異世界に転生した幕末最強の剣客は人類の存亡を懸け竜に抗う

高見 梁川

竜殺し(ドラゴンスレイヤー)の少年

 二年後の西暦千九百四十六年、ヒノモト帝国の南洋統治領であるダンプ諸島。
 竜の出現による第二次大戦の休戦により、ヴァージニア共和国による占領をかろうじて免れた諸島東部の夏島で、一人の少年が岸壁から釣り糸を垂れている。
「のどかだなあ…………」
 少年は釣り竿を片手にしたまま、のんびりと両足をぶらつかせた。
 南国の日差しは強く、肌が焼かれるような圧力があるが、海風はむしろ心地よいほどで少年は楽しそうに目を細めていた。
「戦争はひとまず終わりましたが、いつ竜の襲撃があるかもわからないのですよ? ご自重ください坊っちゃま!」
 困り顔で少年の背後から、美しい一人のメイドが控えめに声をかける。
「竜が怖くて家に引きこもっている趣味はないよ」
「それはそうですが……私にもメイドとしての矜持というものが」
「そうやって日焼けの日の字もない真っ白な肌を維持していられるんだから……すごいよね、メイドの矜持」
 南国であるダンプ諸島ではありえない白磁のように滑らかな肌。一部の隙も無いその美しさはもはや超自然的なミステリアスさを感じさせる。
 まるでそこだけがサクソン王国ビクトリア朝時代にタイムスリップしたかのようだ。
「うふふ……恐縮ですわ」
 嫣然と微笑むメイドの少女は、スカートの端をちょん、と摘まんで流れるように恭しく少年に頭を下げた。
 見慣れているはずの少年も、思わず見惚れるような流麗な動作であった。
 わずかに明るい茶の入った黒髪を肩口で切りそろえ、瑞々しい白磁の肌には日焼どころか汗一つ浮かんでいない。
 物理法則を超越したかのような少女の佇まいを、見るものが見れば、並々ならぬ発気――オーラが見えたであろう。
 彼女のせいで少年のメイドという職種に対する誤解が、ある意味間違った方向に天元を突破することになるのだが、それはまた別の話である。
 サクソン王国風のシンプルなデザイン、その清楚さな色気を引き立てるかのように純白のフリルに彩られたヘッドドレスが少女の小さな頭に乗っていた。
 くっきりとした目鼻立ちにさくらんぼ色の可愛らしい唇。どちらかといえば童顔な顔立ちだが、右の目尻の涙黒子
なみだぼくろ
が、少女に不釣り合いな妖艶な色気を醸し出させていた。
 正しく誰もが振り返る、清楚で瀟洒で完璧な美少女である。
「――全く、葉月姉には敵わないな」
 少年に名を呼ばれた少女は満更でもなさそうに頬を染め、形だけは抗議のために口をとがらせてそっぽを向いた。
「もう! 子供のころのように呼ばないでくださいとあれほど言ったではありませんか。弥助坊っちゃま!」
「僕だってそろそろ坊っちゃまは恥ずかしいよ?」
「坊っちゃまは何歳になられても坊っちゃまですから! メイドとしてそこは譲れませんので悪しからず!」
「うわっ、理不尽な……」
 まるで相思相愛の恋人のように葉月と弥助は視線を交わしただけで、相手の言葉にはできない部分をわかりあっていた。
 このダンプ諸島へ船に密航してやってきてから三年。
 当時十一歳であった弥助は十四歳に、そして十三歳であった葉月は十六歳の年頃の乙女へと成長している。
 実は弥助はさる名家の嫡男であり、もともと葉月は護衛兼メイドとして幼いころから生活を共にしていた。
 その名家は古い武家で、今も軍部に大きな力を有しているヒノモトでも有数の名門である。
 その当主が若くして死ぬとともに、当主の座を狙って豹変した叔父によって、弥助は当主との血縁関係を否定され、母がどこの馬の骨とも知れぬ男と浮気した産物ということにされた。
 まだこの世界にDNA鑑定はない。医者や関係者に証言を偽造させれば容易いことであった。
