異世界に転生した幕末最強の剣客は人類の存亡を懸け竜に抗う

高見 梁川

仏生寺弥助

 江戸に三大道場といえば、北辰一刀流の玄武館、鏡心明智流の士学館、神道無念流の練兵館のことを指す。
 その中の練兵館は、一説に位桃井、技の千葉、力の斎藤と謳われた力の斎藤こと斎藤弥九郎が設立した一大道場である。
 のちに志士として知られる桂小五郎
木戸孝充
が塾頭を務めたことでも有名で、初代総理大臣となる伊藤博文や高杉晋作、井上聞多

などもここで修行の日々を送った。
 その練兵館に、勝負において誰の追随も許さない無敵の『閻魔鬼神』と呼ばれる男がいた。
 ――――仏生寺弥助
 自分が歓迎されていないのがわかっているのか、不貞腐れたように弥助は胡坐をかいて道場の壁に背中を預けていた。
 髪は乱暴に刃物で切ったのか、ところどころか不揃いで、どこか世を拗ねたような目つきの悪い男である。
 身体も鍛え抜かれたと評するには程遠く、まるで役者のように肉のついていないスラリとした体つきをしていた。
 身長は五尺三寸
約百六十センチ
、決して体格に恵まれているともいえない。
 それでもなお、彼が江戸三大道場のひとつ、練兵館最強の男であることは誰も否定のできない事実だったのである。
「――――まだこないのかい? その宇野金太郎って男はよぅ」
 来ないなら来ないで早く酒が呑みたい、とわがままをいう弥助を道場の主、斎藤弥九郎の三男である斎藤歓之助は苦りきった顔で押しとどめた。
「もう少し待て。せっかくお前の借金を肩代わりしてやるんだ。少しは大人しくしていろ」
 弥助が他流試合の代打ちとして呼び出されるのは、これで何度目になるだろうか。
 練兵館一の腕を持ちながら、弥助は道場の仲間にとってこんな時にしか役に立たない厄介者でしかなかった。
 なんといってもまず修練をしない。ほとんど道場にも寄りつかず博打や色街に出かけては遊興にふけるだらしのない男で、たびたび借金が払えなくなっては金を無心にくる男であった。
 憎らしいことに、それでもこの男が最強なのである。
 聞けば三月ほど前、信濃で金がなくて行き倒れかけていたところを同門の高杉晋作に助けられたらしいが、立っているのもやっとなほど飢えているのに、調子に乗って晋作が勝負を挑んだら手も足も出ずに敗れたという。
 ――そんな顔も見たくない憎らしい男に頼らざるを得ない自分が、なんともいえず歯がゆくもどかしかった。
 歓之助とて、好き好んで弥助の力を借りているわけではない。
 師である斎藤弥九郎を除けば、道場で表向きに最強なのは塾頭ということになる。
 困ったことにその塾頭である桂小五郎も、歓之助もすでに宇野金太郎に完敗していた。桂小五郎にいたっては右手首を骨折して、しばらく道場に出ることもできない有様である。
 いかなる不利な体勢からでも後の先をとる宇野金太郎の小手。
 練兵館ばかりか玄武館や士学館でも、江戸に名高い高弟が宇野の小手の前に敗れ去っているというもっぱらの噂であった。
 このまま無敗で宇野を返しては江戸三大道場の名が廃る。
 歓之助が心を鬼にして厄介者の弥助を頼ったのには、そんな事情があるのだった。
「お待たせしたかい?」
「いや、たびたびのお越し、痛み入る」 
 一刻ほど遅れてやってきた宇野は、意外にも弥助とさほど変わらぬ、むしろ小柄な体格の男であった。(※ 史実では歓之助と弥助のほうから岩国に出向いています)
