ
まるで、元々俺と晶の繋がりなんて何も無かったかのようで
一緒に過ごした2年間が、すべて夢だったんじゃないかとさえ思えて。

もう2度と行きたくないと思ったその店が、今は俺たちを繋ぐ唯一の光

転職先も、連絡先も、晶に直接教えてもらうんだ

番号を取り戻して
笑顔を取り戻して
温もりを取り戻す

もう一度、この手の中に。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品