 ここまではまあ、よくあるお家の乗っ取りである。
 ところが新たに当主となった叔父はそれだけでは不安だったのか、一庶民となった弥助に複数の刺客を差し向けた。
 母は亡き夫のあとを追うようにすぐに病死しており、幼い弥助を殺すのは造作もないことのように思われた。が――――。
 若干十一歳であった弥助と、十三歳であった葉月は、まさに鎧袖一触に殺し屋を返り討ちにし、戦争中のどさくさに紛れてダンプ諸島行きの船へともぐりこんだのである。
 ヒノモト帝国の委任統治領であるダンプ諸島には、元軍人で葉月にとって母方の叔父剛三がいたためだ。
 弥助の亡き両親によって手配された幼馴染にして完璧なるメイド、葉月はこと白兵戦においても完璧であることを証明したのであった。
 いまや弥助にとって、この世で唯一頭の上がらない人物である。
「――――おっ! 引いたか!」
 あたりを合わせると竿がぐぐっと撓り海面を大きな銀の光が躍る。
 よい手ごたえだった。大物がかかったようである。
 なんとかバラさぬよう格闘すること数分、なかなかにいい型のギンガメアジを釣りあげて、弥助は破顔した。
 これで今晩のメインディッシュは決まった。
 なんといっても完璧なるメイドである葉月は、料理の腕も完璧なのだから。
「しようがないですわね」
 期待に満ちた弥助のキラキラした視線を向けられて、葉月は苦笑とともに弥助の手からギンガメアジを受け取った。
 葉月も弥助を甘やかしてしまっている自覚はあるのだが、メイドとして主人のいうことには逆らえない。
 それどころかむしろこうして甘えられることに、胸が高鳴るほど喜びを覚えてしまう困った自分がいた。
 このところ成長期の弥助は、早くも葉月の身長を追い越し、どこか男性的な頼りがいさえ感じさせる雰囲気をまといつつあった。 
 見慣れているはずの葉月が、ついふとしたはずみで胸にキュン、と動悸を覚えてしまうほどである。
(悔しいけど、格好いいのよね…………)
 ――だが常に完璧なるメイド、葉月は、かろうじてそんな感情が表情に出てしまうことを抑えつけた。
 少なくとも表面上は、相変わらず葉月は優雅で瀟洒な美少女メイドのままであった。
「葉月姉の煮つけは絶品だからなあ」
「もう! 褒めても何もでませんよ? 坊っちゃま」
 実は鉄壁のポーカーフェイスのようにみえて、葉月の耳たぶが興奮すると赤くなることを弥助は知っている。
 しっかりと葉月の耳たぶが赤くなっているのを確認して、弥助はニンマリと笑みを浮かべた。
「葉月姉はいいお嫁さんになるよね」
「ふえっ?」
 さすがの葉月のポーカーフェイスも、お嫁さんという乙女にとって魔法の言葉には無力であった。
 そんな葉月の反応を意地悪く楽しそうに見つめて弥助は笑う。
「ほんとに葉月姉は可愛いなあ」
「もう! もう! からかうことばっかり覚えて! 今日という今日はみっちり叔父様に叱っていただきますからね!」
「……本音を言っただけなのに……」
 もちろん葉月も本気で怒っているわけではない。むしろ本当はうれしいことの照れ隠しのようなものだ。
 姉弟のように育った二人が、次第に男女の性差を意識し始めたことによる違和感を調整するような可愛いじゃれ合いであった。
 二人を知るものがいれば、いつもの微笑ましい掛け合いであると笑っただろう。
 ダンプ諸島で二人が身を寄せた葉月の叔父である剛三が見れば、目に入れてもいたくないほど可愛い姪の甘酸っぱい思いに感涙したかもしれない。
 というより剛三は最近、本気で葉月を弥助に娶せようとしている節がある。
 そのあたりも葉月に弥助を意識させる原因となっているのだろう。

――――ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!