 男ぶりもよく、錦絵にでてきそうな苦み走った男前である。桂小五郎もまた美男で知られる男であり、この二人が戦った試合はさぞや絵になったことだろうと弥助は思う。
 刻限に遅れてきたとはいえ、桂小五郎、斎藤歓之助と連敗しているところをわざわざ道場まで足を運んでもらったのだ。
 歓之助も宇野金太郎を強く非難できないのは当然のことであった。
「…………あんたかい? 練兵館の秘蔵っ子っていうのは」
 強者は強者を知るものか。宇野は道場でひと際異彩を放っている弥助をすぐに見つけ出した。
「俺は素行が悪いんでね。気が向かなきゃ戦ったりしないのさ」
 宇野の言葉に、はっきりと歓之助は顔を曇らせる。
 息子であり、塾頭でもある自分こそが弥九郎の後継者という思いがある。弥助のようにごろつき同然の男が父の秘蔵っ子と思われるのは心外なのだ。
 だが現実は彼の思いを裏切っていた。弥九郎の剣を誰よりも体現しているのは、目の前の風采の上がらぬ男なのだった。
「要はあんたを倒せば、練兵館は負けを認めるってことだろ?」
「ま、そういうことになるけど、無理だろ。お前より俺のほうが強いからな」
「大した自信だが、桂殿のようにならぬといいがな」
 余裕と凄みのある宇野の嗤いを見て、再び歓之助は苦い顔をして唇を噛んだ。
 色男でいささか自信過剰の気質のある桂小五郎だが、その腕は十分に塾頭にふさわしいだけのものがある。
 柳生新陰流の免許でもあり、あの新選組の(この時点ではまだ江戸試衛館の館長だが)近藤勇をして「あれほど怖い剣士はいない」と言わしめ、直心影流で有名な男谷精一郎の愛弟子を撃破して名を挙げた男だ。
 その桂が「いつなりと参られよ」と大上段に構えていたら、ほんの一撃で右手をへし折られたのだ。
 正しく練兵館の面目は丸つぶれである。
 ところが弥助は、そんな思惑など歯牙にもかけない。
 ただ借金を肩代わりしてくれるから、別に頭を下げる必要もなく金が入るから来ているだけ。最初から自分が勝つことなど、考えるまでもなくわかっている。
 本人が勝利を疑ってさえいないその傲慢が、その強さが、歓之助にはたまらなく妬ましく、同時に心強くもあった。
「――――面白い。ならば受けてみよ!」
 宇野の得意技は後の先をとる神速の小手だが、突き技にも定評がある。
 素人目には一度突いたように見えない三段突きを、弥助は軽く下から竹刀を合わせて逸らしてみせた。
「ほう……どうやら口先だけの男ではなかったか」
 宇野は弥助に対する警戒の色を深めた。
 こちらの突きの間合いも速度もすべて見切っていなければ、あれほど力を抜いた軽い一撃で宇野の突きは逸らせない。
 やや半身で晴眼の構えをとり、宇野は待ちの態勢に入った。
 相手が攻撃のために前に出たその手首を狙い、カウンターで一撃する。その技を宇野は必殺の領域まで磨きに磨いている。
 だからこそあの桂小五郎が、なんの抵抗をすることもできずに敗れた。
 だが――――いかに血がにじむような必死の努力で手に入れた技だとしても、飛びぬけた天賦の才の前には等しくむなしい。
 そんな理不尽の象徴を、歓之助は何度も、何度もその目に焼きつけてきていた。
「――――面、でござる」
「うん?」
 ゆっくりと竹刀を振りかぶり、大上段に構えて予告面。
 思わず宇野が耳を疑ったのも無理はない。
 胴ががら空きになる上段の構えは、同格の相手の戦いでは滅多にみることのない構えだ。ましてこれから面を打つ、と予告されるなど新弟子の少年時代以来、一度も記憶がなかった。

――――パァン!

「一本! それまで!」
「なっ?」
 気がつけば宇野は鮮やかに面打ちを決められていた。
 いつ打たれた? 一切油断などしていなかった。いつでも小手打ちができるように万全の態勢で待ち構えていたはずなのに、気がついたら打たれていた。そんなことが現実にありうるのか?

「面、でござる」
「くっ!」
「一本! それまで!」
 面を打つと予告され、面が来るとわかっているのに、どうしても面打ちが防げない。立て続けに三本面打ちを決められ、先に宇野の方の心が折れた。
 この男には勝てない、と心の底から認めてしまった。こんなことは人生で初めての経験だった。
「ま、参った! 俺の負けだ!」
「おお! ご苦労さん、あんたもなかなか強かったぜ? それじゃあとは頼まあ」
 もう俺の仕事は終わったとばかりに、弥助はいくばくかの金を歓之助からせしめると、いそいそと吉原へと繰り出すのだった。
「――――どうして天はあんな男があれほどの才を……」
 苦渋に満ちた歓之助のつぶやきは、誰に聞かれるともなく宙へと消えていった。

 そんな弥助に歓之助の兄である斎藤新太郎から出征の声がかかったのは、文久二年の冬のことであった。
 桂小五郎を含めて数々の門弟がいる長州藩を、道場として見捨てることはできないというのがその理由であった。
 またしても多額の借金を抱えて頭を悩ませていた弥助は、二つ返事でその誘いを受けた。
 そして下関戦争に参加した弥助は、幸いにその戦いを生き残り、仲間とともに京都へと向かうことになる。
 ここでもやはり弥助は厄介者であった。
 京島原に通っては女郎を口説き、博打に手を出しては借金を抱えて金の無心。
 勤皇も佐幕も、攘夷も討幕も、貧しい浪人までもが熱く天下国家を語り合った時代である。新時代と旧時代が巨大な熱量を発してせめぎ合っていた、そんな時代であった。
 それを理解する気配もなく、放蕩に明け暮れる弥助がことさら愚かに見えてしまうのも無理からぬことではあった。
 それが弥助には面白くない。
 ことに強さでは自分に全く及ばない者が言うのだからなおさらだった。
 ますます酒に溺れていく弥助に、偶然隣席で酒を酌み交わして意気投合した大酒呑みの巨漢――飲み友達ができた。
 あるいはその飲み友達こそが、弥助のその後の運命を決めたともいえる。
 友の名を芹沢鴨――壬生浪士組
のちの新選組
の局長である。
 同じ神道無念流を学んだ(道場は違う)同門として、理性ではなく本能で剣を体得した野生の剣士として、弥助は芹沢と肝胆相照らす仲となった。
 ともに組織のなかでは嫌われ者同士、一匹狼気質で馬が合ったというのもある。
 壬生浪士組では傍若無人で知られ、恐喝や婦女暴行も平気で行っていた芹沢だが、なぜか弥助には頭が上がらずペコペコと頭を下げては巨体を小さく丸めてうれしそうに酒を飲むのだった。
 おそらくは芹沢は修行や訓練より本能の性が勝るがゆえに、弥助の持って生まれた強さに逆らうことができなかったのかもしれない。
 ある意味、強さというものに対して二人はともに純粋だった。ゆえに互いの強さを素直に認めあい下手なしがらみや見栄を排除して語らうことができた。
 しかしそれは、長州藩に肩入れする練兵館道場の仲間からすれば、弥助の裏切り以外の何物でもなかった。


 文久三年、京の都の八月としては格別に肌寒い夜であった。
 青々と繁った紅葉が夜目にも鮮やかである。
 土産にもらった酒の徳利を口元に運んだ弥助は、ぬるくなった燗酒を喉に流し込むと背中を丸めてブルリと肩を震わせる。
 昼間の陽気の心地よさに、つい薄着してきたことを弥助は後悔した。
 ――こんな寒い夜には人肌が恋しくなるな。
 江戸で無頼の日々を送っていた若い日には、吉原の墨染と呼ばれる格子女郎に随分と貢いだものだ。
抜けるように白い肌と、折れそうなほど細い体に不釣り合いな大きな胸がたまらなく色っぽい女だった。
 おかげで入れこみすぎて借金で首が回らなくなり夜逃げしたこともあるが、それでも男を甘えさせるツボを心得た本当に可愛い女で、こうして会えないことがたまらなく寂しく思える。
 はたしてあんな女がこの京にもいるだろうか。島原の女も試してみたがなかなかに墨染ほどの女郎とは出会えない。そろそろ河岸を変えるべきか、と弥助が考え始めたときである。