「空襲警報?」
 一昨年前にヴァージニア共和国が進出していたころは、一日に数回も鳴っていた。特に二月十七日の空襲はすさまじく、軽巡阿賀野や那珂など、多数の聯合艦隊
グランドフリート
艦艇が犠牲となった。
 即席の防空壕に飛びこみ、直撃弾がないことを祈る日々が続いた。
 もはや二人にとっては聞きなれた警報音である。
 しかし『竜の目覚め』と呼ばれる千九百四十四年の竜の出現により、大被害を受けて撤退したヴァージニア共和国にもはや空襲する余力のあろうはずもない。
 世界でもっとも強大で豊かであったヴァージニア共和国は、竜による被害のもっとも大きかった国でもあるからだ。
 今のヴァージニア共和国は国力、人口ともにヒノモト以下の三流国へと転落していた。
 太平洋を支配したあの恐るべき数の大規模機動部隊も、すべて竜のえじきとしてロサンゼルス沖に沈んでいる。
 太平洋艦隊最後の司令長官となったスプルーアンス提督は座乗するフランクリンと命運をともにし、ヒノモト帝国海軍の魔手を逃れ続けた幸運艦エンタープライズもまた海の藻屑と化した。
 ではこの空襲警報はいったいどこからの襲撃だというのか?

「――――竜だ! 竜が来たぞ!」

 その答えはすぐにわかった。
 町中の人々の悲鳴と怒号もあるが、釣竿を握った弥助の目にも、波間を蹴立てて近づいてくる巨大な竜の姿がはっきりと映ったからである。
 色は鮮やかな白。おそらくは幼竜だろう。それでも竜の全長は十メートルを超える。
 視認できる距離まで警報が鳴らなかったのは、やはり竜がレーダーに反応しないステルスであるせいだ。
 全力で移動する竜の速度は、時速にしておよそ四百㎞に達する。接近はあっという間だった。
「お逃げください。坊っちゃま」
 決然としてすらりと伸びた太ももからナイフを取り出すと、葉月は弥助を庇うように一歩前に足を踏み出した。
 理由はわからないが、あの竜は二人をめがけて一直線に進んでいるように葉月の目には見えたのである。
「……いっしょにヒノモトを逃げ出したときから、敵とは協力して戦う約束だろう?」
「竜が相手では特別です。私の腕では時間稼ぎしかできません」
 あの竜を相手に時間稼ぎができるというだけでも空恐ろしい話であった。さすがは完璧なるメイド葉月。殺し屋など一蹴できるわけである。
 一切の物理攻撃を無効化する竜の前には、帝国海軍が世界に誇る聯合艦隊さえ手も足もでないのだ。
 竜を撃退することができるのは、古来からの異能を持つ者と、選ばれた鍛冶師が鍛え、力を付与した神具のみ。
 遠く鬼の血を引くと謳われる武門の家柄に生まれた弥助と、その分家である葉月もまた異能の持ち主であった。
 しかし葉月程度の異能では、竜に与えられるダメージはそれこそ爪楊枝で狼と戦うに等しいだろう。
 葉月が愛用している武具も、大山積神社に奉納された土佐吉光の短刀とはいえ、格も霊気も対竜神具とは比較にならないほど貧弱だった。
 それでもかろうじて竜にかすり傷ほどのダメージを与えるだけの力はあるので、奇跡が起これば撃退することも可能かもしれない。
 いや、たとえ奇跡のような確率でも絶対にそこに辿りついてみせる、と葉月は決意していた。
「それに葉月姉みたいな綺麗な女性
ひと
を見捨てたら男が廃るでしょ」
「そ、そういう女性の口説きかたみたいな臭いセリフを坊ちゃまに教えたのは叔父様ですか? 帰ったらおしおきです!」
 そういいながらも葉月の歯切れは悪い。ダメなことだとわかっていつつも、心のどこかでうれしいと思っている自分がいるのだ。
「――――俺は教えてないぞ! 濡れ衣だ!」
「あら、いたんですか? 叔父様」
 猫可愛がりしている美しい姪に、絶対零度の冷たい視線を向けられて、剛三は哀しそうにうるうると目元を潤ませた。それでいいのかおっさん。
「そ、そんなことより早く避難するぞ! あの竜の時間稼ぎは俺がする!」
 いささか威厳が不足しているが、剛三はこれでもかつて帝国海軍で特殊任務を任されていた予備役中尉だ。