「…………そんな物騒な格好をして、今日は出入りでもあったかい?」

 紛れもない鋭い殺気を野生の勘で察知して、弥助は不審そうにスッと目を細めた。
 京都二条橋のたもとにわだかまるような複数の黒い影がある。
 白の鉢巻きに襷がけ。既に鞘から刀を抜き放った完全に戦闘態勢の男たちは、一人残らず弥助の見知った練兵館の男たちであった。
「黙れ! この裏切り者めが!」
 まるで悲鳴のような新太郎の叫びを、弥助は口元を歪ませて深い哀しみとともに受け止めるしかなかった。
 できれば冗談に紛らわしたかったのだが、仲間たちが殺しにきたのが自分であるのは誰の目にも明らかであった。
 たちまち二人の剣士がするすると弥助の背後に回って退路を断つ。
 恩師の息子である斎藤新太郎を筆頭に弥助を囲む剣士の数は十名。いずれも練兵館では手練として知られた同僚である。
「我が練兵館の門下でありながら壬生浪士組と気脈を通じるとは不届き至極! もはや生きては帰れぬものと観念いたせ!」
 新太郎の言葉を弥助は身じろぎもせず俯いて聞いた。
そしてものごころついてからずっと胸に空いていた孤独の穴に、今も蕭蕭という風が吹き抜けていくのを痛感するのみであった。
 その風は、ゾッとするほど冷たく弥助の心を冷やした。
 はたしてこの孤独の風を感じるようになったのはいつからであったろう。
 口減らしに奉公に出され、寂しい漁村の故郷を離れた時であったか、あるいは自分より弱いはずの桂小五郎が練兵館の塾頭に就任した時であったろうか。気がつけば弥助はいつも孤独だった。
 弥助は決して彼らを裏切ったつもりなどない。壬生浪士組に加担して仲間を売ろうなど頭を掠めたことすらない。仲が悪いからといって、どうして同じ釜の飯を食った道場仲間を裏切れようか。
 しかし今、彼に剣を向けているのは、紛れもなくかつて同じ釜の飯を食い、ともに同じ道場で切磋琢磨し苦楽を共にした仲間たちであった。
 彼らの暗い憎悪と、拭いきれぬ恐怖と嫉妬に満ちた目が、弥助が彼らにとって本当はずっと仲間ではなかったことを告げていた。
本当は弥助がずっと理解していながら、認めたくなかった事実であった。
「――ま、しょうがねえか」
 弥助は苦笑して決まり悪そうに頭を掻く。
 好き放題に生きてきたツケがいよいよ回ってきたというべきかもしれない。
 もともと弥助は越中の漁村で生まれた漁民の末っ子、剣の腕はたっても文字も知らぬ無学放蕩で知られた男である。
 借金とりに追われて江戸から夜逃げしたのも一度や二度ではなかった。
 金があったらあったで、吉原の女郎宿に泊まりこんでひと月以上も出てこない。二十も半ばになってからは碌に修行らしい修行をしたことすらなかった。
 人として剣士として、弥助は確かに軽蔑されるべき男であった。
 師匠斎藤弥九郎も、不肖の弟子を心配し、何度改心して学業を修めよと弟子
やすけ
に諭したかしれない。
 なんとなれば弥助こそは、斎藤弥九郎が練り上げた神道無念流の理想を、誰よりも体現した男であった。
 だがそれを知識として弟子に伝えられるだけの学問と知恵が弥助にはない。たとえどれだけ強くても、それでは指導者にはなれないのだ。最強でありながら弥助が塾頭になれなかった理由がそれであった。
 だからこそ弥九郎も口をすっぱくして、ことあるごとに弥助に学問を修めるよう諭したのである。
 しかし持って生まれた才能が誰にも追いつけぬ高みにあったからこそ、結果的に誰も弥助の放蕩を止められなかった。
 強さという剣士としてのアイデンティティを体現する弥助に、礼節や学問を説いたところで、それは負け犬の遠吠えにすぎなかった。
 そして弥助もまた、最強の力を持つがゆえに学問という苦手分野で自分より弱い男の風下につくことを拒んだ。
 くだらないプライドと言ってしまえばそれまでだが、もし実力をもって弥助を矯正できる者がいたとすれば、彼の人生は全く変わったものになったであろう。
 あるいは明治維新の功臣の一人に数えられていた可能性すらないではない。
 それほどに弥助の剣は問答無用に強すぎた。
 後に練兵館最後の塾頭となる原保太郎は言う。「弥助こそ幕末最強の剣士であった」と。
「――――覚悟!」
 生死を懸けた戦いが始まろうとするこの後に及んでも、弥助は仲間がこれほど怒り狂う理由がわからずにいた。
 自分はいったい、殺されるほどの何をしたというのだろうか?
 弥助が親しくしている壬生浪士組局長芹沢鴨は、同じ神道無念流の使い手ではあるが、同じ道場ではないし何より歴とした長州藩の敵であった。
 そんな相手と気が合うからといってそんな男と日常的に酒を酌み交わされては、長州藩に肩入れしている道場仲間はたまったものではない。
 すでに壬生浪士組は京都所司代松平容保の預かりであり、長州藩にとっては不倶戴天の会津藩に与する組織なのである。
 ゆえに、このまま弥助が壬生浪士組に懐柔される前に殺さなくてはならなかった。
 『閻魔鬼神』と武名も高い弥助ほどの使い手が壬生浪士組に入隊するなど、練兵館の看板にかけてあってはならないのである。
 弥助は自分が殺される理由がわからないなりに、無学な自分にはわからない理由があるのだろう、と当然のように覚悟を固めた。
 ――仲間を斬るくらいなら、ここで仲間に殺されたほうが百倍マシだ。たとえ俺がこいつらに仲間だとは思われいなかったとしても。
 貧しい百姓として越中の田舎で一生を終えるはずが、師斎藤弥九郎のおかげで晴れがましい武名も得ることができた。
 弥助が弥助となることができたのは全て弥九郎あればこそであり、なればこそその恩人の嫡子に剣を向けられるはずがない。
 弥助なりの覚悟として、師に迷惑をかけることがあるとしても、師を裏切ることだけは認められなかった。
 ――これが末期の酒になるか。
 悠然とすっかり冷えた徳利を口元へ運ぶ弥助を、次の瞬間、深々と三本の剣が貫いていた。
 冷たい刃が臓腑を抉る感覚に、弥助は軽く眉を顰める。しかし存外に痛みは感じぬものだ、と他人事のように弥助は腹から溢れだす血を見つめた。
「なぜ抵抗しなかった?」
 困惑したように新太郎が尋ねる。
 いくら酒を呑んでいても、無抵抗で斬られるような弥助ではない。
 新太郎ほどの剣士が一人では勝てないと諦めたほどの男である。なんの誇張もなく弥助は練兵館最強の男であった。
 ――認めたくはなくとも、納得はできなくとも、道場の剣士は誰もがそれを知っていた。
「……新太郎殿」
 昔から好かれていないことを知りながらも、弥助は命より大事な恩師
やくろう
の面影を残した新太郎を見て微笑んだ。
「言い残したいことでもあるのか?」
「……面、でござる」
 その瞬間、弥助の左手が雷光のように閃き、新太郎の額に毛ほどの傷もつけず鉢巻きだけを斬り落とした。
 抜く手も見せぬ無敵の一撃。
 あらかじめ面を予告され、面が来るとわかっていても誰も防ぐことのできぬ弥助必殺の左上面打ちは最後まで健在だった。
 練兵館の『閻魔鬼神』は、人生の最後の最後までその技を防ぐことを許さなかったのである。
それで満足したように弥助は微笑んだ。
こんな馬鹿な死に方をする自分だが、来世ではもう少し謙虚に政治や学問を勉強するのもいいかもしれない。ふと、そんな考えが脳裏をよぎったような気がした。
「――――馬鹿野郎が……」
 鉢巻きを斬られた新太郎は、悄然と肩を落として涙した。
 父斎藤弥九郎が愛した、天が才能を与えた男。
 その強さを誰よりもよく知っていた。いや、本当は嫉妬していたことを新太郎は認めた。
「だからこそ、お前の力を壬生浪士組なぞに渡すわけにはいかないんだ……」
 放蕩無類で女好きの博打好き、情に厚くて学がない。そして極めつけに誰の追随をも許さぬほどに強かった。
 これほど利用しやすい男もいないだろう。
 たとえ芹沢鴨に弥助を利用するつもりがなくとも、近藤勇や土方歳三はそうは考えまい。
単純で考えの浅い弥助が、自分ではそうと知らずに機密情報を漏らすことも十分に考えられた。
 新太郎や仲間たちも、本気で弥助が自分たちに刀を向けると考えていたわけではなかった。
 それでも万が一、万万が一弥助が敵に回ったら、という脅威を捨て去ることができなかった。
まさにその強さのゆえに、仏生寺弥助は生存を許されなかったのである。
 血だまりに沈んだ弥助の頬に、季節はずれの赤く色づいた紅葉が、まるで死に化粧のように舞っては落ちていた。


 練兵館の『閻魔鬼神』こと仏生寺弥助……享年三十三歳。
 彼は練兵館の道場破り破りの切り札であり、その剣の腕は塾頭である桂小五郎や斎藤兄弟よりも遥かに上であったと伝えられる。
 打ち捨てられた遺体は京都心光寺に人知れず埋葬された。
 あの傍若無人で世に知られる芹沢鴨が、ついに頭が上がらなかったという無頼の好漢は、幕末の動乱を前に歴史の闇の中にその姿を消したのである。
 だが、その魂は――――。
 因果は巡る。魂も巡る。そして時には世界すら巡ることも御仏の導く無常の定めだった。

「戦記」の人気作品

コメント

コメントを書く