 そして葉月と同じく異能の血も引いている。現役時代はおそらくなかなかの強者であったろうことは剛三の動きの端々から窺えた。
 だが残念なことに、戦争での異能の酷使による後遺症が祟り、今の異能の強さは弥助はおろか葉月にも劣るほどで、とても彼に時間稼ぎができるとは思えなかった。
「叔父様には無理です」
「そんなことより剛三叔父さん。あれはもってきてくれた?」
「あ、ああ……弥助の家宝だからな、これだけはきちんと渡さんとと思ってな」
 剛三が弥助に手渡したのは、家宝どころか国宝にしても足りない神刀である。そのため普段は弥助が肌身離さず身に着けて守っていた。
 しかしさすがに刀をもって外出はこのダンプ諸島でもできないので、今日は釣りに出かけるときに剛三に預けていたのだ。
「それで十分」
 弥助が剛三から手渡された日本刀を、堂に入った動きで鞘から刀身を抜くと、美しい波紋が太陽に反射して眩く煌めいた。
「――――来ます!」と葉月が叫ぶ。
 そんなやりとりの間にも、竜は波打ち際まで瞬く間に迫り、大きく凶悪な牙をむき出しに咆哮した。
 人の精神を揺さぶり恐慌に陥れる咆哮。
 しかし異能の血を引く弥助達には効果がない。いや、剛三だけはオーラのガードが弱っているせいか心なしか動きが鈍くなったようだ。
 備前長船兼光――鬼山家に代々伝わるこの神刀を握るだけで、弥助の胸に痺れるような高揚が湧き上がる。
 長船兼光は十三世紀の刀工で、大業物二十工の一人に数えられている。相州正宗の十哲と呼ばれる直弟子でもあり、神刀鍛冶師としてその力量比類なしと謳われた。
 左文字や来国次、美濃国金重など名だたる正宗の弟子たちのなかで、こと切れ味と神気を扱うことにかけて兼光に匹敵する者は誰もいない。
 彼こそが伝説の刀工、相州正宗の真の後継者と呼ばれる所以である。
 東京国立博物館の福島兼光や、高知城歴史博物館の今村兼光の優美かつ躍動的な、のたりに互の目の刃紋を見て感動した者も多いだろう。
 抜いただけで全身に神気が漲り、使用者の力を爆発的に増幅するその効果は、まさに兼光が神刀と謳われる証左であった。
 ――――昔、鬼山本家の血筋が途絶えたと思われた際、先代の隠し子が身売りされて女郎に身を落とされていることがわかった。半信半疑でその女郎に兼光を抜かせたところ、これまで誰にも抜けなかった兼光がすらり、と抜けたため、鬼山家備前長船兼光の別名を『女郎兼光』という。
 初めて弥助が女郎兼光を抜いたのは、三年前のあの日、ヒノモトで刺客たちに襲われたときのことだった。
 ――――そして自分がかつて、全く違う人間――仏生寺弥助――として生きてきたころの記憶がよみがえったのも、神刀を抜いた瞬間であった。
 弥助が今とは、こことは違うもう一人の弥助、仏生寺弥助であったことは、今では葉月だけが知っている。
「神道無念流免許、仏生寺弥助参る!」
 かつて練兵館の閻魔鬼神と恐れられ、幕末に無敵の名を欲しいままにした天才剣士がいた。
 なぜかこの世界へと生まれ変わった幕末の天才と、かつての日本にはなかったヒノモトに連綿と伝えられた鬼の血が一つとなった時、――――そこに怪物が生まれた。
「坊っちゃま!」
「葉月姉はそこで待っていてくれ。必ず戻る!」
 ゆらゆらと陽炎のように揺らめきが視認できるほど人並外れた発気に、思わず剛三は全身を総毛だたせて呻くように言った。
「これが――帝国四鬼、鬼山家正統の血を引く者の気か!」
 異能の血に曰く、初めに錬気あり。体内で気を鍛錬することで活性化させることである。そして十分に気が練られるとそれを体外に放出する。これを発気という。
 今弥助が行っているのがまさにその発気であり、その量は葉月の数十倍、剛三の百倍以上はあるように思われた。
「二人で協力して戦う約束なのでしょう?」
 くすりと笑って葉月はコツン、と弥助の額を叩く。
 つい先ほど自分の言った言葉をそっくり葉月に言い返されて、弥助はしまった、と苦笑した。
「いいよ。それでも俺は葉月姉を守るから!」
 気になる女一人守れなくてなんのヒノモト男児。葉月姉の嫁入り前の玉のお肌は俺が守ってみせる!
「――――ふんっ!」
 全身の発気を足に籠め、弥助は竜へと一気に加速した。
『神足通』――古の央華帝国で仙人からもたらされたという絶技は影すら置き去りに、弥助を竜の鼻先に移動させる。
 息吹
ブレス
を吐くタイミングを逃して、竜は再び怒りの咆哮をあげた。
 現在世界で主力とされるレシプロ戦闘機の速度すら上回る弥助の接近速度は、竜にとっても意外であり、驚きでもあったのだ。
「ギュオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
 精鋭として知られる帝国海軍航空隊のパイロットを、恐慌状態に陥らせ半ば潰滅に追いやった竜の咆哮である。
 気の弱い者なら、それだけでショック死しかねない精神的な衝撃は、伊達に魂砕き(ソウルブレイカー)の異名はとっていないことを証明していた。
 しかし弥助にとっては、わがままな子供が思う通りにいかなくて泣きわめいているようにしか見えない。
「なんだ、この程度か」
 今や世界を滅ぼすと恐れられる竜だが、弥助にはでかい図体以外になんのとりえもないように思えた。
 これなら葉月のほうがよほど恐ろしい。
「――――坊っちゃま、今何を考えました?」
 うん、そういうとこやぞ。
 嘗められていると思ったのだろう。
 竜は尾を横なぎに振り回すと同時に、再び息吹
ブレス
を吐く態勢に入った。
 巨体に似合わぬ素早さであり、尾の末端の速度はおそらく時速六百キロメートルに達していたと思われる。
 しかし弥助と葉月にはかすりもしない。必要最小限の動きで苦も無くこれを躱した。
 一流の鬼の末裔の身体能力は、単体で近代兵器を優に凌駕する。
 現状、近代兵器による物理攻撃が一切通用しない竜に対して、唯一彼ら異能の者が対抗しうるのはその実力があってこそといえた。
 生身の体でありながら銃弾を避け、岩を割り、鉄より硬い竜の皮膚をやすやすと切り裂く。それが異能なる者なのである。。
 そしてもっとも異能の血が濃いとされるヒノモト帝国四鬼家のひとつ、鬼山家の正統なる後継者こそが弥助なのであった。
 さらに異能がいない日本に生まれ、その天賦の才によって斬鉄をも成しとげた神道無念流の『閻魔鬼神』の力がそれに加わる。
 ――――もはやこの世に斬れぬものなど何もない。
 そんな確信が弥助にはある。いや、信じることこそ剣士の力の源だと、かつて弥助は、師匠の斎藤弥九郎にそう教えられた。
(さて、そろそろ本気を出すとしようか)
 不敵な笑みを浮かべる弥助に激怒したように閃光が走り、竜の息吹が弥助の頭をかすめてチリチリと髪の毛が焦げる嫌な匂いが広がった。
 着弾した場所のサンゴやらガジュマルやらが粉々になって吹き飛んで、半径数十メートルのクレーターが出来上がる。
 威力のほどはおよそ重巡の主砲クラスのようだ。やはり成竜よりはかなり威力が落ちる。
 これが現在世界を支配する四大竜王ともなれば、あの大和の四十六サンチ砲どころか、プロイセンの誇る世界最大の八十サンチドーラ砲をも上回るであろう。
 それでもまともに食らえば、異能の者といえど弥助でもただでは済まないのだが。もちろん、まともに食らえばの話だ。
 ヒュウ、と弥助は細く鋭く息を吐いて目を閉じた。
 呼吸のなかには生と死がある。正しく自分の生の時を知り、敵の死の呼吸を知れば――すなわち無敵なり。
 幕末の天才剣士、仏生寺弥助が天才であったゆえんは、努力ではなくこの呼吸の生と死の狭間を感じ取る力を生まれながらに体得していたことにあった。
 意識を集中しているようにみえても、実は意識にはほんのわずかな継ぎ目のような隙間があり、筋肉もまた継続して緊張させているように見えても、実は同じ力で均等に緊張を持続させているわけではない。
 ――――感じる。呼吸、鼓動、そして身体をめぐる気の流れ。そしてそれにはほんの瞬く間ほどもない小さな生と死が繰り返されているのだ。
 ――――刮目!
 兼光を上段に振りかぶり、弥助は弾丸のように走り出す。
 竜の足と尾の攻撃をひらりと躱し、その鼻先を蹴り上げて跳躍した弥助を援護するように、葉月は自分の持つ最大の気をこめた短刀を竜の目をめがけて投げつけた。
「坊っちゃまの邪魔をするな!」
「ギュオオオオオオオオオオオオオ!」
 竜は突如瞳に突き刺さった短刀に激痛に身をよじらせる。正確には身をよじらせようとした。が、それより早く弥助が兼光を振りぬいていた。
 互

の目交じりの美しい刃紋が、鉄砲切りとも兜割りとも切れ味を恐れられた兼光の魔性を詠うようにまぶしく煌めく。
 ――――――ザシュッ!!
「ちぃっ! 浅い、か」
 長い鼻を真っ二つに叩き斬られて、竜は悶絶する。自慢の竜髭が鼻と一緒にプラプラと揺れていた。
 あまりの苦痛からか、竜の大きな瞳から、ボタボタと大量の涙が零れて落ちた。竜涙というやつだ。
 アンチエイジングにかなりの効果があるらしく、好事家がみれば狂喜してうなるほど金を積むだろう。
「なんとすさまじい……これほどの切れ味、歴代の当主にも真似できるかどうか……」
 いともあっさりと竜の鼻を切り裂いた弥助に剛三は瞠目した。
 元が職業軍人であった剛三は、あの戦艦大和の四十六サンチ砲ですら、竜の肌にかすり傷ひとつつけることができなかったことを知っている。そして弥助の父にあたる鬼山多聞や、かつて上司であった百目鬼将暉といった、帝国四鬼と呼ばれる男たちの実力を目撃してもいた。
 弥助の力は、その全てを上回るものであった。これがどうして驚かずにいられようか。
 そう思う間もなく、竜の角から二筋の光が弥助を襲った。
 息吹
ブレス
だけではなく、竜はその角から雷を発することができる。実際の雷とは違って避雷針も利かないのは、自然現象ではなくそれが法術だからなのかもしれない。
「ふう……危ねえ」
 間一髪雷を躱し、次いで襲いかかってきた尾の連続攻撃を躱して、弥助はひとまず竜との距離を取った。
 弥助と竜とではもともとの体格差がありすぎる。普通に斬りつけただけではたとえ斬れても致命傷にはならないようだ。
 大太刀に分類される女郎兼光の刀身はおよそ三尺ほど。すんなり斬ることができても竜を傷つけられる深さは九十センチ強ということになる。
 もっともこれが普通の剣士なら、鋼鉄よりも遥かに硬い竜の肌にかすり瑕ひとつつけることもできないだろうが。
「さすがは竜ってことかな」
 まだ日本の剣客であったころの記憶が抜けきっていないようだ、と弥助は感覚を対人ではなく対竜用に調整した。
 ゆっくりと息を吐き足を止めると弥助は改めて全身の気を練る。その気を兼光へと付与するためだった。
 ただ単に斬るだけでダメなら、兼光に弥助の力と気を上乗せして斬るしかなかった。
「きゃっ!」
「葉月姉!」
 弥助が気を練っていることを察した葉月が、その集中力を乱すまいと攪乱をしてくれていたものの、息吹を避けたはずみに割れた大地の破片を浴びてしまったようだった。
 幸い怪我はなさそうだが、あの綺麗なメイド服が裂けて白い二の腕が露出している。さらに綺麗な鎖骨のラインもちら見えしていた。なかなかにエロい。
「こらっ! 葉月姉の玉の肌になんてことしやがる!」
「いきなり何をいうんですか坊っちゃま! ていうか見ないでください!」
 恥ずかしそうに叫んで、思わず葉月は胸元の鎖骨のあたりを右手で覆うように隠した。
「いーや! 見るね!」
 どうせ避けるならもう少し胸元とか、太ももを狙えばいいものを。まあ、葉月姉を傷つけるわけにはいかないんだが。
「発気付与」
 弥助の練りに練られた気が、兼光に浸みわたり、刀身から放射状に発気される。その眩い光に竜の瞳は吸い寄せられた。
 弥助の殺気が伝わったのか、痛みに怒り狂いながらも警戒したように竜は兼光を睨む。それが自分の命に届きうることを本能的に察したのである。
 あるいは竜は生まれて初めて、死というものに恐怖したのかもしれなかった。
 そんなことは気にも留めず、弥助はゆっくりと兼光を振りかぶった。狙うは竜の眉間、その一点のみ。
「――――面、でござる」
 弥助によって前もって予告された上面打ち――眉間への一撃を竜は避けることができなかった。それどころか、攻撃があったことさえ気づいていないかもしれない。
 来るとわかっていても誰も避けられない、弥助の前世からの神技である。
 神刀兼光はまるで柔らかなバターのように、有無を言わさず竜の頭部から胴体の半ばまでを真っ二つに切り裂いた。
 轟音とともに竜の体は地面に落ちて、ビクリビクリと断末魔の痙攣を晒す。
「す、すげえ。追い返すどころか、本当に倒しやがった!」
 剛三があんぐりと口を開けて放心するのも無理はない。
 それは実は、これまで人類が一度も成し遂げることができなかった、異能者による単独での竜の討伐だったのである。
 高位の異能者が集団で力を結集しなければ、たとえ四鬼家といえども竜は討伐できないというのがこれまでの常識であり世界の現実だった。
 十分な魔法支援を受けた異能者が複数で竜を倒したことですら、いまだ世界で両手で数えるほどしか成し遂げられていない。
 本人はそんな偉業を達成したことにも気づかず、のんきに額の汗をぬぐっていた。
「……ふう、さすがに緊張した」
「坊っちゃま!」
「うわっ!」
 地上に着地すると同時に、葉月が弥助めがけて体当たりするように抱きついてくる。
 この一年滅多になかった葉月との密接な肉体的接触。
 成長著しい胸が押しつけられ、顎の下あたりにうずめられた葉月の髪から、木蓮のようないい香りが立ち上った。
 思わず男の本能が、弥助の右手をするりと滑らせたとして誰が責められようか。
(あ、柔らかい)
 柔らかさのなかにも張りのある極上の感触。
 ついうっかり、ほんの出来心で葉月のお尻に手を回してしまった弥助は、そのまま葉月にジャンプ一番、顎下にしたたか頭突きを食らった。
「――――この助平!」
 葉月の顔は羞恥に真っ赤に染まっている。
 自分でも表現しがたい感情に、目じりに涙を浮かべている葉月をみて、弥助は速やかに土下座を敢行した。
「大変申し訳ありませんでした!」
(いけねえ、いけねえ。ここは昔弥助が生きてた時代じゃないんだ)
 久しぶりに女、というものを感じて前世の感覚で女性との接触をやらかしてしまった。
 人類史上初めて単独の竜殺し(ドラゴンスレイヤー)となった少年は、前世の記憶に引きずられる自分を戒めつつも、思わず葉月のお尻の感覚を思い出して右手のひらをわきわきとさせた。
 …………あれはいいものだ。うん。
 卑猥な手の動きを見た葉月は、頭から湯気を出さんばかりに顔を真っ赤に染めた。
「――もう! もう! 坊っちゃまの馬鹿! 助平! 変態!」
 ああ、ものすごく可愛い。
 ふとまだ弥助が仏生寺弥助であったころ、通った吉原の格子女郎、墨染のしなやかな肉体を思い出し、女の勘で何かを察した葉月は叫んだ。
「ひとのお尻を揉んでおいて、ほかの女のこと考えないでください!」 

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